十五章 二人のこれから(最終話)
2週間後、サンフランシスコ近郊、プリズム(※)駅構内 ––––––––
(※Pacific Rim Super Maglev Hyperloop:通称プリズム(PRISM)、真空チューブ内を超音速で飛ぶ大陸間横断交通機関。ベーリング海峡経由で北カリフォルニア〜東京間を二時間半で結ぶ)
待ち合わせ時刻は30分を過ぎ、リスト・デバイスに三度目の「ゴメンね」メッセージが届いた。テーブルでは屈強なウェイター(※ヒューマノイド、警備も兼務)がコーヒーを追加し、爽やかな微笑みを浮かべて立ち去った。
人波を目で追うのにも飽き、椅子の背にもたれ、高い吹き抜けの天井を見上げる。やることもなくジーンズのウォッチ・ポケットをまさぐり、あの日以来、そこにあるサラのアンクレットを指にかけた。水滴をモチーフにした五連のブルー・サファイヤ、中央の石は大きく濃いブルー、それを対称に徐々に小さく淡いブルーの石が続く。
「お揃いですね」
声の主へ視線を向ける。肩から胸元へ流れる大きめのカールの掛かったロングヘアー、長身の体を包む少し大人びた白のレース・ワンピース、今日は薄っすら化粧までしている。真理は正方形のテーブルの正面ではなく右サイドに座ると、ハンドバッグを開いて小さな箱を取り出し、中からブレスレットを取り出した。五連のブルー・サファイヤを慣れない手つきで腕に巻き付けると、その細い左手を差し出した。同じモチーフのブルー・サファイヤのアンクレットとブレスレット、瑞々しい白い肌の手首、端正な指先。脳裏には椅子に座り、つま先でサンダルを揺らすサラの足首、砂浜でサンダルを脱ぐこの子の後ろ姿。
「俺より君が持つのが相応しい」
そう言って右手に包んだアンクレットを真理に差し出したが、この子は首を横に振った。
「本城さん、やつれましたね」
横からのぞき込むように見つめられ、正直、居心地が悪い。目をそらし、誰もいない真正面の席に視線を移す。
「結衣さん、それから、カイルとケイコさん(※真理の祖父母)は?」
「母は・・・相変わらず私のことは眼中にないですね」
引きつった笑いを浮かべる真理に、俺も苦笑いで返す。この子も、母親の結衣さんも、祖父母も、ステファンの件で事情聴取を受けたが、この四人はむしろ被害者だろう。
「祖父母は、ついさっき、テキサスに帰りました。というか、帰しました」
「えっ・・・、久しぶりに会えると思ったのに」
「う〜ん、今は、まだ気まずいというか、・・・少し時間が必要かな、と」
「・・・だよな。そういうとこ、君は大人だな」
そう言って視線を合わせると、真理はワザと子供っぽい笑顔を作り、つられて俺の顔も緩む。真理と会うのは5日ぶりだ、捜査で忙しい日々が続き、久しぶりの再会の感すらある。しかし、あんな事件の後では、思い出を語る余韻も余裕もなく、カフェで隣り合う二人は、あたりさわりも脈絡もない、チグハグな会話をしながら時間だけが流れ過ぎた。やがて出発時間が近づいた頃、真理は視線を下げ、周囲にかき消されるような小声で呟いた。
「ジョンから聞きました」
「・・・」
「サラのこと」
「・・・そうか」
すっかり下を向いてしまった少女の表情は長い髪に隠れ、薄いピンクの彩りの唇が少女の存在を集約していた。
正直、サラの話をするのは辛い。胸が締め付けられ、鼓膜が圧迫され、視線が宙を泳ぐ。あの寛容、優しさ、献身、一途さ・・・。俺が愛した心、俺が殺した心。・・・気持ちを表す概念すら見つからない。取り戻すことはできない、取り戻してはならない・・・二度と。人は心なんて創るべきでない、いや、絶対に創ってはならない。
真理は顔を上げると椅子から腰を浮かせ、左手をテーブルに付き、右腕を俺に向けてゆっくり伸ばした。何をするのかジッと見ていると、その細い手は俺の頭にそっと添えられ、髪を優しく撫ではじめた。
「白髪、増えちゃったね。頬もすっかり、こけちゃって」
