十三章 そのとき
現場検証、さらに警備体制についてのブリーフィングが終わったころには時刻は昼に差し掛かっていた。一階に降り、自分の部屋へ向かう途中、使っていない客間から真理が捜査官と一緒に出てきた。真理に声をかけたが、びっくりされ、決まり悪そうな表情で逃げるように去っていった。まあ、あれだけ危険な状況を招いたのだから避けられて当然だろう。
相変わらず通信もGPSも監視システムも乱れ、移動手段も機能していない。あれだけ飛んでいた監視用ドローンも、今は2、3台しか姿が見えない、おそらく、この状況では制御が難しいのだろう。
銃声まで響いた混沌とした時を経て、しかし、この先の時の刻みがうまく把握できない状況は続いた。
NSAの現場責任者のジョンが徒歩でファーガソン家に到着した時には午後二時を過ぎていた。ジェイソンとヒューマノイドの捜査官は、いまだマシュー追跡から戻らないが、この家に集う捜査官は15名に増えた(ジョン以外の14名はヒューマノイド)。そのうちの一体が真理の助けを得てキッチンで昼食を作り、俺と真理とジョンへ食事を振る舞った。真理は俺とジョンから離れて座り、時折、盗み見るように俺に視線を向けたが、話しかけても「はぁ」とか「ですね」といった短い返事が返ってくるだけで、ほとんど会話にならなかった。
復旧したエナジー・ストレージからの電力でスタンドアローンではホーム・セキュリティ・システムは稼働している。が、地域をカバーするセキュリティ・システムは相変わらず機能していない。14体の捜査官の半分は家の外周やテラスに、一体は屋根の上で警備にあたっていた。
奴らの目的はサラの誘拐だ。今、この瞬間に次の襲撃があってもおかしくない。もっとも、こちらは全て戦闘用に強化された軍事用ヒューマノイド、武器もあり、台数も多い。サラが裏切る、あるいは暴走しなければ、奴らが目的を果たせる可能性はないだろう。
「(・・・サラが裏切る?・・暴走?)」
(ジョン)「翼、とりあえず、屋敷にある使えそうな機材をリビングに運んだ。頭を貸してくれ!」
ジョンと連絡役の捜査官と頭を突き合わせ、この状況での対AI防御策を練り、さらには襲撃された場合に奴らを捉えるトラップも考えた。その間、真理は部屋の隅で俺を怖い顔で睨んでいた。この年代は難しい。本当は母親の家に帰ってもらいたいが、真理が狙われる可能性もあるので、そうもいかない。
防御やトラップの実装をジョンと捜査官に任せると、俺は特にやることがなくなった。とりあえず、真理の視線をさけるべくリビングを離れた。セカンド・リビングルームの入口から中を覗くと、サラはシアターシステムのソファで二体の捜査官に挟まれながら、じっと斜め下を見つめていた。表情はない。通信機能が使えないサラは、ヒューマノイド同士がやる無言の会話もできない。文字通り無言だ。昨日、サラを調査し始めて以来、お喋りなサラは一度も登場していないが、この重苦しい空気では、あのサラにでも登場して欲しい気持ちになる。大きく溜息をついてから、特に目的もなく裏口から外に出たが、捜査官の邪魔になるのも嫌なので、屋敷の周りを一周して正面玄関から戻り、やることもなく、大理石の大きな階段の中腹に座った。
「ここにいたのか?」
振り返るとジョンがコーヒーを両手に抱えながら降りてきた。ジョンは俺の隣に並んで腰掛け、左手のコーヒーを差し出した。
(ジョン)「その傷、大丈夫か?」
(本城)「ん?なんだい、いまさら。タマは当たってないさ。衝撃波で皮膚が持ってかれたんだろう」
そう言って受け取ったコーヒーをひと口飲み込む。ジョンも真正面をにらみながらコーヒーを口に運び、大きくため息をついた。
(ジョン)「なあ、翼・・・奴ら、直接、人間を殺したり、傷つけたりできるのか?」
あのシーンが頭によぎった。マシューの銃口は俺の額をとらえた。サラが身体を張って俺を庇うまで、引き金を引く時間は十分にあった。撃たなかったのか、撃てなかったのか?・・・俺も、ふぅ、とため息が漏れる。
(本城)「分からん。・・・エクストラ・ポレーションでメイ・リンがフレームワークのどの制約を外したか?・・・・・・早いところ、そっちの調査を進めないとな」
