第七話:決断
この街にやって来てから早3か月が過ぎる。
毎日広場に足を運ぶがクリオは来ない。
早朝の公園。未だ空が黄土色をしている。
中央のモニュメントに掘られた文字を無意識に目で追う。これはもう日課の様な物だ。
真っ白な岩肌は朝日にほんのり金色を帯び、まるで金版に彫り込まれた古代文字を読んでいるかの様だった。
『我が名を唱えよ。さすれば扉は開かん。』
誰の名前なんだろう。しかしうっかり思い浮かべてしまって次の街に飛ばされてしまっては益々クリオに会えない。
頭の中に浮かんできた様々な名前を振り払うかのように頭を振り、思考を別の方向へねじ伏せた。
クリオは扉のキーワードを未だ見つけられないのだろうか?若しかして未だ迷宮の縦穴が扉だと思い潜り続けているのだろうか?否、俺が消えたのは迷宮の外、一番近くに会ったモニュメントに目を付けるに違いない。適当に言葉を綴って行けばそう遠くない内に正解に到達するに違いない。まさかっ?!
「答えが一つだけじゃ無かったとしたら?そして異なる答えが異なる行き先を導くと仮定したら…」
もうクリオに会えないかもしれない。目の前が真っ暗になり涙まで出て来た。この世界で初めて出来た友達…
「こら、何で朝っぱらからこんな所でしょげ返っているのよ。帰るわよ、家に。」
早朝のランニングをしていたルルに見つかり叱られてしまった。
「ねえ、ルル。もし俺がこの街を出るって言ったら一緒に付いて来てくれる?」
◆
「駄目だ駄目だ駄目だー!」
夜更けの宿に大声が響く。驚いた宿泊客がベットから転がり落ちたのか、彼方此方でドスンドスンと振動が伝わって来た。
「ルル、私達を置いて何処かへ行くなんて言わないでおくれよ?」
奥さんも一緒になってルルを引き留めると、流石のお転婆娘もたじろいだ様子でこっちを見る。
ダルトンさんは顔を真っ赤にして口をへの字で腕組みしている。これは、どう説得しても無理だろう。大人しく謝罪し、もう二度と妙な事は言わないのでルルとのコンビだけは続けさせて下さいと頭を下げた。
翌日、迷宮の地下一階で俺達は下層への階段を前に話し合っていた。
準備はした。後は覚悟を決めるのみ。とうとう先に進む事を決意した俺にルルは始終大喜びだった。
「わあ~、楽しみだわ。2階層からは色んな魔物が出るって、小さい頃からお父さんに枕元で聞いて眠りについていたから。実際に本物が見れると思うだけでわくわくする。」
因みに色々な魔物と言うのは大きな蜘蛛の形をしたスペイダー、二足歩行のカマキリに似たマンティッサ、槍を持った蟻の戦士アントンらの事を指すがこいつ等の特徴を一言で言うと、早い×堅い×怪力である。
ルルの父親や街の上位冒険者と呼ばれる人達は、それぞれが役割を持ったパーティーを組んで複数人掛かりでこれらを狩る。
例えばダントンさんのパーティーだと、アタッカーのダントンさんと彼を守るタンクと呼ばれる盾役、中距離からスリングで投石し敵の気を削ぐ役割、彼らはコントローラーと呼ばれ戦いの采配を弧なう。
そしてサブアタッカーにサポーター、サポーターは主に迷宮2階層でドロップする回復薬などの運搬と、戦闘途中に負傷したメンバーを担いで安全な所まで運び、薬を与える役柄から大柄な男性が務める事が多く、そのような場合多くはサブタンカーとしての役割も持つ為大きな盾を所持する事が多いと聞く。
だがこのソードの街、武器は落ちるが防具は落ちない。
