SF作家のアキバ事件簿260 ミユリのブログ 真っ赤なコサージュ
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第260話「真っ赤なコサージュ」。さて、今回は秋葉原のメイド達が年に1度ソワソワしだす"コスプレ盆踊り"が舞台です。
御主人様からホントに推されているかが明らかになるメイドにとっては運命の日。意中のトップヲタクからの誘いを今か今かと待つメイド達ですが…
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 スピアの前説
最近のことを話すわ。
ここから読み始めた人のために、
私たちのことを少しだけ説明しておくね。
2年前、ミユリ姉様は私の元カレ、テリィたんに命を救われたの。
それ以来、テリィたんは姉様のTOにおさまって2人は推して推されて…
と、誰もが思うでしょ?
ところが話は、そんな単純じゃない。
テリィたん自身も覚えていないんだけど、
彼は別の世界線から来た"御主人様"らしい。
そして、その世界線では、彼はティルと結婚する運命になっている。
ティルは、パラレルワールドの別の世界線で、テリィたんの妻におさまったメイド。
その"あり得た未来"が現実に影を落とし始め、
姉様とテリィたんの距離は、少しずつ、
でも、確実に開いていった。
そのせい…なのかな。
驚かないでよ。
今、姉様は蔵前橋にある少年院帰りの私のいとこ、
ションと急接近中なの。
恋って、世界線より複雑に混線中。
で、どうして最近みんなが落ち着かないのかって?
理由はひとつ。
夏のコスプレ盆踊り。
メイドにとっては、お誕生日に次ぐ、1年でいちばん胃が痛くなるイベントなの。
でも、その話は、またあとで。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜。
ベランダほどの狭い闇で、ミユリさんは、
メイド服のまま身体をゆっくり回している。
風がスカートの裾を揺らす。
手にしたタブレットのブログは…
6月27日。
"なぜ私は1年もブログを描かなかったのか。
今日、その理由が少しだけわかった。
その答えをくれたのは、
よりによって、アキバ1軽い男…"
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「だからさ。俺がパーツ通りを歩いてたら、
通行人がクマと間違えてさ」
ションが身振り手振りで笑いを誘う。
御屋敷の前にはベンツ770K。
ミユリさんは肩を震わせながら、
小さく笑っている。
「ボウリング、行かない?」
「今から?もう閉まってるわ」
「普通の人ならな。でも俺、VIPだから」
「そんな怪しいVIP、逮捕されちゃう」
「じゃ、また今度」
少しだけ沈黙。
夜風だけが2人の間を通り過ぎる。
「ねぇ、ション」
「ん?」
「みんなは色々と言うけど…
私は、あなたは良い人だと思う」
ションは少しだけ目を細める。
「ミユリは特別だ」
「何が?」
「ずっと思ってた」
1歩近づく。
「君だけは、他の人と違う」
ミユリさんは照れたように笑う。
「ありがと」
その笑顔は、ここしばらくの間、
誰にも見せなかったものだ。
「うれしいわ」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
互いに背を向けようとして…
ションが振り返る。
そして、ためらいのない1歩。
唇が重なる。
ほんの一瞬。
時間だけが止まる。
唇が離れる。
ミユリさんは窓の外へ視線を向け、
小さく笑う。
その笑顔は幸せそうで、
どこか、泣き出しそうだ。
第2章 盆踊り前夜
御屋敷。
テーブル席で仏教の本を読みふけるカレル。
そこへスタジャン姿のスポーツ仲間、
ムラドが隣へどかりと腰を下ろし、肩を組む。
「よう、カレル」
「なんだよ、ムラド」
本から目を離さない。
「またイスラム教の聖書か?」
「仏陀様だよ」
カレルはゆっくり本を閉じる。
「しかし、お前が信仰に興味を持つとは、
少しうれしいな」
「そんなわけないだろ」
ムラドは笑う。
「仏陀様ってのはティルを口説く役に立つのか?」
「何だよ急に」
「同じ屋根の下で暮らしてるんだろ?
何も起きないなんて誰も信じちゃいない」
カレルは小さく溜め息をつく。
「あのな…仏陀様は恋愛相談所じゃない」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のバックヤード。
タブレットを開き、帳簿を整理するミユリさん。
「ミユリさん」
声をかけると、彼女は顔を上げる。
その瞬間、ぱっと花が咲くように表情が明るくなる。
「テリィ様」
「少し話したいことがあるんだ」
そのときホールで歓声が上がる。
メイドが御主人様と抱き合っている。
「じゃあ、オッケーってことだね?」
「もちろんです!」
ミユリさんが微笑む。
「コスプレ盆踊りのお誘いですね」
「そんなところかな」
少しだけ沈黙。
「マリレとスピアは、一緒に行かないんですって」
「まだ決まったわけじゃないさ」
「そうですか」
彼女は遠くを見る。
「不思議ね。
つい1年前は4人で行くものだと思ってました」
少し笑う。
「私ったら」
僕を見る。
「テリィ様と腕を組んで、
会場へ入っていくところまで想像していたの」
照れくさそうに笑う。
「浴衣も買ったのよ」
「本当に?」
「ええ」
小さく頷く。
「私たちが初めてキスをした頃に」
懐かしい時間が2人の間を流れる。
「あの頃は、何もかも単純だった」
「ええ」
ミユリさんは静かに笑う。
「今は違います」
少し間を置いて続ける。
「私たち、もう推しとTOじゃない」
「……。」
「それは受け入れています。ホントに」
それでも。
「この盆踊りだけは、私にとって特別なの。
1年間、その日のことだけを楽しみに
準備してきたから」
僕は少し考え、穏やかに答える。
「じゃあ、一緒に行こう」
ミユリさんの瞳が揺れる。
「良いのですか?」
「もちろん」
笑う。
「別れたからって敵になったわけじゃない。
僕にはまだ新しい推しもいないし」
その言葉に、彼女は安心したように息をつく。
「そうですよね。
一緒に盆踊りへ行ったからって、
運命が変わるわけじゃない」
少し照れたように笑う。
「その日が楽しかったって思えれば、
それで十分ですよね」
「その通りさ」
ミユリさんはうれしそうに微笑む。
「あ、そうだ。
さっき、私に話したいことがあるって」
「うん」
僕は少し考える。
「最近、前の世界線にいた頃の記憶が
戻り始めてる」
「……!」
ミユリさんの目が揺らぐ。
「ホントですか?」
「まだ断片的なんだ。
でも、匂いとか。風とか。
その場所にいた感覚だけだけど」
「すごいじゃないですか!」
身を乗り出す。
「ご家族やお友達のこととかは?
