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俺たちの関係 (後)

「私もその頃は仕事で忙しく、兄の異変に気づけなかった。私が兄が仕事を辞めたのだと知ったときにはすでに手遅れだったんだ。連絡も取れなくなり、兄の家を訪ねたときにはもう、そこはもぬけの殻だった」

 隆一は涼を連れ、完全に行方をくらませてしまったのである。

「それから私は兄の行方を探し始めた」

 しかし、修がいくら探しても手がかりひとつ見つからない。

 兄の生死すらわからず、もう見つけることは不可能かと捜索をあきらめかけたとき、修のもとに一本の電話が届いた。

 それは、隆一ではなく、警察の人間から。

 はやし立てるように隆一の居場所を聞く修に電話越しの男はこう言った。


 ”あなたのお兄さんが、児童虐待の罪で逮捕されました”と。


 修はすぐさま兄のいる留置所へと足を運び、そこで隆一との再会を果たす。

「変わり果てた兄の姿を見て、私はひどく驚いたよ。まるで生きているのか死んでいるのかさえわからないほどに呆然とした兄がそこにいたのだから。正直言って、ひどい姿だった」

 そんな兄の姿を思い出しているのか、淡々と語っていた修の口調に淀みが生じた。

「私は兄をずっと強い人間だと思っていた……だからこそ気づいてあげられなかった。兄の弱さに……兄の強がりに……」

 弱い兄に対してか、それともそれに気づけなかった自分に対してか……修は悔やんでも悔やみきれぬと身を震わせる。

 隆一は何もかもを一人で抱え過ぎたのだ。

 誰の力も借りずにがむしゃらに突き進み続け、そしていつの間にか目的を見失い、ついには自分すらも見失ってしまうほどに。

 それが息子が初めて知った、実の父の過去の姿だったのだ。


 話を聞き終えたリョウは、気に入らぬとばかりに眉間にシワを寄せた。

「……だからどうした? 俺にあの男を許せとでも言うのか!? 」

「兄を許してくれとは言わない。ただ、覚えておいてほしい。お前は二人のあいだに望まれて生まれてきたのだと言うことを」

「望まれて生まれてきた? はっ、そんな大層なもんじゃねぇだろ。アイツは、俺を心底憎んでいた。きっと今でも俺を生んだことを後悔しているだろうぜ」

「違うわ! 隆一さんも彩夏さんも、あなたの誕生を本当に心待ちにしていた。だからそんなことを言うのはやめて!」

「笑わせるなよ。今更、俺に奴の何を信じろって言うんだ!?」

 次第に感情を昂らせ、怒りをあらわにしていくリョウに叔父は茶封筒を差し出した。

 十センチほどの厚みを持ったそれは、中身が便箋一枚でないことだけは確かだ。


「これを開けてみなさい」

「ふん、こんなもの──」

「開けるんだ」

「……チッ」

 叔父に強要され、リョウは苛立ちながらも言うとおりにした。

 封を開け、逆さにし、乱雑に中身を取り出す。

 小さな音を立て、テーブルに落ちたものは二つ。

 一つは、向日葵の形を模したブローチ。

 そしてもう一つは、現金だった。

 それも一万円が重ねられた札束。


「なんだ、これは?」

 いきなりの大金を目の前にして、リョウは不審な顔をする。

「向日葵はね彩夏さんが一番好きだった花。このブローチは彩夏さんの形見だ。そしてこっちは、兄がお前のために用意したお金だ。これはお前の進学費用にあててくれとあったよ」

「どういうことだ……?」

 次から次の予想外の展開に混乱を隠せないリョウ。

 真実をすべて教えると言った叔父は、包み隠さず、リョウにすべての秘密を打ち明けていく。

「今までお前には黙っていたが、私がお前を引き取ってからというもの、兄は何度もお前の学費や生活費を私のもとに贈り続けてきた。そのおかげで、私たちは今日までお前をこうして育ててこられたんだ」

