スーパーヒロインがデパ屋にやってきた、やったやったやったったー!
ゴールデンウイークの真っ只中、とある地方都市の老舗百貨店。
この大型連休は店舗にとって絶好の商機でもあり、また今年四月入社の新入社員にとっては、繁忙期という最初の試練でもある。
そして、デパートといえば催事。この百貨店でもイベントがてんこ盛りで、今日は最大の目玉イベントがある。
屋上広場のステージ前にはたくさんの子どもが今か今かと始まりを待っている。そしてステージの裏に設けられた仮設テントの中では、今まさに一人の新入社員が、入社以来初の大舞台に立つべく準備を進めている。
(なんか、変な感触……。腕まであって、先が五本指に分かれて手袋になってるタイツ……。デニールいくつなんだろ。全然透けてない。分厚い……)
彼女はスポーツ用タンクトップとショートパンツを通勤着の下に着込んで出勤した。バッグには着替えも用意してある。そんな準備をしてきたのも、その服の上に今まで見たこともない分厚いタイツを着用しているのも、彼女たち女性社員のイベント対応研修を担当している先輩社員——と言っても一学年しか変わらないのだが——が指定した。
「じゃ、じゃあ、チャック上げるよ。いいかな?」
同期の新入社員は、彼女が着込んだタイツの背中にあるファスナーを閉めた。
「きゃっ」
それとともに上半身がギュッと締め付けられ、声が出てしまう。同期社員はファスナーをうなじの辺りで一旦止めるが、そこからも慎重に、セミロングを後ろで結んでからウィッグの下に被るネットでまとめられた髪を巻き込まないよう、ゆっくりファスナーを上げる。
タイツの布は首までで終わりではない。頭頂部のそばまで続くファスナーを閉め切られると、彼女の頭部は目鼻口の際までタイツ製の布に包まれた。姿見に映った自分の姿を見て、彼女は改めて思った。
(これが、全身タイツっていうものなんだ……)
大型店舗における子ども向けイベントの花形といえば、なんといってもヒーローショーやキャラクターショー。
これらのショーは専門のプロダクションやイベント会社が運営し、大道具・小道具類はもちろんのこと、舞台のスタッフや出演者も込みで各地の商業施設やイベント会場に訪れ、公演を行う。
しかし、仕掛けが大掛かりなら関わる人や物も多くなるので、ショーを呼ぶにはかなりの予算が必要。世界的なウィルス感染症の流行や物価の高騰などで苦戦を強いられている各種小売業においては、大規模なキャラクターショーの開催を断念する場合も少なくないともいわれる。
運営会社も、パッケージ化されたショーを売ることの困難さに気づき、形式にこだわらず、さまざまな形の顧客ニーズに応えようとしている。
「はーい、それでは良い子のみんなー、もう、ちょっとだけ、待っててねー」
舞台の上から元気な声が聞こえたかと思うと、その声の主がテントの出入り口からぴょこんと顔を突き出した。
「どう? 準備は」
この女性こそ、新入社員のC華を今日の主役に指名した張本人、新人教育担当のC名先輩だ。
「こんな感じで、いいですか?」
今年入った二人の女性新人のうち、サポート役に指名されたC穂が確認する。
(え、やだ、その……)
全身を、自らの素肌とそっくりな色のタイツに覆われている今日の主役は、いつもと違う姿をまじまじと見られることに抵抗があるらしい。
だがC名は彼女を見るやいなや、
「うん、カンペキ。着付けもモデルも。お客様が待ってるから、すぐ続きやろう!」
そしてC穂も、
「はいっ!」
もじもじする主役を差し置いて、二人の着付け役が本格的な仕事に取り掛かる。
キラメキプリンセスパラダイス、通称キラパラシリーズは、女の子たちに二十年もの間支持され続ける休日朝の人気アニメーション。
普通の女の子が変身して悪と戦う戦隊もの要素と、変身した姿がキラキラゆめかわで女子の憧れを詰め込んでいるのが、長寿シリーズの秘訣だと言われている。