マリレやエアリは?」
名前を並べながらも、ひとつだけ。
ティルの名前だけは口にしない。
僕は少し迷ってから答える。
「実は、オーラみたいなものしか見えない。
でも…」
小さく息を吸う。
「ティルのことも思い出した」
その一言だけで十分だった。
ミユリさんは笑う。
ちゃんと笑う。
誰にも気づかれないくらい、
きれいな笑顔だ。
「素敵ね」
そう言って、
ほんの少しだけ視線を窓の外へ逃がす。
その笑顔だけが、どこまでも遠い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
蔵前橋通り。バス停。
「待って!待ってください!」
ミユリさんが駆ける。
バスは無情にも発車し、
排気ガスだけを残して走り去る。
「はぁ」
息を整えようとしたその時、
ベンツ770Kが静かに横付けする。
運転席の窓が下がる。
「乗ってく?」
ションだ。
「結構よ」
「この前の夜のことだけど」
少し照れくさそうに笑う。
「悪かった。俺の勘違いだった」
「勘違い?」
「君が俺に告白したんだって、
勝手にそう思い込んでた」
ミユリは肩をすくめる。
「ええ。それは完全な誤解よ」
「だから、そのお詫び」
助手席を指さす。
「乗れって」
「結構よ」
「次のバス、しばらく来ない」
時計を見る。
「このままじゃメイド長は遅刻だ」
少しだけ間を置く。
「御屋敷まで送る。それでチャラにしてくれ」
ミユリは小さく息をつき、助手席へ乗り込む。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ところが、ベンツ770Kは路肩に停まる。
「着いた」
窓の外を見るミユリ。
「ここ?御屋敷はまだ先だけど」
「ここから先は行けない」
ションは前を向いたまま言う。
「裁判所命令」
「え?」
「保護観察の条件でさ」
苦笑する。
「芳林小学校には近づくなって」
ミユリは何も言えない。
「帰りも迎えに来ようか?」
「ありがと」
首を振る。
「バスで帰るわ」
「そっか」
ドアを開けようとしたとき。
「ミユリ」
ションが呼び止める。
振り返る。
「あのキスが勘違いだったのは分かった」
少し笑う。
「でも、君とキスした瞬間だけは」
遠くを見る。
「秋葉原へ帰って来てよかったって、
そう本気で思えた」
ミユリさんは、視線を落とす。
「ション」
静かに言う。
「私、テリィ様とコスプレ盆踊りへ行くの」
ションの表情が固まる。
「なんだ。ヨリを戻したのか?」
「違うわ。推しとTOに戻ったわけじゃないの。
ただ、一緒に盆踊りへ行くだけ」
ションは鼻で笑う。
「器用なことをするな」
「どういう意味?」
「ミユリじゃないよ」
少し眉をひそめる。
「テリィって野郎さ。
別れたって言いながら、君を手放さない。
自分は次を探して、ミユリはキープ。
そんなの、ずるいだろ」
ミユリの表情が変わる。
「違うわ」
きっぱりと言い切る。
「ションはテリィ様を知らないの」
1歩、車へ近づく。
「テリィ様は、ヲタクの名誉を
何より大事にする方なの。
だから、そんな真似だけは、絶対にしない」
ションは少し黙る。
やがて、小さく笑う。
「そうか」
頷く。
「ミユリは、信じられないくらい、
あいつを信じてルンだな」
ミユリさんは答えない。
ただ静かに微笑む。
その笑顔を見て、
ションも笑う。
「やっぱり、ミユリを信じられないくらい、
いい奴なんだな」
ミユリは小さく会釈し御屋敷へ向かって歩き出す。
ションは、その背中が
万世橋の向こうへ消えるまで車を発進させない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のバックヤード。
ロッカーを開けるマリレ。
その背後へ、するりとスピアが滑り込む。
「ねぇ。どうして昨夜、バイトをサボったの?」
「用事」
一言だけ。
ロッカーを整理するマリレを、スピアは覗き込む。
「今夜、2人とも休みでしょ?」
腕を絡める。
「映画を観て、ご飯を食べて、デートしましょ?
