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第7話 カルニフェク辺境伯


 屋敷の中は、やはり実用性重視の造りらしい。扉ひとつ、灯りひとつとっても過度な装飾が全くない。内装も白か黒で統一されていて、まるで温かみというものが感じられなかった。

 その中にあって、フィニだけがくっきりと目立った色彩を放っている。


 無言で案内されるのも気まずいので、イリスはちょっとした雑談のつもりで、ここまでの話をかいつまんでフィニに伝えた。彼は本当に何も知らされていなかったらしく、王都でのザグレウスの所業を聞いて、ぽかんと口を開けた。


「ザグ兄、そんなことしたの? 王子様の前で?」

「ええ。私は何が何だか分からないまま死んだし、訳が分からないままあの男の妻になっていたわ」

「やば……こわ……」


 大変素直でよろしい。

 イリスは少々安心した。フィニは話してみれば実に率直で可愛らしい子供だった。この素直さがひとかけらでもあの男にあればと苦い気持ちになる。

 ちなみに、フィニはザグレウスの弟というわけではないらしい。彼からすれば、年上の男女は全て兄姉のようなものなのだろう。


「そういえばフィニ、聞きたいことがあるのだけれど」

「うん?」


 ぴょこぴょこと跳ねるように動きながら歩く少年に、イリスは静かに問いかける。


「縛り、というのは何?」


 彼はきょとんとして足を止めた。


「ええっと、イリス様、冥府刑に処された罪人がどうなるか知ってる?」

「カルニフェク辺境伯の領地に移送されて、そのまま罪を償いきるまで、死後も刑に従事するのよね? 刑の内容はその代の辺境伯に一任されているけれど、王族への報告義務があるわ」

「イリス様、教科書みたいな答え方するね」

「私、お前のそういう素直なところは好きよ」


 イリスは鷹揚に彼の頭を撫でる。フィニはなぜ撫でられたのか分からないという顔で首を傾げ、口を開いた。


「罪人には罪を償う土地が必要だけど、あいつらには知性と悪意があるからね。ただ土地と仕事を与えてもダメなんだ。逃げちゃうし、人を襲っちゃうから」


 さらりと危ないことを言われた気がするが、理解はできる。冥府刑に処された人間は、大抵がえげつない罪を犯しているか、老いてから罪を犯したかのどちらかだ。体は死んだ瞬間の年齢で固定されるため、老人であれば、基本的に過度な拘束は必要ない。

 だが、若くして冥府刑に処された人間はそうはいかないし――大抵、彼らの多くは大罪人だ。悪意なんて標準装備だろうし、暴力は日常言語だろう。


「だから、歴代のカルニフェク辺境伯によって、この土地には代々、特殊な『縛り』がかけられてるんだ。罪人を問答無用でカルニフェク辺境伯の敷地内に閉じこめる、結界みたいなものだよ」


 なるほど、とイリスは思った。暴力に対抗するための強制力、といったところか。


「じゃあ、縛りが解けかけているというのは? 脆いものなの?」

「まさか! もちろん定期的に張り替えるけど、それだって十年に一度とかなんだよ、普通は」


 つまり……今回は普通ではないということだ。

 フィニは寂しげに眉を下げると、屋敷の回廊に備えつけられた窓から、外の暗闇をじっと見つめた。


「ザグ兄は、当主の代替わりをすごく急いで進めたんだよ。なんであんなに急いでたのか分かんないけど……とにかく、本来なら三年かかる修行も一年で終わらせて、代替わりしちゃったんだ。異例の早さだって先代は言ってたな」

「何か理由があるの?」

「さあ……ザグ兄は何にも教えてくれなくて。ただ、早く当主になりたいんだって、そう言うだけでさ。でも、とにかくザグ兄には才能があった。罪人を(くだ)す才能がね。だから、無茶すぎるくらいに早く当主になれたって、先代は言ってた。でもその代わり、代々継承される力が、まだ不安定なままなんだ」


 いまいちよく分からず、イリスは首をひねった。


「つまり、あの男はまだ、カルニフェク辺境伯としての力を十全じゅうぜんに使いこなせていないということ?」

「うん、まあ……そう」


 何故かフィニがしょぼんと肩を落としている。可愛いな……と真顔で思っているイリスの前で、彼は言葉を続けた。


「本当は、縛りはこの土地に紐づいてる力だから、当主の居場所には関係なく発動するはずなんだ。そもそも、冥府刑だって、この土地の底に溜まった霊脈から力を吸い上げて執行されてるものだしね。だから普通、カルニフェク辺境伯は、この土地でのみ、冥府刑を実行できる。でも、今はなんていうか、簡単に言うと、ザグ兄に全ての力が入っちゃってるんだ」

