俺とお前の違い (後)
「なあ、やっぱり今日の涼はおかしいぜ」
昼休み、恭太郎と美咲のあいだで、再び今日の涼についての議論が交わされていた。
今回は茜も混じって三人だ。
「そうですね、これはまた非常事態かもしれません」
美咲も今日の涼の変化の異常性を不審に思っていた。
皆がそれを確信したのは、先ほどの授業である体育の時間に起こったこと……
リョウはもう一人の涼との取り決めにより、嫌々ながらも体育の授業に参加した。
ちなみに今日の種目はサッカー。
やる気がないとはいえ、他人に下に見られることを嫌うリョウは、持ち前の運動神経をいかんなく発揮し、誰にもボールを触らせることなく個人プレーでどんどん点をもぎ取っていった。
だが、それが良くも悪くもリョウを目立たせる結果となる。
最初は一人で勝手に動き回るリョウを快く思わない者もいたが、あまりの技量の差にいつしかそれは驚きに変わり、さらには羨望の眼差しに変わっていった。
そして授業が終わるころには、リョウの周りにクラスメイトたちの人だかりができるほどだった。
これはもはや一種の人気者と言っても過言ではない。
しかしそこでリョウが放った一言……
『人の周りで、グダグダうるせぇんだよ!』
この一言のせいで、今では「あんなのいつもの神谷じゃない……」や「普段おとなしい奴ってキレると超怖いんだな……」など、リョウとクラスメイトのあいだには深い溝が生まれる結果となってしまった。
その一部始終を見ていた茜は、ため息をつきながら頭を抱え、傍観に徹していた涼もさすがに今後の先行きを不安に思わざるにはいられなかった。
恭太郎たち三人の視線の先には、自分の席に座り、暇そうに窓の外を眺めているリョウの姿。
その半径2m以内にはリョウを恐れてか、人っ子一人いない。
「とりあえず神谷君の症状を確かめるために一度接触を図ってみましょう」
「いや、でも今の涼に話しかけるのもおっかねーんだけど……」
「だから、まずは私たちが敵じゃないとアピールするんですよ」
「まるで野良犬ね」
対人ではなく対獣用の接し方を提案した美咲に茜は苦笑いをする。
しかし茜の経験上、今のリョウでは一般人の常識はあまり通用しなさそうに思えていたので、それを試してみるのもおもしろいと思っていた。
「津山のことだから、犬というよりは猫だろ」
「はい、猫ちゃんのことならおまかせです! では行ってきます」
「頼もしいわね。噛みつかれないように注意しなさいよ」
冗談混じりに注意を促し、茜と恭太郎は美咲の行動を見守ることにした。
「こんにちは、神谷君」
まずは柔らかい微笑みを携えながらの挨拶。
「ああ?」
そして予想どおりのリョウのがさつな応対。
ここで重要なのは、どんな態度をされても不快な気持ちを表さず、笑顔を崩さないことだ。
などなど、美咲は自宅で飼っている猫との奮闘の日々の経験をもとにリョウに接触を試みた。
「このあいだ、お借りした本をお返しします」
そう言われながらリョウが手渡されたのは一冊の文学小説。
これは以前に涼が美咲に貸したものだった。
この小説は涼が美咲に薦めたものでもあり、涼のお気に入りの一冊でもある。
共通の話題を武器に美咲はリョウの懐へと潜り込んでいくことにしたのだ。
「とても素晴らしい内容でした。特に127ページの……」
その選択は決して間違いではない。
ただ一つ誤算だったのは……
「なんだこりゃ? こんなもん読んで何がおもしろいんだか……いらねぇよ、くれてやるよこんな本」
美咲の感想を聞き流し、リョウは受け取った本を美咲に投げ返す。
ただ一つ誤算だったのは、今のリョウが文学小説なんてものにまるで興味がないということだ。
「本を頂いてしまいました。えへへ……」
「逆に餌づけされてどうすんのよ……」
恭太郎たちのもとに戻った美咲は、頬を少し紅潮させながら嬉しそうに本を抱えていた。
「よし、次は俺の番だな」
「私が言うのもなんですけど……大丈夫なんですか?」
「今の津山とのやり取りを見てたら、なんだかいける気がしてきたぜ。俺と涼の仲をなめるなよ」
あふれれ出るほどの自信をたぎらせている恭太郎。
