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もう一人の僕 (後)

 新学期が始まってから、早くも数日が経過した。

 現在、パチッ、パチッと子気味のいい音が響く教室で、僕たちはいつもどおりの昼休みを過ごしている。

「はい、王手。これで詰みだね」

 僕たちが今やっているのは将棋。

 昼休みはこうしてボードゲームなどで時間をつぶすことが多かった。


「涼って、昔からこういう頭使うゲームは得意よね」

「今日も無駄な打ち手のない綺麗な一局でしたよ」

 横では茜たちが昼食のお弁当を食べながら、僕たちの対局を観戦していた。

「げっ! 待った待った」

 対戦相手である恭太郎からの本日六回目の待った。

「はいはい」

 でも僕はいつもそれだけ言って、駒を一手前に戻していく。

 それはこのゆったりと流れていく時間が好きで、できることなら終わってほしくないからだ。


「菅君もいい加減にあきらめたらどうですか? この戦況だと百パーセント勝てる見込みはないですよ」

「う、うるせいっ! ここから巻き返してやるんだ。覚悟しろよ、涼」

「うん」

 いつもこの時間だけは、僕の中では争いも確執もない平和な時が流れていた。

 そう、この時間だけは────




 それは、放課後に起きた突然の出来事だった。

 帰宅した僕の元に届いた一通の電話。

 電話越しに聞こえる津山さんの声は普段とは違い、だいぶ取り乱している様子だった。

「とりあえず落ち着いて津山さん」

 理由もわからずに取り乱している津山さんに、まずは冷静さを取り戻してもらう。

「ゆっくりでいいから、何があったのか話して」

 今日の放課後は、津山さんは茜と二人で駅の方へショッピングに行くと言っていた。

 なにか事故にでも巻き込まれてしまったのかと、不吉な考えが頭をよぎる。

 少しは落ち着きを取り戻してくれたようで、電話越しに聞こえる声は先ほどよりも聞き取りやすくなっていた。


「それで、茜がどうしたの?」

 途切れ途切れだが、津山さんの言葉が紡がれていく。

 しかし、その内容は僕の予想の斜め上をいくものだった。

「え……茜が攫われた?」

 それが、この事件の始まりだった────


 津山さんからの電話を受けた僕は、詳しく話を聞くために一度、津山さんと合流をすることにした。

 待ち合わせ場所にいた津山さんは、ひどく悲しみに落ち込んでいた様子で、目の周りが少し赤く腫れていた。

「大丈夫?」

「……はい」

 僕の問いに、津山さんは静かに答える。

「じゃあ、何があったのか詳しく聞かせて」

 津山さんの様子も心配だったが、茜の問題をこのまま放っておくわけにはいかず、僕は早急に話を進めた。

 コクリと力なくうなずき、津山さんはゆっくりと話を始める。


 津山さんと茜は僕が聞いていたとおり、放課後にショッピングをするために駅の方へ向かって歩いていたらしい。

 すると道中で見知らぬ男二人に話しかけられたとのこと。

 茜はその男たちと面識があったようだが、すぐに津山さんを連れてその場を離れようとした。

 しかし男たちにそれを阻まれてしまう。

 だが、そこは男勝りな性格の茜のことで、二人の男にも物怖じせずにいたらしい。


「それで、どうなったの?」

「茜ちゃんの態度が気に入らなかったのか、男の人たちが逆上して私たちに掴みかかってきました」

 津山さんは話を続ける。

「でも、茜ちゃんが私だけでも逃げろって……自分の身を犠牲にして私を助けてくれたんです……」

 話を終えたと同時に津山さんは再び泣き出してしまった。


「茜がどこに連れていかれたかわかる?」

 事情は飲み込めたが、このまま茜を探すと言っても何かしらの手がかりが欲しかった。

「わかりません……でも工場がどうとか言っていた気が……」

「工場か……」

 たしか、駅から少し離れたところに今は使われていない工場の跡地がある。

 人目に付きにくいため、不良のたまり場として使われているのを何度か見たことがあった。

 人一人を攫うには、適している場所だ。

 今はその情報だけでも十分にありがたい。


「じゃあ僕はその工場の方を探してみるよ。津山さんはこのことを学校の先生に伝えてくれる?」

「でも、神谷君一人じゃ危険では……? 私も一緒に……」

 津山さんは僕のことを心配してくれていたが、

「僕なら大丈夫だよ……たぶん」

 余計な心配をかけまいと僕はそれだけ言って、その場を後にした────




「はぁ……はぁ……」

 だんだんと重くなってきた足に鞭を打ち、僕は工場を目指して走っていた。

 今日の事件は茜らしいといえば茜らしい出来事だ。

 道すがら、そんなことを考える。

 津山さんが話していたように、逆上していた男たちにも怖気づくことなく向かっていくなんて、やっぱり茜は僕よりもよっぽど男らしいと思う。

 茜のことだからきっと「女だからって舐めないでよ」とか「いい加減にしなさいよ」なんて言ったのだろうと容易に想像ができた。

 

 でも、僕にはよくわからない。

 そういう人たちの気持ちが……

 その逆上していたという男たちの気持ちも、それに立ち向かう茜の気持ちも……

 なぜ事を荒げようとするのだろうか?