そうしたら昨日の失言も忘れてあげる」
胸を張る。
「私って偉いでしょ?心が広くて」
「今夜は無理」
「え?」
「用があるの」
ロッカーを閉める。
そのまま歩き去るマリレ。
取り残されたスピアは、特大の溜め息。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。ホールのボックス席。
オフのエアリはタブレットを胸に抱え、
アレクは何かの参考書を広げてる。
「ビラン、きっと私をコスプレ盆踊りに誘うわ」
「え?」
顔を上げるアレク。
「ビランならエイミを誘ったって聞いたけど」
「どうせ断られたのよ」
肩をすくめる。
「もっとも、私も誘われたら断るつもりだったわ」
静かな沈黙。
「ねぇ」
エアリが横目で見る。
「あなたは誰か誘ったの?」
「まだ」
「そう」
くすっと笑う。
「昔、あなたを振った女の子が、
今、誘われるのを待ってるかもしれないわよ」
アレクは本を閉じた。
「エアリ」
真面目な声だ。
「君と盆踊りへ行けたら、きっと夢みたいだ」
エアリは黙って聞く。
「でも、次の日には君は僕を振る。
そしたら僕は、また昔の僕に戻ってしまう。
君に振り回されるだけの情けない僕に」
少し笑う。
「だから自分でも驚いてルンけど、
答えは…NOだ」
エアリが目を丸くする。
「僕は君を誘わない」
静かに参考書を開き直す。
「悪いけどね」
エアリは何も返せない。
その横顔を、少しだけ長く見つめている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ティルの部屋。ノック。
「入っていい?」
「どうぞ」
パジャマ姿のティルがベッドで勉強している。
カレルは照れくさそうに立ったまま話し始める。
「去年さ。トルデを盆踊りに誘ったんだ」
「そう。彼女、可愛いものね」
「うん」
笑う。
「楽しかった。でも、お互い知らないことが
多くて話が弾まなかったンだ」
ティルは本を閉じる。
「それで?」
「考えたんだ。君のことなら、よく知ってる。
よく知ってる女の子って、実は君しかいない」
ティルの表情がふっと緩む。
「笑ってくれてもいい。断ってくれてもいい」
深呼吸。
「僕と一緒に、コスプレ盆踊りへ行かないか」
ティルは即答だ。
「喜んで」
満面の笑み。
「すごく嬉しいわ」
カレルも照れくさそうに笑う。
「ありがとう」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「スピア。ダメよ。
マンションに忍び込むなんて」
ミユリさんが小声で制止する。
だがスピアは聞いていない。
カードキーをサッシへ滑り込ませる。
カチリ。鍵が開く。
「ほら」
懐中電灯を点ける。
「少し黙ってて、姉様。
今日は決定的な証拠を押さえるんだから」
「だから後悔するって」
ミユリさんは窓を閉めながら溜め息をつく。
スピアは机の上を漁る。
「あった!」
1枚のメモを高々と掲げる。
『アニタ』
「やっぱり!」
「何が?」
「浮気相手の名前よ!」
「アニタって…女の人の名前よ?」
「だからよ!」
スピアは拳を握る。
「最初から私と別れるつもりで
百合の二股をかけていたのよ!」
ミユリさんは首を振る。
「百合の二股?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌日。双眼鏡を構えるスピア。
隣に付き合わされてるミユリさん。
「電話番号から住所を割り出したの」
得意げだ。
「今日は現場を押さえる」
「そこまでやる?」
「アニタは女の名前。つまり泥棒猫」
「その理屈が少し乱暴」
ミユリさんは苦笑する。
「私とテリィ様みたいにならないで」
スピアが双眼鏡を下ろす。
「でも姉様たち、盆踊りへ行くんでしょ?」
ミユリさんは少しだけ空を見た。
「行くわ。でも…私たちはもう、
それぞれ違う道を歩き始めてるし」
静かに微笑む。
「なのに。なぜか離れられないの」
そのとき。
マンションの窓辺にマリレが現れる。
向こうから1人の女性が近づく。
笑顔。
そして…ハグ。
「見た?」
息をのむ、スピア。
「見た?」
ミユリは双眼鏡を下ろす。
「人と人との関係は変わるものよ。
私も。テリィ様も。
いつか別の誰かと出会うかもしれない」
その言葉の直後。
スピアがその場に崩れ落ちる。
「マリレ」
震える声。
「新しい百合を見つけたんだわ」
頭を抱えるスピア。
ミユリさんはもう一度マンションを見上げる。
しかしその表情は、
スピアの勘違いを笑うものではない。
自分自身の未来まで重ねてしまったような
どこか遠い眼差しだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「テリィたん。思い出せること、全部話して」
ティルはベッドの上であぐらをかき、
向かい合う僕を真っすぐ見つめる。
「景色でも、手触りでも、匂いでも。
どんな小さなことでも良いの」
部屋にはキャンドルの灯だけが揺れている。
金髪を下ろしたティルは、
普段より少し大人びて見える。
「……。」
僕の視線が泳ぐ。
「こら」
ティルが頬を膨らませる。
「ちゃんと集中して」
「集中できないよ」
「何に?」
首をかしげる。
「何か気になることでもあるの?」
君の巨乳だ。
「君には話しておくべきだと思う」