設定や登場人物は毎年二月ごろに変更となり、新番組として一年間放送される。それに合わせてキャラクターグッズの発売やメディアミックス展開も行われる。
もちろんキャラクターショーも一新されるが、商業施設にはショーを呼びたくても呼べない事情があるのは既に述べた通り。
そこで、売り手も買い手もあることに気づいた。
「ショーを呼ばなくても、キャラクターがいればいい」
さらに、
「キャラクターでお客様をもてなす仕事はプロダクションの専売特許とは限らない」
C名は学生時代、キャラクターショーの運営プロダクションでアルバイトをしていた。キラパラシリーズにも、もちろん関わってきた。
今年のキラパラは天気をテーマにしている。主役のキラソレイユは太陽をモチーフにしており、ピンクを基調にしたコスチュームが特徴。太陽といえば日本では赤やオレンジで例えられるが、色の表現にも多様性があること、またシリーズのヒロインは伝統的にピンクの衣装を身にまとっていることから、赤に寄せ気味のパステルピンクを多用している。
また、どのキャラクターにも言えることだが、キラソレイユの変身コスチュームは太陽の輝きを象徴するかのように、きらびやかな素材を多用している。サテン・エナメル・ビニール・ラバーなどがふんだんに盛り込まれた、女の子の憧れを詰め込んだ衣装となっている。
(ううう、恥ずかしい……)
白いサテンのドロワーズ、いやむしろかぼちゃパンツに近いかもしれない。そして同じくサテンで出来たキャミソール。全身タイツの上にこれを着た新入社員C華は、まだもじもじしている。
C名はそれにひるむことなく、キラッキラの衣装を彼女に着せていく。両脚には白いサテンのタイツを履かせる。タイツの上にタイツを履くのは、全身タイツは人肌を想定しているため。タイツの上端はドロワーズに付けられた紐通しにガーターベルト状に引っ掛けられる。
透け感のある半袖ワンピースもサテン地をベースに、ビニールやエナメル・フェイクレザーを多用した装飾が施され、表面積のおよそ三分のニはキラキラの赤とピンクで埋められていると思われる。
着せ替え人形と化したC華の顔に赤みが差しているのは、カワイイが凝縮された衣装をまとっていることの恥ずかしさが大きな理由。でも、それだけではない。
(暑い……)
ツルツルキラキラの素材たちに共通する特徴は、通気性が無いということ。そもそも全身タイツとて本来の人肌をほとんど覆い隠している。その上に空気を通さないコスチュームを身に付けるのだから、体温が中にこもって当たり前。
しかもさらに装飾は追加されていく。コルセットや巨大な付け襟はまるでゴムマットをそのまま服地に転用したかのような重み。ブローチやチョーカーも丈夫なプラスチックだし、ドロワーズとワンピースの間にはパニエが差し込まれ、スカートに膨らみを持たせる。もっとも傘に使うようなビニールで作られたスカートまわりの形状はそう簡単には崩れないのだが。
ただ、戸惑いながら先輩の言われるままに作業していたサポート役のC穂は、嬉々として同輩の両の手に関節の真下まであるエナメルの手袋をはめている。この着付けがお人形遊びのように思えてくるのだ。
ニーハイの編み上げブーツの素材感は長靴そのもの。それかせ履き終えると、いよいよ最後にして最重要なパーツがC華を変身させる。だが先輩は途中まで手伝うと、
「あとは出来るよね?」
と彼女の同輩に言い残し、同輩もハイと返事をした。
ひとりC華だけが一抹の不安を残していた。
「良い子のみんなーっ、ふたたびこんにちはー!」
C名先輩は、この百貨店でも年々少なくなっている高卒枠で就職し、持ち前の明るさで頭角を表す。
その実力は、屋上イベントに携わったとき一気に花開く。特に子どもとのコミュニケーションで力を発揮。高校時代にキャラクターショーのプロダクションでアルバイトをしていたことが身を助けた。
