私を婚約破棄したあなたに、いいニュースと悪いニュースがあります
「レルティ・ライト。お前にいいニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?」
夜会にて、私は婚約者である伯爵令息ノーディス・ハーリッヒ様からこう言われた。
ノーディス様は細く鋭い目線で私を見据えながら、ニヤニヤと笑っている。
私は震えながら答えた。
「では……いいニュースを」
ノーディス様はまばゆい笑顔で答える。
「俺は真に愛し合える女性とようやく出会えたんだ。どうだ、素晴らしいニュースだろう?」
両腕を左右に広げ、芝居がかった陶酔するような表情となる。
「それでは……悪いニュースをお願いします」
私が聞くと、ノーディス様は私を指差す。
「それはお前じゃない。よって、婚約破棄させてもらう」
……こうなることは分かっていた。
ノーディス様の心が私にはないことぐらい。
「俺は彼女と生きていくことにした。紹介しよう、男爵令嬢のステラ・ロワットだ」
近くにあったカーテンの裏から、ステラがゆっくりと現れる。まるで女優気取りだ。
一言で言うと、派手な令嬢だった。金髪が背中まで伸び、スパンコールが施されたドレスはシャンデリアの光を反射して煌めいている。
「私を選んでくださって嬉しいわ」
ステラはそのままノーディス様に寄り添う。
「まあ、お前は元気な女ではあった。だが、元気なだけではやはり結婚相手としてはな……俺の相手にはステラのような気品ある美しい女が相応しい」
私は黙って聞いている。
「それに、これはまだ極秘事項ではあるが、我がハーリッヒ家はさる名門の貴族と共同事業を行うことになっていてな。ますます栄えることだろう。そんな時、未来の当主である俺の横にいるには、お前じゃあまりにも器量不足なんだよ」
ノーディス様は慇懃無礼にボウアンドスクレイプをする。
「だから……潔く身を退いてくれ」
ここでもっと気の強い令嬢なら、怒ることもできたかもしれない。
ここでもっと賢い令嬢なら、反論することもできたかもしれない。
ここでもっと誇り高い令嬢なら、こんな婚約こっちから願い下げと颯爽と立ち去ることができたかもしれない。
だけど、私の取り柄は元気だけ。
できることは、せめて元気に別れを告げることぐらい――
「分かりました……お幸せに」
***
数日後、私はとある海岸にいた。
王国は海に面しており、夕焼けを見るのに絶好のスポットがある。
私はセミロングの栗色の髪をなびかせつつ、オレンジ色のドレス姿で、夕日を眺めていた。
(とても綺麗……)
私の取り柄は元気だ。
婚約破棄されたからってくよくよしない。縁がなかったんだから、これで新しい出会いと巡り合えるチャンスができたと思えばいいじゃない。
そう、夕焼けのように。
夕焼けは少し寂しいけど、日が沈むから夜空の星を見られて、朝日の美しさに感動することができる。
そういえば昔この場所で、こんなことを言って、泣いている子を励ましたことがあったっけ。
だから、婚約破棄のことも気にする必要なんてない。
すぐに立ち直って、さあ頑張っていこう。
なのに……なのに。
どうしてだろ……?
