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俺が俺であるために (前上)

『今日からここが涼君のおうちになるのよ』

 タクシーから降りた涼に叔母は自慢の我が家を紹介した。

 住宅街の一画に建てられた二階建ての一軒家。

 真面目にコツコツと働いてきた夫が建てた念願のマイホームだ。

 完成したのもつい最近。

 引っ越してから間もない時期だった。


『ボクも、ここにすむの?』

『そうだ。ちゃんと涼の部屋もあるぞ』

『叔母さんたちのことも、お父さんとお母さんだと思ってくれていいからね』

『遠慮することはない。なんたって今日からは涼も家族の一員だ』

 まだここで暮らす実感がわかないのか、涼はポカンと家を見上げていた。


『ほら、ここが涼の部屋だよ』

 汚れ一つ見当たらない玄関から中に入り、階段を上った二階の部屋に案内される。

 八畳程度の洋室。

 そこにはまだ何も物がなく、子供の涼にはとても広く感じられた。

『明日、みんなで家具を買いに行こう』

『男の子の部屋ですもの、かっこいいのを買わないとね』


 病院で叔父たちと出会ってからほどなくして、涼は無事に退院した。

 だが、体の怪我も心の傷も癒えたわけではない。

 右腕には依然ギブスもつけられたまま。

 そして何より、涼はまだ一度も二人の前で笑うことがなかった。

 いや、笑うだけではない。

 感情を表に出すことがなかった。

 

