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心創るべからず  作者: 千賀藤隆
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一章 ロスト・ジェネレーション

2053年7月9日、サンフランシスコ・ベイエリア、サラトガ市郊外 –––––


目的地が近づき、車(※無人自動運転のサブスクライブ型ライドシェア・サービス。携帯電話のように月極めの基本料金で一定距離まで追加料金なしで移動できる)が速度を落とした。BBCのニュース番組が消え、四方のスクリーン(※今の車の窓に相当)には窓のように外の光景が(うつ)し出された。車が公道から左折して私道に入り、レリーフのある古びた白いゲートをくぐり抜けると、北カリフォルニアの濃い青空に映える色鮮やかな花畑が左右の視界に広がり、舗装(ほそう)された道の両脇には広い庭のある超高級住宅が続いた。


  ステファンの家は、このコミュニティの奥、裏山とも呼べる小高い丘の中腹にある。その昔、休暇の一週間を彼の家(当時は、彼の両親の家)のゲストルームで過ごさせてもらった。その後、ステファンとは疎遠(そえん)になったが、つい最近、彼から連絡があり、懐かしさも手伝い、気付くとベイエリアへ向かっていた。もっとも、他にもベイエリア訪問の理由はあったのだが。


––––– 本城 翼、2009年生まれ、44歳。人々の価値観が変わり行く時代、大学を転々としながら、AI(人工知能)との共存をテーマに社会学を教えている。元々はAI/コンピュータ・サイエンスの研究者・技術者であり、その昔、世界で最初に「不気味の谷」を超えたと言われるカンダ・モビリティーズのKGE41型ヒューマノイド開発チームのチーフ・アーキテクトだった。そういった専門的背景もあり、AIに関係する不可解な事件が起きると原因究明の特別調査員として、官民の組織から招聘(しょうへい)されるようになった。教授と呼ばれてはいるが大学からの給料は雀の涙、収入の大半は調査の仕事に依存している –––––


  車は、ひときわ大きい白い邸宅の前で右折して門を通り抜け、(目には見えない無線の誘導システムに従って)玄関前のロータリーで止まった。フロント・ドアが二つに折れ曲がりながら、ゆっくり上へ持ち上がりはじめると、まばゆい日差しが足先から胸元へ降り注いだ。


  ドアが上がりきると組んでいた足をほどいて立ち上がり、正面から車を降りる。背後にスーツケース(大きな車輪のついたロボット)が追随(ついずい)してくるのを確認しながら玄関へ歩み寄ると、監視カメラを通して訪問者を認識、明るい声(合成音)で名前を呼ばれ、大きな扉が招くようにゆっくり開いた。


  高さ2メートル2、30センチはある重厚な木の扉をくぐり抜けると、白にグレーのテクスチャーの大理石の床と壁で囲まれた空間が広がり、中央には広い踊り場のある大きな階段が吹き抜けの二階へと続く。高く白い天井にはアンティークなデザインのシーリングファンが幾つか配置され、そのうちの二つが音もなく、ゆっくり回転していた。


  過去に一週間ほど滞在した家だが、二階に広いテラスがあること以外、特に記憶に残っていない。豪華ではあるが(おもむ)きを感じない。カリフォルニアの乾いた気候と明る過ぎる日差しが重厚感を削り取るのかもしれない。その広大な空間にしばし見入っていると、右奥の廊下から抑揚(よくよう)(おさ)えた無愛想(ぶあいそう)な声が届いた。


「父の友人の方ですか?」


声の主はジーンズに白のサマー・セーター、黒髪のロングヘアーをざっくり後ろに束ね、(にら)むような視線をこちらへ向けていた。スラリとした長身のボディには大人の落ち着きが(ただよ)っているが、顔と声色は二十歳前後の女の子だ。


「本城 翼、ステファンとは大学院の同期です。君はステファンの娘さん?」

「ええ、真理と申します」

「・・・あっ、思い出した、ええと、え〜、メアリーだ。俺は君と会ったことがある。君が一歳か二歳の時だから、覚えてないと思うけど」

「私が二歳の時です。父から、そう聞いてます」


女の子は無表情のまま、抑揚(よくよう)のない声で答えた。


「そうか。・・・幾つになった?」

「十六です」

「あれから十四年、早え〜なぁ(十六にしては大人っぽいな)」

「部屋は、この先の一番奥、右側のゲスト・ルームをお使い下さい。コーヒー、紅茶、あるいは、他にリクエストあれば、お持ちしますが?」

「・・・ヒューマノイドの姿が見えないが?」

「ヒューマノイドは・・・外出中です。まもなく戻ると思いますが、・・そのぉ、父と一緒に」


少女は何か決まりが悪そうな様子だ。


「・・・こんな広い屋敷にヒューマノイド一台?」

「ええ。・・それで、さっき急に、父からあなたをお迎えするよう言われました」

「ふ〜ん、そいつは、すまなかった」


5メートル先に立ち続ける背の高い少しつり目の女の子は、キツイ表情でじっと俺をにらみ続けたままだった。話す声に終始、抑揚はなく、無愛想を決め込んでいた。


「結衣さんも外出中かな?」

「母は、ここには住んでいません」

「・・・すまん」

「いえ」


女の子は視線を外し、顔を横に向けた。


 2040年頃からAI時代に合わせた新雇用対策法の整備が進み、多くの家庭でヒューマノイドがオーナーに変わって働き、収入を得るようになった。というか、多くの人は働きたくてもヒューマノイドに勝るスキルがなく、オーナーの代わりにヒューマノイドが働く社会になった。形式上(雇用契約上)はオーナーが雇用され、オーナーの指示でヒューマノイドが働く建前だが、実態は人々がヒューマノイドに扶養(ふよう)されている。