「ザグレウスに?」

「そう。本来はこの土地にいないと使えないはずの全ての力が、今はザグ兄がいればどこでも使えるってこと。でもその代わり……」

「弊害として、ザグレウスがいないと『縛り』が安定しない?」


 フィニが顎を引いて頷く。


「もちろん、縛りはザグ兄がいなくなってすぐに解けるものでもないし、最初は大丈夫だったよ。でも、段々縛りに綻びが出てきて……脱走するやつも出てきて……」


 イリスは無言で話を聞き続けた。彼はやれやれと首を振りながら、肩をすくめる。


「まあ、俺たちだって丸腰でここにいるわけじゃないし、ザグ兄の部下になってる罪人はザグ兄の言うこと聞いてくれるから、そいつらと協力したりして脱走者もなんとか捕まえてたよ。でも、限界があったから」


 フィニはほっと安堵の息を吐く。


「ザグ兄、割と早めに帰ってきてくれて良かった……」


 どうやら縛りとやらは、この屋敷の敷地内において相当に重要なものらしい。

 もしかして、彼が王家の晩餐会やその他の催しに参加しなかったのは、この土地から物理的に離れないようにしていたからなのか……?

 イリスは曲げた人差し指の関節を顎に当てつつ考えたが、結論は出ない。あの男が単純に夜会を嫌っていた可能性も十分にある。


「縛りは、罪人を閉じ込めるものなのよね? 縛りに罪人が触れたらどうなるの?」

「縛りにも強さがあって、一番強いやつだと、触れた箇所が爆散すると思うよ」

「爆散!?」


 イリスは思わず叫んだ。威力が強すぎる。だが、フィニはけろりと答えた。


「死人はもう死なないからね。怪我も、一定の時間が経つと自然と治るよ。治らない人もいるけど、普通は治る」

「そういうものなの……」


 唖然としつつ、イリスはふと疑問に思った。


「そういえば、気になっていたんだけれど、まつろわぬ民や冥府刑に処された罪人は、普通の人間とどう違うの? 痛みは普通に感じるの? 食事は取るべきなのかしら? 排泄は必要なさそうだけど」


 あまりに直接的すぎる問いに、フィニはぎょっとしたように目を見張った。


「イリス様、本当にザグ兄から何も聞いてないんだね。王都からここまではどうしてたの? 食べたり寝たりとかは」

「もちろんしていたわ。死人でも食べ物が食べられるって変な感じね、とは思ったけれど、よく考えると、あれって普通なの?」


 少なくとも、人体にある大抵の機能は失われているはずだ。現に、イリスは死んでから一度も排泄をしたことがない。そういう感覚がさっぱり消滅しているのだ。

 フィニは無垢な瞳でイリスを見上げてくる。


「多分、ある程度予想はついてると思うけど、俺やイリス様みたいな死者は、食事も睡眠も、取らなくてもいいんだよ。取ってもいいけどね」

「え、睡眠も!?」


 イリスは大きく目を見張った。フィニが「そこ?」という顔をしながら頷く。


「食べなくても倒れたりしないし、眠らなくても眠くならないよ」

「全然気づかなかったわ。ザグレウスが食べる時間に食事を一緒に取っていたし、あの人が眠ったら寝ていたから……」


 あれは本来しなくてもいいことだったのか。

 なぜ教えなかったのかというザグレウスへの困惑と、自分が本当に異質な存在になったのだという感心が、イリスに同時に押し寄せた。

 首を傾げているイリスを透明なまなざしで眺めて、フィニが呟く。


「多分、ザグ兄はイリス様のこと、結構気に入ってるんじゃないかな?」

「え?」

「気に入ってたから、ご飯一緒に食べたかったんじゃない? ザグ兄、結婚なんて特に興味ないみたいな生活してたのに、なんか帰ってきたとき、うきうきしてたし」

「うきうき……してたの?」

「してたしてた。あんなにはしゃいでるザグ兄、見たことないよ」

「そんなに……?」


 イリスは思わず訝しんだ。ザグレウスは割と、出会ったときからあれくらい奔放な態度だったと思うが……


「ザグ兄が次期当主候補としてここに来たのは六、七年前くらいだけど、初めて会ったときは結構冷たかったっていうか……切羽詰まってた、みたいな感じだったからさ。お嫁さんもらう話も何度か上がったけど、愛想なさすぎて嫌われることもあったし」

「愛想がない?」


 胡散臭くて、の間違いではなく?