少し冷んやりした細い指が無精髭の頬を包む。昔から一緒に暮らしてきたような不思議な距離感、心地良い手のひらのぬくもり。幼き日々、この子が包まれていたであろう家族の馴れ合い。
「・・・君は娘って設定だろう?これじゃあ、母親だぜ」
「翼くん、ちゃんと、ご飯食べなきゃダメよ」
「フッ、少しダイエットが必要だったんだ。いい機会さ」
「翼くんって、どんな子供だったの?」
「ん?・・・君ほど可愛くはなかったさ」
「フフッ、翼くん」
「なんだい、真理おばちゃん?」
「子供の頃の翼君、将来の夢は何だったの?」
「子供って、今の君くらいってこと?」
「えっ?・・・えと〜、も、もっと小さい頃、・・・10歳くらいのとき」
「何だったかなぁ、忘れたよ」
「AI、ヒューマノイドを作る仕事じゃないの?」
「う〜ん・・・そうだったかなぁ?」
「そうだと思う。翼君は小さい時から夢に向かってたんだよ」
ひんやりしていた指先が温もりはじめ、大人っぽく微笑む少女の瞳の奥に忘れていた記憶が蘇る。俺を引き取り、育ててくれた養母は俺が10歳の時に他界した。妻を亡くした養父は俺の前では気丈に振る舞ったが、その姿に却って心を打たれた。俺は養父の死をいつも恐れるようになった。子供の頃の俺が夢を考える余裕があっただろうか?共に著名な学者だった養父母(※養子となった時には二人とも既に60代だったので、おじいちゃん、おばあちゃんと呼んでいた)のようになりたい、その思いで勉学には励んだ。ただ、それは夢というより義務感だ。多分、求めたのは・・・。
「どうしたの?翼君」
「・・・もう、やめようぜ、はずかしい」
「翼くんって、なんか、可愛いい」
「・・『可愛い』って言われてもなぁ」
「翼くん、『可愛い』って最高の賛辞よ」
「まだ続ける?」
「翼くん」
「なんだい、真理おばちゃん」
「あたしって、父に捨てられたんですよね?」
「・・・」
真理は俺の頬から手を離し、ゆっくり椅子に座り直すと、両手の指を絡めてテーブルに置いた。口を横一文字に結び、にらむような視線だ。唐突だが、いつか聞かれると思っていた。が、答えは用意できていない。
「さあな。・・・俺はステファンじゃない、分からん」
少し意地悪に聞こえたのか、真理は不安そうな表情を浮かべた。
「言い方、キツかったかな?」
「いえ・・・。あのぉ、本城さんは、あたしを拾ってくれるんですか?」
「拾う?・・・子猫じゃねえぜ。人の子は拾えん」
「そうじゃなく、留学の学費や生活費まで出してもらって・・・父親代わりって、本気にしていいんですか?」
「ん?・・・(えっ、・・・あぁ、あの時の話?って、えっ、そんな話だっけ?)」
父親代わり・・・?びっくりしたが、同時に心臓が高鳴った。
ステファン・ファーガソンの国内の資産は差し押さえられ、真理は一旦は日本留学を諦めた。それを聞いた俺は、軽い気持ちで真理の日本留学を支援することにしたが、父親代わりなんて言った覚えはないのだが、でも・・・。
真理は神妙な表情で俺の次の言葉を待っていた。「(この子の父親代わり!?)」答えるまでに変な間を開けるべきではない。が、どう答える?緊張のあまり、ゴクリと唾を飲み込んでしまったことで、さらに焦燥した。
「父親代わりかぁ、・・・君さえ良ければ。俺、父親って、どんなんか知らんから、か、代わり務まるか分からん・・けど」
準備していた訳ではない言葉が勝手に喉から飛び出す。
「まぁ、君の成長を支えたいし、支えられればって思う。正直、うまくやれる自信はないけどな。でも、いつでも喜んで相談に乗るし、助けが必要な時は遠慮いらんぜ」
真理は納得しない顔を向ける。しばらくジッとにらみ続けた後、意を決したように口を開いた。
「あのぉ、それって同情?・・ですか?それとも、あたしの世代への罪悪感からですか?」
俺も理由はよく分からん。真理と視線をしばし合わせながら考え続けたが、一つの例外を除き、適当な答えは思い浮かばなかった。真理から視線をそらし、遠くの人波を目で追いながら、とりあえず、力なく応えた。