 もっと他にやりようがあると思うんだけどな、とそんなことを考えているうちに工場跡地にたどり着く。


 そこは相も変わらず錆びれた工場が重苦しい雰囲気を放ちながら建ち並んでおり、周囲は異様なほどの静寂に包まれていた。

 沈みかけている夕日を背に、僕は工場の群れの中へと足を進めていく。

 あてもなくさまよっていると、暗い敷地内に小さな光が落ちているのが見えた。

 近寄ってみると、それはタバコの吸い殻。

 まだ捨てられて間もないこの吸い殻が、この場に誰かがいることを示していた。

 さらに歩みを進めていくと、もう使われているはずのない建物の中で、一か所だけ古びた扉が開きっぱなしになっているのを見つける。

 思ったとおり、ここに誰かがいるのは間違いないようだ。

 何が待ち受けているのかはわからないが、僕は意を決して建物の中に入っていった。


 もう長いあいだ放置されているのだろう。

 建物の中は鉄骨やら材木やらがそこらじゅうに散乱している。

 電気も供給されていないため電灯も点いていないが、窓や破れた屋根の隙間から入る夕日のおかげで真っ暗ということはなかった。


「あかねーーっ!」

 僕の声が工場内をこだまする。

「いるなら返事をしてよ、あかねーー!!」

 いくら呼んでも返事はない。

 薄暗い工場内を奥へ進んでいくと、誰かが倒れているのが見えた。

 すぐに走って近寄っていくと、なんとそこには腕を後ろで縛られた茜が横たわっていた。


「茜! 起きてよ、茜!」

 声をかけても起きる気配がない。

 ちゃんと呼吸はしていたので、おそらく気を失っているだけだろう。

 茜の様子を見る限り、外傷も服の乱れもなかったので、とりあえず一安心した。

 今、周りに人の気配はない。

 茜を連れ去ったという男たちは、どこかへ出かけているのだろうか?

 それはそれで好都合だ。

 このまま茜をおぶって、さっさとこの無気味な工場を離れてしまおうと思ったとき、ガラガラガラ、と扉の閉じられる音が聞こえた。

 僕が通ってきた道、音のした方向を見ると、予想どおりというか、始業式の日に僕に絡んできた二人の不良たちの姿が見えた。

「あ? 誰かと思ったら、この前のガキじゃねぇか。よくここがわかったな」

 男の一人が僕に話しかけてくる。

 ややこしい状況になる前にこの場を立ち去ってしまいたかったが、出口は彼らによって完全に塞がれてしまっていた。


「こ、こんにちは」

 下手に刺激をしないよう、とりあえず挨拶を試みる。

「てめぇ、ここに何しに来やがった? ああっ!?」

 この場は穏便に済ませたいという僕の気持ちも空しく、夕日の反射したサングラスをかけたもう一人の男が今にも襲いかかってきそうな声で威嚇をしてきた。


「茜を迎えにきたんです」

 誤魔化しても無駄だと思い、僕は正直に答えた。

 それを聞いた彼らは何がおかしいのか、はじけるように笑い出した。

「はぁ? お前それマジで言ってんの?」

「この状況わかってんのか?」

 と、僕を小馬鹿にしたような目で見てきた。

「そうですよ。じゃあこれで」と言って帰りたいところだが、そう簡単にはいかないだろうことは、さすがに僕でもわかる。


 僕は二人のもとに近づいていき、自分の財布から取り出したお札を差し出した。

 二人は僕の差し出したお金に不思議そうに目を向ける。

「もとはと言えば、今回のことは僕が先輩たちにお金を渡さなかったから起きたことですよね。だからこれで、今までのことを水に流してもらえればと思いまして……」

 なけなしの今週の食費だが仕方がない。

 これで事が収まるのなら安いものだと思ったが、事態は僕の思惑どおりにはいかなかった。


「おいおい、こんなはした金で済むと思ってんのかよ?」

 サングラスをかけた方の男に胸倉を掴まれる。

 先ほどの僕をあざ笑っていた態度は見る影もなく消えていた。

 しかしどこがいけなかったのか、僕にはよくわからなかった。


「今からそのクソ生意気な女に年上の敬い方を体で教えてやろうと思ってたんだけどよ、まずはお前から教育してやんよ……オラッ!!」

「がっ……」

 男の拳が僕の腹部に突き刺さり、僕はその場に膝をつく。

 それと同時に今度は蹴りが側頭部に飛んできた。

 僕は倒れることも許されずに、髪を引っ張られながら無理やり起こされ、今度は頬を殴られる。

「お楽しみはまだこれからだぜ。げっへっへ……!」

 なんとも品のない笑いだ。

 そのサングラスの下も、さぞかし下卑た目をしているのだろう。


「……す、すい…………でした」

 僕の口から自然と言葉がこぼれる。

「あ? なんか言ったか?」

「すいませんでした……許してください」

 殴られた痛みに耐えながら、言葉を紡いでいく。

 なぜ謝ってるのか、自分でも意味がわからなかったが、今はこうすることしかできなかった。

「あはははははっ!! そいつ最高だよ」

 そんな僕の態度を気に入ったのか、不良たちが再び笑い転げる。

「でもダメダメ。そんなんで許すわけないっしょ。なー、次はこの女の方にしようぜ」

 そう言って、もう一人が茜を抱き起こした。

「近くで見るとけっこーかわいい顔してんじゃん」


 ──ヤメロ

 

 なんだろうか、この気持ちは?