こんなにも涙が止まらないのは――
せっかく綺麗なのに、夕日がぼやけて見えない。
いくら指で撫でても、涙はとめどなく溢れてくる。
すると突然――
「どうぞ」
声をかけられた。
振り向くと、そこにはハンカチが。
手渡してくれたのは、一人の青年だった。
透明感のあるプラチナプロンドの髪で、琥珀色の瞳、シャツとスラックスを纏い、すらっとした体型だった。
泣いていた理由を聞かれたらどうしようと、まごまごしていると、青年は言った。
「夕日、綺麗だね」
「ええ、本当に……」
「夕焼けは寂しくもあるけど、日が沈むおかげで夜の星々を眺めることができるし、朝日の美しさを目の当たりにすることができる」
まるで私みたいなことを言う。ちょっと驚いちゃった。
「ええ、そうですね……」
私の涙も止まり、しばらくは二人で沈む夕日をじっと眺めていた。
「……さて、だいぶ暗くなったね」
「このあたりは街灯もないですしね」
そろそろ帰らなければならない。
だけど、心のどこかで名残惜しさを感じていた。
そんな私の心をすかさず掬い取るように、青年はささやく。
「申し遅れたね。僕はアーベントという。君は?」
「私は……レルティと申します」
「レルティ、もしよかったら一緒に食事でもどう? この近くにいいレストランを知っているんだ」
社交シーズンは貴族女性が夜遅くまで出歩くことも珍しくはない。
食事をしても家に心配をかけることはないだろう。
「私でよろしければ……」
アーベント様の誘いに乗ることにした。
婚約破棄で受けた傷の上に、何でもいいから新しい思い出を塗りつけてしまいたい。そんな気持ちも少なからずあったに違いない。
***
レストランの食事は美味しかった。
海が近いだけあって、料理も海にちなんだものが多かった。
ムニエルは淡白ながら香ばしく奥深い味わい。甲殻類のスープはこれでもかというほど濃厚な味だった。この二つが本当によく合い、私は自分でも驚くようなスピードで平らげてしまった。
私は素直に感想を述べる。
「美味しかったです!」
「元気を取り戻してくれてよかった。やっぱり君は元気なところが一番だからね」
「ええ、元気あっての私ですから!」
返事をしつつ、“やっぱり”という言葉がちょっとだけ気になった。
まあ、深い意味はないのだろう。
「元気になったところで、これからもちょくちょく会えないかな? ここ以外にも美味しい店を知ってるしさ」
「いいですよ!」
私とて、仮にも貴族令嬢。本来、私のような立場の人間が、素性も知れない男性と幾度も会うなどもってのほかだ。
だけど、今は……傷の痛みを忘れたかった。痛みを忘れるには、とにかく元気に振る舞って、一人で考え込む瞬間をなくすことが一番だった。
***
それから、私は言葉通り約束通り、ちょくちょくアーベント様と会った。
演劇鑑賞をし――
「いやー、まさか国王暗殺犯がメイドだったとはね」
「私もビックリです! 怪しかった大臣はむしろいい人で……」
食べ歩きをし――
「わっ、このクレープ美味しいっ!」
「……ホントだ。只者じゃないね、あの露店」
一緒に絵を描き――
「アーベント様、お上手ですね~」
「君こそよく描けてるよ。空の太陽の大きさに君の性格が出ている」
湖でボートに乗り――
「もし、このボートに穴があいていて、沈んでしまったら……大変だね」
「そうしたら、二人で泳ぎましょう! いい運動になります!」
「ふふっ、君らしい前向きさだね」
私の心の傷は少しずつ、しかし確実に、回復していった。
アーベント様、ありがとう……。
だけど、なぜこの人はここまでしてくれるのか、この人は何者なのか、その疑問は晴れずにいた。
確認しようと思えばできただろうけど、できないまま時は過ぎていった。
***
ある日の夕刻、私はアーベント様にあの海岸に呼び出された。
大事な話がある、とのこと。
私がフォーマルなドレスを纏って向かうと、そこには礼服姿のアーベント様がいた。
普段とは雰囲気がまるで違う。夕焼けに照らされ、プラチナブロンドの髪と琥珀色の瞳が、神秘的な輝きを生み、まるで別世界から現れた使者のようにも見えてしまった。
「すまない、呼び出してしまって」
「いえ……」
「機は熟した、と考えてね」
「え?」
「改めて、君に自己紹介をしたい。僕はアーベント・ザカート。ザカート公爵家の長男で、近く家督を継ぐ予定だ」
「……!」
私は息を呑んだ。
アーベント様が並々ならぬお方ということはとっくに分かっていた。
……いたけど、公爵家嫡子というのは予想を超えていた。
「君のことも知っている。レルティ・ライト、子爵家の令嬢。少し前、婚約者ノーディス・ハーリッヒから婚約を破棄された」
「は、はい……」
あの婚約破棄の場面が脳裏に浮かんだ。
だけど、それは瞬く間にかき消されることとなる。
「君に婚約を申し込みたい」
「え……」