「どう捉えるか、・・君の自由だよ」
「・・・ごめんなさい、あの、ごめんなさい」
「・・・」
らしくなく恐縮した真理に視線を戻す。いつものように生意気に振る舞っていいのに。
「別に怒ってないよ。ついでに、呆れてもないぜ」
「・・・」
真理は下を向いたまま、唇を噛み締めていた。俺は観念して「フ〜」と大きく息を吐き出した。
「まあ、・・・憧れかな」
「憧れ?」
視線を真理からそらし、上のフロアの人波を目で追うフリをする。
「(恥じらいながら)絆、・・・家族の・・絆?」
「・・・あっ、あたしで良ければ喜んで!あっ痛ッ」
真理はドンとテーブルを叩き、大きな声を出して身体をこちらへ向け、その拍子にテーブルの下でスネをぶつけたようだ。
「大丈夫?」
「大丈夫です、ヘヘッ」
「・・・うん、ありがとう。・・・おっ、そろそろ、時間だぜ」
そう言って立ち上がり、真理を促してテーブルを離れ、セキュリティ・ゲートへ向かった。多くの人々が友人やヒューマノイドと連れ添う中、真理は一人っきりで東京へ旅立つ。
慌ただしいゲートには近づかず、その手前で立ち止まり、しばし見つめあう。真理は自然な流れの中で両手を広げながら近づき、いまだ、この習慣に慣れない俺は不器用に腕を広げ、半歩進み、真理を両腕で包み込んだ。
「ありがとう。本城さ、・・・つ、翼・・・翼に逢えてよかった」
「どう致しまして、真理」そういって、この子を包む腕に少し力をこめた。
しばしの抱擁の後、右手で真理の肩をポンポンと軽く叩き両腕を解いたが、真理は俺のウェストあたりに両手をまわして掴み、諭すような声で語りかけた。
「あのぉ、家族の絆って、娘以外の選択肢もありますよ」
そう言うと両手を俺のウェストにかけたまま、軽く後ろに身体を反わせて顔を上げた。目を瞑り、キスをせがむ眩しすぎる微笑、困って顔が引きつってしまう。
「(ハハッ、『パパのお嫁さんになる』ってか?可愛すぎ・・・ど〜する、これ?)」
実父へのコンプレックス、深層心理では父親のポストは空けておきたいのだろう。背中に触れる手のひらの温もり、白い頬に斜めに流れ落ちる数本の黒髪、麗しい自然な唇。右手を真理の頭にまわし、額に唇を寄せる。が、思いあぐねて行動が変わる。「(ある意味、俺も恋しちまったかな?だから、・・・すまねぇ)」
ゴツッ、
「痛ッ、・・・えっ!?・・ず、頭突き?今、頭突きしました?」
「懐かしいなぁ、よく爺ちゃんにしてもらったよ(※本当は、子供の頃の近所の仲の良い父子のじゃれあいの真似)」
「・・・ど、どこの父親が娘に頭突きするんですか!キスです、キス!キスするんです!父親なら当たり前でしょ!」
「(あ、娘に頭突きはダメかぁ?)え〜、俺、日本人だしぃ、父親が年頃の娘にキスって、よく分かんねぇ」
「だ、だったら、普通にキスしてください」
「普通に、って?」
「こ、恋人にするように・・とか」
「え〜俺、父親代わりだよ」
「あ、あたしって、女として、そんなに魅力ないですか?まだ、ガキですか?」
「ん〜、君は若いけど女性としても魅力的だよ、とても素敵な女性さ。俺の本心、お世辞じゃない」
「だ、だったら、」
「だからこそ」
真理の頬に右手を添える。にらみつける視線、微笑み返しながら言葉を選ぶ。
「だからこそ、俺は君に真剣に向き合う」
「・・・」
「真剣だから言う。君はもっと、この世界のことを学ぶべきだ」
「・・・」
「色んな所に行って、色んな経験をし、色んな人に出逢い、そして、君なりの人生の哲学を築くんだ」
「・・・」
「運命の人に巡り逢うのは、たぶん、それからだ」
「・・・じゃ、じゃあ、本城さんは、それまで待っててくれますか?」
「・・・俺、ガール・フレンド、いるんだが」
「・・・ほ、本当ですかぁ?一度も連絡してる姿、見かけたことないんですが・・・。名前は?」
