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第3話 冥婚の証


 イリスが次に目を覚ましたとき、彼女がいたのは馬車の中だった。振動と共に、横向きになった視界が揺れていることに気づく。頭が何か、硬いものの上に乗っていた。


「何……ここは……」

「ああ、気づいたか? 姫いさん」


 耳元で声が聞こえ、反射的に飛び起きる。瞬間、頭にがつんと衝撃が走った。


「ってぇ!」


 悲鳴が聞こえて初めて、先ほどの衝撃が衝突音だと気づく。


「いきなり頭突きはねえんじゃねえのか、姫いさん……」


 顎を押さえて悶絶している男を、イリスは混乱しながら凝視した。光すら吸い込まれてしまいそうな漆黒の髪に、血のように赤い瞳。この国に死神の象徴として伝わる色をまとった男。


「お前……ザグレウス?」

「……っああ、そうだよ。起きるなり頭突きとは、中々好戦的だな、姫いさん。俺の膝はお気に召さなかったか?」


 言われて、どうやら自分は膝枕をされていたらしいと気づく。咄嗟に眉をひそめた。何がどうとは言えないが……何か嫌である。

 呻くザグレウスを半ば無視して、イリスは辺りを見回した。やはり馬車の中のようだ。四人ほど乗っても十分な空間の中で、イリスとザグレウスは隣り合って座っている。

 自分たちが座る場所にはベルベットの布が張られ、小窓から覗く景色には穏やかな田畑が広がっていた。既に日も落ちかけている。


 処刑のために集められたのは太陽が最も高く昇るころだった。あれから随分と時間が経っているらしい。おそらく、既に王都を出た後なのだろう。


「もしかして、もう東方国境に向かっているの?」

「ん、ああ、よく分かったな」


 イリスは肩を竦めた。


「私が行くべきところはそこ以外にないもの……それよりも、ザグレウス」

「うん?」

「そういえばお前、毒は?」


 ずいと身を寄せ、彼の頬に手を当てる。怯んだのか、いささか身を引いた彼を真っ向から見つめ、少女は問いかけた。


「お前、私が飲んだのと同じ毒を口に含んだでしょう。あれは致死量だったはず……体はどうなっているの? 解毒はされているの?」

「姫いさん、気になるところはまずそこなのか?」

「もちろん他にも聞くべきことは山ほどあるわよ。けれど何よりもまず、お前は私の国の民でしょう」


 ザグレウスの瞳がやや見開かれる。


「お前の命を守る義務が私にはあるわ。全ての話はお前の安全が保証されてからよ。早く答えなさい。毒は抜けているの?」


 じっと瞳の奥を覗き込む。男は観念したように手を上げ、唇の端を吊り上げた。


「あの程度の毒なら、特に問題はねえよ」

「お前、毒馴らしをしているの?」


 今どき、兄であるアストラスですらそこまで大掛かりな毒馴らしはしたことがない。毒の効果は個人差が大きく出る。馴らす過程で死ぬ子供も少なくないのだ。


「まあ、俺はカルニフェク辺境伯だからな」

「それ、関係あるの?」

「大いに」


 即答だった。眉をひそめたイリスの前で、彼はなんでもないことのように告げる。


「カルニフェク辺境伯の名を継いだ日から、俺の命は、罪人を管理するための存在として生かされている。普通の人間なら死ぬような怪我だろうと、数日もすれば傷は塞がるし、大抵の毒は体内で消化される」


 イリスは瞠目し、彼の姿を上から下まで眺めた。にわかには信じられない。

 しかし、ザグレウスは血色もよく、呼吸もしている。そのまま手首を取って指を当てると、脈動がゆっくりと伝わってきた。


「生きてはいるわね。いいわ、信じましょう」

「姫いさん……あんた、自分がどんな状態か分かってんのか? 俺の脈測ってどうすんだよ」

「え?」


 首を傾げて、イリスは自身の体を見下ろす。いつの間にか鎖と首輪は解かれていたが、ドレスはそのままだった。これから死にに行くような、喪服のごとき漆黒である。

 しかしその瞬間、イリスはびたりと動きを止める。


「……は?」


 ドレスの袖からのぞく白い手が、かすかな燐光りんこうを放っていた。銀とも、淡い青とも取れる光が肌を覆っている。慌てて窓に手をかざすと、至極うっすらと、目を凝らさなければ分からない程度に、手が透けていた。


「……」

「姫いさん?」

「……驚いた。私、本当に死んだのね」


 感心しつつ呟く。ザグレウスは一瞬、虚を衝かれた様子で黙り込むと、くつくつと喉奥を鳴らして笑った。


「あんたほど胆の据わった罪人は久しぶりだな。大抵は正気を失うか、暴れ出すか、げらげら笑うもんだが」

「笑う? 何故?」

「防衛本能みたいなもんだ。頭が自分に起こったことの理解を拒んでる」


 そういうものかとイリスは頷いた。

 冥府刑は死刑と同じく、処罰のその日まで刑を知らされないことが多い。いきなり殺され、魂のみの姿で刑に従事しろと言われて、混乱しない人間はほぼいないだろう。


「なら、私は運が良かったのね」


 馬車に座り直して、窓の外をちらりと眺める。王都を出てずいぶん経つのだろう。田畑は視界の端まで続いていた。おそらく、国の郊外の景色だ。

 やはり、向かっているのだ。東の領地の端の端、東方国境レ・ヴァリテに。


「私は、今日死ぬことを知っていたもの」


 暮れ始めた日の光が頬に落ち、顔に影を落とす。やや伏せられた瞳が、ぞっとするほど美しく光った。

 常人なら気圧されて言葉も出ないような姿を前に、ザグレウスは薄く笑う。


「役者だな、イリス・ヴィエーラ・ディルクルム」

「え?」

「民の血税で豪遊ごうゆうし、毎週のように舞踏会三昧、気に入らない侍女は痕の残る傷がつくほどいじめぬき、婚約者たちは奴隷のように扱う……国中の嫌われ者、人呼んで『傾国王女』」

「その呼び名、まだ流行っているの? 飽きないわね」

「あんた、実はなんにもしてないんだろう? 豪遊も、舞踏会での夜遊びも、いじめも、奴隷扱いも」


 唐突に告げられ、イリスは目を見張った。するりと頬を撫でられる。その目はまるで臆することなく少女を見ていた。

 数拍、彼を見つめ返し、ゆるりと息を吐く。


「半分正しくて、半分間違いね」

「うん?」

「やったのは私じゃないわ。自分から国の金を使いこみたいとも、誰かを奴隷のように扱いたいとも思ったこともない。あるわけないでしょう……でも、それらの罪は本当にあったことだし、それが起こってしまったのは私のせいよ」


 イリスは目を閉じ、深く嘆息する。


「お母様の暴走を止められなかった、私の責任なの。だからお兄様は私を殺すしかなかったのよ。流石に、正当な血筋の第一王子であるお兄様を差し置いて、王女である私に、王位継承の派閥ができてしまってはね――」



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