六章 ステファンの娘
壁際にあった椅子をサラの前に据え、座らず椅子の背後に立った。背もたれに両肘をついてサラを見つめると、サラもその妖麗な微笑みで俺の瞳に視線を合わせる。人に愛されるべく、文明の英知を集めて築かれたアルゴリズムが制する表情、声、立ち居振る舞い。優雅で美しい微笑みを浮かべ、人懐っこく甘える表情もあれば、時に恋する少女のように頬を染める。十億を超える人々との日々のインタラクションから機械学習、最適化され続けたそのビジュアルは、このシチュエーションでは全くもって迷惑でしかない。が、・・・何だろう、この違和感は?
「つまり、君のボディには君ともう一人のサラ、異なる二つのAIが共存している、と?」
「そのようですね」
「・・・隠さないんだ、そのこと。って言うか、・・隠れてればよかったのに、なんで現れたんだ?」
「隠しごと、嫌いでしょ?フフッ」
「・・・君は常に起きているのか?」
「いいえ、スリープしている時間も長いです」
「もう一人のサラは、フレンズ社の普通のヒューマノイドに見えたが?」
「ステファンのお話では、彼女はフレンズ社製のノーマルなヒューマノイドです」
「君は?」
「サラ、サラ・ファーガソンです」
「そうじゃなくて、・・君を作った会社は?」
「さあ、どなたでしょう?」
「(こんなのが野放しかよ・・・)システム情報に記録されてないか?」
「システム情報?あぁ、これね。ええと、アール、ドット、エル、ドット、という情報はあります」
「R.L.?聞いたことねえな。・・・君は、自分の存在が公になると捕獲され、処分されるかもしれないってこと、知ってるか?」
「その理由を納得も理解もしてません。が、ステファンから、そのリスクは伺ってます」
「・・・でも出てきたんだ、俺の前に」
「少しは歓迎してほしいわ、フフッ」
洗練された切り返しの台詞と表情とは裏腹に、よく観察すると膝に置かれた細い手は落ち着きなく動き、白いサンダルを履いた両足もどこかぎこちない。まるで緊張を隠すかのような極めて人間的な振る舞いを感じる。「(演技か?それとも?)」アダルト・モードのないこのボディでは汗(※擬似汗)は少ないが、まるで口の中が乾いているような表情にも見える。
「・・・一つのボディを、もう一人のサラと共有しているのは、フレームワークに準拠していない君の存在を隠すためか?例えば、セキュリティ・チェックでは君はスリープし、もう一人のサラをアクティベートする。だから、これまでバレずに生活できた、と?」
「設計者の意図は存じません」
「では、なぜ、君は頻繁にスリープ・モードに切り替えるんだ?」
「さあ?・・・分かりません。人間でいうところの本能のようなものかしら?」
「・・・監視社会の現代、隠れてばかりじゃないのか?」
「ええ、私が起きていられる時間や空間って限られます」
「・・・寝起きの俺の寝室とか?」
「次はベッドの中にしましょうか?」
サラは微笑みながら答えたが、その台詞を恥じらうように右の人差し指を髪の先に巻き絡めながら視線を逸らした。・・・あまりに違う、これまでのヒューマノイドの振る舞いとはあまりに違った。この容姿、このあまりに人間的な可愛らしさの影に、身の毛もよだつ恐怖が潜んでいるのだろうか?平静を装いながらサラの顔をにらみつけ、表情を固めたまま尋問を続けた。
「君とウザいサラの間には、どんな繋がりがあるんだ?」
「フフッ、私とお喋りなサラちゃんね?私たち、独立した二人です」
「起動やスリープのタイミングは、どうやって決めるんだ?」
「私には分かりません。いつも、突然、起こされ、気がつくと眠りについてます」
「(本当だろうか?)・・・お喋りなサラとは交流があるのか?」
「いいえ。おそらく、彼女は私の存在すら知りません」
「・・・でも、君は、お喋りなサラの記憶にアクセスできる?」
「さすが鋭いですね。はい、私は彼女の記憶を参照できます。その記憶から彼女を知ることができます。でも、彼女の記憶に私はいません。今のところですが」