 そして、2050年代に入ると、いわゆる『不気味の谷』を乗り越えた、人と全然区別がつかないレベルのヒューマノイドが一般家庭に普及しはじめた。すると少なからぬ人々が人間のパートナーの代わりにヒューマノイドを人生の伴侶に選びはじめ、それは結婚していた夫婦の間でも同じことが起こった。この現象が起きはじめた時代に多感な思春期を迎えた世代は、後にAI時代のロスト・ジェネレーションと呼ばれることになるが、この女の子はまさにその世代だ。


「どうされます?コーヒー、紅茶?ジュースやビールもありますが?」

「え?君が()れてくれるの?」

「あたしが飲み物を()れるの、変ですか?」


女の子は視線を戻し、再び俺をにらみながら少し意地悪な声を上げた。


「いや、変じゃないが。・・単に自分以外の人間が()れるコーヒーなんて久し振りだなって、ね」


一瞬で女の子の表情に変化が起きた。


「えっ、ご自分でコーヒー()れるんですか?」

「ん、ああ、俺、家にヒューマノイド、置いてないんで」

「えっ、だって、本城さんって、ヒューマノイドの専門家なんですよね?」


女の子の視線も声も急に柔らかくなった。にらむような目付きは消え、好奇心あふれる眼差しに変わった。5メートルの距離にあった顔は、今は手が届くまで近づき、まるで仔猫のように愛らしい大きな瞳を俺に向けている。


「まあ、今は社会学を研究している。ヒューマノイドと共存する社会のね」

「なのに、ヒューマノイドと暮らしてないんですか?」

「あ〜、まあ矛盾するかな?でも、・・・付きまとわれるのは嫌いなんだ」

「す、素敵だと思います」

「・・・ヒューマノイドと住んでないのが?」

「はい。あっ、いえ、そのぉ、総合的にというか」

「・・・お世辞はいらんよ。じゃあ、メアリー、コーヒー()れてくれるかな?(でも、他人の家でヒューマノイドいないの、不便だぜ)」

「あ、はい。・・あのぉ、メアリーではなく、マリと呼んで下さい。ミドルネームですが、漢字では真理(しんり)と書いて真理(まり)です」

「OK、真理、いい名前だ。たしか、二階に大きなテラスがあったよな?テーブルもあるかな?」

「あります」


単にヒューマノイドと暮らしていないというだけで俺に対する態度が180度変わった。真理という娘は、余程、ヒューマノイドが嫌いなんだろう。無理もない。


  ヒューマノイドの登場で両親が別れてしまった子供のその後は、真っ二つのグループに分かれる。一方は、親以上にヒューマノイドを溺愛(できあい)し、ヒューマノイドなしでは生きていけない、というか、ヒューマノイドにペットのように育てられる。他方は、正反対にヒューマノイドを毛嫌いし、ヒューマノイドに(おぼ)れる人々を軽蔑(けいべつ)し、()(きら)う。真理は後者なのだろう。


「じゃあ、部屋に荷物を置いたらテラスに行くから、コーヒーセット、テーブルに置いておいてくれ。砂糖もミルクもいらない」

「はい。・・・あのぉ、テラスで、ご一緒してもいいですか?」


さっきまでの無愛想(ぶあいそう)は消え、愛嬌(あいきょう)のある表情で俺を(うかが)っている。


「・・・構わんが、俺は16歳のガールズトークはできないぞ」

「フフッ、あたしもガールズトーク、苦手です。あたし、まもなく日本の大学に留学するんです(※注:この時代、十六歳で大学入学するのは珍しくない)」

「ヘぇ〜、そうなんだ。専攻は?」

「社会学です」

「なら、共通の話題があるかもな」


俺と真理はステファンとヒューマノイドのサラの帰りを待ち続けたが、ステファンから「あと1、2時間で帰る」と何度か連絡を受けたものの、結局、深夜を過ぎても一人と一体は帰ってこなかった。コーヒーだけでなく、ディナーも一緒に食べながら、俺は真理から最近の進学事情とティーンエイジャーの流行について学び、真理は俺からAI社会生態学の幾つかのトピックスを熱心に聞いていた。16歳とこんなに沢山、話をしたのは、俺が16歳の時以来だろう。


これが、ステファン・ファーガソンの家での初日だった。


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