鉄律
その将の陣営には、耳が痛くなるほどの静寂と、一切の妥協を許さぬ鉄の律がある。布陣の角度から馬の繋ぎ方に至るまで、将の定めた通りに統制されていた。
わずかな緩みすら見逃さぬその将の眼光は、兵にとって底知れぬ恐怖となっている。
「おい。隣の伍の奴ら、今日の演習の後、丸一刻も槍の構えを直させられたらしいぞ」
若い兵が、周囲を気にしながら、磨く手を止めぬままに呟いた。
「まあ、あいつらはいつものことだろ」
同郷の兵が手元の布を動かしたまま答える。
「ほんのわずかの乱れで、だぞ。あの将軍の目は、本当に人間のものとは思えん。どこで見ているか分かったもんじゃない。理不尽に殴られるより、あの顔でやり直しだと言われることの方が胃が痛むわ」
「文句を言うな。規則通りに動いていれば、あの御方は決して理不尽な罰は下されん」
「それはそうだが、息が詰まるんだよ。少しでも足並みが乱れたら、あの冷ややかな目でじっと見据えられる。お前は怖くないのか」
「怖いさ」
同郷の兵は、槍の穂先を指の腹で突いて言った。
「でもな、あの御方の言う通りに動いていれば、戦場でも陣形が崩れん。結果として、俺たちが死なずに済む。あの御方は、俺たちの命を粗末に扱わぬ代わりに、少しの緩みも許さぬのだ」
「分かっている。分かっているがな。……よし、この槍の磨き具合はどうだ。少しでも錆が残っていれば、また夜番の後に居残りで手入れをさせられる。そんなのは御免だぞ」
「悪くないが、布の跡が少し残っている。それも見つかれば小言を言われるぞ。細部まで徹底しろ」
その時、陣の奥から、規則正しい足音が近づく。将自らによる、夕刻の巡察が始まったのであった。
二人はすぐさま会話を止め、背筋を寸分の狂いもなく伸ばし、直立不動の姿勢をとった。
すべてを見通すような将の視線が、自分たちの前を通り過ぎていく。その一瞬、二人は息をひそめ、己の装備に隙がないことを祈るように、正面の空間を凝視していた。
やがて将の足音が完全に遠のき、陣幕の向こうへと消えていく。その間、わずか数息のことであったが、二人の背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
若い兵は、限界まで強張らせていた肩の力を一気に抜き、長いため息を漏らした。同郷の兵も、握りしめていた槍の柄から手を離し、こわばった関節をほぐすように手を握ったり開いたりしている。
「……ふぅ。本当に、生きた心地がせんわ」
若い兵は大きく息を吐き出し、槍を木柵に立てかけ、地面にどさりと腰を下ろした。
「おい、見たか。将軍、俺の槍を見ていただろ。あの瞬間、心臓が止まるかと思ったわ。何か見咎められたかと」
「あの御方は何事も規則通りかを見極めているだけだ」
同郷の兵もまた、ほっと息を漏らしながら若い兵の隣に腰を下ろした。固くなっていた二人の表情が、ようやく平時の顔に戻り、若い兵が話を続ける。
「しかしな。あれだけ隙がないと、敵が攻めてきても負ける気がせんのは確かだが、戦が始まる前に俺たちの身が持たんぞ。毎日、髪の毛一筋の乱れも許されんのだからな」
「贅沢を言うな。軍律が緩く、上官が私腹を肥やすような軍なら、今頃俺たちの飯は半分に減らされている。ここは飯もあるし、不当に殴られることもない。己の務めを完璧にこなせばいいだけだ。これほど割に合う軍は他にないぞ」
「それは、お前みたいに几帳面な奴だから言えるんだ。俺なんか、明日の朝の点呼で、また帯の結び方が緩いって怒られるんじゃないかと、今から気が気じゃない」
「なら、今から確認しておけ。俺が見てやる」
「それもそうだな。……なあ、これで合っているか?」
若い兵は苦笑いしながら、自分の腰帯を引っ張り、同郷の兵の方へと向けた。周囲では、他の兵たちも同じように張り詰めた空気から解き放たれ、ぼそぼそと雑談を交わし始めている。鉄の律の下、兵士たちは互いに手を取り合いながら、日常を必死に生き延びようとしていた。




