女友達とその姪とおままごとをしていたら、いつの間にか本当に女友達と結婚させられた
大学の前期も終了し、やってきた夏休み。俺・能見晋一は、同じゼミの女友達に呼び出されていた。
「すぐに来て欲しい」とのことだったので、俺はプレイしていたゲームを中断させて急いで家を出る。
各停しか止まらず改札も2つしかない小さな駅で降りて、待つことおよそ5分。女友達の尾花香代がやって来た。
……見たことのない、小さな女の子の手を握って。
尾花と女の子の顔を見比べると、目元なんかがどことなく似ている気がする。あと笑った時の表情なんかも。
果たしてこの女の子は誰なのか? 推理を重ねた俺は、一つの回答を導き出した。
「えーと……娘さんがいたのか」
「バカ! この子は姉の娘! つまり姪よ!」
「ほら、挨拶しなさい」。尾花が言うと、女の子は「はい」と元気よく返事をしてから、俺に頭を下げた。
「香代お姉ちゃんの姪の涼菜です。よろしくお願いします」
見たところ4、5歳だというのに、なんともまぁ、しっかりとした子供だった。俺がこの子と同じくらいの年齢の頃は、こんなに礼儀正しくなかったぞ。
「こちらこそ、よろしくな。……で、今日はどうして俺を呼んだんだ? 随分切羽詰まった様子だったが?」
「それはね、能見くんの力を借りたいからよ」
尾花は俺に顔を近付けると、涼菜ちゃんに聞こえないよう俺の耳元で囁く。
「実は姉に急な仕事が入っちゃって、それで今日一日この子の面倒を見ることになったの。でも私、子供の世話なんてしたことないし、どう接すれば良いのかさえわからないから、誰かに助けて貰うことにしたのよ。そしてあなたに連絡した」
「どうしてそこで俺を選択するんだよ? 俺だって、子供の世話したことねーよ」
因みに年の離れた弟妹がいるとか、そんなこともない。俺は一人っ子だ。
「そう言われても、他に頼れる人がいないのよ。だからね、お願い! 一日だけ涼菜に付き合って!」
「私に付き合って」ではなく「涼菜に付き合って」と言うところが、状況の深刻さを一層強調している。尾花のやつ、本当に困っているんだな。
……仕方ない。
ここで引き返したらわざわざ電車賃をかけてまで駆け付けた意味がなくなるし、俺は微力ながらも尾花に手を貸すことにした。
「役に立たなくても知らないぞ?」
「いてくれるだけでも心強いわよ。本当、ありがとう! 今度何かお礼をするから!」
お礼、か。
ならば後期の初日の講義で、出席代行してもらうとするかな。
◇
俺たちはそれから、尾花の自宅へ向かった。
尾花は大学に進学するのを機に、実家を出ている。つまり俺はこれから、一人暮らしをしている女友達の家に入るわけで。
そんな機会これまで一度もなかったから、緊張せずにはいられなかった。
自宅の鍵を開けると、尾花は「どうぞ」と俺に中に入るよう促す。
「部屋とか片さなくて、良いのか?」
「今の私にそんなこと気にする余裕があると思う?」
ないな。仮にあったとしても、部屋の中を片付ける体力が残っていないだろうな。
午前中ながら疲弊しきった尾花の顔を見れば、一目瞭然だ。
「それじゃあ、失礼しまーす」
許可を得たので、俺は尾花の自宅に入る。
部屋の中にはおもちゃのお皿やコップが散乱していた。
「……泥棒でも入ったのか?」
「違うわよ。今まで涼菜とおままごとをやっていたの」
おままごとなんて単語、久しぶりに聞いたな。幼稚園の頃よくやっていたっけ。
色々な役をやったけど、一番多かったのは「犬」だった覚えがある。……ワンしか言わなくて良いから、楽なんだよね。楽しくはなかったけど。
「女の子はお母さん役をやりたがるからな。そうなると、さしずめ尾花は娘役といったところか」
「いいえ。私が嫁で、涼菜が姑役よ。能見くんを迎えに行くまで、嫁姑バトルが勃発していたの」
「何その昼ドラ的設定!?」
おい、幼稚園児。君は一体お母さんからどういう教育を受けているんだ?