 涼ほどの年齢なら、わめいたり、泣き出したり、駄々をこねたりして大人を困らせるもの。

 借りてきた猫のように緊張して縮こまっているわけでもない。

 良い子だと思わせようとしているわけでもない。

 これが今の涼の自然の姿なのだ。


 それもしょうがないと叔父は思う。

 子供ならば誰でも当然に与えられる権利を与えられなかったうえに、想像するだけでも恐ろしい卑劣な仕打ち。

 涼が心に負った傷はすぐに癒えるものではないのだ。


 涼のこと、そして涼の本当の父である兄のことを知ったとき、叔父は心底驚いた。

 道を踏み外した兄に激しい怒りを抱き、そんな兄を悲しんだ。

 だから涼を引き取ることにした。

 生まれてきた子供に罪はない。 

 だから自分が兄に代わり、一人残された涼を立派に育て上げると……

 たとえ本当の親でなくとも、家族として、傷ついた涼の心の支えになれればと叔父は思ったのだった。


 涼が家族に加わり数日が経過する。

 わがままも言わない、いたずらもしない、相も変わらずリョウは、絵に描いたようにおとなしい良い子だった。

 そんなある日、二人は初めて涼から明確な感情というものを感じ取る。


『あら、涼君はハンバーグ食べないの?』

 それは夕食時に起こったこと。

 涼が、出されたハンバーグに一口たりとも手をつけようとしない。

『食べてごらん。おいしいぞ』

 叔父の言葉にも涼は首を横に振る。

 明確な拒否だった。


『変ねぇ、いつもはお肉もちゃんと食べるのに……』

 涼の不可解な行動に叔母も首を傾げる。

 すると涼は、唐突に叔父の前におかれたハンバーグを指さした。

『もしかしてこっちがいいのか?』

 今度は首を縦に振る。

 涼に出されたものと叔父に出されたハンバーグでは一つだけ違うところがあった。


『涼君にはハンバーグソースよりケチャップの方がいいと思ったんだけど、余計なお世話だったかしら』

 そう、二人のかけられているソースが、涼のものはケチャップだったのだ。

『なんだ、リョウはケチャップが嫌いなのか?』

 また首を縦に振る。

『そういえば、このあいだもサラダのトマトを残してたわね』

『トマトか……トマトは栄養満点でおいしいぞ』

 無理に食べさせる気はなかったが、子供の好き嫌いは、できるだけ子供のうちに直しておいた方がいい。

そんなことを、叔父が考えていたとき……


『……おもいだすんだ』

 珍しく、涼の方から口を開いた。

『ん、何をだい?』

 気軽な気持ちで叔父は聞き返す。

 まさか、それが涼が閉ざしていた心を初めて垣間見る瞬間だとは思わずに……


『赤いものを見るとイヤな気分になる。ボクもずっと真っ赤だったから……赤いものは痛そうだ。でもね、くく……』

 何かを思い出すようにして涼は口元を歪ませた。

 それが二人が初めて見た涼の笑い顔だった。

 ただしそれは、無邪気な子供の笑顔とは程遠い。


『あいつも……ボクと同じように……赤くしてやったよ……くく……くくくっ……!』


 今にも腹を抱えて笑い転げそうになるのをこらえるように涼はほくそ笑む。

 まるで幼子とは思えぬ醜悪な『嗤い』に二人は愛すべき子供に対して恐怖を覚えた。


 その晩、涼が寝静まったのを確認し、二人は部屋のドアを閉める。

『……涼君……かわいそうに……』

 叔母は口元を手で押さえ、悲しみを吐露した。

『今日のことを深く追求するのはやめよう。涼は今、心に大きな傷を負っているんだ』

『でも……私、本当にあの子の母親としてやっていけるのか……不安だわ……』

『こんなことで弱音を吐いてどうする? 親としてあの子を支えていかなければいけないんだぞ』

『どうにかして、涼君の心を癒してあげることはできないかしら……?』

『…………』

 叔父は顎に手を当てて悩む。

 どうすればもっと涼の心のケアができるのか……


『そうだ! 友達を作れば、あるいは……』

 同じ境遇の子とはいかなくとも、同じ年齢の友達を作ることができれば、涼の心を癒すことができるのではないかと考えた。

 そして、涼はしばらくして園に通うようになった────




「ねえ、昨日の噂、聞いた?」

「え? なんの話?」

「なんでも……」

「うそ……それ本当なの?」

「その話、俺も知ってるぜ。朝練のとき先輩から聞いた」

「でもさ、もし自分がそんな目に遭ったなんて思うと怖いよね」

「もう、変なこと言わないでよ……」


 今朝の教室はいつもよりもざわついていた。

 誰もかれもが、憑りつかれたように昨日起きた噂話とやらに夢中になっている。

 遅刻ギリギリの時間に教室に入ってきたリョウも、いつもと違う雰囲気を感じ取ったが、我関せずと自分の席に座る。

 席に向かう途中で、美咲と目が合い「おはようございます」と挨拶をされたが、リョウは返事を返さなかった。


「なあなあ、リョウ。知ってるか? 昨日の話」

 リョウが席に座ると同時に恭太郎が話のタネを持って飛んでくる。

 そんな恭太郎を横目で見るとリョウは、

「知らねぇよ」

 と、無関心さを前面に押し出して答えた。


「なんでもよ……」

 興味がない、というリョウの気持ちをくみ取ってくれなかったのか、恭太郎が話を始めようとする。

 それに対しリョウは、呆れを通り越して文句を言う気も失せてしまった。

 話し終えれば勝手に満足したようにどこかへ行くだろうと思っていたとき、ガラガラと教室の戸が開く。

 担任の到着だ。

「ちぇっ、タイミング悪いな」

 不満を漏らす恭太郎だったが、リョウに言わせれば良いタイミングだ。


 生徒たちが席に着く。

 起立、礼、着席と委員長である茜の声と共にお決まりの儀式が終わると教師はどこか深刻そうな顔で、生徒たちの顔を見回した。

「今日は、みんなに知らせなければいけないことがある」

 その深刻そうな表情に比例するように重い声。

「もう知っている者もいるかもしれないが、昨夜、我が校の生徒が数名、何者かに襲われた」

 その言葉に教室中がざわめいた。


「マジかよ……」

「やっぱり、本当だったんだ……」

「やだ……なんか怖い」


「静かにしろ」とざわつく生徒たちを鎮め、教師は話を再開する。

「幸いなことに襲われた生徒たちの命は無事だったが、まだ意識が回復していないらしい。また複数の生徒が別々の場所で襲われたため、犯人は複数人の可能性もあるそうだ。警察もこの件に関してはすでに動いているから、犯人が捕まるのも時間の問題だが、くれぐれも下校時は複数人で帰るようにし、寄り道なんてしないで真っ直ぐに家に帰るように」

