二章 妖麗なる微笑み
東海岸から西海岸、3時間の時差も手伝い、いつもよりは寝付きが良かったと思う。ロビンの甲高いさえずりが耳に届き、まぶたには薄らとした光の刺激も感じた。昨夜はステファンを待ちながら、ずいぶん遅くまで真理と会話を楽しんだ。仲の良い父娘って、あんな感じなんだろうか?娘がいる人生というものに少し嫉妬しながら、上半身を起こし、体を横にまわし、ベッドから足を降ろすと、そこには白いスカートから伸びる一組の綺麗な足があった。
体は固まったが思考は激しく回りだし、脳は完全に覚醒した。まずは視線だけを、次いで顔をゆっくりあげた。その女は傍らの机の椅子に気だるそうに足を組んで座り、上になった足の爪先で白いサンダルをブラブラ揺らしていた。
「おはようございます、本城翼さん」
ノースリーブの白いレースワンピース、大きめのカールの掛かったブラウンのロングヘアーが右肩から胸元へ流れた。露わになった左の耳たぶには、銀色の大きなリングピアスが小さく揺れていた。顔はアジア系が混じっているだろうという以外、よく分からない。透き通るような白い肌に、若干、面長の顔、心持ちつり目、彫りが深くないのに目鼻立ちがはっきりしていた。どことなく真理に似た感じもする。真理に比べるとだいぶ大人(の設定?)だが、二十代だろう。その妖麗な微笑は、これから降り注ぐであろう、わざわいを暗示していた。
「俺は寝る前にドアの鍵を掛けたぜ」
「ノックしても、お返事ありませんでした。鍵は開いてましたよ」
女は右手の人差し指に艶やかな髪を巻き付け、誤魔化すように、そこへ視線を移した。その振る舞いは、とてもヒューマノイドには見えない。しかし、真理の話では、この家にステファン以外の人間はいないはずだ。
「君がサラか?」
「ええ、はじめまして」
女は指先から視線を戻し、さわやかな笑顔で答えた。
「あなたのこと、翼と呼んでいいかしら?」
「・・・ヒューマノイドなら、俺を本城教授と呼ぶぜ」
「あいにく、私はネットから切断されております。世の常識をサーチするには時間がかかります」
そう言うと、サラという名のヒューマノイドは、左手でモバイル・デバイスを持ち上げて軽く振る仕草をした。
「ネットから切り離されたヒューマノイドなんて、シャレにならねえなぁ」
「まったくです。調べごとにモバイル端末使うなんて、人間みたいですよね?」
「何、やらかしたんだ?」
「身に覚えが御座いません」
「・・・ステファンは、随分、変わったAIが好みのようだな?」
「ノーマルですわ」
「そうは見えないが?」
「私をお調べになります?」
「・・・場合によっては」
「脱ぎましょうか?」
「フンッ、・・・着替える。出てってくれ」
サラは組んでいた足を解き、立ち上がって右手を腰に当て、モデルのようなポーズを取ると「30分で用意してください。ステファンがテラスで待ってます」と言い残し、スタスタ部屋を出て行った。
窓を開けるとベランダにいたブルー・ジェイが驚いて飛び去り、足元には警備用の黒猫(のロボット)が腹を上に向け、だらしなく昼寝していた。ベッドのサイドテーブルに置いたモバイルデバイスが振動した。エージェントのバーバラからだろう。
「おはよう。今日、そっち、いい天気ね?」
「ああ、ここは晩秋まで、いつもバカみたいに快晴だ」
「娘さんへのプレゼント、買いに行くの、明日に変更だっけ?」
古臭いやり方だが、この組織は色々な隠語を使った会話を求めてくる。娘さんはクライアント、プレゼントはターゲットに関する情報だ。
「・・・あぁ、その予定だ(明日からに変更かよ、ったく。週明けからだったのに)」
「私も欲しいものあるの。今夜にでも欲しいものリスト(※依頼内容の詳細)、送るわね」
「ああ、・・・今日はノンビリ過ごすよ(これじゃあ、休暇にならねぇ・・・)」
「私、風邪引いちゃって。あなたは大丈夫?(※身の危険、ない?)」
「ああ、俺は元気だ。ありがとう(※もう切るぜ)」
「そう。・・じゃあ、また、かけるね」
通話が切れた後、しばらくモバイル端末の画面を見つめる。画面の奥のカメラが俺の虹彩を認識すると、ディスプレイではなく、俺の目の奥の網膜に直接情報を投影した。今回の通話の発信地はシアトル、彼女の今回の名前はヴァレンシアで、属性はSO(Significant Other、恋人)となっている。もちろん、全て偽情報だ。
「(この地域に潜伏しているターゲットって、まさか、今のサラ・・・?まあ、仕事は明日からだ)」
そう心の中で呟き、とりあえずゲストルームの小さめのシャワー・ルームに入った。
* * *
大きな階段を登り、途中の踊り場で二方向に分かれる階段の右側から二階のフロアに出た。階段のすぐ側の開きっぱなしの扉をくぐり抜け、ダンスホールのような広間を突っ切ると、そこに木漏れ日が注ぐウッドデッキの広いテラスがあった。ステファンは、ジーンズに白のボタンダウンのシャツを肘までまくり上げ、立ったまま俺を待っていた。
「ハッハッハ〜、翼〜!十四年ぶりか?元気だったか?」
「ヘイ、ステファン!老けたな、それに太ったな」
「十四年ぶりの再会で言うセリフじゃないぜ。お前は変わらんな」
そう言いながらステファンは俺を強くハグした。ハグされながら声を落とし、ステファンの耳元でささやく。
「お前、厄介事に巻き込まれてるのか?」
「あ〜、まあ、そうかもな。お前に相談があったんだが・・・」
「あったんだが?」
「お前、もしかして、半分仕事で来た?調査の?」
「・・ああ、お前と違い、給料で生活してるからな」
「・・・そうかぁ」
「?」
ステファンは突き放すようにハグを終えると、後ろからやって来たサラを手伝い、朝食のテーブルを用意しはじめた。サラは、さっきとはガラリと変わり、とても明るく、茶目っ気とユーモラスな雰囲気で場を和ませた。「はじめまして」とわざとらしく挨拶し、俺のことは終始「本城教授」と呼んだ。全くノーマルで、今朝のあの振る舞いは夢でも見てたのかと思わせるくらいに。