「うん」
「僕、盆踊りはミユリさんと行くことになった」
ティルは一瞬だけ目を伏せる。
それでも笑う。
「そう。でも、それはどうでも良いこと」
「え?」
「私たちには、もっと大事なことがあるでしょ」
少し身を乗り出す。
「もう1度」
その仕草は真剣なのか、それとも無意識なのか。
僕には判別できない。
大きく息を吸う。
「少し…見えてきた」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「水だ」
「うん」
「でもただの水とは違う」
ティルが静かに続ける。
「もっと重くて、体にまとわりつく」
「粘りがある」
僕も目を閉じる。
「泳ぐたびに、水じゃなくて、
何か柔らかい膜をかき分けてるみたいな……。」
2人の声が重なる。
「ゼリー」
思わず目を開ける。
「そうだ」
僕は笑う。
「思い出した」
ティルも身を乗り出す。
「本当に?」
「海だ。水じゃない。
生命が誕生する直前の原始の海。
ゼリーみたいな海だ」
ティルは胸の前で手を合わせる。
「やった。少しずつ戻ってきてる」
思わず僕はティルを抱きしめる。
ティルも嬉しそうに抱き返す。
その瞬間。
ペントハウスの窓の外。
様子を見に来たミユリさん。
立ちつくす。
抱き合う僕たち。笑い合う僕たち。
ミユリさんの笑顔が、静かにほどける。
何も言わず、その場を離れて逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通り。"タイムマシンセンター"前。
ベンツ770Kにもたれ、ションが待っている。
「また会ったな」
「あなた、本当に神出鬼没ね」
「君の問題解決に熱心なだけだ」
「余計なお世話」
歩き去ろうとするミユリさんを呼び止める。
「顔色が悪い」
「平気」
「平気な人間は、そんな顔色しない」
足が止まる。
「今は放っておいて」
声が少し震える。
「お説教も人生論も聞きたくない。
悩み事をマスタードで描いて食べるとか…
もう、やめて」
ションが笑う。
「まだ覚えてたか」
「悪い?」
沈黙。
「どこか行くか」
ミユリさんは少し考え、
静かにうなずく。
「逝くわ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真夜中のボウリング場。
営業は終了。レーンだけが白く照らされている。
ボールを抱えたミユリさんが助走に立つ。
「いいか。ステップ、ステップ、ステップ。
腰を落として、そのまま離す」
ションが後ろから手振りで教える。
ミユリさんが投げる。
ボールはピンの手前で曲がる。
そのままガーターへ吸い込まれる。
「またガーターだわ」
「でも、さっきよりずっと良い」
ションは自販機から缶を2本取り出す。
「ビール飲むか?」
「飲まない」
「そう言うと思った」
コーラを放る。
ミユリさんは受け取り、小さく笑う。
「ありがと」
プルタブを開ける音が響く。
ションが壁にもたれる。
「俺の理論、聞くか?」
「聞きたくない」
「だろうな」
それでも話し始める。
「俺と君は、生きてきた世界が違う」
「それが理論?」
「だけどさ」
少しだけ真顔になる。
「共通点が1つもないなら、
人はこんなにも惹かれ合わない」
ミユリは黙ってコーラを飲む。
「秋葉原じゃ俺は"少年院帰りのション"さ。
また何かやるんじゃないかって目で見られる。
君も似たようなもんだ」
「え?」
「もうテリィとは恋人じゃない。
なのに離れられない。
俺と話していても、
どこかでテリィのことを考えてる」
沈黙。
「違うか。」
ミユリさんは答えない。
遠くのピンを見つめるだけだ。
ションが小さく笑う。
「それじゃ息苦しいぞ。君も」
少し間を置く。
「俺も」
ちょうどその時、ボールリターンが唸りを上げる。
ゴトン、とボールが戻ってくる。
ミユリさんは無言で立ち上がる。
助走。1歩。2歩。3歩。
ボールが真っすぐ転がる。
ストライク。
派手な効果音。
「見た?」
振り返る。
「ション!ストライクよ!」
両手を広げて笑う。
その笑顔を見て、つられて笑うション。
「ほらな。やればできる」
ミユリさんは照れくさそうにコーラを掲げる。
「ありがと」
ションも缶を軽くぶつける。
「乾杯」
1口飲む。
そして突然、靴を脱ぎ始める。
「何してるの?」
「レーンウォーク」
「なにそれ?」
「昔ここで働いてた」
靴下のままレーンへ降りる。
「レーンにはオイルが塗ってある」
「だから?」
助走をつける。
「こうだ!」
両手を広げたまま、するり、と…
氷の上のように滑っていく。
「ひゅうーーっ!」
レーンの真ん中で振り返る。
得意げに両腕を広げる。
「どうだ!」
ミユリは吹き出す。
「バカ」
「やってみないか?」
少し考え、
首を横に振る。
「また今度ね」
その「また今度」が、ションにとっては
十分すぎる返事だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。ベッドの上。
向かい合ってあぐらをかいてる僕とティル。
キャンドルの灯がゆっくりと揺れている。
ティルが静かに尋ねる。
「他には?」
僕は目を閉じる。
「月が3つ」
「3つ?太陽じゃなくて?」
「全部オレンジ色だ」
ゆっくり言葉を探す。
「雲はなくて、現実というよりも…
