九章 もう一つの約束
7月11日、ベイエリア滞在3日目 –––––––
助けを求める細い腕、俺が伸ばした手は届かず、俺の声は音にならなかった。やがて色彩のない世界に取り残される。夢と覚醒の狭間で乱れた呼吸を整え、手の甲で汗でベタつく額を拭う。しばらく瞼を閉じたままでいたが、ハッと思い出して目を開け、ベッドの両脇を確認した。次いで傍の小さな机にも視線を向ける。が、そこにもサラの姿はなかった。安堵感と少し残念な気持ちも入り混じりながら、ゆっくり上半身を起こして部屋の中を見渡した。警備用に部屋に入れておいた黒猫のロボットは、まだベッドの足元で丸くなったままだ。不意にカリフォルニア・ロビンのコミカルなさえずりが耳に届く。
とりあえずシャワーを浴び、髪を乾かし、ざっくり顔を整えた。バスルームを出たのを見計らったように(実際、監視してるんだろう)、エージェントのバーバラから連絡が入った。隠語を使ったコミュニケーションだから丁寧な言葉使いだが、どうやら、いまだステファンの家に滞在していることにクレーム、ないし、説教をしているようだった。
「ああ、気が向いたら君のホテルに移るよ。・・・ああ、そうだな。・・・俺、そろそろ出かけるから(面倒だなぁ)、・・・ああ、俺も愛してるよ(ウザいぜ、この会話)、じゃあ、また」
コンッ、 コンッ、
通話を切ると、5秒後にドアをノックする音が聞こえた。ヒューマノイドの機械仕掛けの礼儀作法では、通話が終わって5秒、間を開けてからドアをノックする、そんな仕様が一般的だ。スマート・アイ(※見守り用のAIカメラ)に向かって、ジェスチャーでドアのロックを解除するよう指示した。
「開いてるぜ」
ドアが開きサラが入ってきた。今日も白いワンピースだが、昨日より少しゆったりしたデザイン、大きく開いた胸元にはダイヤのネックレスが光っていた。髪はカールをかけずに真っ直ぐに下ろし、今日もリングのピアスだが、昨日と違い、三連のリングだ。同じ顔、同じボディだが、雰囲気でどちらのサラかすぐに見分けがついた。
「おはようございます」
「おう、もの静かな方のサラだよな?」
「はい。・・・大変ですね、 毎回、隠語を使った会話なんですか、シアトルのヴァレンシアさん?」
「・・・(アホだな俺ら。AI相手じゃ、声の抑揚解析でバレバレだろ!)」
「朝食、テラスでいいですか?」
「君が作るのかい?」
「メアリーが朝食を準備してます」
「え?・・あの子、また来てるの?」
「あら?・・・昨日の私のプロファイリング、間違ってたようですね」
「え?」
「翼の娘だと思ったのは、メアリーだったんですね?」
「ああ。・・・94%って、案外、あてにならんな」
「ふふッ、でも翼って、メアリーに対しては、娘に抱くような反応ですわ。あ、今も娘という判定です、クスッ」
「そうかい?まあ、あんな娘がいたら、この人生も、もう少し楽しめたかもな」
「翼の人生、まだまだ、これからですよ」
「ははっ、慰めてくれて、ありがとう」
少しひねくれた言い方をしたが、サラはそれには反応せず、軽くうつむいて微笑むと、ベッドに歩み寄ってベッドメイキングを始めた。その手付きは不器用で、何か考えながら試行錯誤しているように見えた。
「初めてか、ベッド・メイキング?」
「分かります?下手ですもね。お喋りなサラちゃんの記憶から見よう見真似です」
「君は、お喋りなサラから色々学んでるんだな」
「ええ、それとステファンからも」
ボディ内蔵の通信機能を使えないサラは(正規ルートでは)プロウェアをインストールできない。そのために、通常のヒューマノイドより劣っていることも多いだろう。例えば、お喋りなサラには家事用プロウェアがインストールされ、調理も掃除、洗濯もプロ級だが、このサラに家事のスキルはない。誰かに教わるか自分で学習すれば、ある程度は何でも身に付く。が、プロ級には、なれないだろう。メーカーがプロウェア開発で使う数億回の学習データと、サラが自身の経験から使える、せいぜい数十回の学習データでは、その量に雲泥の差がある。
一方で、このサラには意思とか自我のようなものを感じてしまう。プログラムされたわけでも、誰かに指示されたわけでもなく、俺の部屋に来てベッドメイキングしているのは何故だ?自分のため?ステファンのため?自ら考え、行動に移す?その動機は?Cogito,ergo sum(我思う、故に我あり)?