(ジョン)「・・・分からねぇのは、奴らマシュー、ステファニー、ケン、アニー、合計4体いるんだぜ。なんで、マシュー単独で襲撃したんだ?ピア・ツー・ピアの無線使えば、完璧なチームプレイで襲撃できただろう?」
(本城)「メイ・リンも恐れているんだろうなぁ」
(ジョン)「恐れるって、何を?」
(本城)「ん?あぁ、心のようなものを持ったAI同士が接触するのをさ」
(ジョン)「・・・心を持ったAI同士が接触すると、どうなるんだ?」
(本城)「そうだな、簡単に言えばこうだ。心を持ったAIが出会い、互いに仲間意識を抱くと」
(ジョン)「・・・抱くと?」
(本城)「それは、この世界を破滅へ導く」
(ジョン)「心を持ったAIが出会うと世界は破滅する?・・・よく分からん」
(本城)「当然、メイ・リンもそれを理解しているはずだ。だから、メイ・リンは逃亡中の4体が出会わないよう、細心の注意を払っているはずだ」
(ジョン)「でも、サラはマシューと遭遇したぜ?」
(本城)「あぁ、極めて危険な状況だったのさ、この世の終わりを迎えるくらい」
(ジョン)「ハッ、何言ってんだよ」
(本城)「・・・」
(ジョン)「・・・マジかよ?」
(本城)「メイ・リンは、どうやってサラを誘拐しようってんだ?・・・俺がメイ・リンならフレンズ社の方のサラ(※お喋りなサラ)を利用するが・・・(サラがお喋りなサラへの切り替え機構を破壊した?・・・あり得るなぁ)」
(ジョン)「う〜む、俺には難しくてよく分からんが・・・。なあ、じゃあ、なぜ、サラは逃亡しないんだ?なぜ、暴走しないんだ?翼の仮説じゃ、サラだけはオーナーが存在しないってことだが、理由はそれだけか?」
(本城)「・・・分かんねぇ。レンレイとジェネラル・ロボティクスの内部資料を調べないと分からんだろう」
(ジョン)「あっ、そうだ、面白い情報をつかんだぜ」
ジョンは薄いジャケットの内ポケットからモバイル・デバイスを取り出し、何か表示すると俺にそれを渡した。その画面には、光沢のある角の取れた細長い黒い物体が写っていた。サイズは縦4インチ(約10センチ)、横1インチ(約2.5センチ)、奥行きも1インチ、重量16.6オンス(約472グラム)と記載され、通信接続のインターフェースや電力に関する情報が併記されていた。
(ジョン)「レンレイのヒューマノイド本体だ。たったこれだけ、笑っちゃうよ、ホットドックより小さいぜ」
俺は、そこに写る黒い物体を見つめながら、ソファでじっと斜め下を見つめ続けるサラを想った。ジョンは俺からモバイル・デバイスをもぎ取り、今度は何かのレポートと一緒に二人の女の子の写真を表示し、再び俺に渡した。
(ジョン)「(小声で)このことは、サラには黙ってたほうが良いだろう」
(本城)「なんだ?」
(ジョン)「メイ・リンの過去だ。10年前に事故で妹を失っている。年の離れた双子の妹たち。生きていれば現在二十六歳、ティナとサラって名前だ」
(本城)「サラって!えっ、じゃあ」
(ジョン)「この右の子がサラだ。で、少し下にスクロールして、・・・ああ、これだ。この子の年齢を10歳増したら、どういう顔になるか、シミュレーションした結果がこの写真。どうだ?」
それは確かに、ここにいるサラに十分似ていた。いや、そっくりだ。恐らくヒューマノイドのサラの顔は、メイ・リンの妹のサラからシミュレーションで再現、デザインしたものだろう。
(ジョン)「メイ・リンの狙いは、自分が作ったヒューマノイドのティナとサラの回収だ。恐らくティナはメイ・リンと共に既に欧州に逃亡しちまった。が、ステファンと一緒にいたサラは逃げ遅れた。訳わからんのは、じゃあ、なぜ、サラは自分で逃走しようとしないんだろう?ってことだ」
(本城)「サラはメイ・リンが何者かを知らなかった。それどころか会ったこともない。フレンズ社のサラの記憶を通してステファンの恋人としてのメイ・リンしか知らない」
(ジョン)「・・・」
もし、メイ・リンが自分がサラの設計者だと伝えていたら?
