生存者Ⅰ デート
「送ってくれてありがとう」
「オウ」
俺は絵梨ちゃんの後ろ姿を見続けた。
彼女は居候している親戚の家の門の前まで来たときクルっと後ろを振り向き、俺に手を振ってそれから家の中に入って行く。
『ウオッシャァー』
心の中で雄叫びを上げる。
明後日、人生初めての女の子と二人きりでのデート。
高校生の頃、女の子を含む中学の同級生たちと海水浴やネズミの国に遊びに行ったことはある。
でも二人きりは初めて、決まっているのは行く場所だけでその他は未定。
彼女を楽しませるためのプランが幾つも頭を過って行く。
絵梨ちゃんと初めて出会ったのは、俺が高校生の頃からバイトしているファミレスに新人バイトとして入って来た時。
先輩として仕事を教えながら色々話していたら、学部は違ったけど同じ大学に通う同級生だと知る。
それが分かったあとは大学の友人としてまたバイト先の先輩後輩としてお付き合いしていた。
だけど先週勇気を振り絞って「好きです」と告白したら、彼女も「私もです」って即答で返事を返してくれた。
その時の事を思い返すと嬉し涙が零れてくる。
そして初めてのデートの約束を取り付けた。
俺は地元でお盆の帰省は関係ないし、仕送りを受けていない彼女は生活のために帰省せずお盆の最中もバイトに精を出すとの事。
それでシフトを遣り繰りして、お盆2日目の夜から翌日の夜までの間デートできる時間を作ったって訳さ。
台風が日本列島を横断中だけど、この辺りは深夜から明日のお昼にかけて通り過ぎる予報が出ているから心配していない。
ルンルン気分で一人暮らしをしている、実家から車で10分程の所にある亡くなった爺ちゃん婆ちゃんが住んでいた家に帰宅する。
お盆初日の今日のシフトは夕方から、それでって事も無いけど俺は昼過ぎまで寝ていた。
昨日晩飯のあと車庫に籠り、爺ちゃんが大事にしていて俺が譲り受けた愛車ハコスカを磨きあげていたら朝になっちゃったっていうのが真相。
でもそれを行ったお陰で車のボディと窓はピカピカになり、車内には塵一つ落ちていない。
昨日の晩飯の残り物で遅い昼飯を食べながらテレビを点けると、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
帰省客で一杯の筈の駅の構内で、逃げ惑う人たちを襲いその肉を食べている青白い顔をした人の姿が映し出されている。
画面に釘付けになっていた俺の耳に外からの悲鳴が響く。
窓の外に目を向けると格子状の塀の向こうで、人が青白い顔をした数人の男女に襲われ身体の肉を食われていた。
何だ? 何が起きているんだ?
そうだ絵梨ちゃん! 彼女は無事だろうか?
スマホを手に取り彼女に電話を掛ける。
呼び出し音が何度も鳴るけど出ない、もう一度、駄目だ……やっぱり出ない。
親戚の家、バイト先、次々と電話を掛けたけど電話が通じる事は無かった……。
絵梨の安否が気になる。
俺は車庫に行き大ぶりのバールを手にして外に駆け出した。
最初に彼女の親戚の家に行く。
行く手を阻む青白い顔をした化け物数体を倒しながらだったけど、なんとか親戚の家に着いた。
親戚の家の玄関は開けっ放しで家の中から玄関の外まで点々と血が滴っている。
「ごめんください!」
家の中に声をかけてから土足で家の中に踏み込む。
バールを握りしめ一部屋ずつ部屋の中を確認していく。
廊下のあちらこちらに血で彩られた足跡が幾つも付いていた。
キッチンの冷蔵庫や食器棚それにリビングのテーブルがひっくり返り、争った跡がある。
一番奥の座敷には血溜まりがあって、畳に人が争った跡が血で彩られ爪が幾本も突き刺さっていた。
