第八話:トラベラー
地上に戻った途端、ルルが抱き着いて来たので思わず尻餅を付き、紐で縛って背中に背負っていたドロップ品が地面とぶつかり派手な音を立てる。
「もうっ!遅いんだから。心配したじゃ無いの。」
初めて真近で見たルルの瞳は炭酸の中で弾けた光を混ぜたような空色をしていて、一瞬目を奪われた。
目じりに涙を浮かべたルルの後方から逃走していた剣士が歩み寄り深々と礼をする。
「デニー君と伺った。私はパーティー『土壁』のリーダーをしているボルス。君のお陰でメンバーが死なずに済んだ。感謝する。そして共に巻き込んでしまった事を心からお詫びする。保障についてはギルドへ行ってから正式に会話させて欲しい。」
そう言えばダンジョン内で逃げる時に他所のパーティーにモンスターを押し付ける事は、故意であろうが無かろうがギルドからペナルティーがあるのだった。恐らく少なくないクレジットをパーティーから俺に支払う形で収まるのだろうが…
ギルドではやはりその様な話になったのでルルと半分に分ける事にした。
だが更に去り際の剣士に廊下で追いつくと、彼とひそひそ話をする。
「あの、俺に貰った分のクレジットはお返します。」
「えっ?どうして。」
「その代わりお願いがあるんです。ごにょごにょ。」
「そうか…分かった。必ず伝える。」
ルルに「戦利品の持って帰ってダントンさんに見せてあげてから、後で売ろう」と提案すると彼女も乗り気で「パパ、ビックリするわね。私達の事上級だってきっと認めてくれるわ」と大はしゃぎした。
帰りに道具屋でダントンさんの晩酌用の酒を買ってから帰ると嘘を付き、再びモニュメントの前に戻ってきた俺は、愛刀をひと撫でした後に心に決めていたワードを呟く。
「理」
俺の姿はこの街から掻き消えた。
ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ
空が青い。
体中がカッと湧き、急いで辺りを見渡すが何度見ても見覚えの無い何とも長閑な田舎村の広場に座っていた。
急にがっかりして下を見る。辺り一面短い雑草が生い茂っている。
振り向くと表面が白っぽく苔むした灰色の細長く歪なモニュメントがあり、そこにも文字が刻まれている。
『人を人たらしめるものの名を唱えよ。さすれば扉は開かん。』
「愛、だろう?違うのか、知性?分別、理性、えーとやっぱ愛じゃないのか?」
直ぐにでも次の街に行きたかった。次々と移動すればその内クリオの居る街に戻れるのでは無いかと一縷の望みに縋りたかった。
クリオに会えればそこから二人でルルの住む街へ移動し、皆で幸せに暮らせばいい。
「そうだ、幸福!違うか、じゃあ絶望、これもダメ、あああああ」
一人騒いでいると近くを歩いていた作業着の老人が近寄って来た。
「どうしたんだい、何か困っているのかい?」
キョトンと座ったまま老人の白い頭を見上げる。
「あの、違う街へ行きたいんですけど、ここに書いてある答えが分からなくて。」
すると老人は驚いた様子だった。
「なんと、見かけない格好だと思ったがやっぱりトラベラーだったかい。儂の息子も随分前にトラベラーになったんじゃよ。儂は何度願っても息子の後は追えなかった。なあ、アンタ。内に来ないか?飯を食わせてやろう。婆さんもきっと喜ぶ。」
農家の、と言ってもこの村には農家しか無かったが、ロムニーさん夫妻の家にお邪魔した俺はミルクパンとチーズを貰い、頬一杯に詰込む。
「そんなに慌てなくても沢山あるから。貴方トラベラー何だって?小麦を買いに来たのかい?」
「ほふぎ(小麦)?」
奥さんの名はハッジさんと言った。ハッジさん曰く、この高い塀に囲まれた広大な農村に皆、小麦やトウモロコシ、チーズなどを買いに来ては消えて行くのだと言う。
「待って居れば会えますか?」
「トラベラーに?ええ、会えると思うわ。彼らひと月に何人も来るから。」
そうと分かればやる事は違う。
ポケットを探り、次にマントの後ろを探ると隠していた短刀を2本取り出しテーブルの上に置く。
「俺にもチーズを売って貰えませんか?」
◆
其れから毎日モニュメントの前で待った。
とは言えそれだけでは暇なのでダンジョンに潜る。そう、此処にも祈祷所は有り地下1階建てと小規模ではあるがダンジョンが存在した。
魔物はオーク、リザードマン、コカトリス、ミノタウルス、デビルディアにタライコーン、ドロップ品は彼らの角や皮である。
つまり、ルルのおばさんの食堂で出た食事の材料はここから来ていたのか?