舞台を見ているようだった」
ティルは小さくうなずく。
「良い傾向よ。最初はそんなもの」
「今日はここまでにする」
僕はベッドから立ち上がる。
ティルは微笑む。
「焦らなくていいわ。
最初は輪郭しか見えないの。
でも少しずつ色がついて、匂いが戻って、
手触りまで思い出せるようになる」
いたずらっぽく笑う。
「そのうち、水着姿の私も、
はっきりと思い出すから。うふふ」
僕は苦笑する。
「君の記憶は?」
ティルは少しだけ視線を落とす。
「実は、私も同じ。ぼんやりとしてる。
でも、ときどき、この世界より
鮮明な記憶がある」
「例えば?」
「私のビキニ」
少し胸を張る。
「深い胸の谷間とか」
僕は思わず笑う。
「僕のことは?」
ティルは迷わない。
「テリィたんのコトは、1番よく覚えてる」
「どんな僕?」
ティルは僕を見つめる。
「テリィたんが私を抱き寄せて。
胸にそっと触れて…
そして、とても優しく笑ってくれたわ」
その瞳だけが、冗談ではない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アレクの部屋。
ギターをつま弾いていると…
コンコン。
窓を叩く音。
1度。2度。3度。
だんだん乱暴になる。
「誰だ?」
返事はない。
バン、バン、バン。
「だから誰なんだよ」
アレクはバットを手に窓を開ける。
外に立っているのは…メイド服のエアリ。
「なんだ」
思わず力が抜ける。
「エアリか」
エアリは照れくさそうに笑う。
「こんばんは。
驚かせちゃった?」
「十分驚いた」
バットを部屋の隅へ放る。
「入る?」
「ありがとう」
エアリは窓から部屋へ入る。
部屋を見回し、ベッドの端に腰を掛ける。
「乙女ロードの御屋敷から誘われてる。
秋葉原を卒業して来ないかって」
「それで?」
「体入してみた」
少し笑う。
「だから、秋葉原は卒業カモ」
静かに続ける。
「つまり……。
今年のコスプレ盆踊りが、
私にとって最後なの」
アレクは言葉を失う。
視線を逸らす。
エアリが笑って言う。
「お願いょアレク。
何か言って」
沈黙。
やがて、深く息を吸う音。
「エアリ」
「はい」
「僕と…」
照れくさそうに笑う。
「コスプレ盆踊りへ行きませんか」
一瞬、エアリは目を丸くしてみせる。
次の瞬間。
「うれしい」
勢いよく抱きつく。
照れながら、その背中に手を添えるアレク。
第3章 コスプレ盆踊り
店先に大きな垂れ幕。
「大歓迎! コスプレ盆踊り@パーツ通り」
《マチガイダ・サンドウィッチズ》の店内は、
浴衣姿の腐女子たちであふれている。
鏡の前では最後の口紅。帯を締め直す者。
髪飾りを整える者。
インバウンド向けに始まった街おこしのイベント。
今では、浴衣姿の腐女子が世界中から集まる。
「テリィ様、私を見てる?」
ミユリさんの問いに、フラワーガール風の浴衣をまとったスピアが、鏡越しにくるりと回る。
「よそ見しないで、姉様。
みんな寂しい思いをすれば良いのよ」
黒を基調にしたメイド浴衣のミユリさんは、
苦笑しながら帯を整える。
そこへ。
オールバックにタキシード浴衣を着こなすカレル。
肩を大胆に見せる紫のドレス浴衣のティル。
並ぶだけで絵になる2人だ。
「何か飲む?」
「じゃあお願い。私はあっちで待ってるわ」
「ROG」
カレルはカウンターへ向かう。
「姉様。これで十分カワイイと思うけど」
「そうかしら。もう1度だけ、鏡を見てくる」
その様子を、カウンター席のションが
黙って眺めている。
「コーラ2つ」
ドリンカーに注文したカレルは、
ボックス席へ視線を送る。
そこにはラギィとスピアのママ。
頬杖をついたスピアは、ウンザリ顔だ。
「この前ね、ウチのソファでいちゃついてたのよ」
「うちのキッチンでもベタベタだったわ。
見てるこっちが照れちゃう」
「付き添い役があれじゃ、困るな」
「ほんとね。ところで、カレル。
貴方とティルは、どーなってるの?」
カレルは肩をすくめる。
「自分でもよくわからない。惹かれてる。
でも…」
「でも?」
「踏み込んじゃいけない気もするんだ」
「怖いだけじゃない?」
「違うよ」
「ほんと?」
笑っている。
けれど、カレルの本気なのか社交辞令なのか、
その境界は曖昧だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そのとき、店の扉が開く。
僕だ。
胸元に飾る真っ赤なコサージュを手にしている。
トイレから戻ったミユリさんが僕を見つける。
ふっと目を細める。
黒いメイド浴衣に、小さな笑みが咲く。
ションは無言で視線をそらす。
僕は店の真ん中まで歩く。
ミユリさんが近づき、少しだけ上目遣いをする。
「きれいだよ。"勝負角度"眼福だ」
「ありがとうございます」
柔らかく笑う。
「テリィ様も、とても素敵」
ほんの一瞬。
祭りの喧騒だけが遠ざかる。
「テリィ様。スピアは今日は1人なの。
私たちと一緒でも構いませんか?」
「もちろんOKだ」
「じゃあ決まり」
ぱん、と手を叩く。
「みんな、集まって。記念写真を撮りましょう!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「はいはい、並んで!」
スピアのママが仕切り出す。
「ミユリ姉様、最高!スピアも完璧!
