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俺の居場所 (後下)

 結局、昨夜はほとんど眠ることができなかった。

 きっと今もひどい顔をしているだろう。

 せっかくの入学式の日だというのに、最悪の出足だった。


『こんにちは』

 教室での待機中。

 皆がワイワイと席を立ち友達作りをしているなか、自分の席にポツンと座る彼女に話しかけてくる人間がいた。

 伏せていた顔を上げる。

 そこにいたのはショートヘアの活発的な印象を持たせる女子だった。


『私、西崎茜っていうの。よろしくね』


 そう言って茜は彼女に笑いかける。

 話しかけられてしまったからには、いつものように対応しなければならない。

 相手を不快にさせないように、愛想よく接する。


『私は……津山美咲といいます。よろしく……お願いします……』


 マニュアルどおりの自己紹介。

 しかし今日は、調子が悪い。

 どうしても、笑顔が引きつってしまう。


『どうかした? どこか具合でも悪いとか?』

『いえ、そういうわけでは……』

 もう慣れていたはずの作業がうまくできない。

 偽りの自分を作り出すことが……

 このままでは、また昔に逆戻りしてしまうと焦れば焦るほどに美咲の作り笑顔が崩れていく。


『わかった! 緊張してるんでしょ?』

『はい……?』

『わかるわかる。だって今日みんなと初めて会うんだもんね。でも、そんなに縮こまる必要なんてないのよ。みんなそうなんだから』

『……西崎さんも、そうなんですか?』

 不安も緊張も感じさせない茜の態度に美咲は問う。

『そりゃそうよ。あ、でも私は少しはマシかしら。一応、顔なじみがいるから』

 そして茜は離れた席にいるその人物たちに美咲にもわかるように目線を向けた。


 そこには二人の男子の姿があった。

 一人は見た目にこれといった特徴は見当たらず、その見た目どおり、おとなしく真面目そうな印象だった。

 その隣で騒がしくはしゃいでいるメガネをかけたもう一人については、メガネをかけている割にはあまり知的さを感じられなかったが、この学校に合格したあたり、それなりに勉強はできるのだろうと、少し失礼な印象を持った。


『見た目は冴えないけど、意外と頼りになるわよ。気が向いたら話しかけてみてね、悪い奴らじゃないから』

『は、はあ……』

 困惑する美咲をよそに茜は会話を続けようとする。

 そんな茜に美咲は気になっていた疑問をぶつけた。

『あの……なんで西崎さんは、こんな私に話しかけてくれるんですか……?』


 せっかく話しかけてくれた相手に対し、失礼に当たるかもしれない質問。

 今までどおりの美咲ならば絶対に言わないようなことだ。

 まだ知り合ってから数分のことだが、美咲の経験上、茜のような人間はわざわざ自分のように孤立している人間に話しかけずとも友達が多くできる傾向にある。

 そんな茜がなぜ、わざわざ自分に話しかけてくるのか、どうしても気になったのだ。


 こんなことを聞けば、変な奴だと思われてしまうかもしれない。

 もう二度と話しかけてくれないかもしれない。

 しかし茜は機嫌を悪くした風でもなく、きょとんと頭に「?」を浮かべていた。

『何でって言われても……あなたと友達になりたかったからよ』 

 言ってから、茜は顔をほんのりと上気させる。

『って、あまり恥ずかしいこと言わせないでよ』

 と、茜は照れながら笑った。


 気さく、という表現が一番近いのだろうか。

 しかし、今まで離れた場所からいろいろな人間を見てきた美咲にとっては、その表現でさえも雑多に感じられた。

 茜の中にあった、ただ一つの想い。

 友達になりたい。

 ただそれだけ。

 それは損得があるわけでも、自分を取り繕っているわけでも、美咲に同情しているわけでもない、驚くほどに真っ直ぐな想いだった。

 純粋に対等な立場で真っ直ぐに美咲を見据える茜の笑顔はとても自然体で、今まで自分が作ってきた笑顔など比べ物にならないほどに輝いて見えた。


『でも…………私なんかでいいんですか?』

『ダメよ、そんなこと言っちゃ』

『え?』

『私なんか、とか自分を卑下するようなこと言わないの。さっきも似たようなこと言ってたけど、もったいないわよ、あなたとってもかわいいのに。髪も長くて綺麗だし、私にもその女の子らしさを分けてほしいくらいよ』


 怒られている?

 褒められている?

 どちらなのかは、よくわからない。

 しかし、その言葉もまた虚言や社交辞令さを感じさせず、真っ直ぐと美咲の心を穿つ。 

 その言葉の一つ一つが、虚構に心を固め、ずっと閉じこもっていた自分の殻を破ってくれているようだった。

『それにそんなこと言ったら、生んでくれた親に失礼でしょ?』


 両親。

 それは今も美咲にとって、もっとも大切な存在だった。

 生まれてからすっと自分を守ってくれた、優しくて頼りがいのある両親。

 自慢の娘だと、いつも自分のことを誇りに思ってくれていた。


 今の私はなんのために感情を押し殺し続けてきたのだろうか?