となると、あのモニュメントは元居たソードの街へ戻る扉なのかも知れない。
よし、念のためお土産に沢山のチーズや毛皮を持って帰って、驚かしてやろう。
その場合、クリオの街に行く手がかりが無くなるのは残念だが、トラベラーに聞けば色々教えてくれるかもしれない。そうだ、きっと何とかなる。
そう思うと何だか元気が出て来た。
ゲットした大量の角や毛皮の中からmオークの皮は親切なロムニー夫妻に進呈した。夫人はこれで財布とバッグを作るのだそうだ。
こうして順調に移動の準備を整え1週間もしない内にトラベラーが現れた。
黒いカーボーイハットに黒いマント、長いパンツも足元のブーツも黒一色で統一された細身の中年男はまるで農村の絵に描かれた黒い人影の様に突然モニュメントの前に現れた。
俺は一気に駆け寄り早口でまくし立てる。
「俺の名はテビ―。この街を出るキーワードを知らないか?要塞都市ビギナに戻るルートも。」
だが、男の対応は冷たい物だった。
「坊主、逸れのトラベラーか?なら自分で道は自分で切り開かなくちゃな。さあ、どいてくれ。俺の集める食料を待っている人たちが大勢いるんだ。」
何て不親切な男だ。答えを知って居るのに教えてくれない。
体の底から怒りが込み上げて来た。何故俺が帰ろうとするのを邪魔するんだ、あの男は。
チュンッと刀の鯉口が鳴る。音一つで悟った黒服のトラベラーは目にも見えない早業で腰の銃を抜き銃口をテビ―の額目掛けて真っすぐと定める。
「おい、半人前の坊主。自分より強い者かどうかも分からねーとは、この先生きていても長くねえ、この場で引導を渡してやろうか?」
テビ―は男の揺るぎない自信を不思議に思った。男の持つ小さな鈍器は投げる物ではなさそうだ。こちらを狙っている様だが、矢も何もついて居ない。カブット相手に鍛えた剣技があの様に小さな鈍器に受け止められるとも思えない。なのに、この男の確信にも似た自信は何だ?
「おーい、ステインさん!その子は最近来たトラベラーだ。いい子なんだ、多めに見てやってくれ。」
ロムニーさんが駆けよるとステインは銃を下ろす。
そして近くの木を狙うとズキュンと一発幹に穴を開けると、驚いて固まっているテビ―に一言捨て台詞を残した。
「運が良かったな坊主。ロムニーさんの知り合いじゃなきゃ、今頃あの木みたいに額から穴を開けて地べたに転がっていた。」
日が暮れてロムニー宅の夕飯にはデニーの他にステインも同席した。
テーブルの中心に熱した鉄板が置かれ、チーズがぐつぐつと音を立てている。その脇では香ばしいパンが食べて欲しそうに控え、更に珍しい事にオムレツとハム迄ならなんで居た。
黙々とパンを口に運ぶ二人を見かねたように、ハッジ婦人が口を開く。
「あのね、二人にお願いがあるのだけど、ミノタウルスの皮を取って来て貰えないかしら?二人に皮のベストをプレゼントしたいの、ポケットが一杯ついた者よ?」
「それは願っても無い。黒いミノタウルスを探して取ってきましょう。だが、私一人で十分です。」
テビ―も口を開こうとしたが、夫人が先を制した。
「残った皮で二人との思い出の品を作って飾りたいのよ。お願いします、ステインさん。」
ステインは肩を竦め、テビ―は半開きの口を閉じ、ハムに手を伸ばした。