風呂場、トイレ、物置、階段を上がり2階の部屋も全て確認。
絵梨ちゃんだけで無く人の姿は無い。
親戚の家を出てバイト先に走る。
ファミレスの扉のガラスは割られ開け放たれていた。
店内の至る所に血溜まりとその血溜まりを踏んだことによる血で彩られた足跡が多数残っているだけで、人の姿は皆無。
厨房、厨房の中の冷蔵庫、更衣室、トイレ、店の裏の物置、一つ一つ中を確認したけど誰も隠れていなかった。
もしかしたら行き違いで家に来ているかも知れない一度帰ろう。
帰っても彼女の姿は無かった。
何処にいるんだよ? 絵梨……。
日が暮れてきた、夜出歩くのは危険だから明日明るくなったらもう一度探しに行こう。
朝バール以外で武器になりそうな物を物置で物色していたら、門の外から絵梨ちゃんの声がした。
「真ちゃん、いる?」
俺は持っていた物を放り出し、絵梨ちゃんに駆け寄って抱きしめる。
「絵梨ちゃん、良かったぁー、良かったよー」
聞くと親戚の小母さんのお供で隣町のお寺に墓参りに行き、そこで小母さんが青白い顔の奴に襲われたらしい。
絵梨ちゃんは逃げ出せたけど隣町から徒歩で此処まできたとの事だった。
逃げる途中スマホを落としたため俺に助けを求める事も出来ず、側溝にタイヤを落としたまま放置されていたトラックの運転席に潜り込み不安な夜を過ごしたと言う。
汗と埃で汚れていた絵梨ちゃんに風呂を勧める。
遠慮したけど風呂を沸かして強引に風呂場に押し込み、汚れた服の代わりとして俺のTシャツとジャージのズボンを渡す。
服を洗濯機に入れ朝食の用意を整える。
風呂上がりの絵梨ちゃんの前に炊きたてのご飯と味噌汁、一昨日作って冷凍庫に入れていたハンバーグの上に目玉焼きとチーズをのせキャベツの千切りと冷えたトマトを添える、それにキュウリと茄子の糠漬けを並べた。
「凄い、これ全部真ちゃんが作ったの?」
「そうだよ、小学生の頃からこの家に入り浸っていて婆ちゃんに鍛えられたんだ」
「へー」
「感心してないで、食べて食べて」
「ウン、いただきます」
テレビを点け惨劇のニュースを見る。
突然絵梨ちゃんが「え!」と声を上げ、画面を凝視した。
画面には青白い顔の奴等、ゾンビに対する注意事項のテロップが流されている。
流されている内容を要約するとこういう事。
ゾンビに噛まれると感染する。
噛まれてもその場でゾンビにならない限り約24時間はゾンビ化しない。
ゾンビに感染するのは噛まれるだけでなく、キスを含む性行為や輸血によっても感染する。
感染者と非感染者の見分け方は徘徊しているゾンビに近寄れば分かる。
近寄った人間にゾンビが反応したら非感染者、無反応なら感染者との事だった。
絵梨ちゃんは持っていた茶碗と箸を静かにテーブルに戻す。
「わ、私、出て行くね、噛まれているの。
最後に真ちゃんに会えて良かった」
「ちょっと待て!」
椅子から立ち上がろうとした絵梨に抱きつき唇を奪いそのまま押し倒した。
抵抗しながら絵梨が下から叫ぶ。
「止めて! 真ちゃんにもうつちゃうよ」
「うつしてくれよ!」
「え?」
「絵梨を1人でゾンビにさせない、なるなら一緒だ」
「真ちゃん…………」
絵梨が抗うのを止めた。
愛し合ったあと今度は二人で風呂に入る。
「真ちゃん」
「ん、なに?」
「出て行くって言ったけど凄く不安だったの。
だから真ちゃんがうつしてくれよって言ってくれて嬉しかった。
ありがとう」
「ウン、それじゃ早く上がって出掛けようぜ」
「え! 何処に?」
「デートにさ」
風呂から上がり出かける用意を整える。
絵梨ちゃんに弁当を作ってもらい、俺は物置を物色して武器になりそうな物を探す。
