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僕じゃない君 (前)

 ────キイイィィィィッ!!

 急ブレーキをかけながら、目前に迫った車。

 全身をドデカいハンマーで殴られたような衝撃。

 遅れて聞こえてきた大きな衝突音。

 まるで重力が消えてしまったかのように軽くなった身体。

 そしていつの間にか視界に映っていた真っ青な空────

 その瞬間だけを今でも夢に見ることがある。

 

 二年前、僕は交通事故に遭った。

 別段たいした理由ではない。

 よそ見運転をしていた運転手が横断歩道を渡っていた僕に気づくのが遅れたせいである。

 僕は地面に叩きつけられた拍子に頭を強く打ってしまい、意識の戻らないまま病院のベッドの上で眠り続けていたらしい。

 意識がないとき僕がどうなっていたのかはわからない。

 ただ……

 暗く、深い……一筋の光さえ届かないような真っ暗な微睡の世界の中で、


「──おい」


 と、誰かが僕を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

「おい、起きろ。聞こえてんだろ?」

 再び聞こえた僕を呼ぶ声。

 その姿を認識することはできなかったが、確かに声が聞こえた。

「誰……僕を呼んでるの?」

「そうだ。俺はお前を呼んでるんだ」

 僕の問いかけにも、声の主はちゃんと答えてくれた。


「君は、誰?」

 当然の疑問。

 しかし、その答えは至極単純なものだった。

「俺は『お前』だ」

「君が……僕?」

「そうだ」

 それ以上、僕と名乗った君は何も言わなかった。


 ここはどこなのか、僕はどうなってしまったのか、続けざまに疑問が思い浮かぶ。

 それを君に尋ねようとしたとき、頭に強い痛みが走った。

 頭が鉛のように重い。

「…………僕はこのまま死んじゃうのかな?」

 感じたことのない痛みに、自然と死を連想してしまう。

「いいや、お前は死なない。死なれたら俺が困るからな」

「君が困るっていうことは、僕も困るってこと?」

「ああ、よくわかってるじゃねぇか」

「だって君は僕なんだろ」

 君が僕で、僕が君。

 それが唯一わかったこと。

「そのとおり、よく覚えとけよ。俺は『お前』だ────」


 その言葉を境に目の前に光が射した。

 その光はだんだんと強くなっていき、全ての暗闇が光一色に包まれたとき、僕は病院の一室で目を覚ましたのだ。

 僕が事故に遭ってから、すでに一か月が経過していたらしい。

 目を覚ましたのは奇跡的だとも言われたが、身体には異常もなく、僕は数日後に無事退院することができた。

 ついでに僕が退院したころは、ちょうど進学受験が迫っている時期でもあった。

 しかし元々勉強だけは得意な僕にとって、一か月分の遅れなどそれほど苦ではなかった。

 逆に恭太郎に勉強を教えていたくらいだ。

 