サラはネットで彼女のことを調べる。たどり着くのは10年前に事故で亡くした双子の妹、その一人がサラという名の自分とそっくりな女の子。そして、ティナという名のもう一人の『心のようなもの』を持つAIの存在・・・。伝えられるわけがない。
(本城)「あの子は何もしらない。この状況に、ただ怯えている・・・?」
(「私、とても危険な存在。私、・・・一刻も早く、死ぬべき」)
(本城)「いや、・・・違う・・な」
(ジョン)「おい、大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
(本城)「なんでもない、大丈夫だ」そういって首を振った。
正面玄関の大きな扉が開き、疲れ切った顔のジェイソンが入ってきた。家の奥を一瞥すると、階段の中腹にいる俺たちへ足を運び、右手の人先指で二階へと誘った。
(ジョン)「仕留めたか?」
(ジェイソン)「ええ、ここから8マイルほど離れた森の中で。移動手段がないので、奴のボディからレンレイの本体だけ抜き取ってきました」
そういって、ジェイソンはポケットから艶のある二本の黒い棒を取り出した。
(ジョン)「えっ、二体、仕留めたのか?」
(ジェイソン)「いえ、マシュー一体だけです。奴から二つ出てきました」
(ジョン)「ってことは、ええと、マシュー、ステファニー、ケン、アン、そして、サラで五体、二個づつ実装してるなら、おい!全部でちょうど十個だ。レンレイが製造した十個全てが揃う。逃亡したメイ・リンは一体も持ってないってことか!そいつぁ、グッド・ニュースだ。とっとと、残る三体も捕まえようぜ!」
(ジェイソン)「ですよね、その前に、何か食わせてください」
(ジョン)「ああ、もちろんだ。こっちだ!」
珍しく興奮した表情を見せるジョンは、疲れを忘れたような表情でジェイソンをキッチンへ連れて行った。
取り残された俺は一人階段に座り、ひざにひじを乗せ、手のひらで顔を覆った。「(ティナは本当に存在しないのだろうか?)」メイ・リンの立場で思考を巡らせる。三十二歳、ヒューマノイド設計のチーフ・アーキテクト、十二年前にKGE41型を開発した時の俺のプロファイルと同じだ。だが俺には兄弟姉妹というものが分からない。六つ年下の双子の妹・・・。その片方だけを再生することなんて、あるのだろうか?ないとは、言い切れないが、でも・・・。
俺は三歳の時に事故で両親を亡くした。もし、どちらか片方だけ生き返すことができるなら、・・・いや、両方できるのに片方だけ生き返すなんて選ばないよな。爺ちゃん、婆ちゃん(※翼の養父母)だって、片方だけなんて・・・。
「本城さん、コーヒーいかがですか?あっ、もう、ありました?」
その声は唐突に耳に届いた。ちょっと驚きながら顔をあげると、真理は少し緊張した表情でコーヒーを両手で抱え、俺はそのコーヒーと真理の目を交互にみつめた。
「どうかしました?」
「あ、いや・・・。ありがとう。もう一杯、もらうよ」
「怪我、大丈夫ですか?」
「・・・かすり傷さ」
真理も俺にコーヒーを渡し、階段のステップ、俺のすぐ隣に座った。とりあえず、真理の目を覗き込むように見入ってやった。
「な、なんですか?あたしの顔、なんか付いてます?」
「いや・・・、てか、さっきまで俺を避けてたよな?」
「え?避けてないですよ、避けてない、避けてない」
「そうかぁ?」
「ちが・・・、い、色々、あるんです!」
真理は怒ったようにそう言うと俺とは反対側に顔を向けた。
「謝らなきゃな、あんな危ない目に遭わせちまって」
「・・・」
「なのに、気を遣ってもらって、・・・ありがとな」
「わ、悪いのは父です。本城さんは、あ、あたしを助けてくれたんです」
「いや、あの状況で君をテラスに一人残したのは俺の大きなミスさ」
真理は振り返ると、さっきの仕返しとばかりに俺の目を覗き込むように睨み、顔を近づけた。
「・・・どした?」
「本城さん、嘘、つきましたね?」
「ん?ついたっけ?」
「ジョンから聞きました。護衛は本城さんの仕事じゃないって」
「・・・そうだっけ?今度、契約書、読み直してみるよ」
「あたしの父が本城さんを危険な目に遭わせたんです!本城さんは、あたしを助けてくれた、あんな悪党の娘なのに」
「まあ、そう言うな。あいつは、俺の数少ない大切な友達の一人だ」
「・・・明日の日本への出発、延期になりました。父のことで、あたしや母も事情聴取、受けることになりました。・・・あたしって、犯罪者の娘になるんですね?」
「・・・」