「もちろん、これは決して君に対する同情とか哀れみとかで言ってるわけじゃない。君と真摯に交際し、一緒にパートナーとして歩みたい人物だと思った。同時にライト家の財政状況も調べた。極めて堅実で、今ザカート家主導で進めているある事業計画のパートナーに相応しい家だと分かった。だからこそ、申し込むんだ」
なんというか、誠意が伝わってくる物言いだった。
いい加減な気持ちで婚約を申し込むのではない。しっかり説明して君にも納得してもらいたい。という心情がヒシヒシと感じられる。
「いかがだろうか?」
私は少し考える。
アーベント様と並んで、これからの人生を歩く自分を想像する。
その顔は――笑顔だった。
うん……きっと大丈夫。
「喜んで」
私が答えると、アーベント様は安堵したような表情を見せた。
嬉しいけど、疑問も残る。
「でも、どうして私に目をかけてくださったんです?」
「君はこの場所で、泣いている子供を励ましたことはないかい?」
「ええ、今でも覚えています。夕焼けを見て泣いている男の子がいて――あっ!」
私ははっきり思い出した。
たまたま家族と海に来ていたあの日、私はこの海岸で同い年ぐらいの男の子と出会った。
男の子は泣いていた。夕焼けが寂しくてたまらないと。
当時は感受性なんて言葉は知らなかったけど、よほど感受性の高い子だったのだろう。
だから私は励ましてあげたんだ。
『元気出して! 夕焼けがあるから夜の星を見られるし、朝日の美しさを楽しめるんだから!』
『ありがとう……』
そうか……あの時の子がアーベント様だったんだ……。
「君の元気さに僕は救われたんだよ。本当にありがとう」
アーベント様がにっこりと笑む。
「だが、過去を蒸し返すようになってしまうが、君は元気でいられなくなる事態になってしまう。先ほども話した婚約破棄だ」
「はい」
「そのニュースを聞いた時、今こそ彼女を励ます時だ、と海岸に向かったんだよ。そうしたら、君がいてくれた。あの時ばかりはなにか神のお導きというか、運命を感じたよ」
そうして、アーベント様はハンカチを手渡してくれたんだ……。
「そういえば、君は婚約者ノーディスから、『いいニュースと悪いニュースがある』などと言われたそうだね?」
私はうなずく。
「そんな君にあえて言いたい。いいニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?」
私は緊張しつつ答える。
「では、いいニュースを……」
「レルティ、君に思いを寄せる男がいる」
私は続けて問う。
「それでは、悪いニュースは?」
「それは……この僕だ」
右手を胸に当てて大真面目に言うアーベント様に、私は思わず笑ってしまった。
「どっちもいいニュースじゃないですか」
「そう? よかった、『本当に悪いニュースですね』なんて言われたら立ち直れないところだったよ」
「今からでも言いましょうか?」
「いや、やめてくれ……。それにしても慣れないことはするもんじゃないな。ぎこちなくなってしまった」
「ふふふっ……」
アーベント様は表情を戻す。
「さてと……だが、僕には婚約前にやり残したことがある」
「なんでしょう?」
「君の元婚約者ノーディスさ。貴族として、いや男として、彼をこのままで済ませるわけにはいかない」
険しい顔つきのアーベント様に、私も同調する。
「私としても、彼をこのままにしておきたくはありません」
夕焼けが、私たちを鼓舞するかのように鮮やかに照った。
***
およそ一週間後、ハーリッヒ家の町屋敷にて、盛大な夜会が開かれた。
主催者は私の元婚約者ノーディス・ハーリッヒとその恋人ステラ・ロワット。
目的はもちろん、婚約発表だ。
アーベント様は招待を受けており、私もその付き添いとして夜会に乗り込んだ。
久しぶりに見るノーディス様は生き生きと賓客らに宣言する。
「このたび、私ノーディス・ハーリッヒと横にいるステラ・ロワットが正式に婚約したことをここにご報告いたします!」
ステラが猫のようにノーディス様に寄り添う。
「ようやくステラ・ハーリッヒになれますのね……嬉しいわぁ」
幸せぶり、熱愛ぶりをアピールしつつ、ノーディス様はさらなる発表を行う。
「そして、実は……我がハーリッヒ家はある一大プロジェクトに携われることとなりました!」
国の一部に商人たちのための商業特区を設け、そこに巨大市場と倉庫を築き、商取引や流通の要にするという一大事業だ。
もし上手くいけば、国の商業は大きく活性化し、一枚噛むこととなるハーリッヒ家も大いに潤うことだろう。
「我々を選んでくださった、ザカート公爵家のアーベント様には本当に感謝しております!」
VIP席に座るアーベント様が会釈をする。
しかし、そのいいニュースもここまで。ここで私が彼らの前に進み出る。
なるべく優雅にカーテシーを披露する。
「お久しぶりです、ノーディス様」
