十一章 逃亡
テーブルの向こうの真理は、フォークを咥えたまま、あどけなさの残る顔でモバイルデバイスを持ち上げる俺に視線を向けた。
(ジョン:NSAの現場指揮官)「翼、まだ、ステファン・ファーガソンの家だな?」
(本城)「ああ、どうした?」
(ジョン)「メイ・リンが逃亡した」
(本城)「・・・」
(ジョン)「それから、ステファン・ファーガソンも行方不明だ。二人とも欧州で監視の目から消えちまった。一緒に行動している可能性が高い」
(本城)「・・・(おい、ステファン)」
真理は視線をそらして何も気付いていない、あるいは、気付いていない振りをしながらフォークでメロンを口に運んだ。俺はテーブルを離れ、朝の日差しが降り注ぐテラスから家に入り、ピアノしかない広いサロンを歩きながら小声で話し続けた。
NSAが新たに入手した情報によると、レンレイがジェネラル・ロボティクス社の設備を利用して開発・製造した実験機は、マシュー、サラを含め計10体。寄生用に購入したと思われるフレンズ社のヒューマノイドは6体だが、市販品も使えるので残り4体は、別途、入手したのだろう。ステファニー、ケン、アニーと名付けられた3体は、いずれも地元の富豪がオーナーだということが分かったが、残る5体については、現状、何も情報がないそうだ。
ジョンによるとステファニー、ケン、アニーの3体は、すでに家を飛び出し逃亡中とのこと。それからマシューは失踪直前にステファン・ファーガソンの家、及び、真理に関する情報も集めていたそうだ。そして、この近辺に潜伏している可能性がある。移動しながら『寝息』をしている物体が少なくとも一体、この地域に入ったことが確認された。監視システムが混乱している現状、ターゲットの追跡には失敗したそうだが。
(ジョン)「ステファン・ファーガソンのヒューマノイド、サラは、そこにいるか?」
(本城)「今、探してる」
そう言いながら家の中を駆け回った。
サラは1階のセカンド・リビングルームにいた。ステファンのコレクションの酒がずらりと並ぶバーカウンターには脚長の椅子が5脚並び、その後ろのソファーの先には大きなシアターシステムが据えられていた。サラはカウンターの中で、昨日、俺のために使ったグラスやアイスペールを洗っていた。大声で名前を呼びながら部屋に入った俺を見て、彼女は少し驚いた表情を浮かべた。
「・・・物静かな方の・・だよな?」
カウンターの中に入り、少し警戒しながら問いかける。
「はい、私です。お喋りなサラちゃん、昨日、テストモードにした後は一度も現れません」
「・・・ふ〜ん、それで君がベッドメイキングや皿洗いをしてるんだ?」
サラは少し戸惑った顔で「ええと、前からやってみたかった、という理由もありますが」と答えた。
「グラスは上手に洗えるようだな」
そう言って笑いかけると、サラは少し照れた表情を浮かべた。
「すまないが緊急だ。君のモバイル・デバイス、見せてくれ」
「えっ、あ、はい」
サラからモバイルデバイスを受け取り、NSAの解析ツールを使って通信履歴をチェックする。昨日の夕方、ステファンから呼ばれた時に受信したテキストを最後にサラ自身が使った形跡は何もなかった。
「・・・君は、このデバイス、使ってないのか?」
「ステファンが、あまり使うんじゃないって言うので」
「たくさん未開封のメッセージがあるが?」
「ステファン以外の人からのメッセージはチェックしてません。もしかして、翼、私にメッセージ送りました?」
「いや、そうじゃない。(・・・どこまで信じていいのだろう?)このデバイス、俺が預かっていいか?ステファンから連絡があったら知らせるから」
「どうぞ」
「それから、しばらくの間、俺の側にいてくれ」
そう言って皿洗いの途中だったサラの手を引いてカウンターを出て、再び、二階のテラスへ向かいながらジョンと会話を続けた。
(本城)「ジョン、サラはここにいる。お前、今、どこだ?」
(ジョン)「それが変なんだ。車がさっきから同じところを何度も行ったり来たりしている。本来、とっくに、そこに着いてる時間なんだが」
(本城)「・・・サラ」
(サラ)「はい、何でしょう?」
(本城)「君はGPSは、使えるんだよな?」