 僕が目覚めた後も、特に何かが目に見えて変わることはなかった。

 一つ気になることといえば……

 あの声が、ふとした瞬間に聞こえるようになったこと。

 そう、君の声が……

 その声が聞こえる頻度は日増しに増えていった。

 そしてこの学校に入学してすぐに、君の存在を感じるようになったんだ。


 始めは自分の中にもう一人の自分がいることに違和感を覚えた。

 それでも君と接していくうちに、その違和感も自然と消えていった。

 むしろ新しい友達ができたようで少し嬉しくもあった。

 自分自身と友達になるなんて少しおかしい気もするけれど、仲良くやっていければそれでいいと思っていた。

 けれども僕はすぐに知ることになる。

 君と僕が相容れない存在であることを……

 そう、あれは今からちょうど一年前のこと────




「はい、チェックメイト。これで終わりだよ」

 昼休み、今日の僕たちはチェスに勤しんでいた。

「くっそー、今日はいい線いってると思ったんだけどな」

「恭太郎はちょっと攻めを急ぎすぎてるよ。どう攻めるかも大事だけど、いかに駒を取られないかも重要なんだ。じゃあ、そろそろ昼食にしようか」

 言って僕はチェス片づけ、先ほど購買で買ってきたパンを取り出す。

 だが向かいに座る恭太郎は、ただボーッと座っているだけだった。

「あれ、恭太郎はお昼食べないの?」

 僕が聞くと、

「金がない……」

 と、取り出した財布をヘラヘラと翻して見せてきた。


「またゲームでも衝動買いしたの?」

「違うんだ、聞いてくれよ。今朝、いきなり母ちゃんが財布の中に入れておいたはずの金がないとか言い出しやがって、真っ先にこの俺を疑ってきたんだぜ」

「それで?」

「盗ってないって言ってるのに信じてもらえなくてさ……今月の小遣い全部没収されちまった……」

 とほほ……と、素直に笑えない話をされる。

 これはさすがに同情してしまいたくなるレベルだ。


「ったく少しは息子を信用しろってんだぜ……」

 こうして喋っているだけでもお腹は空くのか、ぐう~っと恭太郎の腹の虫が鳴き出した。

「僕のパン、少し分けてあげようか?」

 見ているこっちの方がいたたまれなくなったので、僕の昼食を少し分けてあげることにした。

「くぅ~、持つべきものはやっぱり友達だぜ」

「はいはい」

 こうして僕たちのまったりとした昼休みが過ぎていく。


 放課後になり、僕は恭太郎と二人で帰宅していた。

「あーあ、金がねー。これじゃ今月発売のギャルゲーが買えないじゃねーかよ」

「ならバイトでもしたらどう?」

 ないものねだりをいつまで続けている恭太郎に苦言を呈す。

「バイトか……めんどくせーなー。ったく俺がなにしたっていうんだよ!」

 だが恭太郎は相変わらず、ぶつくさと文句を垂れていた。


「じゃあ、お金を盗った犯人を見つけるとかは?」

 恭太郎の気持ちもわからなくはない。

 事情を聞くかぎり、今回の恭太郎は完全なとばっちりだ。

 お金を盗った犯人が見つかるのが一番いい解決方法だろう。

「犯人って言われてもな……どうせ母ちゃんが、どっかにしまい忘れたとかそんなのに決まってるよ」

「うーん、それもそうかもね」

 前言撤回、恭太郎の言うように勘違いであることが一番望ましい。


「でも明日から質素な昼飯が待っているのか……」

「まぁまぁ、勘違いが解けるまでの辛抱だよ。なんだったら明日も僕のを分けてあげるからさ」

「ああ、ありがと…………な」

 突然、恭太郎の言葉から抑揚が失われた。

「どうしたの?」

 不思議に思い、視線を向けると、恭太郎はその場に呆然と立ち尽くしていた。

 どこか遠くを見ているようだ。

 その視線を追うように僕も遠くを見やった。

 

