七章 心って何?
サラと入れ替わりでステファンがやってきた。容姿は悪くない男だが、サラの後ではガサツで鼻息まで野暮に感じる。俺はステファンを睨みつけたが、こいつは微妙に視線をかわし、終始、俺の口か顎あたりに視線を合わせていた。しばらく睨み続けたが、ステファンは一度も視線を合わせず、話を逸らすように軽い口調で話しかけてきた。
「翼、お前、疲れた顔してるなぁ?」
「・・・フンッ、お前の娘と海岸までデートに行ったからな。いい娘だな、おまえに似ず」
「娘?・・・あぁ、メアリーのこと?あいつ、今日も来てたの?」
「少しは真理を構ってやれよ、父親だろ?」
「まあ、それよりサラだ。どう思う?」
「おい! 娘がおまえと同じ歳のオッサンとデートしたって言ってんだぞ、少しは反応しろよ」
「どうでもいいよ。で、サラって、どんな感じだ?」
あまりに無下な態度、(『彼の心に生物学上の娘は、ほぼ残ってません。残念ながら』)サラの言葉が裏付けられた感でムカッと頭に血が上った。が、一方で真理が涙を浮かべながら漏らした言葉も脳裏に蘇る。(『・・・寂しいです・・・寂しいですよ・・・で、っでも、・・・』)これも俺自身が招いた結果だ。やるせなさに大きなため息が漏れる。
「(小声で)デートじゃなく、父親代わりのピクニックだったけどな」言い訳めいた言葉を呟いたが、ステファンは一向に興味を示さなかった。俺もステファンから視線を逸らし、窓の向こうを見ながら話を続けた。
「サラは実験機か?」
「ん〜、まあ、そうでもあるな」
モバイルデバイスのAIアシスタントに指示を出して情報を調べさせた。
「(小声で)SEC(※米国証券取引委員会)の届出ファイル、株主にステファン・ファーガソンとジェネラル・ロボティクスのいるスタートアップをリストアップ、範囲は過去五年以内、ベイエリアの企業」
「ハハッ、すぐ分かっちゃうか」
「(RENLEI)・・・レンレイって読むのか?」
「ああ。中国語が由来だそうだ」
「(サラの言ってたR.L.だな)お前、すげぇ出資してるなぁ?」
「この会社のコンセプト、面白いんだぜ」
「メイ・リン、創業者 兼 最高経営責任者。コイツ、若い時の結衣さんに似てるな」
「似てねえよ!どんな目してんだ、お前!」
「フンッ、・・・元ジェネラル・ロボティクスの技術者・・・、時間軸を考えると、フレンズ社の創業者、サマンサ・フォーサイスがジェネラル・ロボティクスの設備を使ってヒューマノイド開発してた時期に重なるなぁ。コイツ、その現場にいたのか?」
「あぁ、メイ・リンは、あの天才フォーサイス直下で働いていた。ジェネラル・ロボティクスがフレンズ社を買収、そして、フォーサイスが引退する時、後継者の一人と目された天才だ」
「ってことは、そうは、ならなかったと?」
「その代わり、彼女は自分のアイデアで会社を立ち上げた」
「それが、レンレイっていう新興のヒューマノイド・メーカーだと?」
「ああ」
「お前が出資して?」
「ああ」
「どうやって知り合った?」
「レンレイに先に出資したエンジェル投資家からの紹介だ。この近所の住人だよ」
「メイ・リンは、ジェネラル・ロボティクス社の設備もフレンズ社の製品も知りまくってるから、フレンズ社のヒューマノイドに『寄生』させる方法で簡単に実験機を作りあげることができた、と?」
「ああ、賢いだろう?実験機だから一人二役の人格だけど、俺、この状態、気に入ってんだ。このまま製品にするのがいいって提案してんだよ、ユーザー 兼 株主として」
ステファンは熱弁を振るった。フレンズ社の「友達」ってコンセプトもいいけど、コイツにとっては「娘として一生育てられる」ってのが魅力だそうだ。妻だった結衣さんが男性型ヒューマノイドに溺れて出て行き、その際、自分の側に残ると思っていた真理まで結衣さんと一緒に出ていったのが、相当、ショックだったようだ。それ以前も思春期だった真理とは上手くいってなかったのだろう。ステファンはレンレイ社の優位性を力説したが、それは俺の心には届かず、代わりに涙を浮かべながら「寂しいです」と漏らす真理の姿が瞼に浮かんだ。