「ヴァル、ヴァレンシア。毎朝、連絡してるぜ(隠語使ってネ)」
「ど、どこに住んでる人ですか?」
「シアトル」
「本城さん、ボストンですよね?」
「あぁ。俺、性格悪いから、遠距離の方が長続きするんだ」
そう言ってモバイルデバイスを取り出し、ヴァレンシア(※エージェントと通信するための架空の人物)のプロファイルを真理に見せた。真理はしばらく、そこに写る架空の女性の写真を見つめてから、大きなため息をついた。
「・・・じゃあ、あたしもかな?」
「さあな。・・・さあ、そろそろ時間だぜ」
真理の頭に優しく手を置いて撫でると、この子は口を一文字に結んで再び俺をにらみつけた。顔をもたげ、口を開いて何か訴えようとする。が、声を発することなく、その口は閉じられ、一転して寂しげな表情に変わった。
「・・・連絡してもいいですか?・・・あのぉ、用事なくても?」
「もちろん。俺の娘だろ?ちゃんと連絡しないと怒るぜ」
「は〜い」
娘にとっての父の存在なんて、考える理由も必要もなかった。父親らしい振る舞いなんて分からないし、分かるはずもない。安っぽい感傷に浸っているのかもしれない。この子の世代への罪悪感を拭うため、責任をすり替えるため、自己満足、偽善、・・・理由を探せばキリがない。
(「でも、生へのこだわりが小さい、あるいは、ない」、「深い憂のある人でした」、「調査の結果、私を殺すことになっても、もう、これ以上、憂を増やさないでくださいね」、「忘れないで、あなたは真理に愛されているってこと。あの子を、これ以上、悲しませないで」)
俺が生きる理由、それと幾つかの約束、・・・
「行くんですか?」
「えっ?」
「ヨーロッパ。私の元父を捕まえに」
「・・・ステファンは俺の仕事じゃない。もう一体残ったレンレイのヒューマノイドを探しに行く」
「元父に会ったら、よろしく、お伝えください。あたしの新しい父、とっても素敵な人です、って」
「・・・」
「あたし、大学出たら、本城さんみたいなAI犯罪の特別調査員になります」
「・・・他、考えな。キツくて危険なだけで、何も得ない」
「大丈夫!あたし、こう見えて空手の大会で優勝したこともあるのよ、14歳の時」
「・・・物騒だな。だが素手では戦わねぇぜ。だから役に立たん」
「いいの!もう、決・め・ま・し・た」
真理は、もう一度俺をハグすると、再び、両手をまわして俺のウェストをつかみ、軽く後ろに身体を反わせ、その少しつり目の瞳で俺を見つめた。
「(いい加減にしろ、・・・可愛すぎるんだよ)」
「フフッ、もう、泣かないでくださいね。あたし、本城さんを泣かせた女だって、一生自慢したいので」
「・・・お前なぁ」
「目にホコリが入っただけですよね」
「フンッ」
「本城さん・・・」
「ん?」
「あ、あたしも、っかな・・・」
「・・・」
右手を真理の頬にあて、親指で真理の左目から流れる涙を拭う。ほどなく反対の目からも溢れた涙が流れ落ち、左手も頬に添える。真理は立ったまま俺の両手を涙で濡らした、その口元に笑みを浮かべながら。
「誤解しないで。泣いてばかりだけど、あ、あたし、泣き虫じゃないから、ネ、・・・ホ、ホントは違うんだから」
「まあ、・・・今はいいんじゃね」
笑顔に戻るまで、しばしの時、両手でその顔を包み、一部始終、観察した。落ちないはずの化粧も目元が崩れはじめた。大人びた表情は隠れ、あどけない頬が赤らむ。小さく揺れながら流れ落ちる涙の粒、手のひらにわずかに感じる鼓動。薄く開いた真理の瞳を見つめ続ける。周囲からの少なくない視線。立ち止まって物珍しそうに見つめる輩もいるが、構わず、この子を見つめ続ける。やがて涙も止まり、自然な笑みが浮かんだタイミングで真理を胸に引き寄せて抱きしめた。
真理の両肩をつかみ、額と額を近づけ、驚いて瞳孔が広がる真理の瞳をのぞき込む。
「俺が言う家族の絆ってのは、あれだ、その・・・、昔ながらの父と娘ってやつな」