これといった理由はないが、きっとダメだろうなと予想する茜と美咲をよそに恭太郎は行動を開始する。
「おーい、涼!」
「ああ!? なんだ、次から次へとうざってぇ」
「な、なんでもありません……」
二人の予想どおり、恭太郎の自信は一瞬にして砕け散った。
逃げるように踵を返し、とぼとぼと歩きだしたとき……
「おい、ちょっと待て」
逆にリョウの方から呼び止められる。
その瞬間、再び恭太郎に光がさした……
「ど、どうしたんだ涼。親友の俺に何か用か?」
「腹が減ったから、パン買ってこい」
などということはなかった。
「な、なんで俺が!?」
「文句があるなら聞くぜ……文句があるならな」
鷹と雀、猫と鼠、蛇と蛙。
いくらでも言い表せるが、今の二人の関係はまさにそれ。
「べ、別に……心の広い俺は頼まれれば、そのくらいやってやるよ。ほら」
リョウに向かって恭太郎が手の平を差し出す。
「なんだ、その手は?」
「いや、お金をもらってないんだが……?」
「あるじゃねぇか。お前の財布の中によ」
「へ……おいおいそりゃ…………」
「何か文句でも?」
ギロリと刃のような鋭い目つきでリョウが恭太郎を一睨みする。
「…………ありません」
(ごめんね恭太郎。お金はちゃんと返すから……)
こうして恭太郎はリョウの親友からパシリへとランクダウンした。
「おいっ」
教室を出ようとした恭太郎をリョウが再び呼び止める。
「なんだよ……」
「五分以内に戻ってこいよ」
意地の悪い笑みを浮かべながら言うリョウとそれを聞いて顔を青ざめさせる恭太郎。
「人生って不公平ね」
「私もそう思います」
リョウと恭太郎のやり取りを見ていた茜と美咲があまりにも不憫な級友の姿にそう感想を漏らす。
今日という日も時間だけは平等に流れていったのだった────
数分後、恭太郎は制限時間以内にリョウの命令をやり遂げ、無事に教室に戻ってきた。
「はぁ……はぁ……ほらよ。ちゃんと……金返せよ」
恭太郎は肩で息をしながら、袋から取り出したパンを二つ、リョウの机に置いた。
「お前、案外使えるじゃねぇか。本当に五分で戻ってくるとは思わなかったぜ」
「ったくよ、昼休みの購買の込み具合は半端じゃないんだぞ。涼も知ってるだろ」
「あーあー、わかったよ。次からは六分で我慢してやるよ……ん?」
何かに気づいたようにリョウは置かれたパンに目を移す。
そして、不満げに眉をしかめた。
「おい、なんだこれは?」
「何って……パンだろ」
突飛なリョウの質問に恭太郎はあっけにとられたように答えた。
「違う。これはなんだって聞いてんだよ」
リョウは恭太郎が置いた二つの内の一つのパンを指さしながら、再び尋ねる。
「BLTサンドだけど……」
BLTサンドとは、ベーコン、レタス、トマトを挟んで作られたパンのことだ。
名前のBLTもそれぞれの頭文字からきている。
二つのうちの一つはBLTサンド、そしてもう一つは隣に並べられた焼きそばパンである。
しかしリョウは、焼きそばパンには一切目もくれずにBLTサンドを不快なものでも見るかのようにじっと睨みつけていた。
「……? それが嫌なら、俺のと取り替えるか?」
リョウのBLTサンドに対する並々ならぬ嫌悪感を察した恭太郎は、買い物袋から自分用に買った別のパンを取り出した。
一本の細長いソーセージを挟み、ケチャップとマスタードで味付けがなされたパン。
これも定番の一つであるホットドックだ。
しかし、それを見てもリョウの眉が離れることはなかった。
「なんだよ、何が気に入らないんだ? 言ってくれなきゃわからないぞ」
予想外のリョウの反応に恭太郎も困り果てた顔を見せる。
「もしかして『トマト』じゃないの?」
二人の様子を離れて見ていた茜が助け舟を出した。
「なるほど。二つのパンに共通しているものは、トマトだけですもんね」
茜の後をついてきた美咲もその意味を理解したようだ。
BLTサンドとホットドック。
二つのパンに共通しているのは具材にトマトが使われていることだ。
BLTサンドは言わずもがな、ホットドックではケチャップの原材料として使われている。
「トマトが入っているから嫌なんでしょ?」
(それって本当なの?)
