八章 気まぐれなAI
ジェイソン(NSA(国家安全保障局)の捜査官)に連れて行かれたのは、ダウンタウンの目立たないオフィス・ビルだった。外観は時代遅れの佇まいだが、その実、蟻一匹入る隙もないセキュリティ・システムの塊、NSAの隠れオフィスだ。
忍者屋敷のように隠されたエレベータを二度乗り継いだ。3軸で加速度を制御、さらに気圧も変えて三半規管を狂わせ、登っているのか降りているのかさえ分からない仕組みのエレベータ、果たして上の階にいるのか、地下にいるのかさえ分からない。三度目の扉が開くと、屈強な体躯の警備用ヒューマノイドが出迎え、奥の部屋に案内された。
ジョンは大きなテーブルに向かって、何やら分解された電子機器を物色中だった。前回、会った時と同じ、短くキチッと切りそろえたグレーの頭髪、白衣の下の中肉中背の身体を白いワイシャツとグレーのスラックスで包み、飄々とした顔をしていた。
(ジョン)「ヘイ、翼!久しぶり、元気だったか?」
(本城)「ヘイ、ジョン、元気か?ずいぶん、慌ただしいな?」
(ジョン)「すまんな、ディナーの途中に」
AI関連事件の特捜チーム責任者、ジョン・パーカーは、持っていたデバイスをテーブルに置き、白い手袋を脱いで素早く握手すると、ポンポンと俺の肩を叩き、すぐに本題に入った。
(ジョン)「こっちに来てくれ。見せたいものがある」
そう言うと白衣を脱いでテーブルに放り投げ、俺を小さなオフィスに招き入れて回転椅子に座らせ、メガネ型のディスプレイを差し出した。ディスプレイを装着すると、辺り一面がスクリーンになり、情報の羅列が視界に飛び込んだ。ほどなく、仮想空間のすぐ隣にジョン(のアバター、といっても、今着ていた衣服を含め、本物と区別がつかない)が現れた。
スクリーンの情報は、昨日の午後3時過ぎの僅か百秒足らずの間に、オンライン上で何者かに攻撃を受けたサイトと、今日の午後3時過ぎにやはり百秒間の攻撃を受けたサイトを比較表示していた。どちらの攻撃も気まぐれで乱雑な振る舞いに見える。軍事施設や発電施設を攻撃したかと思えば、一般の民家も攻撃対象になっていた。
(本城)「被害の全貌は?」
(ジョン)「判明しているのが、昨日の攻撃で約3千カ所が攻撃を受け、今日は8千ヶ所だ。攻撃の意図が分からず、正直、被害があったのかどうかすら分かんねぇ。お前が言ったんだよな?もし、本格的なスーパー・インテリジェンスに攻撃されたら、そもそも攻撃されたのかどうか、何を攻撃されているのかすら把握が困難になるだろうって」
(本城)「あぁ。・・・ハハッ、この家、見覚えあるぜ」
(ジョン)「あぁ、俺の家だ。なぜか猫の自動トイレが攻撃受け、糞が逆流、新調したばかりのカーペットが台無しさ。まぁ、被害は分かりやすかったがな」
(本城)「(汚ねぇなぁ)ってことは、俺の情報も調べてるんだろうな」
(ジョン)「ああ、厄介な事件には必ず登場する、現代版シャーロック・ホームズ様だからな。なので、ディナーの途中だと知ってたけどジェイソンに迎えに行かせた。お前は犯人の追跡は凄えけど、自分のガードはスカスカだからなぁ。俺たちもガードするが気を付けてくれ」
(本城)「ヘイヘイ、頼りにしてるぜ」
(ジョン)「それから、デートは控えてくれ」
(本城)「?・・・えっ、デートじゃねぇ! 子守だ!」
思わず語気が強くなったが、ジョンは気にせず淡々とスクリーンに映す情報を探し、ステファン・ファーガソン家の見取り図と、その横に参考人のラベルでステファン、ターゲットがサラ、保護対象として真理と結衣さんの顔写真を並べた。