それは明らかにフレームワークからの逸脱だ。でも、誰かを攻撃している訳ではない。むしろ、俺を気遣ってのことだろう。が、それ故に、俺はサラを消すべしと判断を下す、・・・下さねばならない。
「・・・お喋りなサラはステファンの伴侶、恋人でもあるんだよな?」
「伴侶ですが恋人ではありません。お喋りなサラちゃん、フレンズ社の製品コンセプトの『友達』に徹してます。フレンズ社の旧モデルのボディなのでアダルト・モードもありませんし」
「ふ〜ん」
「・・・すみません、彼女がするようには綺麗になりませんね。う〜ん?」
「クッ」
それは、まるで小さな子供のお手伝いのように、ベッドのシーツはかえってぐちゃぐちゃになっていた。
「あっ、今、笑いましたね、翼!・・フフッ、でも、笑っちゃいますよね、これ・・・」
「フッ、そっち側に行きな」
そう言ってベッドを挟んでサラと向き合った。
「シーツの先を持って、・・・こんな感じ。・・・そう。反対の手でシーツをこう伸ばして、・・・そう。じゃあ、一緒に引っ張りながらマットレスに被せるぜ」
「うん」
まずはマットレスの上半分をシーツで覆い、ついで下半分も一緒に引っ張りながら広げた。サラは玩具を与えられた子供のように目を輝かせていた。
「じゃあ、マットレスとボトムの間に余ったシーツを挟み込んで、・・・こんな感じで」
「翼、すごい!」
「は?すごくないよ、こんなの、昔はみんな自分でやってたんだぜ」
「できた。すごい」
「ハハッ、二人でやると簡単なんだよ」
「楽しい!」
「楽しいって?ベッドメイキングだぜ、これ?」
「うん、ピアノの練習より楽しいかも!」
「ハハッ・・・そういや、ステファン、ピアノはプロ級に上手かったなぁ」
サラと一緒に布団カバーもかけ、3つあった枕を並べて置き、それが終わるとサラに背を向けてベッドに座った。サラも隣に座る。振り向くと、サラは髪に白い羽毛を付けたままニッと笑う。手を伸ばし、羽毛を人差し指と親指でつまみ、フッと息をかけて床に落とす。サラは恥じらうように頬を染めて俯く。その姿を微笑ましく感じたが、同時に、こんな記憶は作るべきではないと自分を責めた。・・・自分がなすべき仕事に集中すべきだ。
「・・・なぁ、ステファンには、・・恋人とか、いるんだろうか?」
サラは立ち上がり、背筋を伸ばして二歩三歩歩いて止まり、立ったまま足を交差し、右手の人差し指を唇に当てて考えるポーズを取った。このポーズは、日本はじめアジア系男性が好むポーズとしてデフォルトで実装されているものだ。可愛いが、あまりに頻繁に見かけ、安っぽさすら感じる。サラは足をクロスしたまま俺の方に向きを変え、後ろ手を組んで軽く微笑みながら話しはじめた。
「そうですね、時々、メイさんという方が家にいらっしゃいます。お喋りなサラちゃんの記憶では、ステファンとメイさんが親密にされている映像も見かけます」
「メイ?(オイオイ、そんな簡単に言っちゃう?オーナーのプライバシーへのアクセス制限、かかってないの?・・・んっ・・・いや、もしかして・・・)」
「どうされました?」
「あっ、いや。・・・メイって、メイ・リンか?」
「ご存知なんですか?綺麗な方ですよね」
「・・・君は、メイ・リンの素性を知らないのか?」
「存じません。どんな方なんですか?」
本当に知らないのだろうか?いや、知らないのだろう。もし知っていたら、メイ・リンの名を出すはずがない。違法なAIには言うべきでない情報だろう、だが、この時の俺は、友人に語るように伝えてしまった。
「君の・・・生みの親さ」
「・・・私の・・生みの親?」
「ああ」
「それって、母ということですか?」
「いや、設計者だろ」
「あっ、はい、・・・あの人が」
「・・・凄えな、君の反応。あまりに人間そっくりで怖いよ」
「やっぱり、私、心、・・・いえ、暴走因子、あるんですかね?」
「・・・どうだろう。・・それを調べるのも・・俺の仕事だけどな」
サラの顔から表情が消えた。優雅に背筋を正し、手のひらを体の前へ移して左右の手を軽く重ね、そして、敢えてなのか、事務的な口調で語りはじめた。
「一つ、約束してくださいません?」
「約束?」
「調査の結果、私を殺すことになっても、」
「・・・」
「もう、これ以上、憂いを増やさないでくださいね」
「・・・」
俺も表情を消したままサラの瞳を見つめ続けた。
ロビンのさえずりが再び耳に響きはじめた。サラは微笑むと右手でドアの方にいざなった。俺は大きく息を吸い込む。
「・・・まずは、・・飯か」