「なんだと……? なぜだ……どうして……?」

「わからないか? これはね、大事な息子であるお前に不自由な暮らしをさせたくないという兄の中に残っていた父親としての想いなんだよ」

「…………」

 リョウは虚をつかれたような表情で、テーブルの上に置かれたものを見続けていた。

 そして……


「────ふざけるなっ!!」


 ドンッ、とテーブルに拳を振り下ろし、声を荒げて立ち上がった。

 業を煮やしたのか、歯をギリギリと鳴らしている。

「何が父親としてだ!? ふざけたことをぬかすのもいい加減にしろ!! 忘れたとは言わせないぜ。あの男が俺にしたことを!!」

「そうだ、これで兄のしたことが決して許されるわけではない。だが、私の知っている兄の姿もお前の知っている父の姿もすべて真実だ。それだけは変わらない」

 激しい剣幕でまくしたてるリョウに対し、叔父は険しい視線を向ける。

「兄は、お前にしてしまったことをずっと後悔していた。だから、自分のできる方法で、罪を償い続けていくと言っていたよ」

「後悔だと? ならばなぜアイツは俺の前に現れない!? なぜ俺の前で地面に頭擦りつけて、醜く許しを乞わない!? それをしないのもテメェの身かわいさからじゃねえのかっ!」

「違う。兄がお前の前に現れないのは、お前に許してもらえなくてもいいと思っているからだ。きっと涼のためなら自分の命を差し出してもいいと思っているだろう」

「はっ、だったら今すぐにでも、俺がその命をもらってやるよ」

 本当に人を殺しかねない殺気を込めて、リョウは言った。

「……前に出所した兄に一度だけ会ったことがある。そのとき兄はこう言っていたよ」


 ”あいつはきっと俺を殺したいほどに憎んでいるだろう。別に殺されたって構わない。でもそれではアイツに何も残らない……だから俺の命を引き換えにでもアイツには何不自由ない暮らしをさせてやってほしい……”


「そんなもん……ただのテメェの自己満足だろうが!」

「今こうしているあいだにも、兄は身を粉にしてお前のために金を作っている。昼夜とわず働き、文字通り命を削ってな」

「だから、それが気に入らねぇって言ってんだよっ!!」

 罪を償うという父の行いが、まるで悪であることのようにリョウは叫んだ。

「……違うんだよ。俺たちの関係は……もっと醜く……そう、それこそ血を血で洗い流すほどに……でなけりゃ、俺は何のために…………」

 苦悶に顔を歪め、父から与えられたものに激しい拒絶の意思を見せる。

 ただ一つ、リョウが受け入れられたモノ……

 それは、リョウが幼き頃に嫌というほど与えられた深い憎悪だけだった。


「もう、こんな話はどうでもいい! 俺が求めていたのはこんなものじゃ────ッ!? がっ……ぐ、うう……ああっ……!!」

 激しい頭痛に苛まれるように、リョウは頭を抱えて苦しみだした。

「涼? どうした!?」

「しっかりして涼君! 大丈夫!?」

「ぐっ──俺に触るなっ!!」

「きゃあっ!」

 リョウの身を案じて、駆け寄った叔母をリョウは突き飛ばす。

 そしてそのまま血相を変えながら、叔父に掴みかかった。


「っ……言え! あの男は今どこにいる!?」

「やめなさいっ、涼君!」

 誰の声も、今のリョウには届いていなかった。

「言えっ!!」

 声を荒げ、自身の感情に支配されるままに叔父を問い詰める。

 質問は尋問へと変わり、そんな姿に親と子の関係を見出すことはできない。

 叔父の襟元を掴むリョウの手には、どんどん力が込められていった。

「ぐ……あう……」

 締まっていく喉の痛みに叔父が苦しみの声を漏らす。

 しかし、リョウはそんなことにすらも気づけない。

 こんな状態ではまともに言葉を発することもできないということに。

 リョウは叔父の身を案ずる以前に、ただひたすらに父親の居場所を吐かせることだけを目的としていた。

 このままではいずれ尋問は拷問へと変わっていくだろう。


「言えって言ってんだ────ッ!?」

 ドグンッ、と心臓が一瞬高鳴ったような感覚に、リョウは自らの異変を察知した。

「な……に……?」

 視界がぐらりと揺れ、目に映る景色は曖昧に。

 体から魂でも抜けていくようにリョウの意識は次第に遠のいていく。

 リョウがその意味に気づくのには数秒とかからなかった。


(──そこまでだよ。今の行為は明らかなルール違反だ。君は少し、頭を冷やした方がいい)