「……!? レルティ、何の用だ!? お前を呼んだ覚えはないぞ!」
「ある方の付き添いで立ち入りを許されまして……それよりご婚約とザカート家との提携、誠におめでとうございます」
「あ、ありがとう」
捨てたはずの元婚約者の登場に、ノーディス様の顔が露骨に引きつる。
すでに不吉な予感を抱いているのかもしれない。
「ところで、そんなノーディス様にいいニュースと悪いニュースがあります。どちらを先に聞きたいですか?」
「お前、何を言って……」
「お答えください」
有無を言わせぬ私の物言いに、ノーディス様もたじろぐ。
「じゃあ……いいニュースを聞かせてくれ」
「分かりました。元気だけが取り柄の私ですが、おかげさまで今も元気です」
「……!」
「あなたがステラ嬢と婚約なさったように、私も新しい殿方と婚約することができました。いずれ正式発表することとなりましょう」
ノーディス様の顔がさらに引きつる。
「そりゃよかった……。で、悪いニュースは?」
私はなるべく冷たく、淡々と告げた。
「お相手は……そこにいるアーベント・ザカート様です」
「え……」
血の気が引くとは、まさにこの時のノーディス様の顔を言うのだろう。
すかさずアーベント様もこちらにやってきた。
「ノーディス・ハーリッヒ。僕からも、君にいいニュースと悪いニュースがある。どちらを先に聞きたい?」
「え……あ……その……」
ノーディス様は答えられない。きっと今、彼の頭の中はグチャグチャだろう。
「じゃあ、いいニュースから。僕はザカート家主導の一大プロジェクトのパートナーに相応しい貴族を見出すことができた」
ノーディス様はただただ震えている。ちょうどあの時の私のように。
「悪いニュースは……残念ながら、それはハーリッヒ家じゃない」
ノーディス様は短く悲鳴を上げた。
「自身の愉悦のために婚約者を裏切り、挙げ句夜会の場で辱めるような男と、国家の行く末を決めるような事業を共にやっていくことはとてもできない。このことはザカート家としても強く抗議させてもらうよ」
ノーディス様の顔面は、恐怖、驚愕、悲嘆、絶望、さまざまな感情が入り混じり、とても言葉では言い表せない様になっていた。
たとえるなら、ノーディス様の顔面を鏡に映し、その鏡を叩き割るとちょうど今みたいな顔になる――とでも言えばよいだろうか。
事実、彼の心は粉々に砕け散っていることだろう。
「それに、僕の婚約者レルティを傷つけたという個人的な怒りも含んでいると、付け加えておく」
ノーディス様は呆然自失となり、その場に崩れ落ちた。
ステラは「しっかりしてよ!」と悲痛な声とともに婚約者を揺さぶる。
「さて、ここにもう用はない。行こうか」
「はい」
私はアーベント様にエスコートされながら、抜け殻のようになった夜会を後にした。
ノーディス様に待ち受ける運命は悲惨の一途だった。
婚約者ステラには当然去られ、公爵家との一大事業を台無しにした息子にご当主は激怒し、ノーディス様を廃嫡。さらには貴族籍を剥奪し一族から追放してしまう。
『レルティ・ライト。お前にいいニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?』
私にこんな言葉を叩きつけた男の人生には、きっともう“悪いニュース”しか待っていないのだろう。
***
私とアーベント様は結婚した。
ザカート家とライト家による一大事業、商業特区プロジェクトも、もちろん苦労はあったけど、順調に進み、今は軌道に乗っている。
大きな拠点ができたことで、国内の商業は一気に活性化し、両家にも多くの富をもたらした。
夜、アーベント様と邸宅のリビングで二人きりになる。
アーベント様がマグカップに入ったホットミルクを用意してくれた。
飲むと、体じゅうがふわりと温まった。
「今日も忙しかったよ」
「お疲れ様」
「しかし、君とこうして二人きりになると、その疲れも癒される。このひと時こそが、僕が一日で最も幸せを感じられる瞬間なのかもしれない」
「ありがとう、アーベント様」
私にもアーベント様に伝えたいことがあった。
ほんの少しイタズラ心がよぎって、こんなことを言ってみる。
「じゃあ私からも……アーベント様にいいニュースと悪いニュースがあるの」
「ん? 久しぶりに聞いたね、そのフレーズ」
「どちらから聞きたい?」
「うーん……。じゃああえて……悪い方から」
私は“悪いニュース”を答える。
「残念だけど、今後はあなたと二人きりで過ごすことは難しくなりそう」
「……! えっ、それって……じゃあ、いい方は……!?」
アーベント様は勘がいいからもう気づいたみたい。顔がほころんでいる。
「うん……」
私は新しい命が宿った自分のお腹を優しくさすった。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




