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第4話 異母兄妹

 そうはいっても実のところ、イリスが自分の死ぬ日を知ったのは、そのわずか十日前のことだった。


「イリス、すまない」


 自らの執務室で、アストラス・ヴィア・ディルクルムは深々と頭を下げていた。きちんと椅子に座っているとはいえ、一国の王子が頭を下げているという事実に、少女は目眩めまいを覚えて声を張る。


「お兄様……おやめになってと前にも申し上げたでしょう……! 何故、私のせいで迷惑がかかっているお兄様が、私に謝っているのですか」


 イリス・ヴィエーラ・ディルクルム。民からの税で賄われている王家の金を湯水の如く使いこみ、平民も貴族も、気に入らない者は徹底的にいじめ抜き、切り捨て、時には家族もろとも社交界から追放する、通称「傾国王女」は、呆れた様子でアストラスの顔を上げさせた。

 平民からも貴族からも等しく厄介者扱いされる彼女は、だが噂のような振る舞いは全く見せず、毅然とその場に立っている。


「こちらこそ謝罪しなくてはなりません。またお母様が何か仕出かしたのですね? 侍女……は誰も辞めさせられてはいないはずですが……傷がないかも毎日確認しておりますし……今の私には婚約者はおりませんし、候補になりそうな令息の家には、個人的に密偵を忍ばせています。誰かが害されたという報告はありません。私の名目で、新しいくに由来の布や宝石でも買い込みましたか? 商人へのルートは全て押さえているはずですし、買い物の際には私も付き合わせてほしいと頼んでいるはずなのですが……」

「お前を守ることができなくなった」

「はい?」


 兄たるアストラスは額を押さえながら、低く告げた。


「正妃であるアグリシェーラ妃の……つまりお前の母が私に差し向けた暗殺者が、三日前、何も知らない近衛兵に捕らえられた。間の悪いことに、下手人は暗殺の手練れではなかった上に、お前に王位を与えんとする派閥の者だったらしい」

「……つまり?」

「近衛兵に問い詰められ、お前の名前を出した。全てはお前を王位に据えるためだと」


 イリスの思考が停止し、一拍置いて彼の言葉の意味を理解する。背に冷水を浴びせられたような心地になった。

 何度かはくはくと口を開閉させ、絞り出すように告げる。


「……申し訳ありません。母の頭の緩さを見誤っておりました」

「良い。それは私も同じだ」


 すさまじく失礼な発言だったが、二人にとってはそれ以上に深刻な事態だった。


「お前の母親は本当に、なんというか、どこまで行っても学ばないのだな」

「未だに、自分のやっていることは全て娘のためになると考えているような人ですから」


 イリスは目を閉じ、自らの母親がこれまでにしてきた所業を振り返る。

 目新しい宝石やドレスがあればやれ「娘が欲しがる」という名目で買い込み、イリス自身は一度も頼んでいないのに、娘の婚約者探しだと言って毎週のように舞踏会を開く。そこで大人しくしていると思いきや、気に入らない令息を見つければ次の日にはその家ごと王都外へと左遷し、理由に「娘が気に入らないと言ったから」などと触れ回るような人だ。


 彼女の悪行はそれだけに留まらない。自分で見繕ったはずのイリスの侍女を「娘に相応しくない」などと言ってはいじめられるように仕向け、それでは飽き足らず、自分の苛立ちを慰めるための玩具にすらする。昨日まで笑ってお茶を淹れてくれた侍女が、次の日には顔に大火傷を負っていることも少なくなかった。

 加えて、イリスが庇えば母親の苛立ちは全て侍女たちへ向く。イリスはそのうち、大怪我を負わされた侍女を見つけたらすぐさま解雇するようになった。退職金の名目で多くの金を渡し、慰謝料として詫びを示すしかなかったのだ。


 そんなことを続けていたら、いつの間にか人々の恐れはイリスに向くようになっていた。


 イリスの母たるアグリシェーラはある意味恐ろしい人で、これら全ての行為を娘への「愛」だと信じきっていた。

 生まれながらの美貌も相まって、誰も、彼女が暴走していることに気づかない。彼女は気弱で儚く、春の化身のように心根が優しく、ただ王女の幸せを一身に願っている――王女はそんな王妃に甘やかされ、あるいは王妃の愛をかさにきて、傍若無人に育ってしまったのだと誰もが囁くようになった。とんだ風評被害である。