ゾンビには襲われないだろうけど、逃げる手段を探している非感染者に襲われる可能性があるからな。
以前キャンプに行ったとき使おうと思い購入していた、手斧とナイフを見つけバールや懐中電灯と共に車の後部座席に置く。
絵梨ちゃんが弁当の入ったバッグを抱え車庫に入って来る。
バッグを受け取り後部座席に置き助手席のドアを開けて彼女を座らせた。
「何処に行くの?」
絵梨ちゃんが可愛らしく首を傾げ聞いて来る。
「決まっているだろ、海だよ」
絵梨ちゃんに告白してデートの約束を取り付けたとき行きたいところを聞いたら、こう返事が返って来た。
「私ね、日本海沿岸にある町でお爺ちゃんお婆ちゃんに育ててもらったの。
海に沈む夕日は数えきれないほど見たけど、海から昇る太陽を一度も見たことが無い。
だから海から昇る太陽が見たいな」と。
俺の返事に絵梨ちゃんは満面の笑顔を見せてくれた。
助手席のドアを閉めシャッターを開ける。
開けたシャッターの前にゾンビが数体いたけど音に引き付けられて集まっていただけのようで、俺に掴み掛かる事も無く散って行く。
テレビのニュースで、帰省する人たちの車とゾンビから逃げる人たちの車により主要幹線道路はギッシリと埋まり、それ以外の幹線道路も乗り捨てられた放置自動車により道路が塞がれている事を流していたので、裏道を抜けて行く事にする。
ゾンビが車の音を聞きつけ寄ってくるけど、こいつらは邪魔なだけなのでできるだけ避けて行く。
だけど生きた人が便乗させてほしいのか寄ってきたときは速度を上げて振り切った。
悪いけどデートの邪魔はさせないぜ。
途中見晴らしの良い高台で車を停め絵梨ちゃん手作りの弁当を食べる。
背後の街の方角では黒い煙が幾本も棚引いているのが見えるけど、チラホラと海が見える前方の景色は何時もと変わらない。
放置自動車に幾度も行く手を阻まれ右往左往しながらも何とか目的の海に辿り着いた。
普段なら渋滞に巻き込まれても3~4時間くらいで着くところなのに、10時間以上も掛かって到着したのは零時近く。
太陽が昇るまで海岸を散策する事にする。
ナイフをベルトに下げバールと懐中電灯を持つ。
「行こう」
絵梨ちゃんに声をかけ手を差し出したら「ちょっと待って」と絵梨ちゃんは言い、後部座席に置かれているバッグから赤い紐を取りだし自分の右手首と俺の左手首を結んだ。
「ゾンビになっても真ちゃんと離れ離れにならないように、赤い紐なのは赤い糸の代わり」
はにかみながら説明してくれた。
「そうだね、ありがとう」
手を握り合い道路から砂浜に降りる。
砂浜には逃げ惑い追い詰められて喰われた人たちの遺体が転がり、徘徊するゾンビがいた。
それらを避けながら波打ち際を歩いていたら、徘徊している奴も遺体も見当たらない場所に出る。
砂浜に腰を下ろし太陽が昇るのを待ちながら、満天の星空の下でお互いに幼い頃のことや家族のことを語り合う。
時間を忘れ語り合っていたら東の地平線から明るい光が漏れてきた。
海の彼方から太陽が少しずつ顔を覗かせると共に頭上の星空が少しずつ消えていく。
「綺麗…………」
少しずつ上を目指し昇る太陽を見続けていた時、絵梨ちゃんが胸を押さえ「ウッ」と呻くと俺の方へ倒れ込んでくる。
絵梨ちゃんの顔は青白くなっていた。
立ち上がろうとするのを押さえつけ右手で彼女の顔を引き寄せキスをする。
それから「直ぐ行くからチョット待っていてくれよ」と彼女の耳に囁いた。
空高く昇った太陽を見続けていた男の頭が身体ごと手を繋いだ女の方へ傾ぐ。
砂浜に座っていた男女は立ち上がり、手を握り合ったまま何処へともなく歩み去って行った。