四章 約束
浜辺から高さ約15メートルの崖の上、かつて高級レストランだった建物が古城跡のような風格を残し、今は公園として使われている。海岸に面した庭はピクニック用に開放され、綺麗に刈られた芝生に大きな木製テーブルが並んでいた。俺と真理は海岸線を一望できる木陰のテーブルに席を取り、真理は馴れた手付きでピクニック・バスケットからテーブルクロスや食器を取り出し、サンドイッチやデザート、飲み物などをテーブルに並べた。俺たちは他愛ない会話でサンドイッチなどを頬張った。そして、ほとんど平らげる頃になって真理は表情を改め、唐突に聞いてきた。
「あのぉ、さっきのお話ですが、」
「ん?」
「ショックって、どんなショックですか?」
「ショック?・・・ああ、KGE41型の話ね?」
「ええ」
「そうだなぁ、例えるなら何だろう?・・・心の準備もないまま異次元空間に迷い込み、次の瞬間、二度と元の世界に戻れなくなったと悟った、そんな感じ。分かるかなぁ?」
「えっとぉ、不思議の国のアリス?・・・は、元の世界に戻れましたよね?あっ、結局、夢だったんでしたっけ?」
「いい喩えかもな。白うさぎの代わりに『人々の真の伴侶』を創るんだってビジョンを夢中になって追いかけた」
「父も母も、ヒューマノイドが人生の伴侶だと思ってます。ビジョンを実現しましたね」
「・・・」
「どうか、しました?」
「・・・これほど多くの夫婦が別々の道を選ぶとは想像しなかった。親が子供の存在を忘れるなんて、思いもしなかった。人の愛が、・・こんなに歪んじまうなんて・・考えもしなかった」
首を傾げながら俺の様子を伺う真理から目をそらし、風の音に耳を傾け、潮騒を奏でる海岸線に視線を向けた。「(なに言い訳じみた話を・・・)」そう思い、動揺を隠すように静かにゆっくり大きな呼吸を繰り返した。
「・・・言い訳だな、これは。・・・すまん」
吐き捨てるように言葉を漏らした。耳を傾ける真理は、にらむように俺を見つめていた。
「でも、『不気味の谷』を超える前のロボット然としたヒューマノイドが普及した段階で別れた夫婦も多かったんですよね?ヒューマノイドが家計を支え、料理や掃除、洗濯をし、病気になっても面倒見てくれる。夫婦で支え合うことが不要になった」
「フンッ、最近は学校でそう教わるのかい?」
「K大の入試、あたしのピッチ(プレゼンテーション)のテーマです。昔の社会のことも調べました」
「そうか。・・でも、ロボットの頃までなら、人は人を愛すことができた」
「恨むことも、嫉妬することも、憎しみ合うことも、ですよね?そして、ヒューマノイドの普及は、それ以前の多くの社会問題を解決した」
「どんな問題?・・・という聞き方は、教育者っぽいか」
真理は、ぎこちなく笑顔を作り、ふざけた素ぶりで手をあげて答えた。
「はい、本城先生!え〜とですねぇ、アメリカや中国、インド、南米ではAIに雇用が奪われ、失業率が高まり、特に高齢者と若年層で格差問題が深刻になりました。欧州や日本では少子高齢化で介護保険や年金制度が崩壊寸前になり、追い討ちをかけて失業保険が増大。世界各国が財政破綻寸前に陥り、デモや暴動が頻発するようになったんです」
「へぇ、介護とか年金って言葉も知ってるんだ?」
「現代史も勉強しましたから」
「デモや暴動かぁ。・・・俺が学生時代、大学のキャンパスは治安の悪い場所の代表だった。で、それから?」
「え〜と、AI、ヒューマノイドを軸とした新しい雇用対策法により、失業問題は大きく改善されました。それから、え〜と、年金制度が不要になったんです。ヒューマノイドはリース契約なので、オーナーが生きている間、リースが更新され、いつも新しいボディで働き続けられるので。ヒューマノイドは自分で自分のリース代も稼ぎますし。それから、ヒューマノイドが年老いたオーナーの面倒を見るので介護の保険制度も不要になって、国の財政問題は急激に改善したんです。同時に各国政府は、AIやヒューマノイドを産業政策の柱として育てたので、経済も急激に上向きになったんです」