 まあ、風評被害で済めばそれで良かったのだが……


「おおかた、その暗殺未遂実行犯は、母にたぶらかかされた騎士か侍従か、その辺りでしょう。いつかやらかすのではと思ってはいましたが、まさか一足飛ばしに暗殺とは……まさか本当に、私を女王に押し上げられるとでも……?」


 馬鹿馬鹿しいと一蹴できないのが辛いところだ。勝算があろうとなかろうと、勢いで動く危うさがアグリシェーラにはある。

 アストラスも眉間に谷のような皺を寄せ、イリスに尋ねる。


「……正妃は最近何か、普段と異なる素振りがなかったか? 妙に機嫌が良いだとか、はしゃいでいるだとか……」


 イリスはわずかに思考を回したが、苦い顔で首を横に振る。


「いえ――母はいつもおかしいですから」

「まあ、それもそうだ」


 すさまじく無礼ではあるが、事実である。アグリシェーラが「壊れている」ことは、二人にとって朝日が昇るより当然のことだった。


「お母様のことです。気まぐれか、何も考えていない可能性も十分にあるかと」

「そうだな……だが、行き当たりばったりにしては周到だ。私の寝室がある棟までの侵入は果たせていたからな」


 難しい顔をするアストラスに、イリスも不可解さを隠さず眉をひそめた。


 アストラスの寝室がある棟は、特に厳重な警備体制が敷かれている。交代制の見張りが等間隔で配置され、部屋の前には不寝番も常駐しており、容易に潜り込める場所ではない。

 まさか、親衛隊に裏切り者が……?

 ないとは言いきれなかった。アグリシェーラの美貌と人望は異常だ。国の中枢にいる者でさえ、下手をするとアグリシェーラをまつりごとに参加させるべきと言いかねない有様だった。


 しかも彼女本人には人を支配している自覚がない。自分は娘のために奮闘しており、悩む自分に優しい人々が手を伸ばしてくれただけだと思い込んでいる。笑ってしまうような頭の緩さだ。

 数拍の沈黙が場を支配した後で、口を開いたのはアストラスだった。


「ともかく、お前も知らないのであれば、正妃には今まで通り目を光らせておこう。だが……暗殺未遂にまで至ってしまった以上、お前を庇いきれなくなった」

「……お兄様」

「王位継承権第一位の暗殺未遂ともなれば――しかもそれがお前の王位継承を企む派閥の者の仕業となれば、お前への刑は免れない。お前が何もしていなくとも……」


 背筋に冷たいものが走る。次期国王の暗殺未遂。その罰がどれほどのものか、王族たるイリスに分からないはずもなかった。

 だが、すぐに彼女の心は凪いでいく。ひとつ息を吸って、頷いた。


「分かっています、お兄様。流刑でも、離宮への追放でも、王位継承権剥奪の上での平民落ちでも……処刑でも。私は、お兄様の判断に従います。お父様が病に伏せっている今、こんなくだらないことで国を割るわけにはいきません。疲弊するのはこの国の民たちですから」


 イリスは顎を引き、手を腹の上に添えて毅然きぜんと告げた。


「民たちを要らぬ争いに巻きこむくらいならば大人しく死にます。母の暴走を止められなかったときから、とうにその覚悟はできていました」


 自分の嫁ぎ先が決まればよかったのだが、婚約者はことごとく母がいじめ抜いてしまうので長続きしなかった。今となっては何を言っても遅い。

 アストラスは一瞬沈黙し、イリスの瞳をじっと見つめた。そこになんの揺らぎもないことを認めると、ひとつ首肯する。


「……そうか。では、イリス。お前の処遇だが」

「……はい」

「私は、お前を冥府刑に処そうと思っている」

「……はい?」


 イリスは思わず素っ頓狂な声を出した。


「冥府刑って……あの、冥府刑ですか? 死罪ではなく? ええと、あれって、大量殺人とか戦争犯罪とか、そういう罪人のためのものでは……」

「次期王位継承者の暗殺未遂だぞ。妥当だろう」


 妥当……か?