エアリ、アレク、カレル、ティル。
はい、もっと寄って!」
キッチンへ顔を向ける。
「マリレ!仕事はあと!出てらっしゃい!」
「は、はい…」
メイド服にエプロン姿のマリレが現れる。
キッチンメイドとしてバイト中なのだ。
「これで全員?」
「あ、警部。貴女も!」
ラギィが嬉しそうに立ち上がる。
「よし、これで勢揃い!」
スピアのママは満足げにうなずく。
「一生の記念になるわ。ション、お願い。
みんなを撮ってくれる?」
スマホを受け取るション。
レンズの向こうで、全員が息を合わせる。
一斉に笑う。
誰もが完璧な笑顔だ。
ただ1人、ションだけが輪の外に立っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんのブログ。
"シャッターが鳴った。
私たちは肩を寄せ合い、思いきり笑った。
この2年間、本当にいろいろなことがあった。
敵だった人が仲間になり、
仲間だった人とぶつかり、
何度も泣いて、何度も笑った。
その度に少しずつ、
私たちは、家族とも、恋人とも違う、
不思議な絆を育ててきた。
誰かが転べば、誰かが手を差し伸べ、
誰かが泣けば、誰かが笑わせる。
そんな日常を、いつの間にか、
当たり前だと思っていた。
だから、だろうか。
シャッターが切れた、その一瞬だけ。
胸の奥を、小さな風が吹き抜けた。
写真というものは、幸せを残すために
撮るものなのに。なぜか私は、
幸せが終わる前に撮るものなのではないか、
と考えてしまった。
理由はわからない。
ただ、その日の笑顔が、あまりにも完璧だった。
完璧なものほど、長くは続かない。
そんな予感だけが、私の胸の奥で、
静かに波紋を広げていた"
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「はい、撮るわよ!」
パシャッ。フレームいっぱいに笑顔が咲く。
黒いメイド浴衣のミユリさん。
紫のドレス浴衣のティル。
白いフラワーガール浴衣のスピア。
真紅の浴衣をまとったエアリ。
黒いタキシード浴衣の彼とカレル。
黒の丸首スーツ浴衣のアレク。
エプロン姿のキッチンメイド、マリレ。
新しい舞台のプロモーション写真のようだ。
それぞれ違う色をまといながら、
みんなが同じ未来を信じて笑っている。
この1枚が、その未来を永遠に
閉じ込めてしまうとも知らないままに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コスプレ盆踊り大会。
会場はカルチャーセンターの体育館だ。
色とりどりのバルーンが壁を埋め、
天井からは幾筋ものリボンが揺れている。
浴衣にコスプレ。
和と異世界が混ざり合い、
アキバならではの祭りをつくっている。
スピアのママが目を細める。
「ああ…懐かしいわ。
私も現役メイドだった頃は、
こういう夜になると胸が躍ったものよ」
少し笑って続ける。
「もう1度だけ、あの頃に戻って踊ってみたい」
その言葉を誰も茶化さない。
祭りには、不思議と昔を思い出させる力がある。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
撮影ブース。
プロのカメラマンが照明を調整している。
黒いラメ入りタキシードのアレクが手を差し出す。
真紅のメイド浴衣をまとうエアリ。
その手を取る。
「お手をどうぞ」
「ありがとう」
自然に腕を組み、歩き出す2人。
「客観的に言うけど…
今宵の君は驚くほど綺麗だ」
「お世辞でも嬉しいわ」
「いや。マジだ」
エアリは少し照れたように笑う。
「ありがとう。でも、本当は私と組むの、
気が進まなかったのでしょ?」
「そんな顔をされると…
昔みたいに君に振り回される僕に戻りそうだ」
「それも…悪くないわよ?」
2人は顔を見合わせ、笑う。
「さあ、ヲタ芸の時間よ」
「喜んで!」
MIXと共に、会場がまた一段にぎやかになる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
テーブル席。
ティルが静かに微笑み、カレルに頷く。
そこへムラドが肩を組んでくる。
「いよいよだな」
「何がだよ」
「決まってるだろ。
今夜はティルと一緒なんだろ?」
ティルをちらりと見て、口元をゆるめる。
「頑張れよ。あんな美人と並べるなんて、
マジうらやましいぜ」
「やめろ」
「照れるなって」
ムラドは笑いながら続ける。
「でも気をつけろよ。あんな魅力的な子なら、
ライバルは多いぞ」
カレルの表情が変わる。
「それ以上言うな」
「本気になってルンだな」
「当たり前だ」
「へぇ」
ムラドは肩をすくめる。
「冗談さ。バカ野郎」
「冗談には聞こえなかった」
空気が一瞬だけ張りつめる。
その緊張さえ祭りのざわめきに飲み込まれていく。
誰もが笑い、誰もが未来を疑っていない。
だからこそ、あの夜は、あとから思い返すたびに、
眩しすぎる一夜となったのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
丸いテーブル。
僕とミユリさんは、向かい合って座っている。
「テリィ様」
「何?」
「ヲタ芸、打ちませんか?」
「もちろん」
2人で立ち上がる。
周囲から拍手が起きる。
ところが、突然、曲が変わる。