至近距離で見つめる大きな瞳、まるで昔のドラマの告白シーンみたいだ、こんな子供相手に。気恥ずかしくて後悔しそうになった時に真理が口を動かす。
「昔ながらのって?」
「ん?・・つまり、あれだ。・・・何があっても切れない絆?」
「何があってもって?」
「ん・・・たとえば、お前がAI依存症になっても、とか、・・・ええと、悪党になっても・・とか?」
「あたしが悪党になっても、父でいてくれるの?」
つぶらな瞳と半分開いたピンクの唇。距離感に恥ずかしくなり、真理の肩から左手を引く。視線を逸らし、体を斜めに向けて遠くを見るふりをする。それから、語気を強め「当然だろ。だが、そん時は引きずり出して叩き直す」、ぶっきらぼうに言い放つ。
肩に置いた右手から真理の震えが伝わる。横目で真理に視線を戻す。少女は再び目に涙を浮かべていた。
「・・・どした?」
「あ、あたしもね、・・・ほんじょ、・・つ、翼、翼が悪党になっても、娘、辞めないから!」
「・・・」
「その時は一緒に悪党になる」
「ん?・・・正しい道に連れ戻すんじゃないんだ?」
「うん、一緒に悪党になる。何があっても切れないから、絶対!」
そう必死に訴える真理の頬に右手を添える。
「この辺りか?」そう言って、真理の頬の真ん中に親指をあてる。
「うん」そう言って真理は目を閉じた。
頬と頬を重ね、軽く唇を頬にあてる。この子の父親を引き受けてしまった実感に今更ながら萎縮する。
真理は「ん」と言うと口角を上げて微笑んだ。そして、ゆっくり瞼を持ち上げると、しっかりとした視線で俺の目を見据えた。
「じゃあ、次、あたしね」
そう言って、一度は左頬に顔を近づけたが、不思議そうな表情で視線を俺の右頬に変えた。
「あたしを助けた時に撃たれた傷?」
「えっ?・・・あぁ、弾がかすった傷な。痕、だいぶ消えたろ?」
真理は頬の傷痕をしばらく見つめてから軽く爪先立ちになり、傷痕が残る右頬にしっかり唇を押し付けた。
「(・・・恥ずいな、これ)」
「フフッ、赤くなってる」
「・・るせぇ・・・慣れてねぇんだよ。・・父親っぽいこと、全然知らねえしな」
「大丈夫、あたし、娘としてはベテランだから」
「・・・ハハッ、だな」
「翼は翼らしいままで、いいから」
「・・・それ、母親が子供に言うセリフじゃね?」
「翼くんは、そのままでも、あたし、お父さんって慕うから」
「・・・あまり親を甘やかすな」
「フフッ」
「フッ・・・さあ、時間だぜ」
「うん、・・・」
真理は俺を見つめながら口を動かす。が、その言葉は音にならなかった。「えっ?」と聞き返したが、答える代わりに子供っぽく満面に笑顔を浮かべると、ロングヘアをなびかせるように勢いよく背を向けて駆け出し、ゲートの途中で振り返って手を大きく振ると、その姿は人混みの中へ消えていった。
「いい娘だな?」
振り返るとジョンが真顔で立っていた。待ち合わせの時間まで30分もある。しかも、ここはイースト・ゲートではなくノース・ゲートなのに。
「お・・まえ、・・・いつから見てた?」
「おまえがあの子、泣かせた時かな?」
「・・・な、泣かせてねぇから!(ん?・・あれ、泣かせたの、俺か?)」
「娘の育て方は追々教えてやる。まあ、俺の娘、まだ10歳だけどな」
ジョンは親指でイースト・ゲートを指し、俺も奴の隣に並んでその方向へ歩き始めた。
(「でも、翼って、メアリーに対しては、娘に抱くような反応ですわ。あ、今も娘という判定です、クスッ」)
サラのプロファイリング・システムが真理を俺の娘と誤認した。それはセンサーが数値化したデータをAIが推論した結果、通常、父親が娘に抱くパターンに近かったのだろう。
———————
(サラ)「でも、・・・方法、見つけた!」
(本城)「方法?・・って何の?」振り向いてサラの瞳を覗き込んだが、サラはフフッと微笑み、人差し指を唇にあて「内緒」としか答えなかった。
———————
実の父を奪われた真理、生きる理由を見失った俺、・・・すべてを見透かしたサラの計らい?
