バレッタの取引
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「……っは!?」
目が覚めて体を起こすと、真っ白な景色が目に入る。
「これ……誰かに話しかけられたときの……もう、何なの? 夢なら早く覚めてよ!」
必死に叫んでも、叫んでも、静寂が続く。深山真央は、ただしどろもどろになって叫ぶことしかできなかった。
ふいに、空気が凍てつき、見渡す限りの白が淡い薔薇色に染まり始めた。気がつけば冷や汗が噴き出していく。足音ひとつない空間に、カツン、という氷を割るようなヒールの音が鳴り響いた。
「……誰? ねえ、誰なの?」
恐る恐る、尋ねる。これから会う人物が、自分を地に落とすような、そんな感覚がする。
現れたのは、雪のように真っ白な肌、対照的に、艷やかな濡れた黒髪を持つ、異質な美貌を持った女だった。彼女は丁寧な刺繍が施された真紅のドレスを着ており、挙動一つで、空間が揺らぐような感覚がする。
「やっと目が覚めたのね」
その声は、鋭く、私の耳を突き刺した。
「まともに会話をするのは始めてね、わたくしの名前はバレッタ・アリーシャ・イーエラ。イーエラ公爵家の長女で、わたくしがあなたをここに転移させたわ」
彼女は淡々と私に話した。
「……え?」
この人の言っていることが理解できない。どういうこと?転移って、私をここに?というかどうして?
「なんで? え? ……転移って何? 何で私を…?」
頭がこの状況を受け入れられない。夢だとしても現実味がありすぎて、彼女が幻だとは思えない。
「……混乱しているようね。一つずつあなたの質問に答えるわね。まず、わたくしがあなたを転移させた理由は、わたくしの目的を果たしてもらうためよ」
「目的……?」
「そう、目的についてはあとで詳しく説明するわ。そして、どうやって転移させたかについて。これはわたくしの力を使って実現させたの。力については、あなたが悪用するかもしれないから詳しくは言えない。最後に、何であなただったか、これについては、ただの偶然としか言いようがないわね。これでわかった?」
淡々と無表情で全てを言う彼女に恐怖を感じた。そして、同時に怒りが込み上げてくる。
「……なんなの!? 勝手に転移させて……! 自分勝手にも程があるでしょ……」
声が震える。彼女に反論する恐怖からか、混乱した思いからなのか、怒りなのからかはわからない。ただ、どうしようもない思いがこみ上げてくる。
「……わたくしはあなたの魂を体に転移させたことで、あなたの記憶、今感じている感情がすべてわかるの」
彼女はふっと薄ら笑いを浮かべた。
「わかってる?どっちが今有利なのか。あなたを消すことも、生かすこともできるわたくしなのか、何もできず、ただ泣きわめくことしかできないあなたなのか」
「………………」
何も言い返せない。その結果はわかりきっているからだ。バレッタに違いない。
「それに、随分と苦労してきたようねえ。家族からも、他の環境にも馴染めず拒絶されて、すっと独りだったのでしょう?あなた、いつか死んでたわよ。いや、あなたを転移させる直前に死んでたかしら?」
彼女は微笑んだ。その笑顔が、どうようもなく冷酷に見える。彼女の言っていることははったりではない。あの時、本当に死のうとしていたのは間違いではないのだ。核心を突かれた私は、ただ黙って聞くことしかできなかった。呆然と座っている私に彼女は、白い手を差し伸べる。
「……そのまま死ぬはずだった、何も残せなかったかもしれない命を、わたくしのために使ってちょうだい、これはあなたにしかできないことなの。今まで何も残せなかったあなたが始めてできることかもしれないのよ。わたくしの役に立って、それを証明して。家族にも見返してやりなさい。"あなたでもできる"と。そして、それができた暁にはあなたを元の世界に戻す方法を教えると約束するわ」
彼女は、真剣な面持ちをして私をまっすぐ見つめ語りかけた。
私は彼女のことを全く知らない。でも、もし、この命が誰かのためになるなら、もとの世界に帰れるならーーそう考えれば、私はその手を、取ることしか出来なかった。
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「……落ち着いてきたところで、わたくしの目的を言うわね」