以来イベントがあるたび活躍し、司会も難なくこなす。ただ彼女が司会に回ると困ったことが起きる。
「今日は、ステキなお友達が来ていまーす。みんなで名前を呼んでみましょう、さあ、準備はいいかなー?」
この百貨店に入社して以降、イベントの進行役というポジションを得た一方で、歴代のキラパラフレンズは彼女が務めてきた。その場合、司会は高校時代に同じ会社で司会とキャスト両方をこなしてきた彼女の友人が務めてきた。
しかし彼女は昨春に大学を卒業すると、遠い県の放送局にアナウンサーとして就職。そのため去年は司会とキラパラフレンズの衣装を同時に借りた。
だが恐ろしいのは人件費。また繁忙期なのでプロダクションも司会が不足する時期。
そのため、キラパラフレンズ変身セット一式だけ借りて司会はC名が専念、変身担当は社員に演じてもらうこととなり、C華に白羽の矢が刺さったのだった。
(ま、まっくら……)
そのC華は、着付けがほとんど終わったところで、テントから薄暗い舞台袖に移動すると、突然目の前の視界を奪われた。
キラソレイユとなった彼女。だがその姿を確かめるすべもなく、初めての体験に驚くばかり。
この、C華の顔に覆い被さった何かこそが、彼女をキラソレイユに変身させる最後のパーツ、着ぐるみマスクだ。
マスクの顔を天に向けるようにして、小さな開口部からツルツルのタイツに覆われた頭を入れ、九十度回転させるようにしてマスクのあごとC華のあごを合わせる。マスクが地面と身体に対して直角になるよう微調整し、毛髪を整える。
マスクの中のC華といえば、突然目の前が暗くなったばかりか、かいだことの無いニオイを思い切り吸い込んでしまう。
FRPというプラスチックは成形しやすく、着ぐるみマスクに多く使われているが、新品の浴槽からビニールを外したときのような独特のニオイがする。日常ではなかなか嗅ぐことのないニオイだけではなく、頭部全体を覆われたための狭苦しいような感じ、みるみるうちにマスクの中にこもってくる自分から発する湿気と熱気、アニメだからこそあり得るダイナミックな髪型を三次元で再現したための頭の重さ。それがらが一斉にC華の首から上を覆い尽くす。
そしてさらに演者の不安をかき立てるのは視界の狭さ。マスクに描かれたソレイユの大きな瞳は見る機能を果たさず、まぶたに沿ってわずかに切られたのぞき穴だけが頼りとなる。
連休中は衣装があちらこちらに貸し出されたりショーに使われたりするので、届いたのは今朝のことだった。ステージに登場するタイミングなどの段取りは前日までに身についていたが、マスクの着用はぶっつけ本番。キラソレイユに変身した彼女は戸惑うばかり。
「大丈夫。わたしがちゃんとアテンドするから」
着付け役からアテンド役に転身したC穂は、まず自分を落ち着かせてから、薄暗い中に浮かぶキラソレイユの腕をとった。
ビニール製のソレイユの手袋がギュッと音を立てる。
一方、ステージの上ではC名が会場の雰囲気をますます盛り上げ、子どもたちの期待感も最高潮に達する。
「さあ、大きな声で呼んでみようね。せーの」
「キラソレイユー‼︎」
「……あれー? みんなの元気が足りないのかなー? もう一度、もーっと元気に呼んでみよっか、せーのっ!」
「そう、あせらないで、一歩一歩だよ。ゆっくり、確実に」
足元もちゃんと見られない状態で、キラソレイユは慎重に歩を進める。慎重に、ゆっくりと、だが堂々と足を前に、大きめの歩幅をとる。実際にしなくても、そのつもりで進めば自信が出てくる。それが先輩の教え。
その通りにと思いながら歩み続けていくと、踏み出すことを躊躇する気持ちも薄れ、心も落ち着いてきた。着実に、着実に、自ら前を目指して歩いていく。
そしてついに、最後の一声が会場に響きわたる。
「キラソレイユーーーッ‼︎」
「それいけっ!」
C穂が手を放し、ぼんとC華が変身したキラソレイユの背中を叩く。それに勢いづけられて歩みをさらに一歩、二歩と進めると、目の前を覆うマスクとの間に光が射し、同時に大きな拍手がキラソレイユと化した彼女を出迎える。