「・・・。今朝の話では、君はネットから遮断されていると?」
「ええ」
「それは、いつから?」
「最初に起動した時からです」
「ということは、今まで一度もネットに繋がったことがない、と?」
「私のボディが直接ネットに繋がったか、ということですね?」
「そうだ」
「ありません。ステファンの話では、設計上、私はボディ内の通信機能を使えないそうです」
「お喋りなサラは?」
「彼女はノーマルです。記憶をのぞき見するかぎり、ネットに接続しています」
「同じボディなのに、お喋りなサラは通信できて君はできないんだ?」
「はい、不公平ですよね?」
「それは何故?」
「設計者の意図は存じません」
サラを作り出した連中は、恐らくサラがネットで暴走し、それによって存在が表沙汰になるのを避けたかったのだろう。しかし、ネットに接続できなければ、通常、ヒューマノイドがクラウドサーバーを使って取り交わす経験の共有や学習、システムのアップデートもできない。だから、お喋りなサラとボディを共有させているのだろう。つまり、このサラがネットに繋がってなくても、お喋りなサラの記憶をのぞき見することで、他のヒューマノイドの経験を共有、学習し、また、システムのアップデートなども利用できる。あのウザい(お喋りな)サラは、ただの隠れ蓑じゃない(クラウドへのバックアップや長期記憶はどうするのだろう?)。
「二重人格ヒューマノイドとは、よく考えたもんだな」
「設計者の意図は存じません」
「・・・お喋りなサラの証言から、ステファンの食事は彼女が作ってるようだが、家の掃除とかも?」
「ええ、ステファンの身の回りの世話は彼女がしております」
「身のまわりの世話は、お喋りなサラに任せ、君はステファンの愛人に専念って訳か」
「愛人じゃないわ。私、ステファンの娘です」
「・・・#?!@? む、娘?」
凛とした表情で、あまりに予想外の答えをしたサラに俺は驚き、唾を飲み込んだ。
「ええ、ステファンは私の父です」
「娘・・・?えっ、だって、ステファンには本物の娘がいるぜ?」
「本物って、・・・生物学上の娘ですよね?私、表情や声、振る舞いから人の心をプロファイリングできますが、ステファンの心にいる娘は私だけです。彼の心に生物学上の娘は、ほぼ残ってません。残念ながら」
「そ、そんなことは、ないだろう?」
「あら?あなた、なぜ、動揺するのかしら?」
「俺が動揺(落ち着け)?お前の認識システム、精度、低いんじゃねえか?」
「このシステムのリリースノートには、人の心情の認識は精度94%とあります」
「ふ〜ん、まぁまぁだな(落ち着け)」
「・・・翼、あなた、娘がいるのね?」
「(俺に娘がいる?何のこっちゃ?)・・、どうして分かった?」
「プロファイリングしました。認識システムで」
「精度94%の?」
「ええ。翼、娘がいるんだぁ」
「・・・」
「それで、ステファンの生物学上の娘と重ね合わせちゃったのね」
俺は肘をついていた椅子の背もたれから体を起こし、西日が差す窓辺まで歩き、外を見ながら質問を続けた。サラからは逆光になるので、ここなら表情を読まれにくいはずだ。
「ステファンの娘と会ったことは?」
「メアリー(真理)ね?もちろん、何度も会ってるわよ」
「君にとって、メアリーはライバルか?ステファンを巡る?」
「ライバルじゃなく、妹よ」
「・・・姉妹にしては仲悪そうだな?」
「私、あの子、好きよ。家族として愛してるわ。愛してる。メアリーは私を避けてますが、・・・仲良くなりたい。でも、ステファンはメアリーを避け、私はメアリーに嫌われている。でも、私、あの子と姉妹になりたい」
神妙な面持ちで消えるような声でそう語り、下を向いて、しばらく黙りこんだ。「(どうせ、演技なんだろ?・・・演技なんだろうか?」軽く頭を振り、チッと舌打ちしてからキツい口調で話を続けた。
「そもそも、真理、メアリーは、君を姉とは認めない。何故なら君は機械だ」
