嘔吐恐怖症
私は嘔吐恐怖症だった。
小学生のバス旅行の時に車酔いを起こしてしまい、私はエチケット袋を用意する間もなく、戻してしまった。
バス内に異臭が広がる。バスの振動により、吐瀉物はどんどん後ろに流れ広がっていった。
「好美が吐いたぞ!」
「うわ、汚ぇ!」
「くせー、えんがちょ! えんがちょ!」
鼻をつまみ、次々にはやし立てる同級生たち。
嘲笑が耳の奥でこだまする。
私は恥ずかしいやら気持ち悪いやらで、死んでしまいたい気持ちになった。ずっと俯いて、唇を噛みしめて耐えていた。
目的地に到着した後、私は罰として一人でゲロの掃除をさせられた。あの時の羞恥心や凌辱感、体の震えは今でもはっきりと覚えている。
小学校を卒業するまで私は『ゲロ美』とあだ名され、同級生からイジメられた。
その事があって、私は人前で嘔吐することに人並み以上に恐怖するようになった。
ある時を境に、私は学校に行くとなると吐き気や腹痛を感じるようになった。
学校に行かなければ、人前に出なければと思えば思うほど動悸が早くなり、吐き気が強くなった。うまく呼吸が出来なくなる。
一時期、私は不登校になった。
体の不調を訴え医者に連れて行かれたが、検査の結果は異常なし。親や教師にけしかけられ、私は無理やり学校に登校させられた。
登校中の電車の中や、席について授業を受けている時や、お昼休みの食事の時間や……。
私は常に、嘔吐感に苛まれて日々を過ごした。
しかし、実際に吐いてしまう事はほとんどなかった。
慢性的に吐き気は感じているのに、実際に戻してしまうことはない。トイレにこもって便器の前でえずくのだが、吐く事はなかった。吐きそうなのに、吐かない、吐けない。四六時中、胃の中に腐った生ゴミを詰め込まれているかのような不快感を覚えた。
バス旅行の恐怖がよみがえる。
きっといつか、私は人前でみっともなく吐いてしまうに違いない。
そう思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。
そんな気持ちに囚われれば囚われるほど心は重くなり、吐き気は強くなっていった。
最悪の悪循環。
誰だって人前で吐くことに抵抗を覚えるだろうし、嫌悪感を覚えるだろう。
だが私のそれは、異常なレベルだった。病的だった。
なぜ嘔吐することに対して、これほどまでに恐怖を感じるのか?
きっとそれは、排泄行為を見られるのと同じくらい、恥ずべきことなのだ。
もし、電車の中で吐いてしまったとしたら……。
私は想像する。
逃げられない閉鎖空間。床に飛び散る吐瀉物。立ち込める異臭。突き刺さる乗客たちの視線……。私には耐えられない。
私は普通に電車に乗ることも、人前で食事をとることすら出来なくなっていた。吐いてしまうかもしれないという妄想に付きまとわれ、常に酔い止め薬を服用し、エチケット袋を肌身離さず持って歩くようになった。
出来ることなら一日中家に引きこもり、誰とも付き会わずに生きていきたいと真剣に思っていた。
私は、自分が吐くことも、他人が吐いている姿を見るのも嫌だった。思わずもらいゲロをしてしまいそうだし、吐瀉物に触れると何かの病気に感染するんじゃないかと、おかしな妄執に囚われる。
よくお酒を飲み過ぎて吐いている人がいるが、私には考えられないことだった。吐くまで飲むくらいなら、最初から飲まなければいいのに。私はこの先一生、もんじゃ焼きは食べられないだろう。
それでもなんとか中学高校を卒業して、大学に通い、社会人になった。
けれど、大人になってからも、この病は治らなかった。
社会人になって人付き合いが増え、鬱屈した様々なストレスを抱えるようになって、さらに症状が悪化した。
子供なら、まだいい。小さな子供なら人前で吐いてしまったとしても、周囲の人は「気分悪いの、大丈夫?」などと優しい言葉をかけて気遣ってくれるだろう。
けれど、大の大人が人前で吐いたりしたら「何やってんだよ、この女」などと冷たい目で、嫌悪感バリバリの視線を投げつけられるに違いない。
侮蔑の眼差し。