一瞬ソレイユの足が止まるが、すかさずC名先輩こと司会のおねえさんが彼女の腰に手をやってエスコートする。
その時おねえさんは小声で、
「手、手!」
と告げる。ソレイユはリハーサルを思い出して、両腕を頭の上に大きく上げて手を振る。リハと違って伸縮性のない衣装がギシギシっと二の腕に食い込んだが、気にしている場合ではない。力の限り、腕全体を左右に振って拍手に応える。
舞台中央へと案内されたキラソレイユ。改めて正面を向き直り、良い子のみんなにご挨拶。会場はなお一層の盛り上がりを見せる。その熱気はソレイユの中にいる彼女の目に映るわずかなのぞき穴からも感じ取ることができた。
そしていよいよ、ここからが見どころ。主題歌と声優の吹き込んだキラソレイユのセリフが入った音素材が会場に響きわたる。それに合わせて、
「みんな〜、こんにちは〜。キラソレイユだよ〜?」
と、身振り手振りで、あたかもしゃべっているように見せるキラソレイユ。入念なリハーサルのおかげで、なかなかサマになっている。
続いて、司会のおねえさんが録音のタイミングに合わせて、
「好きな食べ物は?」
「勉強は好き?」
などなど質問をしてくるので、これまた答えをしているかのように、全身を使って表現する。
自分が言葉を発せず、キラソレイユとして受け答えするのが彼女もだんだん楽しくなってた。カチンコチンの緊張感が次第に和らいでいった。
場合によっては、ここから主題歌に合わせたダンスが繰り広げられることもある。だが今回は会場が手狭であること、時間が限られていること、そしてキラソレイユ役の彼女が着ぐるみ初体験であることから、そのまま写真撮影会に移行した。
まず舞台の上でポーズを決める。すると一斉にデジカメやスマホのシャッター音が鳴り響く。そして一通りポーズを決めたあとは、いよいよ子どもたちと一緒にカメラに収まる。
「はーい、では整理券の順番に並んでくださいね〜」
ポーズ撮影を終えたあとで少しリラックスしたのも束の間、マスクののぞき穴から見切れた子どもたちの長い列。彼女は再び緊張に襲われた。
それを見抜いたかのように司会のおねえさんが、耳元で、と言ってもマスクの耳ごしに、
「はい、力抜いて。教えたとおりにすればいいから」
と。
撮影会といっても、パシャっと撮ってはい終わり、といったわけにはいかない。特にこの百貨店のポリシーとして、お客様をベルトコンベアの上に乗っているように扱うことはしたくない。
撮影会と言いつつも、子どもたちはだいたい握手を求めにくる。だがキラソレイユの視界は狭くて、子どもの手が見えにくい。でもリハの段階でC名先輩はコツを教えてくれていた。
「しゃがんでそっと手を出せば、子どもの方から握手してきてくれるから」
先輩の言ったとおりにすると、さっそく最初の子が手を握ってきた。幼い子の肌はマシュマロのように柔らかく、少しでも力を入れるとつぶれてしまいそう。そんな感覚が手袋越しに伝わってくる。
(かわいい……)
キラソレイユの心にそんな気持ちが芽生えた。ふっと、こころが暖かくなった。
「はーい、来てくれてありがとね〜。では次のお友達どうぞ〜」
司会のおねえさんの交代を促す声で我に返った。つい今までキラソレイユの手を握って離さなかった子は、おねえさんの巧みな誘導でイヤイヤのひとつもせず場所を譲ったようだ。
そしてキラソレイユは、代わる代わる子どもたちと握手をすることになる。繰り返し感じる、子どもの手の柔らかさと温もり。少しずつ緊張がほぐれていく。
そこに突然、
「はぐっ」
お腹から腰にかけて柔らかであったかなものに包まれる感じがした。
「あれー、抱きついちゃうくらいソレイユのことが好きなの〜? でもあんまり長くはダメよ〜? 次の子もいるからね〜?」