「テ……メェ────」

 それはこの世界からの強制的な乖離。

 コインの表と裏がひっくり返るように、二人の人格が交代される瞬間だった────




「……………………」

 表に出た僕はすぐに叔父さんから手を離した。

 体を奪い取ることは呆気ないほどに簡単で、それは直前まで僕の行動に気づけないほど、君の意識が一つのことに向いていたことを示している。

 そのおかげで、こうして大事に至る前に君を止めることができたわけだけど……

「ゴホッ、ゴホッ……」

 僕の手から解放され、激しくせき込む叔父さんは、呼吸を整えると僕の方に顔を上げた。


「……ごめんなさい」

 目が合うとすぐに僕は深く頭を下げ、謝罪をする。

 もしかしたら許してもらえないかもしれないけど、悪いことをしたら謝るのは道理だ。

「いや……いいんだ。お前が取り乱すのも無理はない。それに私の方こそ済まなかったね。涼の気持ちも考えずに、つい自分勝手なことばかり言ってしまって」

 僕たちにとっては父親に当たる人物だが、叔父さんにとっても生まれたときから一緒にいた兄に当たる人物。

 互いに深い繋がりを持つ者同士、感情的になるのは致し方のないことだったのかもしれない。

「叔母さんも、ごめんない」

「ううん、あまり気に病まないで。それより涼君の方は大丈夫なの?」

 うん、と僕は頷く。

 二人は僕たちのしでかしてしまったことを咎めることもなく、いつものように優しく許してくれた。

 だけど育ての親にまで手を出す結果となってしまったことを僕は後悔していた。

 ギリギリまで状況を見ていたのは僕自身の意思だ。

 最悪、こうなることも予想できたはずなのに……

 しかし予想はできても、まさか本当に実行に移るとは、さすがに僕も思ってもいなかったのである。

「今夜は、寮の方に帰ることにするよ」

 気まずい雰囲気と罪悪感から逃げ出すために、僕は夜遅くにも関わらず今から学生寮に帰ることを選択した。


「待ちなさい。まだ話は終わっていないよ」

 だけど叔父さんは僕が逃げ出すことを許してはくれなかった。

 正直、これ以上話を聞くことに気は乗らない。

 これ以上話を聞いたって、僕自身、得るものなんて何もないから。

 今はもう、誰かのせいで、これ以上僕の周りを乱してほしくはなかった。

 でも、それは僕の自分勝手だ。

 これは僕だけじゃなくて、君のためにやっていること。

 叔父さんも、これが僕たちの為になると思って、続けてくれているんだ。

 だから僕も、もう一人の神谷涼として、すべてを聞く責任と義務がある。

「わかった。話は最後まで聞かせてもらうよ」

 僕たちは、立ち上がったまま話の続きを再開した。


「お前の『涼』という名前はね、兄がつけたんだ」

 最後は名前の由来について。

 僕の名前は父がつけた……それには納得だ。

 だって僕が生まれたときには、もう母はいなかったのだから。

「涼が生まれる前、兄たちは頭を悩ませながらいろいろと名前を考えていたよ。私も候補を見せてもらった覚えがある。そして悩んだ末に『りょう』という名前に決めたんだ。でもね、そのときの漢字は今と違っていた」