 イリスは首を傾げる。フィニから語られるザグレウスの姿は、今までの彼への印象とはだいぶ異なる。どうやら、自分の知らない一面がまだまだあるらしい。


「まあいいわ。よく考えたらこの私を娶ったのだもの。機嫌が良いのは義務とも言えるでしょう。というか、私を好きに娶っておいて機嫌を悪くするようなら殴っていたところよ」

「イリス様って、お姫様なのに意外と血の気多いよね……」


 今までにない評価だった。イリスは一瞬きょとんとし――なるほど賛辞かと納得した。

 やや胸を張り、片手を鎖骨のあたりに当てて告げる。


「覚えておきなさい、フィニ。私のような傾国王女はね、命を狙われるのが日常茶飯事なのよ。自分を脅かすものには反射で手が出るようになっているの」

「ええ……」


 ええ……とはなんだ。なぜ今ちょっと引かれたのだ。


「なんでもいいけど、あんまり急に殴ったり怒鳴ったりしないでね。怖いし」

「何もされなければしないわよ。私の怒りは自衛手段だもの」

「じゃあ余計にダメだよ。ここ、常識なんて通じないんだから」


 そう言った彼の目が、宵闇の中で静かに光った。


「罪人に言葉なんて通じないし、暴力なんてただの標準言語だから。僕が怖いって言ったのは、イリス様が怒鳴ることじゃなくて、イリス様が怒鳴ったことで、罪人がイリス様を襲うことだよ。逆にイリス様は怖くないの? 自分と同じ死なない罪人が、ここにはうようよいるんだよ」


 イリスはまじまじとフィニを見た。自分を素直に心配する言葉を、兄以外からは何年ぶりに聞いたか分からない。

 真剣にこちらを案じていると分かる瞳を見て、彼女は顎に片手を当てて考える。そして答えた。


「問題ないわ。今の私は傷もすぐに治るし、夜は眠らなくていいのでしょう? つまり、いくら殺されそうになっても死なないということだわ。もう死んでいるのだからね」

「ええ〜?」

「ええ〜とは何よ」

「いや、ちょっと怖いよ、イリス様」

「は?」


 完全に予想外の言葉に仰天する。こんなにも真剣に答えたというのに。


「うーん、まあ、そういう人のほうが長続きするかなあ。とりあえず、イリス様の部屋はここだから。今日はゆっくり休んでね」


 とある扉の前で立ち止まり、フィニは置き土産のようにそう言った。


「あら、ありがとうフィニ。お前はどうするの?」

「寝るよ。僕はまつろわぬ民だけど、寝るの好きだからね」


 なるほど、正しく睡眠を嗜好品として扱っているわけだ。


「この外は罪人収容墓地だし、あんまり休めないかもしれないけど……死人にも休みって必要だからね。横になるくらいはしておいたほうがいいと思うな」

「ありがとう。私、意外と図太いから平気よ」

「うん、なんかそんな気はしてる」


 砕けた表情で笑って、フィニはひらひらと手を振った。


「じゃあおやすみ、イリス様。屋敷の中と外のことはまたあとで、ザグ兄から聞いてね」

「ええ、ありがとう。おやすみなさい」


 彼と別れて部屋に入る。王城にあったイリスの自室よりも一回りほど小さい部屋だ。屋敷の内装にふさわしく、シンプルな飾りや模様でまとめられている。イリスはあまり華美なものを好まないため、割とこの部屋は好きだなと思った。


「さて」


 一人になった部屋の中で、イリスは冷静に呟く。

 すたすたと窓へ近づき、実に自然な動きで窓を開ける。運のいいことに、案内された部屋は一階だった。


「眠らなくていい体……つまり、昼夜問わず働けるということよね」


 宵闇の中できらりと瞳が光る。


「お兄様はここで罪を償えと仰った……カルニフェク辺境伯の妻としての仕事は、この土地の安寧を守ること……ひいては、罪人の管理をつつがなく進めること」


 そのためにはまず、ここがどんな場所なのか、自らの肌で知っておかなくてはならない。

 それにしても、死なない上に睡眠を必要としない体。完璧だ。これほどまでに仕事に適した環境はない。


 高揚感に包まれながら、イリスは躊躇なく窓枠を乗り越え、庭先へと降り立つ。


「罪人収容墓地とやらはどこにあるのかしら……」


 呟き、彼女は夜の屋敷を散策し始めた。


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