そして、嘲笑。
――いつか人前で嘔吐し、吐瀉物を撒き散らしてしまうのではないか。
脅迫概念にも似た不安を抱え、私はいつも震えていた。
そんな私であるが、私にも恋人がいた。
嘔吐への恐怖心や対人関係に疲れ果て、ストレスで胃に穴まで開いてしまった私のことを心配し、彼は「俺と結婚して家庭に入れ」と言ってくれた。俺の所に永久就職しろと。私は涙を流して彼に感謝した。
私は会社を寿退社し、専業主婦となった。
電車に乗ったり人と会う機会も減り、ストレスから解放された私の体調は徐々に回復していった。一年中不安定に早鐘を打っていた心臓は落ち着きを取り戻し、慢性的に感じていた吐き気も少しずつ治まっていった。
頑張らなくてもいい、我慢しなくてもいいと言ってくれる人が側にいることが、これほど有難いことだったとは。
私は久しぶりに……実に十数年ぶりに心の平穏を手に入れた。何かから解放された気分だった。
もう吐き気に悩まされ、神経をすり減らすこともない。
優しい旦那さまが見つかって本当に良かったと思う。
私はしばらくは専業主婦としてのんびり休養していたが、彼にばかり家計の負担をかけるわけにはいかない、嘔吐への不安感も減ったことだし、パートにでも出ようかしらと考えた。
私は求人誌をめくり、本屋の書籍販売員の募集に電話をかけた。パートならば正社員よりも気が楽だし、職場は家から近かった。のんびり自分のペースで働くことが出来るだろう。
面接の約束を取り付け、電話を切った。
その時、私は唐突に吐き気を催した。
「うっ」と呻いて口を押さえ、慌てて洗面所に駆け込んだ。
食道を何かが逆流する。
こらえる間もなく、私は洗面台めがけて思い切り胃の中のものを嘔吐していた。ボトボトと、吐瀉物が排水溝に飲み込まれていく。
「な、なんで……」
私は涙目になりながら口元をぬぐった。
ここ最近は体調も良かったし、吐き気もずっと、治まっていたはずなのに……。
ふとカレンダーが視界に入った。
私はハッとし、お腹を押さえた。
ある事を逆算して考える。
そして結論に至った。
これは、つわりだ。
私は数年ぶりに、実際に嘔吐した。私の中で嘔吐への恐怖感が戻ってきた。
子供を宿した喜びよりも先に、不安と恐怖に襲われた。血の気が引き、真っ青になる。
つわり。
それは妊娠にはつきものの、子供を産むためには避けては通れぬ苦難だった。
私は倒れたコップから水がこぼれるが如く、事あるごとに、簡単に物を嘔吐するようになった。
今までは精神的なストレスからくる吐き気だったが、今度のこれは、妊娠からくる生理現象。戻してしまうことは仕方がないと頭では分かっていても、心はついてこなかった。
当然パートの面接は断り、再び家に引きこもるようになった。
子供好きの夫や両親などは俺の子だ初孫だと喜んでいたが、私はそれどころではなかった。
私は人並み以上に嘔吐することに対して嫌悪感、恐怖感を抱いているのに、毎日のように、何かにつけては戻してしまう。
地獄の日々が始まった。
あらゆる匂いが私の敵となった。タバコや生ゴミなどの悪臭はもちろん、お米を炊く匂いやシャンプーの香りなど……今まで日常的に嗅いでいた匂いがすべて駄目になり、ちょっとでも匂いを嗅ぐと「うっ」と吐き気を催して吐いてしまう。以前は大好きだったコーヒーの香りも苦手になった。
赤ちゃんを産むのは大変だと最初から分かっていたが、つわりがこれほどまでに辛いものだとは知らなかった。
体がだるく、食欲もなくなった。赤ちゃんのためにも食べなければとは思うのだけど、食べ物を前にすると、その匂いや食感などで気分が悪くなり、吐いてしまう。酔い止めの薬は胎児に悪いからと止められた。
日に日に体調が悪くなっていく。
夫は懸命に私を支え、励ましてくれた。代わりに家事をしたり、食事を作ってくれたりした。
しかし、いくら夫の支えがあるとはいえ、家から全く出ないというわけにもいかない。銀行に出掛けたり、スーパーに買い物に行ったりしなければならない。
外出先で吐き気に襲われ、嘔吐してしまったらどうしよう?