「良い面だけ見ればね。・・・で、君自身は、この社会で幸せか?」
「えっ?・・・えっと、・・・お、多くの人々にとって」
真理の態度から急に自信が消え、声のボリュームも下がった。真理はテーブルに視線を落とし、しどろもどろ答えはじめた。
「多くの人々にとって、この仕組みは」
「俺は君に聞いてるんだ。君は、この社会で幸せか?」
「えっとぉ、あたしは、・・あたしは、あまり良い例にならないかもです」
「なぜ?なぜ、君は良い例じゃないんだ?(オイ、この子は、お前の学生でも被験者でもないぞ)」
「えっとぉ、そのぉ、・・・あ、あたしの家、裕福だったので」
「裕福か貧しいかが、幸せかどうか決めるのか?(オイ、なぜ、この子を問い詰める?)」
「いえ、その〜・・・」
「他人のデータをあれこれ論じるのもいいが、自分の直感を信じて仮説を立てることも大事だ。まずは、自分は本当はどう感じているのか率直な気持ちを言ってみな(オイ、この子に聞いてどうする?また、落ち込むだけだぞ)」
「はい、え〜、そのぉ、あのぉ」
「難しいことは聞いてない。君は、この社会で幸せか?(お前は馬鹿か?)」
「え〜、・・えぇとぉ・・・」
「俺は、君の本心を聞きたい(・・・聞くのが怖いくせに)」
「・・・」
真理は下を向き、沈黙の時間がしばらく流れた。
「君はいい子だ。でも、そんな気を使う生き方、しない方がいい」
さらに数秒の沈黙の後、真理は俺に視線を向けた。瞳は涙で揺れていた。
「・・・寂しいです・・・寂しいですよ・・・で、っでも、・・・」
「・・・」
「あたしが十歳頃まで、父と母、とても仲が良くて・・・。それに父や母の心に、あたしという存在がちゃんとあったと思うんです」
「・・・今は?(同じ話、何千人の子供から聞けば気が済むんだ、お前?いや、俺は)」
「あたしの存在って、ヒューマノイドより、かなり小さいんですよね」
真理は、一旦、下を向いて目頭を押さえ、赤くなった目で再び俺を見つめた。
「き、昨日、父から『まだ、帰れないから、代わりに翼を家に招き入れてくれ』って連絡があったけど、・・・父から話しかけてくれたの、1年3ヶ月ぶりなんですよね。・・あたしのこと、何も聞いてくれませんでしたが」
「・・・」
「母とは一緒に住んでますが、いつも若い男性型ヒューマノイドにべったりで、あたしとの会話、面倒みたい。・・・父も母も、私が留学するの、というか、あたしが遠くに行くの喜んでます。あの人たち、私がどこに留学するのか分かってるのかなって、情けないっていうか、・・・あたし、悲しいの?これ、何ていう感情?」
「・・・」
テーブルの向こうの真理は、背筋を伸ばしたまま両手で顔を覆っていたが、指先で目元を抑えて涙が流れ落ちなくなったのを確認すると、手を膝の上に置いて顔を上げた。目鼻を赤めながら視線は斜め上に向け、唇を口の内側に入れて舐めると、上の歯で下唇を噛んで悲しみを堪えていた。鼻をすすり、時々、右手で風になびく長い髪を後ろに流した。
俺はテーブルに右肘を乗せ、頬杖をつきながら思いあぐね、視線を風で揺らぐ真理の黒髪の先から緑の芝が敷き詰められた崖の上の景色へ移し、その奥に茶色い岩肌に隔てられた白い海岸線が続く景色を追い、さらに奥へ視線を流し、ネイビーブルーの海が淡い空へ霞みゆく先へ視線を凝らそうとしたあたりで意識から視界が消え去った・・・。
「本城さん?」
「・・・」
「本城さん?」
「・・・」
「大丈夫ですか?」
「えっ、あぁ、うん、・・・ゴメン」
再び大きな溜息をついてしまった。
「『人々の真の伴侶』、俺が提唱したコンセプトなんだ」
「・・・」
「それが、あの会社だけでなく、いつのまにかヒューマノイド業界全体が目指す方向になっちまった」
「・・・」
