わたしのために死んでください
※導入のみ存在する未完作品です
人魚は死なない。
それは、海の精霊や水の精霊に、心臓を捧げているから。
精霊から心臓を返還されるか、心臓を捧げた精霊が死ぬかしない限り、人魚が死ぬことはない。
ここに、哀れな人魚がひとり。
生まれてすぐに、悪魔に心臓を奪われた。
奪われた心臓は、とある生まれたての悪魔に捧げられた。
精霊に心臓を捧げられず、彼女は海の加護も水の加護も受けられない。
守りもなく、ただ、悪魔の一部として迫害され、ありとあらゆる不幸を身に受ける。
彼女の心臓を得た悪魔が、ただの悪魔であったならば、彼女は永い永い苦しみにさらされることなく、死と言う救いを得られただろう。
けれど、彼女の心臓を得た悪魔は、昇りつめて魔王となった。
生まれて千年が経ったいまも、彼女の苦しみは終わらない。
これは、死にたがりの人魚と魔王のお話。
こぽり、と。
泡とともに意識が浮かび上がる。
ああ、また死ねなかった。
「お前の望みは?」
長い髪はボサボサにほつれて散らばり、白い肌もすすけて傷だらけ。陛の下に這いつくばり取り押さえられる姿があまりに憐れで、ノアは思わずそう投げ掛けた。
脆弱な、あまりに脆弱な、なんの力も持たない女。それが、単独で魔王の城に忍び込んだ。
それにはなにかしら、重大な理由があるのだろうと。
言葉に反応して上げられた顔はボロボロの上、ボサボサの髪になかば隠されていたが、それでもはっと息をのむ美しさだった。
真昼の太陽の色をした、大きな瞳から、ぽろり、と大粒の涙が落ちる。
頬を転げ落ちた涙は青く輝く真珠となり、ころり、と床に転がった。ぱら、ぱらと、いくつもの粒が床に散らばる。
「自由を……!」
こぼされた声は耳ざわり好く甘やかで、しかし、胸を貫く悲愴さと渇望があった。
「自由、自由が、欲しい」
あえぐように、絞り出された声。ずしりと、胸に重い鉛玉を詰められたような心地がした。
「そのために、なにを望むんだ」
見開かれた太陽の瞳がノアを捕らえ、真紅の唇がはくり、とおののかれた。
今さら恐ろしくなったのか、と言う予測は、告げられた言葉の前に霧散した。
「あなたを、殺させてください」
「──は?」
聞き間違いか。瞬間脳裏をよぎるも、部下に女の首に突き付けられた刃がそうでないのだと理解させた。
刃など、恐くないとでも言うのか。
次の一拍には己の首が飛んでもおかしくない状況だと言うのに、女は言葉を続けた。
「わたしのために、死んでください」
「貴様ァ!!」
身辺を守る護衛は、もっと血の気の少ない奴の方が良い。
真珠の散らばる床の上、転がった首を見て、ノアは思い、
「な、に……?」
しゅわりと消えたその死体に、ぎょっとして玉座から立ち上がった。
幻のように、血だまりすら存在しない。確かに、噴き出す血を目にしたはずなのに。
陛から降り、女がいたはずの場所に立つ。靴に返る違和感。目を落とせば、散らばる真珠と、かすかに感じる血の臭気。
確かに、あれは、ここにいた。
「幻術の、たぐいは」
「あり得ません。間違いなく、実体でした」
「ではなぜ、死体が消えた?」
魔導師が言葉をなくし、賢者が口を開く。
「人魚であれば、そのように死体が消えることも……」
「人魚?あれが?」
二本の脚で立ち、陸上で呼吸し、水の気配も海の気配もさせない、あれが?
「海の精霊にも、水の精霊にも、心臓を捧げていない人魚なのかもしれませぬ。心臓を捧げなければ、海の加護も水の加護も得られませぬゆえ」
「それは、人魚か?」
海にも水にも、愛されないなんて。
「ならば、あれはなにに心臓を捧げている」
答えは誰からも、返らなかった。
「そもそも、あれはなぜ、俺の死を望んだ」
答えはない。知るものはすでにここにいない。
ノアは少し荒く、ため息を落とした。
「生かしておけば問いつめることも出来たものを」
堪え性のない護衛はいらん。吐き捨てて、ノアは玉座の間を立ち去った。
先刻から、胸の辺りが落ち着かない。親と引き離された、幼子のように。
「あれは、また来るだろうか」
服の胸元を握り締めて、ノアは呟く。
人魚だと言うなら、また、海のどこかで生まれているのだろう。
危機迫るような渇望のにじむ声を、思い返した。
あれほどの希求だ。一度の挫折で、諦めはしないだろう。
未完のお話をお読み頂きありがとうございます
続き……どこを探せば見付かりますかね……読みたい