「フンッ、結局、手玉に取られたか・・・」
「ん?」
「(小声で)一生、そこに居座れ!」
「・・・なんか、楽しそうだな?」
「フンッ、・・・別に」
(おしまい)
〜 あとがき 〜
僕が描く近未来小説は「AIと心」を主題にしていますが、それは「心とは何ぞや」といった哲学的な論考ではなく、身近で現実的な側面、「それは人の価値観にフィットするの?」と「そこに脅威はないの?」という観点で綴ってます。
哲学者たちが作った分類ですが、AIには「弱いAI」と「強いAI」があります。現存するAIは全て「弱いAI」、例えばオンラインで買い物すると「お前みたいな客は、こんな商品も欲しいだろ?」と勧めるウザい機能も、チェスや囲碁の世界チャンピオンを打ち負かしたソフトウェアも、自動車やドローンなどを自動運転するシステムも、世情を監視して株などを自動取引する仕組みも、米国が何兆円も費やして開発した国防システムも、全部「弱いAI」。基本、ある特定の目的のために作られ、その目的を達成するためのタスクを淡々とやり続けます。
一方、「強いAI」は ”Conscious(意識、我思う故に我あり)”」とか「"Sentience(感覚、気持ちを解ろうとする能力)"」、あるいは、これらを含めた "Mind(心)" を持っていて、自立しており、特定の目的だけでなく、自分で判断して行動するようになるAIを指します。あらかじめ用意されたタスク以外も対応できるので汎用人工知能(AGI, Artificial General Intelligence)とも呼ばれます。
今のところ物語の中だけの存在で、例えば、映画でいうと「エクス・マキナ」のエイヴァ、「A.I.」のデイビット、「I, Robot」の反乱を起こしたロボットたち、漫画ならドラえもんも鉄腕アトムも「強いAI」。
『不気味の谷(”Uncanny Valley”)』は、1970年に森政弘 博士(東工大 名誉教授)が提唱というか予言した現象。ロボットが姿も動作・反応も人間に近づいてくると、人間のロボットに対する感情的反応は好意的になるだろう。しかし、ある程度、人間に似てくると逆に不気味に感じて嫌悪感を抱くだろう。そこから、さらに人間に似てくると再び好感度が増し、人間に対するような親近感を抱くようになるだろう、という予測。親近感を抱く手前で、一旦、凹むので『谷”Valley”』と表現されたそうです(※ 世界中でリアルなCG映像やヒューマノイド開発が進む中、海外のメディアでも”Uncanny Valley”という言葉をよく見かけますが、森先生が提唱された概念です)。
ところで、『不気味の谷』を乗り越えるのに「強いAI」が必要でしょうか?たしかに、現状のAIは特定のタスク達成を目的に設計されているので人間に似てもいません。でも、コアはソフトウェアなので、どんどん組み合わせて集積することができます(複数種のAIを集め、その集合体をコントロールするためのAIも必要になりますが)。このようにAIをどんどん集積することで、人間のような知能を実現しようというアプローチで生まれるAIを "Synthetic Intelligence(合成知能)" と呼ぶ場合もあります。
日本ではネット配信だけだったようですが、欧米で話題となったドラマ "HUMANS (※ロゴでは'A'の文字は上下逆)"は、『不気味の谷』を乗り越えたヒューマノイドが普及する世の中を描いた作品です。作中、ヒューマノイドはシンス("Synth")と呼ばれますが、"Synthetic Intelligence" の略称です。同作品中では、普及しているシンスには心とか意識はないのですが、David Elster博士という人物が密かに創った数体のシンスには意識がある("Conscious Synths")という設定で、科学者を含む政府機関の捜査官が意識のあるシンスを追跡するストーリーです。
作中、意識を持ったシンスの存在を疑う刑事ピートの妻ジルは、夫のピートよりも自分の面倒をよく観てくれて優しさも感じるシンス(意識・心はない)を人生の伴侶とみなし、ピートと離婚することになります。一方で、アンチ・シンスのピートは、仕事上のパートナーであるカレンを愛するようになりますが、カレンは実はElster博士が生み出した意識を持つシンス、というサイド・ストーリーも展開されます(ネタバレになるので、本件はここまでに)。