そう考えると余計に気分が悪くなり、吐き気も強くなった。玄関のドアノブにかけた手が凍りつき、外に出れない。産婦人科に出向くことさえ億劫で怖かった。
次第に大きくなっていくお腹。
それに比例して、つわりもまた酷くなっていった。
私には、お腹の中の子供が愛すべき天使であると同時に、吐き気を生じさせる悪魔のように感じられた。私の体の中に巣くった異物。
産前のマタニティブルーというか、ノイローゼというか。私はよくヒステリーを起こすようになった。
真剣に、堕胎手術を考えた。
しかし夫や両親、医者に「何を考えているんだ、せっかく授かった命を流すわけにはいかない」などと説得されて、強行することは不可能だった。
まるで拷問部屋に閉じ込められているかのような圧迫感。
まともに食事が出来なくなり、夜眠ることすら困難なほどの倦怠感と嘔吐感に苛まれる。元々小柄な方だったが、一時期、体重が三十キロ台にまで落ちた。
つわりは長い人では六ヶ月以上……出産するまで続く人も稀にいると聞いた。
こんな苦しみが後数ヶ月も続くのか……。
そう考えると、私は気が狂いそうなほどの絶望に襲われた。
私はまた、洗面所で吐いた。
瞳に涙を浮かべて、洗面台にしがみついてえずく。
「大丈夫か? しっかりしろ、俺がついているぞ」
私が体調を崩すと付きっきりで看病してくれる彼。今も私の背中をさすり、側で励ましてくれていた。
しかし、今の私には、その優しさが辛かった。
洗面台に吐瀉物が広がる。
私が物を吐いている醜い姿を、彼にだけは見られたくはなかった……。
まるで排泄行為を見られているかのような……それ以上の羞恥心に囚われる。
彼の前で、私はまた嘔吐した。吐瀉物と酸っぱい胃液がボトボトと排水溝に流れていく。
喉が焼けるように熱く痛んだ。
そして私は、限界を迎えた。
ある日の黄昏時。
夕日は恐ろしいほど真っ赤に世界を照らし、表の公園からは、子供たちのはしゃぐ声が聞こえていた。夫はまだ仕事から帰らない。
私は膨らみだしたお腹を撫でて何度も何度もごめんねと言い、自分の腹に包丁を突き立てた。
ごめんね、赤ちゃん……。
ごめんね、あなた……。
私は熱した包丁で肉を切り裂き、子宮を開いた。
血がドクドクと流れていく。出血のせいか、はたまた大量に飲んだ睡眠薬のせいか。目は霞み、頭はぼうっとしていた。
中から胎児を引きずり出す。
血塗れのそれは手のひらくらいの大きさで、なんだかひどく、不気味なものに思えた。
ようやく手や足や頭が構成されたばかりの、とても人間とは言えない代物だった。まるでトカゲの出来そこないのような、肉の塊。
こんな化け物が、私の体内に巣食っていたのか……。
薄れゆく意識の中で考える。
これでもう、つわりに煩わされることはない……。
吐き気に悩まされることもない……。
血の海の中で、安堵する。私はあははははと笑っていた。
ふと、赤ちゃんがこちらを見詰めている気がした。
こっちを、見ている。
見ている。
見ている。
次の瞬間、私は大量の血を嘔吐していた。