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君と僕の真実 (後上)

 もう通り慣れた道を真っ直ぐに歩いていく。

 ここは、何もかもが真っ黒に塗り染められた世界。

 まあ、何もかもと言っても、ここには何もないのだが……

 いまだにこの場所をなんと呼べばいいのかはわからない。

 それになぜこの場所は、こんなにも黒一色しかないのだろうか?

 ここが僕たちの心の中だとして、僕たちが上辺だけの空っぽな存在だからなのかな?

 それとも……

 誰かが、真っ黒な色に上から塗り替えてしまったからかもしれないね。


「ねぇ、君はどう思う? なんでこの場所には色がないんだろう」

 正面に見えた背中に向かって、僕は他愛もない問を投げた。

「さあな。……ただ、元からないってことは、必要がなかったってことだろうよ」

 興味なさそうに君は背を向けたまま、僕の問いに返答をしてくれる。

「そうかもしれないね……」

「いったい、なんの用だ? 言ったはずだぜ、もうここには……」

「でも、今の僕たちには必要だよ。塗りつぶされてしまった過去に色をつけて、本当の真実を鮮明にさせることが」

「……?」

 今度は君の気を引けたらしい。

 やっとこちらを振り向いてくれた。


「終わらせに来たよ。君と僕の嘘にまみれた関係を」

「俺たちの嘘? はっ、なるほどな。やけにテメェのことを熱心に調べてると思ったらそういうことか。で、探し物は見つかったのか? くく……」

 いつものように口元を緩ませながら笑う、人を見下すような態度。

 そして、まるで隠すつもりのない余裕。

「やっぱり写真を処分したのは君なんだね」

 今までの僕は、ずっと君の手の平の上で一人足掻いていだだけだったのだ。

「さあ、なんのことかな」

 大げさに手の平を返すその仕草も君が僕の上に立っていると思っているからこそできることだろう。

 けれど、その余裕がいつまでもつかな?


「君は、僕にまだ隠していることがある」

「ふん、話の真偽をお前にゆだねはしたが、それだけじゃただの言いがかりにしかならないぜ」

 僕たちの過去に関する情報源のほとんどが君の言葉と記憶しかない以上、僕が自力で真実にたどり着くことはほぼ不可能だと思うだろう。

 でも君は詰めを誤った。

 その詰めの誤りが疑惑を生み、僕は不意に訪れたチャンスを逃すことなく掴み取ることができたんだ。


「それも含めて、話をするために、僕はこうして出向いてきた。今日こそは全部教えてもらうよ。僕たちの……いいや君のことを」

「まったく、突然押しかけて来たと思えば、妙なことをよく喋る。そこまで言うなら教えてもらおうじゃねぇか。俺がお前についているその嘘ってやつをなぁ」

 後は、僕が辿り着いた真実を君にぶつけるだけだ。


「その前に確認しておきたいことがある」

「なんだ?」

「前回、君が見せてくれた記憶。あのとき、君は『あの男の無様な最後の姿』と言っていた。つまりアレを最後に僕たちは叔父さんたちの家に引き取られたと考えていいんだね?」

「ああ。俺たちがあの男と顔を合わせたのは、あれで最後だ」

 最後に必要な証言を得る。

 これで準備はすべて整った。

 僕たちの真実を暴く準備が────


 僕たちは互いにもう一人の自分の姿をしっかりと見据えて向かい合っていた。

 僕の瞳に映っているのは、君の瞳。

 そして君の瞳には僕の瞳が映り込んでいる。

 何重の鏡を見るように、僕たちはどちらともわからぬ、『神谷 涼』という一人の人間の姿をその瞳にしかと焼きつけていた。


「順を追って説明していくよ」

「お好きにどうぞ」

「君が見せてくれた記憶の後、僕たちは叔父さんの家に引き取られた。けれど当時の僕は、まだ小学校に入る年齢に達していなかった。だから園に通うことになったんだ」

 そして僕は、そこである人物と出会うことになる。

 『西崎 茜』という少女と……


「僕は、そこで過ごしたことをほとんど覚えていないけれど、僕と同じ園に通っていた茜は、当時のことを少しだけ覚えていてくれていたよ」

 きっかけは数か月前に球技大会の練習をしていたときのことだった。

 誤って突き指をしてしまい、利き手を使えなかった僕に対して茜が言った言葉。


『涼って左利きじゃなかったっけ』


「茜は、初めて会ったときの僕の様子から、僕の利き手が左利きだと思い込んでいた」

「はっ、そんなもんただの勘違いだろうよ。ガキのときのことなんて曖昧に覚えていて当然だ」

 僕も最初はそう思っていた。

 そんなものは茜のただの勘違いだろうと……

「でも、それはただの記憶違いじゃなかったんだ。利き手云々はともかく、確かに僕は左手を使っていた。いや『右手を使えなかった』と言った方が正しいかな」

 言い終わってから僕は、君に右手の甲を向ける。

 僕の見せたものを確かめるように君も自らの右手を確認した。


 右手の甲に刻まれていたのは、うっすらと残っている傷跡。

 よく見なければ気づかないほどに目立たなくなっていたそれは、怪我をしてからだいぶ時間が経過しているということを示していた。

「そのときの僕は、右手に大怪我を負っていたんだ。だから右手が使えなかったんだよ」

 いつこんな傷跡ができたのか、少し前までの僕なら見当もつかなかった。

 けれど、今ならハッキリとわかる。

 答えは、もう君が教えてくれたのだから……


「君も、その傷がいつできたのかはわかっているでしょ? 右手を怪我したのは……あのとき、自分の命を守るために右手でビンを受け止めたからだ」

 それはもう二度と思い出したくもないような出来事。

 実の親が我が子に向けて放った一撃をなんとか受け止めたときのことだった。

 大人の力で、それも酒ビンなんかを使って子供の手を思い切り叩きつけたのだ、出血の量から考えて、最低でも骨にヒビは確実だろう。


「茜が僕を左利きだと覚えていた理由の一つに『右手が包帯でぐるぐる巻きにされていた』からと言っていた。それが、怪我の治療中だったときのことだと考えれば、茜の話とも辻褄が合う」