なので、盾は基本的にお粗末。素材も木か皮である。衣服やマントに使われる皮もそうだが、時折街に現れるトラベラーと言う皮の行商人と特産品である武器を交換して入手しているらしくて、強度が低い割にはお値段高めと聞いた事がある。そんな貴重な皮を使った衣服をサービスに付けてくれた武器屋のおばさんはとても親切な人なのだろう。
などと考えながら洞窟の様な岩だらけの道を慎重に進んで居ると前方で争う音が聞こえて来た。
2階層独特の光苔に覆われた薄暗い洞窟の奥へ目を顰めると、何かの影が見え隠れする。
地下二階で戦える者は上級者。彼らの邪魔をしない様にとUターンした所、背後から何かが迫る気配を感じ咄嗟にルルを引き寄せ壁際に張り付いた。
数人が走り抜けた風圧が背中のマント越しに伝わってくる。それ程速度が速いとは思わなかったが大柄な男が多かったので風切り音も大きかった。ただ、速度の割には男達の喉から漏れるぜーはーという音の激しさに違和感を覚える。さらに去り際、剣を持ったまま走る中年男に「すまん!」と詫びの言葉を掛けられ、これはおかしいと慌てて彼らが来た方向に目を凝らすと地響きを上げて追いかけて来るマンティッサの群れを見る。
「ルル、逃げるぞ!」
マンティッサは地下一階のカブットより全然強い。二人掛かりで敵の気を逸らしながら徐々に仕留めて行くべき対象である。二対二でも撤退を悩む所なのにこの数は有り得ない。
来た道を二人で全力で戻り始めた。
しかし、暫くすると前方に先ほどすれ違ったパーティーが道を塞いでいる。いや、中型のスペイダーと遭遇し残りの体力を振り絞り交戦するが倒せずに居たのだ。よく見るとメンバーの皆が彼方此方に深手を負っている。タンク役と思われる大柄な男などはズタズタに切り裂かれた盾を必死に振りかざす手先が白くなって小刻みに震えていた。失血が酷いのに無理に走ったのでもう立っているのも難しいのだ。
「どいてっ!」
一喝して道を作ると引き抜き際に下から上へスペイダーを両断する。ごっちゃん刀の切れ味なら不意打ちを食らわせれば単体の魔物の止めくらい容易だ。
「逃げて!時間を稼ぐから。ルルはタンクを頼む。」
2階層に降りる為に持って来た貴重な回復薬をルルはタンク役の太ももにぶちまけた。
じゅわっと湯気が出て、動脈を破断させていたであろう深い裂傷が忽ち薄い皮膚に覆われ失血は止まった。だが失った血が戻った訳では無い。よろよろと立ち上がったタンク役を仲間達が両脇から支える様にして逃げ出す。
「ルルっ!お前は下がれ。松明のある所までそいつらを援護しろ。」
「厭よ、テビ―が危ないじゃない。」
「行けっ。先が使えちゃ俺も逃げ切れない。退路を確保しろっ。」
軽い足音が徐々に遠ざかって行く。
彼女に激を飛ばしながら、五右衛門丸は先頭のマンティッサ3匹を切り裂いていた。今まで封印してきたが、やはり驚くべき切れ味、堅い魔物の外殻をものともしない。まるで彼らを駆逐する為に生まれて来たような刀だ。そしてじっくりと鍛えた剣裁きが今の俺にはある。鎌をいなし、前に出ようと重心を掛けた前脚の脛を切り裂く。怯んだマンティッサの脇腹を突き、そのまま撫でる様に水平に払うと隣のマンティッサが突き出した腕を斬り飛ばした。
行ける。踏み込む重心は低く、体幹に乱れはない。
刀の背で鎌を弾き、返す手首で敵の首を狙う。
そうだ、この刀が有れば何処でだってやっていける。
又1体倒す。
戦いの中で時間がゆっくりと感じる程集中していた。
その中で何か別の気持ちが沸き起こって来た事に、自分でも気づいていた。
10体近くと打ち合い、2匹ほど打ち漏らした所でマンティッサ達は迷宮の奥へ退散した。遺骸の幾つかは既に黒い粒子と化し空へ上り始め、ぽつぽつと武器が地面に残された。