尾花は涼菜ちゃんに話しかける。
「ねぇ、涼菜ちゃん。このお兄ちゃんには、何役をやって貰う? 嫁と姑の間で板挟みになる夫役とか?」
展開は非常に気になるところだけど、出来ればもうちょっとスッキリした設定にして欲しい。ドロドロしてるのは無しの方向で。
涼菜ちゃんは「そうだなぁ……」と少し考えてから、
「のみお兄ちゃんには、お父さんをやって貰う!」
「のみじゃなくて能見ね。「う」を忘れず発音してね。……で、本当にお父さん役をやっても良いのか?」
もっと無理難題を押し付けられると思っていたので、正直拍子抜けだった。勿論やりやすい役で安堵もしている。
「うん! 香代お姉ちゃんはお母さん! そして私は二人の娘をやるの!」
「お母さん? 私が?」
まさかの配役変更に、尾花も驚いている。
しかし俺と尾花が夫婦役か……。おままごとの中だけとはいえ、少し照れてしまうな。
尾花も同じことを考えていたようで、顔を赤らめながら、頻りにこちらを見ていた。
「初々しいね。ラブラブだね。イチャイチャだね。フゥ〜〜〜」
うるせぇよ、クソガキ。大人を揶揄うな(汚い言葉を使ったのは、照れ隠しだ)。
俺が父親、尾花が母親、そして涼菜が俺たちの娘という設定のおままごとが始まる。
場面は俺が帰宅したところからスタートした。
「今帰ったぞー」
玄関ドアの代わりに、俺はリビングのドアを開ける。すると涼菜が俺に抱き着いてきた。
「おかえり、お父さん!」
「おう、ただいま。良い子にしていたか?」
「女はちょっと悪い方がモテるんだよ?」
どこでそんな余計な知識を覚えたんだ……。
そう思っていると、涼菜に続いて尾花も俺に近づいてくる。
「あっ、あなた。おかえりなさい。ご飯とお風呂、どっちも準備出来ているわよ?」
「あなた」と言い慣れていないが故に照れてしまう尾花を、可愛いと思ってしまった。
……って、いかんいかん。尾花に見惚れている場合じゃない。今はおままごとに集中しなければ。
「汗もかいたことだし、先にお風呂にしようかな」
「わかったわ。それじゃああなたがお風呂に入っている間に、私はお酒のつまみでも作っておくとするわ」
おぉ。口ではなんだかんだ言いつつ、母親役が様になっているじゃないか。
俺が感心していると、涼菜ちゃんがとんでもないことを口にした。
「お母さんは、お父さんと一緒に入らないの?」
『入りません!』
俺と尾花は、同時に否定した。
「そうなの? 私のパパとママは毎日のようにお風呂に一緒に入っているから、てっきりそれが普通なんだと思ったんだけど……」
仲睦まじいな、涼菜'sペアレンツ。
一般論がどうであれ、このおままごとは涼菜のやりたいようにやれば良い。
俺と尾花は今夜も二人でお風呂に入る設定にした。
「そしたら二人とも、服を脱いで」
『は?』
今度は何を言い出すんだ、この子は?
「だって服を着たままじゃ、お風呂に入れないでしょ?」
確かにそうだけど……お風呂に入るフリをすれば良いんだよね? これって、あくまでおままごとなんだよね?
「脱ーげ、脱ーげ」と喧しい掛け声をする涼菜ちゃん。……一緒にお風呂はハードルが高いんで、ご飯に変更しても良いっすか?