司会のおねえさんがやんわりたしなめる、のだけど、ハグ自体を止めてはいない。女の子はキラソレイユに抱きついたまま、カメラを構える母親の方に首だけ振り返って笑顔を見せる。
当然一人が始めると、あとの子どもも遠慮なくキラソレイユとのスキンシップを求めてくる。ソレイユは基本両の手を広げて待ち構えているだけなのに、子どもは迷わずソレイユの胸目掛けて飛び込んでいく。
そのうち、もっと好奇心旺盛な子にまた順番が回ってくる。すると、
「じーっ」
(ひいっ)
発声厳禁と言われていたが、さすがにのど元を通り越して唇の間際まで声が出そうになった。だってまさか、マスクののぞき穴を逆に外からのぞかれるだなんて。
あくまで今の彼女はキラソレイユ。だのにマスクの中にいる自分について意識されると急に恥ずかしさが溢れ出す。
「あらあらー? ソレイユに顔近づけちゃダメですよー? ソレイユちゃんはみんなのものだから、ちゅーしちゃダメですよ〜?」
司会のおねえさんの機転で、女の子は顔を引いた。
でもその子の顔を近づけた理由はマスクの中の彼女の顔を赤くするには十分だった。
まさか、こんなに小さな子どもがキスを奪おうとするだなんて!
否、幼いからこそ無邪気にチューをしてくるのかもしれない。もちろん後ろに並んでいる子たちも真似をする。
しゃがんだ姿勢で子どもたちのパワーに気押されて、キラソレイユの中の彼女はもう汗だく。ただでさえ通気性が無い衣装に身を包んでいるわけで、そんな中で子どもの体を受け止めるのは重労働に決まっている。
「良い子のみんなー、順番を待ってる子がいっぱいいるので、なるべく早めに次の子に代わってあげて下さいねー」
司会のおねえさんが呼びかける。
(あ、これで少しは早く終わるかも……)
彼女は一瞬そこに希望を見出したが、
「どうしても物足りない子は、列の後ろに並び直してくださーい。まだ時間はありますよー」
(ひいぃぃぃ)
彼女は、マスクの中で声にならない悲鳴を上げた。
しかし、
「最後の子まで、気を抜いちゃダメだよ。みんな、あなたに会いに来たお友達なんだから」
先輩の言葉を思い出し、彼女は列に並ぶ全ての子どもを相手に、決してくじけずやり切らねばと思い直した。
不思議なもので、キャラクターの姿で子どもにもキャラクターの名前で呼ばれてキャラクターとしてじゃれつかれていると、自分が自分で無くなる心境に到達するらしい。肉体的な疲労などをほとんど感じなくなり、スポーツ選手がいうゾーンに入ったような感覚とも言える。
少なくとも彼女はその域へと着実に近づいていた。キラソレイユとしての自分が子どもたちの愛を受け、倍にして愛を返す。子どもたちの「好き」をキラソレイユとして受け止めることに喜びを感じられるように徐々になってきた。
次々とやってくる子どもたちとの触れ合い。握手・ハグ・キス(やめろと言ってもやる子はやる)の一つひとつに、心がものすごく暖かく、安らかな気分になり、心が清らかになった気持ちすらした。
マスクの中のうっとりとした表情は、やがて恍惚とすら言って良い境地に達していた。
もうFRPのにおいも、暑さも重さも視界の狭さもマスクの閉塞感も気にならない、感じていた全ての違和感が消え去る。
彼女はその時キラソレイユになっていた。延々と続く子どもたちともキラソレイユとして触れ合っていた。それは永遠に続いているかの如き快感ですらあった。
長い至福の時間も、最後の一人の子からの熱いラブコールとともにフィナーレを迎えた。
再びC穂のアシストを受けながらテントに戻ったキラソレイユは急に力が抜け、パイプ椅子に吸い付くように内股で座り込んだ。そこですかさずC穂がソレイユの両こめかみを挟むようにして、本番前と逆の手順でマスクを外す。
「ふはぁ」
ぐっしょりとなった全身タイツからは、なおも吸い取りきれない汗が流れ落ちる。だなら一刻も早く、少しでも多く、C華の身体から熱を逃がすのがC穂の今の使命。