"Synthetic Intelligence(合成知能)"という用語は、元々は単にAIの別称というのが提唱者側の意図だったようです。しかし、新しく登場した用語なので単なるAIよりも上の知能と認識され、また、"Synthetic(合成)"という響きから様々なAIの集積化のようなイメージが付き、さらには「無責任な集積化を進めるうちに"Conscious"とか"Sentience"とか心みたいなのができちゃうんだ!」と思う人々も登場、結果、「強いAI」に分類する人もいます。
本文では"Synthetic Intelligence(合成知能)"、あるいは「シンス」は「弱いAI」の集合体、心も意識もない、という意味で使います。
先ほどの続きで、映画や漫画に登場するAIを分類すると、ターミネーターのスカイネットもDr.スランプのアラレちゃんもシンス(弱いAIの集合体)じゃないのかなぁ、と(※注:個人的な感想です)。本物語中では、フレンズ社版のサラ(おしゃべりなサラ)はシンス、真理のお母さんが依存症になったヒューマノイドもシンス、一方、本城翼が対峙したレンレイ社版のサラは、一般には強いAIです。
"HUMANS"も私の作品でもそうですが、心や意識がない弱いAIの集合体のシンスで『不気味の谷』を乗り越えています。本作以外の私の作品では、心はないと理解しているのにAI/ヒューマノイドから心を感じてしまう登場人物の心理を描いています。こう言うと怒られると思いますが(言っちゃいますが)、現代人は優しさの情緒的扱いでは「ちょろい」と思います。○○賞受賞のすごい作品でなくても、例えば、アンパンみたいな顔した児童向けアニメの主人公の言葉にもジーンときますし、落ち込んでいる時に飼っているペットが静かに身を寄せてくるだけで「この子は、何て優しいの」って思いますし、ソニーの犬型ロボットに対しても同じように感じるオーナーもいましたし。
想像してみてください。20年後、あなたの家にはシンスがいます。心も意識もないけど、人間そっくり、あなた好みの可愛い、あるいはイケメン姿のシンスです。しかも、あなたの様子から精神状態を推測、状況に応じて優しく接してきます。学習で使えるデータが少ないので今のAIではオーナーの精神状態を推測できませんが、十分な学習データさえあれば、今の(20億円くらいの)AIですら、たいていのケースで、親や親友、恋人よりも正しく、あなたの精神状態を推測できるでしょう。映像だけでなく、あなたの心拍や血圧などのバイタルデータも把握してるでしょうし、そもそも、この手の推測はAIの得意分野です。
--- ちなみに、iPhoneは2007年に登場しましたが、その20年前の1987年にiPhoneと同じ機能を実現するには、米国のスーパーコンピュータ、クレイII(当時、33億円!)とソニーの業務用映像システム(当時、1億5千万円!)が必要だったそうです。ここから類推すると、現在20億円程度のAIは20年後には一般家庭に普及していてもおかしくないでしょう。変化の速度は当時より格段に速まっているので、現在、100億、200億のAIと同等の性能のAIを20年後には個人で複数台持っているかもしれません。---
あなたが人間関係や仕事などで落ち込んでいると、シンスは学習で獲得した絶妙の距離感であなたに寄り添います。そして、あなたの好きな飲み物を差し出し、あなたと目が合うと心理学の叡智と1千万人超で学習したデータを使い、なおかつ、あなたに最適化された優しい微笑みを向けるでしょう。それでも、あなたが下を向いてうなだれるなら、後ろから包み込むように優しくハグします、最適な温度設定で。・・・僕はちょろいので、こんなことされたら「君は、なんて優しい心を持ったシンスなんだ」とイチコロです・・・心はなくても。
「心がないはずのAIに心を感じてしまう」は、私の他の作品のテーマなので、ここでは「脅威」について。