「そして、・・・人は人を愛すことを忘れはじめた」
真理から視線を外すために足を組んで体の向きを変えた。拍子で膝にかけたナプキンが地面にすべり落ちた。「(一刻も早く、この子から離れたい、調査の仕事なんて放り投げたい)」ナプキンを拾い上げ、軽く汚れを払ってから、ざっくり畳んでバスケットに放り込んだ。
「つまらん話だ、すまん。さて、そろそろ」
「本城さん」
「ん?」
「本城さんって、2040年に会社、辞めたんですね?」
「・・・あぁ、そうだ。よく知ってるな?」
「ネットで調べました。KGE41型って、2041年に開発されたんじゃないんですか?」
「うん、俺はベータ・バージョン、つまり完成前の試作品を見届け、会社を辞めた。2040年の7月、南半球、シドニー近郊なので季節は冬だった」
「なぜ、完成前に会社を辞めたんですか?本城さん、世界的に注目の若手チーフ・アーキテクトだったんですよね?その地位を捨てて?」
「なぜ?そうだなぁ、あの時は漠然とだけど、『俺は、ここにいるべきでない』、そう強く感じたんだ」
「ここに、いるべきでない?」
「うん、・・分からなくなった。俺が手掛けてきたことが、創り出そうとしていたものが果たして正しいことか。それは人々を幸せにするのか、それとも社会を破壊するのか」
「・・・今は、どう思ってますか?」
「あれから人々の価値観も社会も大きく変わった。影響は小さくない。特に、・・君の世代は一番の犠牲者だ」
「犠牲者?・・・あたし、あ、あたし自分を犠牲者だとは思ってません」
真理の声が急に荒げたのに驚き、頬杖をついたあごを軽く持ち上げ、遠くを見ていた視線を真理の瞳に向けた。背筋を伸ばし、真っ直ぐに俺を見つめるその姿は、迷惑なくらい若々しく眩しかった。実際、その真っ直ぐな美しさは極めて迷惑でしかない。ただ迷惑で、・・・可憐だった。
「俺は君や君の世代の子供達が苦しみ、悲しむ原因の一端を担いだ。その責任からは逃れようがない」
真理を正視できない。「(俺は、この先、この子から父親のステファンまで奪うだろう・・・)」動悸が大きく乱れた。気付かれないよう静かに呼吸を整える。
「そろそろ戻らないと。・・・今日は誘ってくれて、ありがとう。料理、美味しかった。お世辞抜きに」
大人気ない自分の態度、優しくできない自分が腹立たしかった。真理から視線を外し、食べ終えた食器をバスケットに戻した。「(ピクニックなんて、来るべきでなかった)」そう深く後悔したが今更だった。
「あたし、本城さんのこと責める気持ち、少しもありません。・・・本城さんは悪くないです」
「(悪くないです)」俺の頭の中で、そのフレーズが繰り返された。無責任な側の俺が求め続けた言葉なのだろう。
「フッ、君はいい子だ。俺のような愚れた大人なんて相手にしないことだ」
「あたし、本城さんのこと、好きです」
「ありがとう、でも、そんな気を使わなくていいよ」
「本城さん!」
立ちあがろうとする俺を制するような強い口調だった。が、すぐに一転して優しい口調に変わった。
「本城さん?」
「・・・」
「あたしに『事前に』言っておくこと、ありませんか?」
「・・・なんだい、『事前に』って?」
「本城さんは大学教授だから、本当は本城先生って呼ぶべきなんでしょうけど」
「・・・」
「AI関連の不可解な事件では必ず登場する、凄腕の探偵でもあるんですよね?」
予想していた一方、できれば、この話題は避けたかった。聞く真理も、聞かれる俺もぎこちなくなった。
「探偵じゃなく調査員、凄腕じゃなく、普通のな。ステファンから聞いた?」
「ネットで調べました、昨日の夜・・・秘密でした?」
「いや。・・・まあ、あまり公にはしてないが」
「サラ、あのAIを調べに来たんですか?」
「まだ分からない」
「捜査機関がサラのこと調べてるの、知ってます。昨日、近所の人が何人もサラについて質問を受けました、捜査官らしき人から」
