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第1話 何も起こらない町

 …ザザーン… …ザザーン…


 …海岸である。辺りに響き渡るのは波の音だけ。


「青い…」


 …とミサキは思った。ビーチサンダルを履いた足元を波が洗う。気持ちが良い。視界に入って来るものと言えば、ただただ海と空の青と、入道雲の白……それが真夏の陽光の中で強烈なコントラストを創り出している。しかし不快な暑さではなかった。常に爽やかな風が吹き抜けていた。


 ここ凪浦町(なぎうらちょう)はのどかな田舎の小さな港町である。主な産業は漁業と、小規模な海産物の加工工場があるぐらい。観光地化はほとんどされておらず、民宿が数件あるのみ。その代わり手付かずの自然が多く残っている。


 ミサキがこの港町に来ようと思ったきっかけは、たまたま立ち寄った書店で何気なく手に取った雑誌の隅の隅にあった小さな広告であった。浜辺の写真と『なぎうら』の文字、その下にこう一文が添えられていた。


『ここは、何もしなくても良い所です』


 …正直、最初は「なんじゃそりゃ?」と思った。人が旅に出る時というのは、大体何らかの目的があって行くものではないのか。だから各地、その土地の()()をアピールするのではないか。それを「何もしなくても良い所」だとは……そんな宣伝文句は聞いた事がなかった。ちょっと新しいかも知れないと思った。


 数日経っても、なぜかその文句が頭から離れなかった。それで自然に……というか気付いたらもう荷物をまとめて凪浦行の電車に乗っていた。


 ミサキにとって凪浦は物理的にそれほど遠い場所ではなかった。各駅停車の電車に乗って、ほんの二時間ほどの港湾都市・潮見市(しおみし)……そこが彼女の生活の場だった。

 ここ数年ほど、彼女は仕事にも人生にも行き詰まりを感じていた。いわゆるスランプというやつだった。何をやってもうまくいかない。やればやるほどおかしくなる。こんな時、世間では良く言われる言葉がある。曰く「逆境こそ、実はチャンス」だの「ピンチを乗り越えてこそ、人は一回り大きく成長できる」だの「天は乗り越えられない試練は与えない」だの……

 …それが嘘だとは言わないが、今にして思えば、そんなもの、たまたま運と当人の努力が上手くマッチして切り抜ける事が出来た生存者バイアスに過ぎないという事が良く解かる。その陰には、必死に足掻いて、足掻いて、その挙句、言葉も残さずに消えていった何十倍、何百倍という人間達がいるのだ。

しかしミサキも当初は、何とかこの窮地を見事に脱して、どん底から「何か」を掴み取って返り咲いてやろうと、奮起していた……が、現実はそう甘くはなかった。まるで足掻けば足掻くほど、世界はどんどん重く、複雑に絡み合った鎖のように、彼女にのしかかって来たのだった……。

 そんな数年が続き、もうすっかり疲れきってしまった。心の底から……。人生にはそういう時期が来るものだと良く聞いてはいたが、いやはや実際に自分の身にも起こるとは……。


 そんな時、あの凪浦の広告に出会った。「何とかしなければ」と焦り、不安、焦燥を抱き続けていたミサキにとって、その「何もしなくても良い」というワードは一種、妙な()()を伴って心に響いた……。

 電車を降り、駅から一歩出ると「ようこそ凪浦へ」という看板があり、その下に少し小さくこうあった。


『ここは、何も起こらない所です』


「まただ……」


 どうやらこの町は万事この調子らしい。思わずクスリと笑ってしまう。町にはホテルなどの気の利いた宿泊施設も無く、数件ある民宿の内の一軒に滞在することにした。

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