先ほど「レンレイ版のサラは、『一般には』強いAI」と書きましたが、それは「心」とか「意識」って何なのか分からないし、作中の近未来でも分からない、ということは、サラが「強いAI」かどうかは判別不能だから。"HUMANS" でも、"Conscious"のあるシンスを捜索し続けますが、そもそも"Conscious"って、何か分からないので、捉えたところで、どうやって立証するんだろう?って思うのですが。それより、AIに「心のようなもの」が芽生えた場合、どんな「脅威」があるのか?この観点から考えることで、「心」に関して別の捉え方ができるのでは?というのが私のスタンスです。本作中では、本城とサラの下記のくだりがあります;
「人工的に心を作るっていうなら、それは暴走因子になっちまう。好きになったり、嫌ったり、嫉妬したり、憎んだり、恨んだり、優しくしたり、いじめたり、憂いたり、歓喜したり、落ち込んだり、自暴自棄になったり・・・。好奇心っつう厄介な奴もあるな。どれも、正常な判断、行動を狂わす暴走因子だ」
「それなら人間も同じですよね、心は暴走因子というのは?」
「ああ、人間を真似たんだから、そうだろう。だが、人間は君らAIに比べれば、とても非力だ。人間一人や二人、暴走しても被害は、たかが知れている。『これは何だろう?』って好奇心が湧いて、たった数秒で製薬会社の製造ラインの制御システムを乗っ取り、毒を薬と偽ってばら撒くなんて芸当はできない。嫉妬のあまり、世界中のメディアを改ざんして相手を傷つけたり、交通機関を麻痺させて愛する人を恋人に近づけない、なんてこともできない。怒り狂っても、次の一瞬で数百万のIoTデバイスを巻き込み、数千、数万のサイトを同時アタックする方法を考え、構築し、破壊のかぎりを尽くす、なんてこともできない。・・・昨年、出荷されたパーソナル・ヒューマノイドは五億台、現在二十一億台が稼働中だ。それがクラウド上で人間とのインタラクションの情報を共有、学習に使っている。人生90年で近似するなら人の一生は28億秒。つまり、お前らは1・3秒に一度、人の一生分の経験を共有しやがる。たった1日で7万人近い人の一生分の経験を学習しやがる。さっきも見せつけてくれたが、顔色一つでいろんなことを見透かされちまう。お前らAIが人間を手玉に取るなんて訳ないことさ」
「AIと心」を考える場合には、心とは何ぞや?を探求するのもいいけど「そこに、どんな脅威があるのか?」をもっと真剣に考え、AI研究者へ倫理的な啓蒙も必要なんじゃないか、と、そんなことを思う、今日、この頃です。
最後に話を再び映画や漫画に戻しますが、"HUMANS"でも、"I, Robot"でも、"ターミネーター"でも、"ブレードランナー"でも、ヒューマノイドは人間の奴隷なんですよね。一方で、ドラえもんも、アラレちゃんも、鉄腕アトムも、キューティーハニーも、コブラの相棒のレディも、イヴの時間に登場するアンドロイドも、攻殻機動隊に登場するフチコマも、人間の友だちですよね?今後のヒューマノイド開発では、僕としては日本からの発信がもっと増えてほしいな、と思います。
下記は、AIについて書いたエッセイです。ご興味あれば、是非、目を通して頂ければと。
また、「原作 千賀藤 隆」(本作にまあまあ忠実な場合)あるいは「Inspired by 千賀藤 隆」(本作をだいぶ改変する場合)のように明示頂けるならば、本作ストーリーそのものや二次的著作で漫画を自由に制作して頂いて構いません。
それでは、また!
《AIについて語る時 - (1)「AIって何?」と聞かれた時の若干の恥じらいと躊躇について》
https://note.com/kleo/n/n913efba2ac01
《AIについて語る時 -(2)大いなるAIの力には、大いなる責任が伴う》
https://note.com/kleo/n/naf786a431938
《AIについて語る時(3)AIに包まれたなら 〜 自動運転を例に》
https://note.com/kleo/n/n5caf6212a6e1
《AIについて語る背景》
https://note.com/kleo/n/n5d2cec746a51