◇
次なるおままごとのテーマは、「休日。お父さんは家族サービスとして妻子を公園に連れて行く」だった。
実際に近くの公園に足を運ぶと、涼菜ちゃんが感嘆の声を上げた。
「ねぇねぇ、能見おに……じゃなくてお父さん! ブランコに乗ろうよ!」
「ったく、しょうがねーな。押してやるから、座ってみろよ」
「やったぁ!」
涼菜ちゃんがブランコに腰掛けたので、俺は彼女の背中を軽く押す。
「わあ! 風が気持ち良いね!」
「それがブランコの醍醐味だからな。……もっと風を感じられるぞ」
俺は涼菜ちゃんの背中を押す力を、少しばかり強くする。
今より高く宙に舞った涼菜ちゃんは、とても喜んでいた。
「あんまり勢いをつけすぎると、怪我するわよ」
尾花が本当の母親のように注意をする。
その光景を、公園の前を通ったお婆さんが目撃していた。
お婆さんは微笑みながら、俺たちに言う。
「あら、仲の良い家族だこと」
お婆さんに言われて、そうかと気が付く。はたから見たら俺は父親で、尾花は母親で、涼菜ちゃんは娘に見えているんだな。
俺たちは、本当の家族に見えているんだな。
おままごとをしているのだから、それ自体はなんら不思議なことじゃない。
別に敢えて「おままごと中なんです」と宣言する必要もないし、俺たちはお婆さんに「ありがとうございます」とお礼を述べた。
それから滑り台やキャッチボールをして遊んだわけだけど、その間もお婆さんに言われた一言が頭から離れなかった。
「仲の良い家族」。そう言われたことが、どういうわけか無性に嬉しかったのだ。
◇
公園で小一時間遊んだ後、俺たちは尾花の家に戻ってきていた。
「手洗いうがいをきちんとやれよ」
「はーい。……ガーッ、ペッ!」
何だよ、その音? おっさんか。
3人とも手洗いうがいを終えると、おままごとは次なる場面に移る。
涼菜ちゃんが幼稚園に入園するという設定だ。
「私ね、幼稚園がすっごく楽しみなんだ!」
「確かに小さいうちから他人と交流するのは、良いことだよな。幼少期にどれだけの人と関わるかが、その子の成長を左右すると言っても過言じゃない」
「良い教育理念じゃない。私たちに本当に子供が出来たとしても、そう考えてくれているなら安心ね」
「……私たちに子供?」
「! 何でもないわ。忘れて頂戴」
気になる発言ではあるが、忘れろと言うのならその要望に従うことにした。
「それでお父さん、お母さん! 幼稚園に入園するにあたって、書類を記入して貰う必要があります!」
「おっ、おう。随分本格的にやるんだな」
おままごとで書類の記入までするなんて、前代未聞だろう。
そう思っていると、俺と尾花の前に一枚の紙が差し出された。
「まずはここに二人の名前を書いて下さい」
言われた通り、俺たちは指定された欄に名前を書く。
「それとここに住所と本籍を」
「住所と本籍、と」
「全ての欄を記入し終えたら、市役所に提出して下さい」
「市役所に提出だな。……って、ちょっと待てーい!」
流石に限界を迎えた俺は、涼菜ちゃんの暴走にストップをかけた。なぜなら――
「これ入園届じゃなくて、婚姻届じゃねーか!」
それも市役所に提出すれば冗談抜きで受理されるやつだ。
「婚姻届なんて、何で持ってんだよ!?」
「お母さん……あっ、本当のお母さんがくれたの。「お母さんはもう要らないから、あげる」って言って」
確かにそうかもしれないけれど! 幼稚園児の娘にだって、不必要なものだろ!
「えー、突然ですが涼菜は二人の娘から市役所の職員へとジョブチェンジします。……はい、この婚姻届は受理されました。お二人とも、おめでとうございます。末永くお幸せに」
いや、横暴にも程がある!
「大体俺と尾花は友達であって、恋人同士ですらないんだぞ?」
「恋人同士じゃないだけで、実は恋心は芽生えているのかもしれない。恋というのは、知らないうちに始まってるものなんだよ。私にも経験があるね」
いや、お前今いくつだよ?
「それじゃあ、この婚姻届は要らない? 折角ならと思って、用意したものなんだけど?」
「要らないに決まっている。なぁ?」
俺は尾花に同意を求める。しかし……尾花は即答しなかった。
「尾花?」
「……捨てたくない」
やっと答えたと思ったら、その答えは俺の予想していたものとは正反対のものだった。
「もし能見くんが嫌じゃなかったら、その婚姻届を提出させてくれないかしら?」
「尾花、それって……」
「あなたが好き」。尾花ははっきりとそう言った。
予想だにしない告白を受けて、俺は声を失う。
「別に今すぐ結婚してくれって言っているわけじゃないの。段階を踏むことは、大切だと思うし。だからその婚姻届は捨てずに持っておいて、数年後提出するってことじゃダメかな?」
「結婚を前提に付き合って下さいってやつか?」
「いいえ。結婚するのは前提じゃなくて、確定事項よ」
軽い気持ちでおままごとをしていたつもりが、気付けばプロポーズをされているなんて。人生何が起こるかわかったものじゃないな。
ふと涼菜ちゃんを見ると、彼女は何やらニヤニヤしている。
まさかこいつ、こうなることを狙っていやがったのか? まったく、末恐ろしい子供だこと。
「……確定事項なら、逃げられないじゃねーか」
まぁ、俺も尾花を離すつもりはないけれど。
どうやらおままごとは、これで終わりみたいだ。
これから始まるのは、単なる遊びじゃない。俺と尾花の幸せな将来に向けた予行練習だ。