 答えは簡単だ。

 そんな大好きな親の悲しむ顔を見たくなかったから。

 でも、今の自分を見たら二人はどんな顔をするのだろう……

 きっと悲しむに違いない。

 二人が愛してくれたのは、こんな自分ではない。

 もっと自分らしい、もっと私らしい、もっと『津山 美咲』らしい私だ。


 それに気づかされたとき、美咲の中で何かが変わった。

『あ、ごめんね。なんか説教臭くなっちゃって……』

『いいえ、ありがとうございます』

 いきなりは無理かもしれない。

 けれども、少しずつでもこんな自分を変えていこうと、美咲は決意した。

 

 もっと本当の自分をさらけ出せる人間になろうと────


 もう、先ほどのような不安も焦りもない。

 茜と話しているうちに徐々に美咲の顔に自然と笑顔が浮かんでいく。

『ふふっ、そうそう、その顔よ。ねえ、美咲は……ってどうしたのよ、そんなハトが豆鉄砲食らったような顔して?』

『いえ……ただ名前で呼ばれたことが』

『まさか嫌だった? いきなりは馴れ馴れしかったかしら』

『ち、違います! 今まで名前で呼んでくれた人なんて、親くらいしかいなかったので……なんだか嬉しいです』

『大げさね。私のことも気軽に呼んでくれて構わないから』

『はい、茜ちゃん────』

   



「茜ちゃんのおかげで、私は自分を変える勇気をもらうことができました。神谷君の言ったとおり、まだ私の笑顔は薄っぺらいのかもしれません。でも、茜ちゃんや神谷君、菅君たちと一緒にいるときは、本当の私をさらけ出しているつもりなんですよ」

 そう言って向けられた美咲の笑顔は、リョウが薄っぺらいなどと馬鹿にしたものではなかった。

 美咲が本来持つ、純粋な感情をそのまま表に出したような笑顔。

 見ているものの心をも癒すような、笑い顔だった。


「これで私の話はおしまいです。どうですか、本当の私は神谷君の期待に添える人間でしたか?」

「…………」

 このとき、リョウは理解した。

 なぜ自分が、目の前の少女に多少なりとも興味を惹かれたのか……

 

 美咲のおかれた境遇はリョウ自身の境遇と似ていた。

 しかし、同じではない。

 美咲の境遇を最大の幸運と言うなれば、リョウは最大の不幸だ。

 安全な温室で育てられた美咲と危険な檻の中で育ったリョウ。

 二人の境遇は同じ線上に位置してはいるが、まるで対極。

 鏡に映ったように正反対。

 リョウと涼の存在のように……


「私は本当に自分がいたいと思える居場所を見つけることができました。……『今』の神谷君にはそう思える居場所がありますか?」

「居場所……か……」

 その意味を考えるようにリョウは復唱した。

「くく……」

 そして笑いをこぼす。

 