 話を聞く生徒たちの大多数は不安を隠せずにいた。

 身の回りでこのような事件が起きたこともそうだろうが、やはりまだ犯人がこの街に潜んでいることと、いつ自分も同じような目に遭うかわからないという恐怖がより不安を煽っているのだろう。


「新しい情報が入り次第、逐一みんなには伝えていく。だが軽率な行動は控えるように。自分の身を最後に守れるのは自分だけなんだからな。朝のホームルームは以上だ。速やかに次の授業の準備をしないさい」

 そう言って、教師も次の授業のために教室を出て行った。

 すると教師の最後の指示が聞こえなかったようにざわざわと教室内が騒がしくなっていく。


「今回の事件って、うちの生徒だけが狙われてるのか?」

「まだ断定はできませんけど、その可能性もありそうですね」

「たしかに同じ日に同じ学校の生徒が襲われるなんて偶然にしては出来過ぎね」

 すでにリョウの傍らにも、茜、美咲、恭太郎の三人が集まり井戸端会議状態だ。


「おい、話すんなら余所でやりな」

「まあまあ、神谷君にも関係のない話じゃないじゃないですか」

 邪険に扱うリョウを美咲がなだめる。

「そうだぜ。いつ危険が迫ってくるかわからねーんだからよ。ってことで、今日はリョウも一緒に帰ろうぜ」

「断る。そんなこと俺には関係のない話だ」

 一匹狼のように群れることを嫌うリョウは恭太郎の誘いをハッキリと断り、立ち上がる。


 身の回りで起きた暴行事件。

 皆が不安や恐怖に煽られていようが、リョウにしてみれば、他人事にすぎない。

「でも、用心するに越したことはないわよ」

「大きなお世話だ」

 そう言い捨て、いつものように教室を出ていくリョウを三人は茫然と見送った。


「はっ、どうやらまたおもしろいことになりそうだな」

 廊下を歩くリョウは、独り言のように笑いを交えてつぶやいた。

 暇を持て余していたところに偶然起きたイベント。

 それはさながら、待ち望んでいた映画が公開されたときの気持ちに近い。

(実害が出ているんだ。おもしろがるようなことじゃないよ)

 不謹慎だとでも言いたげに、涼が内から口をはさむ。

 しかし、他人に降りかかる不幸なぞリョウにしてみれば関係のないこと。

 ご愁傷様、と面白半分に声をかけるのが関の山だろう。


(君もみんなの言っていたように注意したほうがいい)

 起きてしまったことは戻せない。

 ならば、それ以上被害を広げないようにと涼も注意を促すが、そんな助言もリョウにはどこ吹く風。


「どこのどいつだか知らねぇが、俺のとこに来てくれりゃ、すぐに病院送りにしてやるぜ」

 リョウは皆のように恐怖や不安を感じるどころか、状況をおもしろがっているのだ。

 逆にそれだけ自分の力に自信があるということなのだろう。

 そして、涼にもリョウの敗北が想像できなかったのも事実だ。

 これならいっそのこと、本当に犯人の方からきてくれた方が良いのではないかとさえ思えてしまった。


 リョウの持つ、常人離れした身体能力。

 常人以下の身体能力である涼にしてみれば、羨ましいことこの上ない。

 その力を人助けのためにでも使ってくれれば、どれほどいいことかと涼は思う。

 だが、そんな思惑とは裏腹にリョウがその力をふるうのは決まって自分のためだった。

 おもしろいから、つまらないから、不快だから……

 涼からすれば不純な思いの塊だ。

 しかしその不純こそが、リョウにとっての正常。

 それを異常と思う自分が、リョウから見れば異常なのだろう。

 もはやどちらが正常でどちらが異常なのか、涼にもわからなくなっていた。


 今日の校内の天気は澄み渡った空とは逆に暗雲が漂う。

 クラスの担任から話を聞いた全校の生徒たちの不安が募り、いつまでたっても晴れることのない雲のように学校を包み込んでいた────

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