荒ぶるリズムから、ゆっくりとしたバラードへ。
DJが空気を読んだようにフェーダーを下げる。
僕たちは肩を寄せ、ゆっくりと身体を揺らす。
祭りの喧騒だけが少し遠くなる。
「ねぇ、テリィ様」
「どうしたの?」
「こうしているとね」
ミユリさんは僕を見上げた。
「私、誰かから大切なものを盗んでる気がします」
「盗む?どういう意味?」
「昨日、見てしまったのです」
静かな声だ。
「テリィ様とティル」
僕の呼吸が止まる。
「ペントハウスで抱き合ってました」
「前世の記憶を取り戻そうとしていただけだ」
「ええ。そうなんでしょうね」
否定はしない。
責めもしない。
「でもね…」
少し笑う。
泣きそうな笑顔だ。
「テリィ様はいつも『何もない』って仰る。
でも、1番大事なコトだけは答えてくれない」
僕は黙る。
「別の世界線で、貴方はティルと結ばれていた」
その言葉だけが、音楽の上に静かに落ちる。
「私、この1年間ずっと怖かったの」
目が揺れる。
「いつか貴方が全てを思い出すんじゃないかって。
実は、僕はティルを愛していたんだって。
私に、ごめんって謝る日が来る。
そんな気がして」
僕は何も言えない。
言葉が見つからない。
「だからね」
ミユリさんは踊るのをやめる。
真っ直ぐに僕を見る。
「もう終わりにしたいのです」
「…終わりにする?」
「気づかないふりをするのを」
涙が頬を伝う。
「このまま一緒にいても、私たちは結ばれない」
もう一筋。
「それなら、ちゃんと別れたい。
ずっと苦しかったの」
胸を押さえる。
「息ができないくらい」
僕は唇を噛む。
慰めの言葉も、
引き止める言葉も、
どちらも嘘になる気がする。
長い沈黙。
遠くでは歓声が上がる。
盆踊りはまだ続いている。
「スピアが1人です」
ミユリさんが小さく笑う。
「今宵は、あの子のそばにいてあげたいの」
僕も振り返る。
遠く、輪の外に立つスピアが見える。
「そうだね」
それだけ言うのが精一杯だ。
「行っておいで」
「ありがとうございます」
ミユリさんは小さく頭を下げる。
1歩。また1歩。歩き出す。
途中で1度だけ、僕を振り返る。
その瞳は、
"ホントにコレで良いのですか?"
そう問いかけている。
だが、僕は答えない。答えられない。
だから、アキバの恋は終わる。
"推し"という名の"疑似恋愛"が。
劇的な別れの言葉も、
涙ながらの抱擁もない。
ただ1人が歩き出し、
もう1人が見送るだけだ。
それだけで、この街で育った偽りの恋は、
驚くほど静かに消えて逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
人気のない用具室。
「入って」
カレルはティルを中へ推し込み、
後ろ手にドアを閉める。
カチリ。
鍵の音だけが小さく響く。
余裕で落ち着いているティル。
棚に並ぶボールやマットを眺めながら、
くすりと笑う。
「ずいぶん思い切ったわね」
一方のカレルは落ち着かない。
深呼吸を1つ。そして、ようやく口を開く。
「ティル…き、き、君は、マジ綺麗だ」
「あら。ありがとう」
「でも、その…」
言葉が続かない。
ティルがやさしく助け舟を出す。
「ねぇ無理しなくて良いのよ」
カレルは首を振る。
「いや、ちゃんと伝えたい」
しばらく黙る。
そして、覚悟を決めたように顔を上げる、
「君は、僕にとって特別なんだ」
ティルは、うなずく。
「だけど、それは恋じゃない」
空気が止まる。
「家族なんだ。妹みたいに、大切なんだ。
だから…恋人として君を見るコトは出来ない」
沈黙。
ティルはゆっくり目を閉じ、
小さく息を吐く。
「そう」
少しだけ寂しそうに笑う。
「ほんの少し、期待してた」
その一言だけが、本音だ。
だが、次の瞬間、いつものティルが戻ってくる。
「でも、不思議ね」
笑う。
「その答えなら、ちゃんと受け止められるわ」
1歩近づく。
そっとカレルを抱きしめる。
恋人の抱擁ではない。
長い旅を終えた家族の抱擁だ。
カレルも静かに抱き返す。
2人とも泣かない。
恋は終わったが、
家族が残ったから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
フロアは熱狂している。
ミユリさんとスピアが腕を高く掲げる。
歓声。笑顔。髪を振り乱して踊る。
さっきまでの涙が嘘のようだ。
その輪の外で、僕はただ立ち尽くしている。
祭りだけが前へ進む。
そこへ黒いスーツ姿のマリレが現れる。
スピアの表情が変わる。
「ミユリ姉様…どうしよう」
「何してるの。行って」
「だって、今宵は姉様と踊るって決めたし」
「だからこそ、行くの」
ミユリさんが背中を推す。
マリレが歩み寄る。
「踊らない?」
「ア、ア、アヤタさんと踊ればいいでしょ」
「え。ナゼその名前を知ってるの?」
「見たのよ」
スピアは頬を膨らませる。
「西町会館まで追いかけたんだから」
マリレは思わず吹き出す。
「あの人はダンスのセンセよ」
「ダンスのセンセ?」
「今宵はスピアと踊りたかった。
だから、習ってた」
スピアの目が大きくなる。
「…私のため?」
「YES。スピアと踊れない私が悔しかった」
しばらく沈黙。
やがてスピアは両手で顔を覆う。
「私ったら、秋葉原1のバカ女だわ」
「そこは否定しない」
マリレが笑う。
「まだ落第生だけど」
手を差し出す。