(サラ)「はい」
(本城)「GPS信号で、この場所、どうなってる?」
(サラ)「変ですね。信号の挙動がおかしい。本来の場所と違うところを示したり、信号が消えかかったり、・・・今は自動車で移動しているみたい、・・・なんかランダムに移り変わります」
(本城)「ジョン、GPS信号がやられている。どうやってるのか分からん。たぶん、この周辺地域だけ、強力な偽のGPS電波が流れてんだ」
(ジョン)「やっぱりそうかぁ。とりあえず、その周辺の捜査員には徒歩でそこに向かわせる」
(本城)「この通信も使えなくなるかもしれない。まず、本部へ至急、状況を説明、支援を仰げ。ネットも、たぶん、大規模にアタックされていると思う。GPSだけでなく、オンラインのマップも信じるな」
(ジョン)「本部には連絡済みだ。俺も徒歩でそっちに向かう」
階段の踊り場でジョンとの通話を切り、デバイスをジーンズの後ろポケットにしまうと、不意に風が頬を撫でた。振り向くと玄関の大きな扉が開いていた。ホーム・セキュリティが機能していない。つまり、この地域一帯が停電で、さらにエナジー・ストレージ・システムが乗っ取られたのだろう、太陽光発電などの家庭用発電システムからの電力供給も絶たれたのだ。
音を立てないよう静かに階段を登り、周囲を確認しながらテラスへ続くホールに入る。次の瞬間、奥から真理が誰かと話している声が聞こえた。立ち止まり、左手でサラの右手を握る。右手の人差し指を口に当て、そっと階段脇を通って反対側にある書斎に入り、静かに扉を閉めた。気付かれただろう。が、こちらの声は聞こえないはずだ。手を握ったままサラと見つめ合う。俺は言葉を探した。が、言葉がなくても、サラは俺の顔色から俺の気持ちを読み取ったようだ。
「私を信じてください。大丈夫です。不審者がいるようですね?」
「・・・暴走したヒューマノイドが、この辺りに潜伏している。監視システムやGPSをクラッキングしてる奴らだ」
「暴走?ヒューマノイドが?・・・それって、もしかして」
「君と同じレンレイ製のAIだ」
やはりサラには心のようなもの、暴走因子があるのだろう。焦燥感漂う表情なんて、普通、ヒューマノイドに実装しない。
「奴らの狙いは君だ」
「なぜですか?」
「仲間だからさ。ステファンやメイ・リンのもとへ一緒に逃走するためだろう」
「逃走?ステファン?」
「ああ。ステファンは欧州でNSAの監視から逃れて失踪した。君の生みの親、メイ・リンも同時に消息を絶った」
「メイ・リンさんも・・・」
「君はどうする?この状況じゃ、俺たち、お手上げさ。むしろ、君がここに残っていることが不思議なんだ。他のヒューマノイドが暴走し始めたのに、君は何故ここにいるんだ?なぜ、失踪しない?」
「・・・それは、・・・私も暴走する可能性があるということですね?」
「・・・分からん」
「(ゆっくり、しっかりした口調で)私、一生、暴走せずに終えたい」
「ああ、そう願うよ」
「ならば、翼、今すぐ私を殺して」
「・・・そ、・・・それは・・・」
論理的にはサラの判断が正しい。視線が揺れ、動悸が乱れた。左手でサラの手を握ったまま、右の手のひらをサラの頬にあて、ブラウンの瞳に黄金色に光る虹彩を見つめた。柔らかく、きめ細やかな(人工)肌、手の甲に流れるストレートのブルネット。瞳を覗き込み、握っていた左手を離してサラの腰にまわし、右手で頭を包むようにサラを抱きしめた。
(本城)「(大きなため息をつく)その時が来れば殺すさ」
(サラ)「できれば、・・あなたの手で殺して欲しい」
(本城)「・・・そうだな、・・・努力はするよ」
両手でサラの細い肩をつかみ、もう一度、のぞき込むようにサラを見つめた。
「真理が言ってた。クールな方のサラは嫌いじゃないって」
「・・・ありがとう」
「知ってたか、プロファイリング・システムで?」
「翼、・・・あなた、本当はとても優しい。だから2時間も見つめてました」
「・・・6%の認識エラーだ」
「・・・」
「まずは真理を救出する、君に頼みがある」
さして策がある訳ではないが、真理を守るための簡単な段取りをサラに伝えた。それと、サラ自身の身の守り方も。