 イリスは首を傾げた。私情では? と素直に訝る。

 イリスは兄であるアストラスに溺愛されている自覚がある。周りがどのように自分たちを見ているかなど知らないが、少なくとも彼が自分を愛していることは、イリス自身が一番よく知っていた。


「『執行人』であるカルニフェク辺境伯との話はついている。最短で十日後に王都へ着くそうだ。その日に、冥府刑を実行したい。正妃に関しては離宮への追放刑にする。お前が最も重い罪を背負ったことで、相対的に他の者の罪が軽くなった……という寸法で行こうというわけだ」

「寸法って言っちゃってますよお兄様」

「カルニフェク辺境伯の領地で罪を償え。イリス・ヴィエーラ・ディルクルム」


 彼の声に背筋が伸びる。


「お前の住む場所についても、既に辺境伯に任せてある。この先の生をずっと、東の領地で罪の償いにあてろ、イリス。王城には二度と戻ってくるな。……少なくともこの先、私の治世が続く限りは」


 イリスは思わず呆けて彼を見上げた。彼の言葉の意味が分からないほど、愚かではない。

 自分とは似ても似つかぬ蒼の瞳が、こちらを見下ろしている。この瞳を歪ませているのが自分なのだと思うと、心臓を掴まれたかのごとく、胸が痛んだ。

 愛されていると分かるから、痛い。


「……なんなら、お前の冥府刑の執行では仮死毒を使ってもいい」

「お兄様?」


 彼は苦みの混ざった顔で笑った。瞳の奥が仄暗い。


「どうせ、冥府刑に処されたかどうかは私とお前、それからカルニフェク辺境伯しか真実を知りえない。お前が本当に死んだかどうかくらいは、誤魔化しがきく」

「……お兄様」

「今代のカルニフェク辺境伯は、魂の扱い手としては先祖から数えても一、二を争う腕前だ。本人もまあ、悪くない男だ。お前を手荒に扱うことはしないだろう。仮死となったお前なら、領地に戻ってから魂を体に戻すことも可能だろうし……」

「お兄様……お兄様」

「仮死ならば、毒による苦しみも少ないはずだ。本来ならば仮死毒のほうが体の負担は大きいが、カルニフェク辺境伯なら……」

「お兄様、いけません」


 イリスははっきりと告げた。アストラスの言葉が止まる。


「なりません。私は罪人です。お兄様がそうあれと定めたのなら、少なくとも刑には殉じなければなりません。私は一度、決定的に、死ぬ必要があります。でなければ、お兄様の派閥の方々も納得しないでしょう。お兄様にいらぬ危害が及びます」

「イリス――」

「お兄様が最も考えるべきはこの国の民のことです。私ではありません。私たち王族は、民のために人生を捧げる覚悟で生きております。そうでしょう?」


 イリスは笑って同意を求めた。アストラスが王族として召し上げられたのは十三の頃で、その頃にはもう、イリスは八つを超えていた。王族として過ごしてきた期間は、イリスのほうが長い。


「私たちはディルクルムの民のためにあります。余計な火種は消しておかなければなりません。私たちが判断を誤ったとき、その代償を払わされるのは……」

「この国の民たちだ。分かっている」


 存外はっきりした声音で、彼は言った。伏せられた瞳の奥で、炎が揺れている。握りしめられた拳が震えている。


「分かっている……」


 イリスはかすかに目を見張って、ふわりと微笑んだ。顎を引き、背筋を伸ばし、かかとを揃える。頭からつま先まで、天から吊られているように立つ。絹のドレスのすそを優雅につまんで、頭を下げた。

 執務室に来るときは、いっとう良いドレスを着てくるようにしていて良かったと思う。彼の目に映る自分は、きっと誰より美しいだろう。


「今までありがとうございました、アストラスお兄様」

「……イリス」


 縋るような視線に微笑みかける。


「どうか、息災でいらっしゃいますよう」


 息を飲む音がして、数拍の沈黙が落ちる。だがややあって、彼は吐息だけで笑った。


「……お前もな」




ここまで読んでいただきありがとうございます!今日はもう少し更新続きます。

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