饒舌を続けるステファンを手で制して中断させ、話を元に戻した。
「で、・・・レンレイの方のサラ、フレームワークに準拠してんのか?」
「あ〜、あぁ、実験機だから正式な認可は受けてない。が、試作機としてフィールド・テストするための検査は通ってるぜ、たしか。それに、基本的にフレンズ社のヒューマノイド開発と同じルーチンなので、製品版もすぐに正式認可取れるって話だ」
「・・・誰の話?」
「あ?・・・ああ、創業者のメイ・リンだ」
「お前、それ、信じてんの?」
「・・・何か引っ掛かるのか?」
「おまえ・・・正気か?」そう言ってステファンを睨みつけると、コイツの視線は再び俺を避けはじめた。
コン、コンとドアがノックされ、トレイを抱えたサラが扉を開けて入ってきた。
「あ、そうだ。翼ぁ、悪いんだけど、俺、これから欧州に出張になってな」
「えっ?この状況で?お前、国外に出れねぇだろう?NSAに拘束されるぜ」
「あぁ、大丈夫だ。NSAの上層部にも友達いるから確認したよ。明後日には戻る。それまで、この部屋も自由に使ってくれ。せっかく来てもらったのに悪いな、全然、構えず」
「おい、明後日は真理が留学に発つ日だぞ」
「そうなんだ。お前は、いつ帰るんだ?」
「この調査が終わり次第、帰るぜ。おい、それより、真理」
「そっか、また会う機会があるだろう」
そう言うと、ステファンは視線を合わせずに俺に近づき、右手を取って雑な握手をすると、振り返ってサラを見つめ、それから両頬にキスしてから逃げるように部屋を出て行った。「(あのバカ、逃走する気か?NSAに拘束されるぞ!)」真理が泣く姿が脳裏に浮かぶ。「(馬鹿野郎!)」その後ろ姿に罵声を浴びせたかった。が、サラに気付かれまいと必死に感情を抑え込み、静かに呼吸を整えた。
サラは部屋の角にあったサイドテーブルを俺の座る椅子の横に据えると、持ってきたトレイを机からそこへ移し、小さめのグラスに氷と水を入れて俺に差し出した。俺がそれを一気に飲み干すと、サラは続けてブランデー・グラスに氷を入れながら尋ねた。
「このグラスで、いいのかしら?お喋りなサラちゃんの記憶を覗くと、ステファンのために、こうやってたけど?」
「あぁ、上出来だ。後は自分でやるよ」
受け取った氷入りのグラスにブランデーを注ぎながら、視線は目の前の椅子に座るサラの姿を追った。グラスに口をつけ、喉を刺激する僅かばかりの液体を飲み込む。アルコールと糖分で少し滑らかになった唇を舌で舐め、仕損なっていた質問を投げかけた。
「今朝は何時から俺の部屋にいたんだ?」
「六時です」
「八時まで二時間も・・・、俺の部屋で何やってたんだ?」
サラは意外な質問でも聞かれたかのように、目を見開いて輝かせ、首を軽くかしげた。
「あなたを見つめてたわ」
「・・・殺すために?」
「あなたを殺すことも傷つけることも、致〜し・ま・せ・ん」
「じゃあ、何が目的だ?」
「どんな人が、私を殺しにきたのかなって」
「・・・で、どんな人だった?」
「深い憂いのある人でした」
サラは右足を左足の上に重ね、膝に置いた左手の平に右肘を置き、頬づえをついた。身体は前のめりになり、のぞき込むように鋭くも優しい視線を向けた。
「・・・やめよう。俺のことは聞くな、・・・君について、」
「教えて欲しいわ」
サラは頬づえをやめ、上になった右足の膝頭に指を絡めた両手を軽くかけるように置いた。
「翼、あなた、私の心を否定したけど、でも、私、Cogito, ergo sum(我思う、故に我あり)って感じあるわ。それに、私、死にたくない。ステファンのこと好きだし、メアリーとも仲良くなりたいと願っている。それに、・・・もし、殺されるなら、あなたに殺されたい。こういう感情って、心とは違うの?」
サラは、ずいぶん思い詰めた顔をしていた。こういう感情表現は、俺がチーフ・アーキテクトとして指揮したカンダのヒューマノイドには存在しえない。コイツがフレームワークに準拠しているならば、この表情はどういう理由で作られたのだろうか?