「それがどうした? お前が右手を使えなかったから、左手を使っていた。だからあの女が左利きだと勘違いした。何もおかしいことはねぇじゃねぇか」

「茜は、こうも言っていた。そのときの僕は『左手で器用にお絵かきも、食事もこなしていた』と。生まれつき右利きの僕が、左手で絵を描いたり食事をしたりするなんてことは、とてもじゃないけど簡単にはできない。もし仮に茜には、そう見えただけにしても、利き手が使えない子供を園の先生たちが、一切の補助もしないわけがない。でも、こう考えれば納得できる。『そのときの僕は利き手を怪我していなかった』ってね」


「……はっ、言ってる意味がわかんねぇな。右利きのお前が右手を怪我していた。けどそれが利き手じゃなかっただ? 寝言をほざくのもいい加減にしな」

 呆れたように、僕の考えを一蹴する。

 だが、僕もいい加減にこんな話をしたわけじゃない。

「少し話は逸れるけど、バスケットボールのシュートっていうのは、利き手で持ったボールに逆の手を添えながら打つものなんだ」

「…………? 何を……」


「右利きの僕は、当然『右手で持ったボールに左手を添えながら』打つ。…………でも君は違った。秋の球技大会で僕の代わりにプレーをしたとき、君は『左手で持ったボールに右手を添えていた』。つまり君は左利きなんだ」

 それが広報委員のクラスメイトが録画していたビデオを見て感じていた、違和感の正体だった。

「君は最初から気づいていたんだ、僕との利き手の違いにね……だから君はそれを悟らせないために当時の写真をすべて処分した。処分された写真の中には、しっかりと写っていたはずだよ、右手にギブスを巻いている君の姿もね」

「そんなこと、利き腕を怪我したお前の代わりに俺が表に出ていただけだとも考えられる」

「それはありえない。君が左利きだと気づいたのは、ついさっきのこと。それにどういうわけか、君は僕の知らないうちに表に出ることがあるみたいだけど、僕に主導権がある以上、僕に気づかれずに長い時間、表に出続けることは不可能のはずだ」


 だが左手で生活できていた以上、君が表に出ていたのは確実。

 問題はどうやって僕の許可なしに表に出続けていたのかだが、そんな方法なぞ見当もつかない。

 ならば考え方を変えればいい。

『どうやって』ではなく『どうすれば』許可がなくても表に出られるのか……

 それはとても簡単なことだ。

 なんたって普段の僕自身が体現しているのだから。


「僕はずっと疑問に思っていた。君に押しつけたという当時の記憶はともかく、なんでその後のことをほとんど覚えていないんだろうって……最初は小さいときのことだから忘れているだけだと思った。でも違う、忘れていたんじゃない。僕が知らなかっただけなんだ、そのときのことを……なぜならそのとき、ずっと表に出ていたのが君だったからだ!」

「……ッ!?」

「僕はずっと勘違いしていた。長いあいだ、表に出続けたまま生活していたから、今の今までこんなことを考えもしなかったよ」


 今から僕が君に突きつけようとしていることこそが、僕の辿り着いた答え。

 それは僕たちの関係を根底から覆すものだ。

 でも、これをハッキリさせておかなければ、僕たちはずっと前に進むことはできない。

 だから僕は、ここで君の嘘を断つ。


「すべて『逆』だったんだ。この体も、記憶も……もともとこの体の主導権も持っていたのは君の方だった。『神谷 涼』として最初に生を受けたのは、君だったんだ!!」


 それこそが君と僕の真実。

 始めは僕も自分の考えを疑った。

 だって、つい最近まで君は、僕が去年、交通事故に遭ったときに生まれた存在だと思っていたくらいだから。


「記憶も僕が君に押しつけたから忘れていたんじゃない、君が僕から奪っていったんだ」

 これらはすべて、今までの情報を整理して組み立てた僕の仮説。

 ほとんどが状況証拠だけで裏づけられたものに過ぎない。

 でも今はこれで十分だ。

 僕たちは犯人捜しをしているわけじゃない。

 何せ、すべてての事情をを知っているのは、これを仕組んだ張本人である君しかいないのだから。


「……くく……くくく、あはは……はっはっは────!!」

 突然、おかしいとばかりに君がお腹を抱えて笑い出す。

「まさか利き腕一本で、ここまで辿り着かれるなんて思ってもみなかったぜ。さすがは俺のもう一つの頭脳と言ったところか……」

「そこまで言うってことは認めるんだね。僕の言ったことを」

「御明察。お前の言うとおり、この体の第一人格は確かに俺だった」

 今まで、散々僕に隠してきた真実。

 それが今、暴かれたというのに君は動揺を見せるどころか、逆にこの状況をおもしろがっていた。

 君の考えがまるで読めず、僕は初めて、君という存在に少しだけ恐怖を抱く。

 けれども今はいちいち怯んでいる場合ではない。

「今度こそ教えてもらうよ。君の目的をね」

「くく、いいだろう。ここまでバレてちゃもう隠す意味もない。教えてやるよ、俺の本当の目的をな…………」

 僕の要求を観念したそぶりであっさりと受け入れ、無気味な笑みを浮かべながら君は静かに言葉を綴っていった────

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