「・・・」
「AIのフレームワークのことも調べました。AIが暴走すると、どんなに危険かってことも」
「・・・」
「違法なAIを所持すれば、とても重い罰が課せられる・・・父は逮捕されるんですか?」
「・・・」
真理の瞳に再び涙が浮かんだ。が、気丈に振る舞い、表情を消し、真っ直ぐに俺の目を見つめ、震える声で問い続けた。
「本城さんの訪問目的って、ち、父を逮捕することだったんですか?」
「いや、違う、・・・けれど」
そこまで言って言葉がつまった。
「本城さん?・・・えっ、本城さん!?」
「・・あっ、いや、・・何でもない」
真理はテーブルの向かいから駆け寄り、俺の背後へ回った。両手を俺の肩に優しく乗せ、右の肩から俺の顔を覗き込んだ。
「いや・・・ちょっと、目にホコリ、す、砂かな?入っただけだから。・・か、海岸だから塩分多いのかな」
「(何でこうなった?この子に感情移入し過ぎだ!)」真理は横に座り、心配そうに優しく俺の肩に手を乗せたままだ。俺は気恥ずかしくて反対を向いて頬づえをついた。しばらくすると、真理は背中を向け、俺の右肩に寄りかかった。
「本城さんこそ、そんな気を使う生き方、しないでください。・・・本城さんは悪くないんです」
背中を合わせて寄りかかった真理は、俺の耳元でゆっくり言葉を紡いだ。いや、ゆっくりに聞こえただけかもしれない。「(本城さんは悪くないんです)」俺の頭の中で、その都合の良いフレーズだけが何度も繰り返された。
「本城さんが父を捕まえなくても、他の誰かが捕まえると思う。だから、本城さんは自分が正しいと思うことをやってください」
「・・・そ、そんな、・・単純じゃない」
「本城さん、あたしがピクニックに誘った時、この話になると予想しましたよね?」
「・・・」
「それでも来てくれた。感謝します。あ、あたし、覚悟決めました」
「・・・ふぅ〜、・・・君は凄いなぁ(これで十六歳?)」
寄り添う背中に真理のぬくもりを感じながら、頭の中で言葉を織なそうとしたが、うまく言葉がつながらなかった。
複雑に絡み合った罪悪感、逃げるなという客観的な俺。が、何をすべきかも、何ができるかも、判然としないドロドロした迷いが頭を駆け巡った。
背中が一瞬押された。真理がベンチに足を乗せ、俺と反対側に両足を投げ出して伸ばしたからだろう。背中に伝わる少し荒々しい鼓動と心地良いぬくもり。
「約束してください」
「・・・?」
「たとえ、父がどうなっても、あたしを避けることはしないでください。それから、何も言わずに私から去らないでください」
真理は寄り掛かかる背中に力を入れ、声にも力を入れた。
「もし、本城さんに避けられたら、あたし、すっごく傷つきます」
「・・・俺、随分、人気あるね。君と逢ったの、昨日と今日だけだぜ」
「14年前にも逢ったわ」
「・・・そうだな」
俺は右肩から、真理は左肩から振り返り、にらみ合うように互いの瞳を見つめ合った。幼さの残る顔に刻まれた真っ直ぐな意志、その真剣な眼差しには、到底、逆らえるはずもなかった。俺の口から言葉がこぼれ落ちた。
「OK、約束しよう」
「ありがとうございます!」
「その代わり、約束しろ」
「?」
「君は君が正しいって思うやり方で、幸せになれよな」
「・・・ハイ!」
真理はベンチから足を下ろして振り向くと、俺の背中に顔をうずめ、声を押し殺して泣き始めた。
「(はぁ〜)」
ため息は心の中でついた。休暇で訪れた古い友人は捜査ターゲット、その娘は俺が提唱したコンセプトの犠牲者。これ以上、厄介が続かなければいいが・・・。
すすり泣きがやんだと思ったら、この子は俺の背中に寄り添ったまま眠りに落ちていた。まあ、昨夜は遅くまでネットで調べ物して、父親のためにピクニック作戦を練ってたのだろう。
「(しばらく動けねぇなぁ。・・・しかし、こんな娘がいるくせに・・・あの野郎、バカか?)」