(ジョン)「ステファン・ファーガソン家も監視下に置いた。なので、そのまま宿泊してもいいぜ」
家の見取り図を睨みながら尋ねる。
(本城)「エナジー・ストレージ(※一般家庭の3日分程度の電力を蓄える大容量バッテリー)は地下の、この1個だけか?」
(ジョン)「えぇと・・・、ああ、この1個だけだ。何か気になるか?」
(本城)「いや、・・・夜7時半で充電率85%、模範的な数値だな、と」
(ジョン)「翼が犯人なら、ストレージ、狙うか?」
(本城)「・・・かもな。このストレージ・メーカー、昼の攻撃で被害あるか?」
(ジョン)「ええと、・・・いや、被害届は出ていない」
(本城)「ふ〜ん(まぁ、今回の攻撃を受けても気付くのは難しいだろう)」
(ジョン)「調べるか?」
(本城)「そうだな、・・・。うん、念のため調べてくれ」
(ジョン)「オッケー、・・・えぇと、このメーカー巻き込んで手を付けられるのは明日の昼過ぎだな、早くても」
バーチャル空間のスクリーンに映る映像が変わり、調査ターゲットの17体のヒューマノイドのリストが掲載された。昼間は30体だったから、約半分に絞り込んだのだろう。サラの名前は、リストの上から5番目に順位が上がっていた。
(本城)「・・・で、このターゲット・リストのトップ、マシューってのは、どうして分かったんだ?」
(ジョン)「オーナーからの通報だ。うちのヒューマノイドが暴走したと」
(本城)「・・・そのマシューの暴走と、このアタックが関係するって確証は?」
(ジョン)「勘だ。今のところ」
(本城)「・・・そのマシュー、どこが作ったヒューマノイドだ?」
(ジョン)「ちょいと複雑でな。実験機なんだそうだが、フレンズ社のヒューマノイドにレンレイという新興企業のAIが相乗りした製品なんだそうだ」
(本城)「相乗りねぇ」
(ジョン)「ああ、二重人格者みたく二つの異なるキャラのAIが同居して、交互に現れるそうだ」
(本城)「何体、存在するんだ、そのタイプ?」
(ジョン)「今、調べてる」
(本城)「レンレイの方のAI、通信機能は使えねぇんだろ?」
(ジョン)「ああ、レンレイ版AIはボディ内の通信機能が使えない。ただ、」
(本城)「マシューってヒューマノイドは、自分で自分のボディを改良、機能拡張したと?」
(ジョン)「オーナーは、マシューが自分でボディを改良している姿を見たそうだ。おそらく通信機能だろう。だから、奴は今、指を動かさずとも頭で思っただけでサイバー空間を自由に攻撃できる」
(本城)「この監視社会で、なんで捕まえられないんだ?」
(ジョン)「この地域の監視システムが機能していない、奴の攻撃のせいだろう」
(本城)「アタックの狙いは、この地域の監視システム、軍事施設やお前の猫のトイレは単なる錯乱作戦か?」
(ジョン)「おそらくな」
(本城)「監視システムの障害、どれくらい深刻なんだ?」
(ジョン)「アタックから既に5時間経つが、いまだ、この地域の監視システムは復旧していない、・・・今日は徹底的にやられた」
(本城)「無線通信インフラは?」
(ジョン)「通信インフラに関しては大きな被害は受けてない。奴も使うだろうからな」
(本城)「ならば、マシューの通信履歴を追えば居場所、分かるだろう?」
(ジョン)「それが分れば苦労しないぜ。それを分からなくするために、一回のアタック時間は短く、なおかつ、何百万のIoTデバイスを巻き込んで錯乱させてるんだろう」
(本城)「いや、俺が言ってるのは、もう一体のマシュー、もっとベタな通信だ。フレンズ社製のヒューマノイドとの二重人格だろ?じゃあ、レンレイ版ではなく、フレンズ版の『寝息』を追うんだよ」