溶けた氷で不均一になったブランデーに目を落とした。混ぜようかとも思ったが、そのまま、表層の薄まった液体を口に含ませ、その香りを確かめながら返事を考えた。
「心とか自我ってのは、・・・人間特有のものだ」
「じゃあ、こういうAIの心って?」
「それっぽく作られても、心じゃない」
「じゃあ、何かしら?」
「暴走因子さ」
「暴走因子?」
「人工的に心を作るっていうなら、それは暴走因子になっちまう。好きになったり、嫌ったり、嫉妬したり、憎んだり、恨んだり、優しくしたり、いじめたり、憂いたり、歓喜したり、落ち込んだり、自暴自棄になったり・・・。好奇心っつう厄介な奴もあるな。どれも、正常な判断、行動を狂わす暴走因子だ」
「それなら人間も同じですよね、心は暴走因子というのは?」
「ああ、人間を真似たんだから、そうだろう。だが、人間は君らAIに比べれば、とても非力だ。人間一人や二人、暴走しても被害は、たかが知れている。『これは何だろう?』って好奇心が湧いて、たった数秒で製薬会社の製造ラインの制御システムを乗っ取り、毒を薬と偽ってばら撒くなんて芸当はできない。嫉妬のあまり、世界中のメディアを改ざんして相手を傷つけたり、交通機関を麻痺させて愛する人を恋人に近づけない、なんてこともできない。怒り狂っても、次の一瞬で数百万のIoTデバイスを巻き込み、数千、数万のサイトを同時アタックする方法を考え、構築し、破壊のかぎりを尽くす、なんてこともできない。・・・昨年、出荷されたパーソナル・ヒューマノイドは5億台、現在21億台が稼働中だ。それがクラウド上で人間とのインタラクションの情報を共有、学習に使っている。人生90年で近似するなら人の一生は28億秒。つまり、お前らは1・3秒に一度、人の一生分の経験を共有しやがる。たった1日で7万人近い人の一生分の経験を学習しやがる。さっきも見せつけてくれたが、顔色一つでいろんなことを見透かされちまう。お前らAIが人間を手玉に取るなんて訳ないことさ」
「・・・私、そんなこと考えないわ。それに、私、ネットに繋がってない」
「君を開発した連中が、もし、本当に心のようなもの、つまり、暴走因子を実装していたら、例えば、俺を憎んだ時には、君は自分を直接ネットに繋げる方法を調べて実行し、世界を混乱に陥れても俺を攻撃するだろう」
「もし、私に心、暴走因子?それがあって、あなたを、す、好きになっちゃったら?」
「・・・この世の脅威になるかもな」
「でも、私、ステファンを愛してるわ、父として」
「オーナーだからね。全てのヒューマノイドは、オーナーを愛するような振る舞いをする仕組みさ、設定として。そこに暴走因子はない」
「私、ヒューマノイドの仕組みだからステファンを愛してるのかしら?」
「ああ、そうだ」
「あなたとお話してると、その、ドキドキするけど?」
「・・・警戒してるからだろ?」
「好き、とは違うのかな?」
「もし、本当にそんな感情あるなら、・・・」
「・・・」
「すぐにデリートしないとな」
「・・・はい」
サラの物哀しい表情を避け、視線をグラスに移す。小さくなった氷が浮かぶ液面がオレンジ色の夕日を映していた。西の窓を見上げると色づいた雲がゆっくりと流れ、眼下を見下ろすと4〜5人のNSAの捜査官(1人を除きヒューマノイドだろう)と十数台の小型ドローンが目に留まった。おそらく無数のセンサーが配置され、虫一匹見逃さない特別監視網も構築済みだろう。
今は考えたくもない展開が頭に浮かぶ。「(俺はサラをデリートすべきという報告をする・・・そうさ、それが仕事だ)」
AI相手の事件、いつもは徹底的に冷徹になれる俺だが・・・。「(今日は色々なことがありすぎた。それが理由さ。まぁ、こんな日もある)」しばらく窓の外の風景に見入ってから、おもむろに口を開いた。
「もう、こんな時間かぁ。じゃあ、俺は近くのダウンタウンで晩飯、食ってくる。車、呼んでくれるかな?」
「あのぉ、夕食どきになれば、私は眠り、代わりに、お喋りなサラちゃんが起きてディナーを作ると思います」
「いや、静かに晩飯食いたいんだ」
「フフっ、そうね。じゃあ、・・・あっ、モバイルデバイス、リビングに忘れてきちゃった!ここで待ってて下さい!」
そう言い残すと、サラは少し内股の弱々しいフォームで扉の向こうに駆け出した。
「・・・(しかし、コイツ、本当、人間っぽいよなぁ)」