 視線の先にいたのは、一人の男の子。

 学校帰りなのだろう、僕たちが去年卒業した中学の制服を着ていた。

 そして他に二人の男の姿。

 こちらはブレザーである僕たちとは違い、真っ黒な学ランに身を包んでいた。

 身なりからしておそらく僕たちとは別の学校に通っている上級生だろう。

 立ち止まって何かを話していた三人はすぐにその場を離れ、どこかへ歩き出していく。


「悪い涼。先に帰っててくれ」

 僕がそれに答えるよりも先に恭太郎は三人の後を追いかけるように走り出していってしまった。

 様子のおかしい恭太郎をこのまま放っておくのも心もとないので、僕も一緒に三人の後を追うことにした。

 そして後をつけること数分。

 三人は人気の少ない路地裏の奥に入り込んだところで止まる。

 僕たちは見つからないように壁ごしに様子を覗き込んだ。


「ここでいいだろ」

「おら早く出せよ。まさか持ってきてねぇなんて言わねぇだろうな?」

 二人の男達が中学生に何やら催促をしている。

「本当に……これで最後にしてくれるんですか……?」

 震えたような声で話す中学生は、完全に萎縮してしまっている様子だった。

 この三人の態度からして、仲のいい先輩後輩同士とはとてもじゃないが思えない。

 さらに様子を探るべく、僕たちは続く会話に耳を傾けた。


「俺たちの言うことが信じられねぇのか」

「わ……わかりました」

 中学生が自分の鞄から財布を取り出し、開く。

 財布の中身がチラリと見えたが、一中学生の小遣いにしては多すぎると思えるほどの金額が入っていた。

 そのまま札を数枚取り出し、男たちに手渡していく。


「へへへ、わかりゃいいんだよ」

「じゃあ今度は一週間以内に10万持ってこい」

 お金を渡したのもつかの間、中学生はさらに理不尽な要求をされていた。

「こ、これで最後って言ったじゃないですかっ!」

「そんな約束した覚えがねぇよな?」

「ああ、証拠はあるのかよ」

「そ、そんな……」

 中学生の顔がどんどん青ざめていくが、

「もし持ってこなかったり、誰かにチクったりしたらわかってるだろうな? ああっ!?」

「は……はい」

 二人に逆らうこともできずに、言われるがままに頷いてしまう。


「じゃあまた、今日と同じ時間にこの場所でな」

「よろしく頼むぜ」

 そう言って二人の男は去っていった。

 この場に僕たちと中学生の子だけが取り残される。


「雅人」

 恭太郎が身を隠すのをやめ、その中学生に向かってそう言った。

 その子の名前だろうか?

「兄ちゃん! ……見てたの?」

 恭太郎の姿を見て、驚愕する中学生。

 「兄ちゃん」と呼んだということは、二人は兄弟なのだろう。

 自分の弟がガラの悪い男たちに連れていかれたのを見れば、心配するのは兄として当然かと恭太郎の先ほどの様子にも合点がいった。


「お前、あんな金どこから持ってきたんだ!?」

 恭太郎の問いかけにも雅人君は俯いて答えない。

 でも、恭太郎もそんなことはとっくにわかっているだろう。

 最近自分の周りで起きたことを考えれば、誰でも察しがつくことだ。

「母ちゃんの財布から金を抜き取ったのは、お前なのか?」

 ついに観念したのか、雅人君は黙りながらも小さく頷いた。


「なんでそんなことしたんだ!?」

「そんなこと……兄ちゃんには関係ないだろ!」

「関係ないわけないだろ!」

「うるさいっ、僕を見捨てたくせにっ!!」

 その言葉を聞いた途端に、恭太郎の勢いがどんどんなくなっていくのが目に見えてわかった。

「それは…………」

 先ほどの言葉がそれほど効いたのか、恭太郎の言葉がそれ以上続かない。

「兄ちゃんなんて大嫌いだっ!!」

「ま、待て。雅人ッ!」

 恭太郎の制止を振り切り、雅人君はそのままどこかへ駆け出していってしまった。


「今の子、恭太郎の弟?」

「……そうだよ」

 弟のことが相当ショックだったのだろう、恭太郎は普段の調子が見る影もなくなっていた。

「悪い涼。俺もう帰るわ……変なことに巻き込んじまってごめんな」

「いいよ。また明日ね」

 最後に力なく返事をし、恭太郎は沈む夕日を背にして、とぼとぼと一人で帰っていった。

 

 恭太郎には悪いが、結果的にはこれでよかったのだと思う。

 先ほどの様子では、雅人君はずっとお金を渡し続けてしまうだろう。

 でも、恭太郎が今日のことを親御さんに話せば、恭太郎の誤解も解けるし、雅人君がこれ以上お金を渡す必要もなくなる。

 これで、めでたしめでたし……とはいかないけれども、早いうちに手を打つのに越したことはないし、恭太郎の問題が解決するならそれでいいと僕は思っていた。

 しかし、現実は僕の想像通りにはいかなかった────

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