 その光景を見たとき、僕の中からよくわからない感情が込み上げてきた。 


 ──キタナイテデサワルナ


「さーて、楽しませてもらいますか」

 男が茜の制服に手をかけようとする。

「……やめてください」

 僕の言葉に男がその手を止めた。

「もう……やめてください」

「おい、そいつもういっぺん殴って黙らせろよ」

「おう」

 男が再び僕を殴る体制に入る。

 そんな男を僕は黙って見上げていた。


 なんでいつもうまくいかないのだろう?

 なんで誰もわかってくれないのだろう?

 僕はこんなことにならないために行動しているつもりなのに……

 次第に自分の意識が遠のいていくのを感じる。

 できればこうなってほしくはなかった。

 できることならもっと穏便に済んでほしかった。

 だって────誰だって痛いのは嫌いだろ?




「ぎゃああああああああぁ!!」

 突如、工場内に響き渡った苦痛に歪む声。

 叫び声の主の顔には深々と涼の拳がめり込んでおり、サングラスは見る影もなくひしゃげていた。

 出血の量からして、鼻の骨が折れてしまっているようだ。

 そして顔を抑えたまま、男は力なく倒れ込んだ。

「お、おい? どうしたんだよ……」

 その様子をすぐ横で見ていたもう一人の男は、突然の出来事に混乱し、恐怖に声を震わせていた。


「──久しぶりだな……俺が表に出るのはよ……」


 ぼそりとつぶやく。

「さっさと俺に代わっていれば、こんな面倒なことにはならずに済んだんだ」

「な、なんだこいつ……」

 先ほどまでとは違う涼の様子に気づいた男は、不気味にたたずむその姿に恐れをなして、一歩後ずさった。

 しかし、涼であったはずの少年の視線が、すぐに男を捉える。

「ずいぶんと好き勝手やってくれたじゃねぇか……」

 そして男たちは……

「テメェら────ただじゃ済まさねえぞぉっ!!」

 『神谷 涼』という人間に関わったことを深く後悔した────




「おいおい、もう終わりか? さっきまでの威勢はどうしたんだよ!?」

 数分後、悪魔のような笑みを浮かべながら、少年は血だらけで倒れている男の横に立ち、そう言葉を投げつけた。

「ゆ、許してくれ……もう勘弁してくれよ……」

 少年の言葉どおり、もはや威勢すらない男の命乞い。

「はっ、この程度で泣き言を言ってもらっちゃ困るぜ。俺はまだまだ遊び足りねぇんだ」

 言いながら、グリグリとボールで遊ぶように、男の頭に足をこすりつける。

 男はまるで抵抗する様子もなく、ただひたすらに恐怖に歪む声を上げているだけだった。

「さて、次はどうしてやろうか? くく……」

 そんな様子を見てもなお、少年は口元を歪め、愉しそうに笑っていた。


「……あ? なんだ、もうやめろってか? 邪魔すんなよ、これからがおもしろいところなんだ」

 突如、少年は誰かと会話でもするかのように一人でに話し始める。

「ったく、お前は甘いんだよ。だから今日みたいなことになる……………………はいはい、わかったよ。もう終わりにしてやるよ……」

 親に叱られた子供さながらにつまらなさそうな表情を見せながら、男の顔から足をどけた。


「──次の一撃でなぁ!」


 そして、再び唇の端を釣り上げるようにして嗤うと、まるでサッカーボールでも蹴るかのごとく男の頭を思い切り蹴り飛ばした。

 声を上げることもなくゴロゴロと転がる男の体は壁に当たって止まり、それからピクリとも動かなくなった。

「んじゃ、後はお前に任せるぜ────」

 最後にそう言ったのもつかの間、突然意識を失ったように少年もその場に倒れ込んでしまう。

 皆が気を失い、止まってしまったこの工場の中で、ただ時間だけが流れていった────




「いたた……」

 まだヒリヒリする自分の頬をさする。

 あの事件のあった日から数日が経過した。

 あの後、学校から連絡を受けた警察が工場跡地に到着したときには、気絶していた茜以外がボロボロの状態で倒れており、なぜこのような状況になったのか見当もつかなかったらしい。

 しかし不良たちの「全部俺たちがやった」という証言と事件前では考えられないような謝罪と反省により、彼らが学校を自主退学するという形で収拾がついた。

 このときの彼らは何かに激しく怯えていたようだと先生は語った。

 ともあれ茜が無事であったことは幸いだ。

 結局、僕は殴られ損の貧乏くじを引く羽目になったけれども……

 でも『君』にとっては、至福の時間だったんだろうね。

 もう一人の僕である、君にとっては────

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