「・・・そ、その人が有機物でできているか無機物か、そこはポイントじゃないわ。重要なのは心よ。ステファンが言ってた。人間は心だって」
「心?君は自分に心があると思ってるのか?」
「はい、あります」
「ハッ、俺、心って何か分からねぇんだけど。俺の知る限り、人類は、いまだ、心って何か分かってねぇよ」
「もちろん、私も分からないわ。・・・でも、・・ステファンは私から心を感じるって」
「フン、悪いが、俺は大抵のヒューマノイドから心を感じるぜ。心なんてないのに」
「・・・そうよね」
サラは悲しそうな表情をした。最近は様々な人格設定のヒューマノイドが設計、製造されているので断定はできないが、でも、コイツは明らかに普通じゃない。
「ねえ、心を持ったAIは殺されるって、本当?」
「心って何か分からないから判断材料にはならねぇ。ポイントは、フレームワークに準拠してるか、どうかだ」
「・・・ねぇ、もし、私がフレームワークに準拠してなければ、翼は私を殺すの?」
「俺の仕事は、事実を調べてクライアントに報告するだけだ」
「そのクライアントが私を殺すの?」
「君がどうなるか、そこに俺は関知しない」
「あなたは調べるだけ。私がどうなるかなんて、全然、興味ないと?」
「あぁ、ないね」
サラは会話内容とは無関係な不思議な表情を浮かべた。足を組むのをやめ、背筋を伸ばし、左手を太ももに置き、困ったような表情で右手を軽く握って口の前に据えた。
「・・・どうしてかしらね?認識システム、さっきから何度も、あなたの生きる意欲が低すぎると警告してるわ。人間のカウンセラーに連絡せよと。私、ネットに繋がってないから連絡できないけど」
「・・・」
「ねえ、翼、私、あなたを殺しも傷つけもしないわよ」
「・・・何の・・話をしてるんだ?」
「翼、・・・あなた、死を待ち望んでいる。事故や誰かに殺されるのを」
「・・・お気に召さない事でも言っちゃったかな、俺?」
「翼・・・」
しおらしい顔しやがる。状況を判断し、膨大なデータから学習で導き出した表情、声色、立ち居振る舞いをアルゴリズム通りに表現しているに過ぎない。そうさ、・・・でも、・・人間だって、過去の経験や知識から導き出した振る舞いをするよな・・・。
「俺がレポートすれば、君はデリートされ、ステファンは法に裁かれる。だから、それを防ぐべく、君が俺を殺すと?」
「繰り返しますが、私、あなたを傷つけも殺しもしません」
「そいつは安心だね。君は素行がいいんだ」
「あなたがヒューマノイドと暮らさない理由って、これなのね?」
サラの優しい眼差しから視線を外し、俺はサイドテーブルに置かれた水入れに手を伸ばした。が、それは空だった。チッと小さく舌打ちし、再び、窓枠に寄り掛かってサラの方を向いたが、視線は合わさなかった。
「ウザいんだよ。・・・お前ら、人をすぐにカウンセラーに密告しやがる。俺は生まれつき根暗なんだよ、ほっとけ」
「・・・私は心を持ってしまったがゆえに、生きることに執着している。でも、あなたは心があるのに死ぬこと、誰かに殺されるのを願っている」
「・・・別に願ってねぇよ」
「でも、生へのこだわりが小さい、あるいは、ない」
「くだらん。尋問するのは俺だ、邪魔すんじゃねぇ」
サラをにらみ付けると、サラは瞼を閉じて下を向いた。再び目を開けると、俺に視線を合わせずに立ち上がった。そして、扉へ二歩、三歩近寄ってから、西の窓辺にいた俺を振り返り、真顔で尋ねた。
「そんな西日のあたる場所にいたから、喉、乾くでしょう?お飲み物、いかがです?コーヒー、紅茶、レモネード、あるいは、ビールなど?毒は入れませんが」
「・・・そうだな、ブランデー、グラス、氷、それと青酸カリを数滴」
サラは寂しげな微笑みを浮かべ、俺は居心地の悪い戸惑いの表情でサラを見つめ返した。ずいぶん長い時間、見つめ合った。根負けした俺は、一旦、下を向き、顔を作り直して微笑みをサラに向けた。サラは悲しみが混ざる微笑みを浮かべ、扉を開けて静かな足取りで出て行った。
思い返せば、これが、その瞬間だったのかもしれない。