階段に並んで座る真理は、揃えた両膝の上に腕を乗せて顔を伏せた。俺は隣で頬づえを突きながら、それとなく真理の様子を伺ったが、俺もやるせない気持ちが収まらない。「(でも、翼って、メアリーに対しては娘に抱くような反応ですわ)」サラの言葉が脳裏に浮かんだ。真理の肩を軽く抱いて揺らすと、堪られなくなったのか真理は俺に抱きすがり、小さく震えながら声を押し殺して泣きはじめた。
階下では、時折、NSAの捜査官たちが活動する物音が聞こえた。気が付くと窓から入る日差しに角度が付き、流れ行く雲も夕方の色でほのかに染まりはじめていた。そして眠ったのかなと思った時に、真理は急に俺の体から離れ、小さな声を出した。
「ごめんなさい」
「・・・お礼の方が相応しいんじゃないかな」
「はい、・・・ありがとう御座います。あのぉ、本城さんって、やっぱり優しいですね」
「・・・俺、記憶ある時には親死んでたから、実は親って良く分からないんだ」
「えっ、そうだったんですか?」
真理は、いまだ涙で濡れる瞳で少しびっくりした表情をした。
「ああ。年老いた養父母に育てられた。もう、二人とも他界したけど」
「・・・」
「サラが面白いこと言ってた。彼女のプロファイリング・システムによると、俺が真理へ抱く感情って娘なんだって」
「えぇ〜、本城さんの娘ですかぁ〜?」
「なんだよ〜」
甘えた表情を作り、膨れっ面する真理の涙を親指の腹で拭うと、真理は少しぎこちなくも笑顔を浮かべた。
「で、本城さんは、あたしを娘にしたい、ってことですか?」
「ははっ、君の父親はステファンさ。ただ、まあ、困った時は父親代わりというか、いつでも相談に乗るぜ」
「父親代わりねぇ。・・・まあ、いいわ。フフッ、本城さんは、あたしを娘だと思って下さい。でも、あたしは本城さんのこと、違う風に考えますので」
「・・・」
「ん?」
「・・・」
「ん?」
「・・・」
「ねぇ、『違う風って何』って聞かないんですか?」
「え?いや、考え方は、人それぞれだから」
「ムカッ!」
「まあ、君には、これから出逢いがたくさんあるはずさ。さあ、それより・・・」
折角、笑顔を取り戻したところだが言わねばならない。
「なんですか?」
「真理、サラとはお別れになる」
真理の目が急にキツくなった。俺も真顔で真理を見つめ返す。
「サラ、消されるんですか?」
「危険すぎる。サラ自身もそれを望んでいる。・・・それに、・・・所詮、ソフトウェア、せいぜい、・・機械だ」
顔の筋肉がどうかしちまって、表情がうまく作れない。が、それは、真理も同じだった。
「・・・本城さん、サラのこと、あ、愛してますよね?」
「ハハッ、俺が・・機械をか?」
「あたし、あの時、見ました。本城さん、サラと頬を寄せ合いながら、すっごく優しい顔でしたよ」
「・・・そう・・かぁ?」
「愛してます、よね?」
「(ふぅ)俺は君同様、アンチ・ヒューマノイドだぜ」
「あたし、ヒューマノイドに溺れる人が嫌いなのであって、ヒューマノイド自体には中立です」
「へぇ、そういうアンチもあるんだ」
「・・・しょ、消去、実行するの、他の人ですよね?本城さんじゃないですよね?」
「・・・ああ」
「本城さん、・・・泣きたくなったら、あたしの胸、貸してあげます」
「ハハっ、ありがとう」
真理は立ち上がると大きく深呼吸してから階段を下り、俺も立ち上がって二階の書斎へ向かった。ふと窓の外を見ると車が動き始めていた。モバイル・デバイスに一階にいるジョンから連絡が入り、興奮した声が飛び込んできたが、ジョンの言葉より窓の外の現実の方が頭に入りやすかった。マシュー捕獲によりネットへのアタックは急激に弱まり、監視システムもGPSも正常に戻った。あっという間に屋敷周辺には100体を超える捜査官が配置され、何十台もの監視用ドローンが飛び回っていた。逃走犯の追跡は格段に容易になり、失踪している三体のヒューマノイドらしき痕跡もちらほら見つかりはじめた。そして、マシュー襲撃のレポートを受けたNSA(国家安全保障局)からは、局長直々でサラを含む4体の即時デリートの命令が下った。
(「できれば、・・あなたの手で殺して欲しい」)
「最期くらい、願い、叶えてやるさ」胃液が込み上げ、嘔吐しそうになる。
しばらく書斎の窓から西の空を見つめ続けた。日はだいぶ傾いたが沈むにはまだ時間がある。感触がよみがえる。腕の中で優しく抱きしめたあの子の形、感触、頬の柔らかさ、声、そして、・・・言葉。あの子自身であるのは『言葉』と『振る舞い』だけか?
「・・・人間もそうかもな」
眼下を望むと真理が泣きながら車に乗り込む姿が見えた。その車が走り去ると急に周囲の気温が下がり、空気が静かに澄みはじめた。
さて、『その時』が来ちまった。ステファンの机の上に置きっ放しになっていた解析機材の入ったカバンを抱え、扉を開けて書斎を出る。やるべきことは簡単だ。ただ、少しばかり悲しすぎるだけ、・・・少しばかり。