「読みは同じなのに漢字が違う?」

「当時『りょう』とは、こういう漢字にする予定だったそうだ」

 そう言うと叔父さんは空中に『亮』という字を書いた。

「この『亮』という漢字にはね、明るく元気な子に育ってほしいという意味が込められていたんだ。けれども兄は変えた。お前が生まれた後に漢字を今の『涼』という字に」

「なんで、そんなことをしたの?」

「『涼』という字はね、まれに『さやか』と読ませて名前をつける場合があるんだ」

「さやか……それって……」

 それは僕を生んでくれた母と同じ名前。

「兄は、お前に彩夏さんの分まで生きてほしいと願い、この字を選んだのだろうね」

 母の分まで生きる。

 それが僕の名前に込められた意味。

 それは同時に、それほどまでに父が母を想っていたことを表している。


「………………」

「でも気にすることはない。きっと彩夏さんは、そんなことを望んではいないだろうからね。彼女だったら、涼には涼らしく生きてほしいと言うだろう」

「僕らしく……生きる」

「そうだ。何かに縛られることも、誰かの思いどおりになることもない。涼は涼として、自分の思うままに生きればいい」

「そう。涼君は涼君の道を進めばいいの。でも、挫けそうになったときはいつでも私たちを頼ってくれていいからね」

「ああ。人生の先輩としてどんなことでも相談に乗ってやるぞ」

 そんな二人の言葉を聞いて、僕は以前に茜や恭太郎たちにも似たようなことを言われたことがあるなと思いだし、頬を緩ませた。

 こうして僕を支えてくれる家族がいる。

 そして僕と一緒に歩んでくれる友達がいる。

 簡単に割り切れるような話ではないかもしれないけれど、そんな人たちに囲まれているだけでも、僕はもう過去のマイナスを十分に帳消しにできている気がした。


「ありがとう。きっと今回の話は叔父さんたちにとっても辛い思い出だと思うんだ。それなのに包み隠さず全部教えてくれて、本当にありがとう」

 僕はまた深く頭を下げた。

 今度は謝罪ではなく、お礼の意味を込めて。

「でも、僕にとっては叔父さんと叔母さんが、いつまでも僕のお父さんとお母さんであることに変わりはないからね」

「ああ。それは私たちも同じだよ」

「ええ、涼君は私たちにとっても大切な子供なんだから」

「うん」

 今さら確認するまでもないことかもしれない。

 僕の家庭はずっとここにあった。

 だから僕自身は、この先も永遠に過去の家族に引きずられることはないと言い切ることができる。

 そう割り切るだけに足るものを僕はずっと与えられてきたのだ。

 親の愛情と言う大切なモノを。


 でも、今日はここにはいられない。

 またいつ、君が叔父さんたちに危害を加えてしまうのかもわからない以上は。

 今の僕は君が父に対して憎しみを抱いている感情も意味も理解できるようになった。

 だけど、まだ僕にも理解できないことがある。

 それは、なぜ君がそんなにも父に執着するのかだ。

 おそらくはもう顔もほとんど覚えていないような、言ってしまえば他人となった人間に、どうしていまだにそこまでの執着を見せるのか……

 過去は二度と変えることはできないのだ。

 簡単に割り切ることはできずとも、それこそ君が僕に言ったように、今こうして手に入れることのできた第二の人生を謳歌すればいいのに……

 君は……いったい父に何を見ているんだ?

 ハッキリ言って……


 ────何年たっても色あせることのない君のその執念はあまりにも異常だ。




『ごほっ、ごほっ……』

『大丈夫か?』

『ええ、これくらい平気よ』

『……本当に生むのか? 正直、俺は今回の出産を見送ってもいいと思っている。俺はお前の体が心配だ』

『ありがとう……でも生ませて欲しいの。この子は、あなたと私の子なんだもの。それにこの子が無事に生まれてきてくれれば、私は自分がどうなっても後悔しないわ。だからあなたにも、どんな結果になってもそれを受け入れてほしいの』

『…………』

『そんな顔をしないで。もちろん、私だってお医者さまと相談して最善は尽くすつもり』

『ああ、お前がそこまで言うのなら、俺も夫として腹を括ろう』

『ありがとう、あなた。そうだ、この子の名前はどうするの? 修君たちにも相談していたみたいだけど』

『おう、それならちゃんと決めたぞ』

『この子が男の子だってことも忘れないでね』

『もちろんだ。この子の名前は「りょう」にしようと思う』

『りょう?』

『ああ、明るく元気な子に育ちますようにって意味だ。俺は生まれてくる子が俺みたいな馬鹿でもいい。ただ元気があれば、それだけで十分だ』

『ふふ』

『なんだ? 俺なんか変なこと言ったか?』

『きっと、あなたこの子が生まれたら、すんごい親ばかになるわよ』

『う、うるせぇ』

『ええ、私もあなたの意見に賛成。この子の名前は亮にしましょう』

『亮が生まれたら、三人でいろんなところに遊びに行こう。とりあえずは、お前の好きな向日葵畑からか』

『あら、それはこの子が生まれたときの楽しみが増えたわね』

『だろう。俺も新しい家族を養うために張り切って働かなきゃな』

『張り切り過ぎて、空回りしないようにね、パパ』

『おうよ。早く元気な顔を見せてくれよ、亮────』

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