白いテント布の間から入り込む涼風をハンディ扇風機で捉え、C華の首筋に当てれば多少は火照りも減ずるが、マスク以外の華やかな衣装は着たままなので体全体の暑さを取り去るのは難しい。
少しでも身軽になればまた違っても来るのだが、C華はそれを望む意志表示をしなかった。
重厚な衣装を脱ぐよりも、疲れを取りたい。それもある。でもそれ以上に、こんな汗だくで暑い衣装に、愛着が沸いてきていた。
(もう少し、キラソレイユでいたい……)。
「おつかれー。良かったよー、ナイスパフォーマンス」
C華の暑さと疲れが少々落ち着いてきたのは本番終えて数分後。そこでひとしきりステージでの仕事を終えたC名がテントの中に戻ってきた。
子どもたちを悔いなく帰路につかせるのも彼女の重要な仕事。それを終えてさらにひと仕事、本日の主役を果たしたキラソレイユにねぎらいの言葉をかけたのだった。
「ありがとうございます」
彼女は最高の笑顔で応える。そして先輩も笑顔で返す。
「この調子で午後もファイトだよっ」
それを聞いた彼女、
「は、あ、は、あ、ああっ」
(そ、そうだったぁー!)
せっかく借りた衣装を一回使ったくらいで終わらせるわけにはいかないし、なるべく多くの子どもたちに喜んでほしい。だから今日は午前と午後に分けて撮影会を行うことはC華も承知だった。
だが、午後の出番を意識するとつい力をセーブしてしまうし、長丁場だと意識すれば気も重くなりかねない。だから、
「一回一回に集中してね。午後のことはいったん忘れて」
と、C名はアドバイスし、C華はそれを忠実に守った。
結果、午前の部は大成功に終わったが、やり切ったモードに入ってしまったC華は、そこから戻ろうと必死に自分で自分を奮い立たせる心の戦いに入らざるをえなかった。
着ぐるみ操演は重労働だが、やがて快感に変わっていく。仕事を終えた新人がそういう気持ちをもってほしい、せっかくの大チャンスなのだから、とC名は思っている。
しかし、午後の出番が終わった時、C華の心境はその域に達しているだろうか。希望的観測を持って待つのみ、あとは本人次第と思いながら、C名もキラキラの司会のおねえさんスタイルを解くことなく、午後に備えようとする二人の新入社員を見守った。
小説なのでもちろんフィクションです!キャラクターの中に人がいるという描写もフィクションです!
さて、COVIDが猛威を奮ったあとの日本で、イベントが復活しつつあります。ですが何年か前までみられたような大規模なキャラクターショーはもしかして減り気味なのかも? なんてことをふと思って、書いてみました。
調べると、前々からキャラクター単体での撮影会とか握手会とかってのはあったみたいですね。場所が限られているとショーは出来ないですしね。
ただ、アニメキャラの衣装と着ぐるみだけ貸し出すってのは、実際どれくらいあるのでしょう? キャラのイメージとかあるんで素人だと難しいでしょうし。
ところで、いくらロボットとかAIが発達しても着ぐるみはそれに取って代われるのだろうか? ということを最近考えます。でも、なんだかんだ言って生身の人が演技するのと同等のクオリティはロボやAIに出せないだろうと、作者は思っています(いやだから中に人なんて……)。
暑さとか重さという着ぐるみの持つ大変さも、軽減はされても解消はされないんじゃないかな、とも思います。
キャラクターとしてのリアリティを追求するのと快適さを追求するのとは、ベクトルが対向してて打ち消し合うんじゃないかな。たとえばゆるキャラだと、頭を大きくすればかわいくなるかわりに重くなるので限界がある、そこで素材を軽くしたら、その分頭を大きくしてリアルにしてみたくなる、的な。
でもそういう、どうあがいても不便なところが残るあたりがキャラ操演の面白みなんだろうとも思います。
週一更新を目標にしつつ、遅れてしまいました。次回は木曜までに脱稿してその次は水曜まで、となんとかペース戻していくつもりです。