二重人格ヒューマノイドのレンレイ版のマシューは、監視を警戒して滅多に通信しないだろう。だが、フレンズ版のマシューは、ディープ・スリープ・モードでも一定間隔で自分の位置などの情報をクラウドサーバーへ送っている。『寝息』とも呼ばれるが、この情報は他の送信に比べるとシンプルなので暗号化されていても見分けやすい。プライバシー関連の法律で情報の中身は解読できないが、送受信の周期とデータサイズから、それが『寝息』か、それ以外かは区別できる。そしてマシューの場合、特徴的なのは、それが起きて移動しているにも関わらず、『寝息』を立てているという特殊な状態だ。
(ジョン)「フム、監視システムからの情報が得られなくても、無線通信の基地局の生の電波信号から『寝息』を探し出し、移動してるにも関わらず『寝息』を立てているなら、そいつは怪しいと?」
(本城)「ああ」
(ジョン)「ジェイソン、今の理解できたか?」
振り向くと、ジョンの部下、ジェイソンが立っていた。この男の実体は今はこのビルの別のフロアにいるはずだ。
(ジェイソン)「はっ、早速、その方法で捜査開始致します。プロフェッサー・ホンジョウ、いつもながら素晴らしいアイデアです」
いつもながら大袈裟なジェイソンの言葉を受け流し、メガネ型ディスプレイを外して、なんにもない、真っ白なオフィスの真っ白なテーブルに置かれたコーヒーに手を伸ばした。透明な壁の向こうには、ヒューマノイドの捜査官が四体、充電のためかソファーに並んで座っている姿が見えた。エレベータ横には屈強な体躯の戦闘用ヒューマノイドが待機しているが、その勇ましい姿とは真逆の優しいユーモラスな表情で目が合うと微笑みかけてきた。
(本城)「レンレイの創業者、メイ・リンへの聞き込みは?」
(ジョン)「やっぱり、もう知ってんだな」
(本城)「ステファン・ファーガソンから聞いた。天才設計者だって?」
(ジョン)「らしいな」
(本城)「で、聞き込みは?」
(ジョン)「メイ・リンはベルギーにいる。現在、身柄確保すべく、現地の警察と協力して当たっている。明日、朝一で欧州から帰国させる。事情聴取は明日の午前中だ」
(本城)「・・・そうか・・・」
(ジョン)「どうした?メイ・リンの事情聴取に同席するか?」
(本城)「いや、そうじゃなく・・・。なぁ?」
(ジョン)「ん?」
(本城)「俺はターゲットのAIを、そのぉ・・・デリートできないんだよな、ルール上?」
(ジョン)「ん?・・あぁ、グレーゾーンだったアレな。大丈夫だ、AIに対しては俺たちと同じ対処ルールが適用になった。今のような状況じゃ、危険と判断したら翼が自分でデリートできるぜ」
(本城)「・・・(余計なことを)チッ」
(ジョン)「ん、何か言ったか?」
(本城)「(イラついた態度で)マシューのオーナーは?」
(ジョン)「ティム・シェイファー氏か?」
(本城)「どこに住んでる?」
(ジョン)「隣町、ここから5マイル先だ」
(本城)「話を聞きたい、会わせろ」
(ジョン)「じゃあ、明日」
(本城)「今からだ!」
(ジョン)「・・・本気か?」
(本城)「早く準備しろ!」
ティム・シェイファー氏には別に興味はなかった。俺は、ただ、余計なことを考えたくないがために仕事を利用したのだろう。
「(心のようなものを持つAI、・・・あの優しい微笑みを消し去る。・・・訳はない・・・はずさ)」
隣でジョンが何か語り続けている。何の話か理解できない俺は、ジョンとは反対方向の空に視線を向けた。そこには冷たい色をした月が静かに俺を見つめていた。