彼女は淡々とした様子で私に話しかける。先ほどの真剣な表情は、どこかに消えてしまった。
「わたくしの目的はーーある人物に復讐すること。そして、その婚約を破談にさせることよ」
「復讐……?」
無表情で不穏な言葉を言うバレッタに若干戸惑う。
「そうよ。わたくしはエラルド、と言ってもわからないわね……わたくしは、自国の王子と婚約をしていたの。でも、冤罪をかけられて、婚約を破棄された」
「……じゃあ、あなたは王子に復讐を?」
「バレッタで構わないわ。あと、それは違う。わたくしは王子に復讐をしようと考えていない、わたくしが復讐をしたい相手は、わたくしを暗殺した奴よ。そして、その人物はわかっている。王子の新しい婚約者、フィリス」
……この展開はよく漫画で見たことがある。新しい婚約者が王子をたぶらかし、悪役令嬢を地獄に追いやるヒロイン役。おそらく、そのフィリスという人物がヒロイン役なのだろう。だとしても、どうしてバレッタは王子に復讐を考えないだろうか。普通は冤罪をかけられた相手を恨むのではないか。そんなことを考えているのを横目に、バレッタは口を開いた。
「王子の新しい婚約者は未来を見通す力を持ち、世界宗教のうちの一つ、シンセア教の聖女という立場にいる。……わたくしは、それが国の繁栄となるなら、その女が婚約者になっても構わないと思っていたの。……だけど、何度か会ううちにわかったわ。その女はこの国のことを何とも思っていないと。何か別の目的を持って、国、宗教を利用しようとしていると。わたくしは、そんな女に国を任せるわけには行かないの」
バレッタは拳を握り、決意を胸に呟く。
(ああ……この人はこんなにも……この国を愛しているのだろうか)
私は、バレッタの愛国心から出る言葉に感心せざるを得なかった。彼女の一挙一動は、美しいと思ってしまう。そんな中、ふと頭に疑問がよぎった。
「でも、どうして?バレッタ自身の力で婚約破棄をさせようとしなかったの?なんで誰かを転移させるってーー不確かな手段を選んだの?」
こんなにも愛国心がある彼女が自分で行動しないのは不自然だ。私はバレッタの瞳を見つめ、尋ねる。バレッタは、想定外の質問だったのか一瞬動きを止め、目を伏せて答えた。
「……もう、手遅れだったの。わたくしが暗殺されたのは婚約破棄をされた日のうちの夜で、何かをする時間もなかった。だから、この手段しかなかった。魂だけの存在になったわたくしは、体を使うことはできず、外の存在に託すことしかできない」
その言葉には、わずかに滲む悔しさと、なにもできない無念が宿っていた。それでも彼女は毅然と立っていた。
「…………でも、私なんかに…………」
思わず、口に出していた。
「家族に愛想を尽かされて、ずっと頑張ってきても何もできなかった私なんかが……………………私なんか、」
ずっと思っていた言葉を口走る。
「……深山真央。あなたにはもう戻る道はない。これを受け入れるしかないの」
私の言葉を遮ってバレッタは私に語りかけた。
「…………」
どうしてこの人はこんなにも私を認めてくれるのだろう。正直、彼女のことを信用しきれてない部分もある。彼女は私を利用して悪いことをするのではないか、とつい考えてしまう。でも、私と対照的な彼女に、つい惹かれてしまう気持ちもある。
「あなたはこの世界にはない知恵と発想を使って行動することができる。これは、あの女を凌駕することができる可能性よ。わたくしは、何もできないあなたが、切り札なの」
「……………………でも、……そうね」
彼女の言う通り、うじうじ言ってられない。バレッタの言うことが偽だとしても、彼女の言葉に従うしかないのだ。私は覚悟を決め、バレッタを見つめた。
「……よろしくね、深山真央」
バレッタは少し微笑み、私のあとを去っていく。そのとき、視界が霞み、白に溶け込んでいく。最後に見たバレッタの後ろ姿は、どことなく哀しそうに見えた。
バレッタと深山真央が対面するシーンですね。これで大体の状況はわかったのではないでしょうか。次回は、真央がバレッタの家で目覚めるシーンです。ぜひご覧に。
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