「足を踏んでも許してくれるなら、
1曲、私と踊りませんか?お嬢さん」
スピアはその手を見つめる。
やがて笑顔が爆発する。
「いいわ」
その手を握る。
「何度でも踏ませてあげる!」
2人は人波の中へ消えていく。
さっきまで別れを告げていた夜は、
誰かの始まりを祝う夜へと変わっていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
廊下の片隅。
来客用の応接セットに、1人腰を下ろす。
祭りの喧騒が、壁を隔てて遠く聞こえてくる。
僕は、ぼんやりと胸のコサージュを見ている。
黒いタキシード姿のカレルと、
青いメイド浴衣のティルが並んで歩い来る。
3人の視線が交わる。
ティルは足を止めて、カレルに言う。
「先に戻ってて」
「わかった」
カレルは僕を見て何か言いかけたが、
小さく頷くだけで、会場へと戻っていく。
ティルは静かに隣へ腰を下ろす。
しばらく、口を開かない。
遠くで歓声だけが響いている。
「終わったのね」
ぽつり、とティルは言う。
「ああ」
僕はコサージュを指先でなぞる。
「ミユリ姉様と?」
「うん」
長い沈黙。
「前からわかってたんだ」
「お互いに?」
「YES。このままじゃ、いつか終わるって」
少し笑う。
いや。笑ったつもり、なのか。
「でも、人って不思議だよな。
終わるとわかっていても、
終わらない未来を期待してしまう」
ティルは何も答えない。
ただ僕を真正面から見つめている。
「今度こそ、ホントに終わった」
その一言だけが、夜の空気へ溶けて逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コスプレ盆踊り会場。
終盤を迎え、音楽はさらに熱を帯びる。
アレクとエアリは向き合う。
「約束、破るから」
「約束?」
返事の代わりに、エアリはそっと唇を重ねる。
アレクは驚き、思わず笑う。
「反則じゃないか」
「3回までは良いの」
もう1度。
今度はためらいなく抱き寄せる。
2人の笑顔に、歓声が重なる。
その光景を、ミユリさんは1人、
テーブル席から見つめている。
祝福される恋。
結ばれて逝く2人。
その眩しさが、今の自分には少し痛い。
視線を落とす。もう一度見上げる。
やがて静かに立ち上がる。
この場所にいてはいけない。
そんな気がする。
祭りはまだ終わらない。
けれど、彼女の脳内ではもう、
ひとつの季節が静かに終わっている。
第4章 レーンウォーク
ボウリング場。
レーンの先で鮮やかなストライクが決まる。
振り返ると、そこにはミユリさんが立っている。
メイド服。ショーアップ。
「来たのか」
「ボウリングって、不思議なスポーツよね」
ミユリさんは笑う。
「転びそうになるほど楽しいし」
ションも笑う。
「それがボウリングさ」
「ねぇ」
ミユリさんが手を差し出す。
「レーンウォークしましょ?」
2人はレーンへ降りる。
滑る。よろける。転びそうになって笑う。
ボクサーのように身構えては、
次の瞬間、子どものようにじゃれ合う。
勝ち負けなんて、どうでも良い。
その時、笑い合えることだけを考えて。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
空調機器の並ぶ、雑居ビルの狭い屋上。
ミユリさんはタブレットを開いて、
久しぶりにブログを描き始める。
"人は理性で生きようとする。
正しい答えを探し、
傷つかない道を選び、
誰も傷つかない未来を願う。
それでも、
心だけは理屈どおりには動かない。
思いもよらない人を好きになり、
忘れようと決めた人を忘れられず、
泣くつもりのない夜に涙を流す。
人の心は、
どうしようもなく弱く、
どうしようもなく優しい。
だから人生は、
ときどき思いがけない景色を
私に見せてくれる"
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
レーンの上。
滑って転びそうになるミユリさん。
ションが抱き止める。
笑い声が響く。
あの夜の盆踊りとは違う笑い声。
それは、少しだけ未来へと続く笑い声だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"私は気づいた。
誰かを忘れたから、
前を向けるわけじゃない。
誰かを好きだった記憶ごと抱えて、
それでももう1度笑えるようになる。
それが、生きて逝くというコトなのだ。
私はまた、ブログを描けるようになった。
ずっと止まっていた心が、もう1度
静かに呼吸を始めたから"
ミユリさんは"UPする"を推す。
画面が暗くなる。夜風だけが、
やさしく屋上を吹き抜けて逝く。
おしまい
今回は、海外ドラマによく登場する"プロム"を舞台に、恋を糧に成長していくヒロインたちの物語でした。が、引き続き、ヒロインは主人公は失恋中で超能力を失ったままです。
だんだんペースが戻ってきて、会社生活は多忙なまま週1作のペースが戻ってきました。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、インバウンド熱気が一段落した感のある秋葉原に当てはめて展開してみました。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




