一降り目〇偶然の出会い
翌朝。ずぶ濡れの私と、コウモリ傘の彼が衝撃的な出会いを果たした夜から、わずか半日後。私は運命というものを感じずにはいられなかった。
天気は昨夜とは打って変わっての快晴。新しい恋が始まるとき、このパターンはよくあることなので気にはならない。
重要なのは、彼――東雲香の着ている制服である。きちんとアイロンがけされた黒のスラックスに、一番上のホックまで閉められた学ラン。昨日と同じコートをはおっていたが暖かいためか前は開いていて、校章入りのボタンがまる見えだった。
その校章が、私が在籍している高校のものなのである。
偶然出会った二人が通う学校が、同じだなんて…。
無言で渡された折りたたみ式のコウモリ傘。この傘を返す事を口実に、ここで4時間粘ったかいがあるというものだ。
私は、気付かれないようにそっと立ち去ることにした。傘はまた後で返せばいい。私たちの、学び舎で。
一降り目〇偶然の出会い
家に帰ると、玄関前で鍵を取り出した。パパもママもすでに仕事へ行ってしまった時間なので、どうせ閉まっている。ドアを開けるとほら、やっぱり薄暗い。
二人とも私の事はそんなに深刻に考えてない。引きこもっていないだけましだ、としか思ってない。体面的に、不登校を気にしてはいるけれど、特に何かしらの手をうつわけでもなく、私はただ遠くから様子をうかがわれている。
ありがたい限りだ。その方が私も動きやすい。
明かりも点けず、薄暗い中を2階へ上がる。自分の部屋の前で、鍵を取り出す。この部屋の鍵は私しか持っていない。
部屋の中は夜の内にスッキリと片付けた。壁一面に貼っていた写真も、声を録音したテープも、今頃きっとゴミ処理場だ。
電気をつけてクローゼットを開けた私は、舌打ちをする。あいつの趣味に合わせて買ってやった服を処分し忘れていた。こんなものはもう必要無いというのに。
しかし、今はそれを片付けている場合ではないのだ。邪魔くさい服の中から、目的とする一着を引っ張り出す。
しわくちゃになったそれは、長い間着てなかったセーラー服。正式に学校をやめる日までは、と捨てずに取っておいてよかった。今日からまた着る事になるのだから、一度クリーニングに出すべきだろう。
クリーニングが終わるまで、などと悠長なことはいっていられない。私は久しぶりにセーラー服に着替え、自宅を後にした。
学校に着くと、授業はもう始まっていた。登校中の東雲香をみたあと一旦家に戻っているから、当然なのだが。
グラウンドでは、どこかのクラスがソフトボールをしていた。その真ん中を突っ切るわけにもいかないので、グルッと回りこんで、校舎へととことこ歩く。
…誰もいない下駄箱に、中央ロビー、階段、廊下。お喋りや教師の声、ドッといきなりわく笑い声。一つ一つに、なぜか、心がざわめく。
彼もこの中にいるのだ。この中の、どれかに。いったい、どこに…。
彼の声が聞こえないかと、耳をそばだてながら自分のクラスへ向かう。けれど、そううまくいくはずもなく、ついには二年A組の教室の前までたどり着いてしまった。
わずかな落胆を得た私は、先生の声が響き漏れるドアに手をかけた。
「それじゃあこの問題をー、誰にやってもらおうかなあ…」
記憶では確か、今は数学をしているはずだ。教室内では今まさに、先生が誰かを指名しようとしているらしい。
「えー、それじゃあ…東雲!」
ドアを開けるのと同時、真正面の教壇から聞こえた言葉に耳を疑う。
私はドアを開けた格好のまま、間抜けた顔で固まった。目の前では、教壇に手をついたまま私と同じように固まっている、爽やかに髪を刈り上げた男性がこちらに顔を向けていた。
しののめ、と彼は言わなかっただろうか。東雲――昨夜、出会った『彼』と同じ名字。
静寂に包まれる教室に、ガタンという音がして顔を向ける。そこに立っていたのは、背の高い男子。真っ黒な髪を爽やかに切りそろえ、吸い込まれそうなほどまっすぐな眼差しを正面に向け、学ランのホックまできっちり閉めた生徒だった。
「その問題の答えは…」
低めのよく響くその声は、昨夜のたった一言の台詞と共に、記憶しているものだった。背筋をまっすぐにしているその立ち姿は、雨の中でにじむ視界が捉えたものと変わりない。
「3X^2+2X+4、です。合ってますか、先生?」
こんな偶然があるのだろうか。確かに、今朝の時点で彼が同じ高校に通っているということは分かっていた。しかし、まさか、クラスまで同じだったとはさすがに予想外だ。
何か細工をしたわけでもなく、出会いすらたまたまだったというのに…。
「遠藤先生」
「えっ?ああ、なんだ?」
彼に名前を呼ばれ先生は我に返ったが、戸惑いを隠しきれず反応に窮している。
「答え、合ってますか?3X^2+2X+4です」
「あ、ああ…正解だ。えー、今入ってきた生徒は…」
先生に何か言われる前に、私は自分の席を見つけ、スタスタと無言で向かった。とりあえず空っぽのまま持ってきた通学鞄を置き、席に着く。
「天木みつる。出席番号は22番です」
「に、22番の天木みつるか…。えー、それでは授業を、続ける。あー、今説明したように――」
教室中の生徒も先生も私をちらちらうかがっていた。今まで全く姿を見せなかった、いわゆる不登校少女がいきなり現れたのだから無理もない。だが私自身は、そんなことほとんど気にならなかった。
それよりも、彼だ。眉一つ動かさず、真面目に授業を聞いている、東雲香。
もう一度言おう。こんな偶然があるのだろうか…。
(そんな馬鹿な…)
私の頭にようやく浮かんできた言葉は、これ一つだった。