「……ふん」
「はい」とも「いいえ」とも言わず、リョウは拗ねた子供のようにプイと横を向く。
この行為に茜の推測が図星だったのだと四人は悟った。
「嫌いなら最初からそう言えばいいじゃねーかよ」
「きっと恥ずかしかったんですよ」
「でも涼って、そんな好き嫌いあったか? 初めて知ったぞ」
誰もそのことを知らなかったのも無理はない。
涼とリョウでは、性格や考え方はもちろんのこと、ものの好き嫌いや感性も違うのだ。
「まったく、子供じゃないんだから。なんのために口がついてるのよ、あんたは」
さすがのリョウもこの茜の言葉には、なんと反論すればいいのか言葉が見つからないようだ。
しかしそれが悔しいのだろう、徐々にリョウの中にはイライラが募っていった。
「へへ、子供だってよ」
「それはそれでかわいいかもしれないですね。ふふ」
さらなる言葉の追い打ちを受けるリョウ。
ついに我慢の限界に達したのか、リョウは机をバンッと叩くと顔を強張らせたまま教室を出ていってしまった。
「怒らせちゃいましたかね」
「……ちょっと調子に乗り過ぎたな」
「いいのよ。あいつにはあれぐらいで」
この後、教室に戻ってきても不機嫌なリョウのせいで、午後の教室は午前中以上に重い雰囲気が漂うこととなった────
(はぁ……頼むから明日からは、もうちょっと平穏な生活を送ってくれないかな)
放課後の帰り道中、予想どおりというか、リョウの一挙手一投足に心労の絶えない涼が、もう一人の自分に切実にお願いをする。
「注文の多い奴だ。ちゃんとルールは守ってやってんだろうが」
確かに今日のリョウの行動はルールを逸脱したものではなかった。
だが常識という意味では、いくつか逸脱した行動をとっていたのも否めない。
(でもさ……あれ?)
尽きない小言を並べている途中、リョウの歩く先に幼い少年が一人で泣いているのに涼は気づいた。
まだ小学校にも通っていないであろう年齢。
辺りには少年以外の姿はない。
親と逸れてしまったのだろうか、それとも遊んでいて迷子にでもなってしまったのだろうか?
涼は疑問に思ったが、そんなことは本人に直接聞けばいい。
当然のように涼は先で泣いている子供を助けることを考えていた。
しかしリョウは違った。
まるで子供が見えていないかのようにその横を通り過ぎたのだ。
(ちょっと……)
リョウを呼び止めようとした涼の脳裏に一つのセリフが再生される。
『「俺がルールを守っている以上、お前はあくまでも傍観に徹する」だ。いちいち表に出てきて俺の邪魔をされてもたまらねぇからな』
そう、困っている人間を助けなければいけないなどというルールは、今の二人のあいだには存在しない。
今の子供を助けようがほっとこうが、それは表に出ているリョウの自由。
リョウはルールを守り、学校に登校し、そして学校が終わった今、真っ直ぐに帰宅しているだけなのだ。
涼の定めたルールのとおりに……
リョウが最後につけ加えたルール。
あのときは、その条件についてそれほど重要に考えてはいなかった。
いざというときは中からでもリョウの暴走を止めることができると思っていたからだ。
しかしそれはあくまでもリョウの行動を邪魔するだけ、それ以外では全くの無力となってしまう。
まさかこれを想定してこの条件をつけ加えたのか?
そんな考えもよぎったがすべては後の祭りだった。
このご時世、困っている人間に対し、見て見ぬふりをすることは、珍しいことではない。
むしろ困っている人間をわざわざ声をかけてまで助けることの方が、珍しいことかもしれない。
しかし、ルールとはいえ泣いている子供を置き去りにすることに涼は後ろめたさを感じていた。
この通りは車通りも多い。
もしかしたら誤って道路にでも飛び出し、事故に遭ってしまうかもしれない。
そんな不安が生まれるようとも涼にはこの状況を指をくわえて見ていることしかできなかった。
「どうしたのボク?」
それは、背後から聞こえた声。
OLらしき女性が、泣いている子供に声をかけたのだ。
「ぐすっ……道に迷っちゃったの……」
「それは大変ね。近くにおまわりさんのいる交番があるから、お姉さんが連れていってあげるわ。大丈夫、すぐにお母さんが迎えに来てくれるから」
運よく現れてくれた女性と子供の会話を聞き、涼はほっと胸をなでおろす。
「くく……よかったな、あのガキが事故に遭う前に助かってよ」
(ッ……君は……!)
「これが俺とお前の違いだ。お前が俺に何を期待してこんな茶番をさせているのかは知らないが、無駄だぜ。俺たちは根本的に違うんだからなぁ」
そんなことを言われずとも、それは涼も十分に理解していることだった。
今までにも何度も痛感させられたこと。
他人のことを考える涼と自分のことしか考えないリョウでは、今のようなすれ違いも当然のように起きる。
考え方も生き方も人それぞれなのだから……
(もし……)
「あ?」
(もし君と僕が逆の立場だったらどうなっていただろうね……)
「………………」
(もしそうだったら、君と僕の考え方も逆になっていたのかな……?)
「……はっ、くだらねぇな。考えるだけ無意味な仮定だ」
今まで歩んできた人生。
特に子供のときの出来事は、良くも悪くもその人間の生き方に大きく影響を及ぼす。
まったく同じ立場ではないとはいえ、同じ境遇を共にしてきた涼もリョウの考えのすべてを理解できないわけではない。
だからこそ、涼はリョウにこの賭けを持ちかけたのだ。
あっという間に終わりを迎えた一日目。
しかし波乱の一週間は、まだ始まったばかりだった────