 このときこぼれ出た笑いにどんな感情が籠っているのか、美咲にはわからなかった。

 失笑、冷笑、嘲笑、苦笑、歓笑。

 笑うことにも意味があり、感情がある。

 だが、リョウはそれを塗りつぶす。

 自分の感情を押し殺すことに長けている美咲でさえも、たどり着くことはないであろう境地。

 何もかもを闇に呑み込み、黒一色に染め上げる。

 それはプラスに変換されることなどない、究極のマイナスだった。


「ねぇよ。そんなものは」

 声のトーンが一つ低くなる。

 同時にリョウを取り巻く雰囲気が変わった。

 美咲もすぐにリョウの変化を感じ取る。


 重い。

 声を発することもためらわれるほどの重い空気。

 緊張のあまり金縛りにでもあったかのように美咲の体は硬直する。

 美咲にできるのは次にリョウが言葉を紡ぐのを待つことだけだった。


「この世のどこにも、もう俺の居場所なんてものは存在しない。それを手にすることもない」

 リョウと美咲の視線が一直線に結び合う。

 その瞬間、美咲はかつて感じたことのない感覚に体をすくませた。

 真冬の屋外にもかかわらず、頬には一筋の汗が流れる。


「どうやら、俺の見立て違いだったようだな。お前は俺よりもアイツに近い。時間の無駄……いや、いい暇つぶしにはなったか」

 リョウは歩き出し、まだ動けずにいた美咲の横を通り過ぎる。

 すでに美咲に対する興味は失せていた。

 もはや彼女もリョウにとっては道端にいる蟻と同価値の存在となり下がったのだ。


「……まだ、私には聞きたいことがあります」

 かろうじて口だけを動かすことのできた美咲は背中越しにリョウに声を投げた。

 それに応じ、リョウは美咲の質問を待つように無言で足を止めた。

 そして二人は背中越しに問答を行う。


「あなたは、私の知っている神谷君なのですか?」

「違う」

「なら、あなたも神谷君なのでしょうか?」

「……違う。今の『神谷 涼』とはお前たちの知っているアイツのことを指す」

「だったら、今、私が話しかけているあなたは、いったい何者なのですか?」

「はっ……」

 リョウは吐き捨てるように息を吐く。


「そんなこと、俺が教えてほしいくらいだ────」


 万物には名前があり、名称がある。

 同じ分類のものでもそれぞれに固有の名称が与えられる。

 それは人も同じ。

 生まれてからほどなくして、その肉体には名前が与えられる。


 一つの身体に二つの人格。

 身体という器そのものに名前がつけられるのならば、その中身がなんであろうとその人物の名前は変わらない。

 リョウの涼を利用した計画もこの考えに由来する。

 誰から見ても『神谷 涼』ならば、人格がどちらでも関係はない。

 しかし、それはあくまでも外から見た場合。

 その身体に宿る二つの存在は、互いが互いを認識しているのだ。


 コップという肉体があり、その中に液体という人格を注ぐ。

 水、紅茶、コーヒー……

 同じ器でも注がれる液体が違えば、当然中身は異なる。

 『神谷 涼』という名称は二人にとって、器ではなく注がれる液体の名前に当たるのだ。


 そしてリョウにとって『神谷 涼』とは唯一無二の称号にすぎなかった。

 その称号を持つものが『神谷 涼』となる。

 もともと自分が持っていたその称号はすでにもう一人の自分が持っている、とリョウは思っている。

 ならば、何も持たぬ自分は何者なのだろうか……


「俺という存在はきっと誰にも理解されないだろう。だが、それでいい……俺には俺がいれば、それでな」

「でも、そんなのって……」

「感じない」

 美咲の次のセリフを予想したように、リョウは美咲の言葉を自らの言葉でつぶした。

「俺にはもう、そんなものは感じないんだよ。俺が、お前たちのことをなんとも思わないように…………少し無駄話が過ぎたな」

 そしてリョウは再び歩き出した。

「何事も『過ぎる』とろくなことにならないぜ」

 最後にそう忠告を残して……


 ふり返り、去っていくリョウの背中を見続けながら美咲は考える。

 今日初めて知った、もう一人のリョウという存在について……

 リョウの言うとおり、美咲はリョウのことを理解しきれずにいた。

 ただ一つ、美咲が感じていたのは、リョウが寂しい人間であるということ。


 自分とはまた違った孤独。

 弾かれるのではなく、寄せつけない。

 自分以外の何を寄せつけることもせず、ただ己の思うままに生きる孤独な人間。

 それが美咲がリョウに抱いていたイメージだった。


 自分が傷つくことを恐れ、孤立していた美咲。

 それは今思い出しても辛い日々だった。

 ならばリョウは、なぜ孤立することを選んだのだろうか……


 淀み、歪みながらも折れることのないリョウの中に根差している何か。

 リョウの抱える闇の最奥にあるそれが、今のリョウをリョウ足らしめているものなのだ。

 それこそがリョウを孤独にしている元凶。

 だが、その孤独に寂しさを感じていない強さに美咲は憧れに似た感情を抱いていた────




「な、なんなんだよ……俺たちが何したって言うんだよ……?」

「だから何度も言ってるじゃないですか……そんな奴は知らないって……」

 時を同じくして、街灯と喧噪に包まれる街の陰に潜む、ひと気のない場所では、二人の学生が目前に迫る恐怖に声と体を震わせていた。


 そんな二人を逃がすまいと、闇の中にたたずむのは二人の男たち。

 服装は、よくいる若者たちと大差はない。

 ただ顔や耳、指などに光るアクセサリーの数々が、やや華美を感じさせる。

 チャラついた格好。

 しかし、その体躯は明らかにただの一般人のものではなかった。

 服の上からでもわかる、がっしりとした体つきだ。


「そうか、知らねーか。けど、知ってても知らなくても、お前らの学校の奴らは、とりあえずボコせって命令なんだよ」

「俺たちに捕まるなんて運がなかったなぁ」


 できるものなら誰かに助けを求めたい。

 しかし、そんな都合よく正義の味方が現れるほど現実は甘くはなかった。

 他にこの状況を見ていたのは、空に浮かぶ星たちぐらいのものだ。


 指をならしながら距離をつめてくる男たち。

 声を上げようにもガチガチと震える歯が言うことを効かなかった。

 逃げることもできない、ましてや立ち向かって勝つこともできない。

 そんな先の見えない状況に学生たちは絶望し、自らの不運を呪った。


 かろうじてわかることといえば……

 次に目覚めた二人がいるのは、病院のベッドの上だということくらいだろう。

 新たにまかれた痛みの種は、人知れず芽を出し、皆の日常をジワジワと蝕んでいくのであった────

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