第8話 『妖刀・黒狼牙』
「もはや手加減は出来ぬ。某と出会った不運を呪うことだな」
サムライ少女・アナリンはそう言うと、薄紅色に変色した瞳を爛々と輝かせた。
危険な殺気をその身にまとい、腰を落として居合いの姿勢で刀を構える。
彼女の頭からは先ほどまでは無かった2本の赤い角が生えていた。
先ほどまでのどこか物静かで泰然とした雰囲気とは打って変わり、敵を討つ喜びに満ち溢れた暴力的な気配がヒシヒシと伝わってくる。
そして彼女の腰の鞘からは相変わらず薄紅色の靄が溢れ出していた。
黒狼牙。
それが彼女の持つ刀の名だ。
その鞘に巻かれていた金鎖を解いた途端のアナリンの変貌ぶりに、アリアナとヴィクトリアも警戒心を強めている。
「な、何だかヤバイよね……あの子、明らかに目の色変わったよ」
「チッ。しかもあのサムライ女、頭に角まで生えやがったぞ」
その場に漂う危険な雰囲気にヴィクトリアとアリアナも反射的に腰を落として身構えた。
勘の鈍い僕でさえ危機感を覚えるくらいなんだから、百戦錬磨のあの2人はより強い緊張感に包まれているはずだ。
そんな2人を睨みつけ、アナリンはその身に貯め込んだ殺気を吐き出すかのように口を開く。
「鬼速刃」
静かな声でそう言うと、アナリンは一歩も動くことなくその場で鞘から刀を抜き放った。
糸を引くような鋭い居合の斬撃だけど当然、刀は空を切る。
僕はその刀の変化に思わず目を奪われた。
黒い刀身はそのままだけど、緑色だった刃紋が赤い色に染まっている。
それは先ほどまでよりも遥かに禍々しい印象を僕に抱かせた。
だけど僕が刀に目を奪われている間に、激しい金属音が響き渡り、ヴィクトリアの兜とアリアナの左の肩当てが弾き飛ばされて宙を舞った。
「うあっ!」
「きゃあっ!」
たまらずに2人は後方に倒れ込む。
どうなってるんだ?
アナリンの刀は空を切ったはずなのに。
「アリアナ! ヴィクトリア!」
僕の声が届くよりも早く2人は跳ね起きたけれど、ヴィクトリアは額から血を流し、アリアナは右手で左肩を押さえて顔をしかめている。
そして2人が起き上がった時にはすでにアナリンの姿は前方から消えていた。
少し離れた場所から見ていた僕は反射的に叫んでいた。
「上だ!」
アナリンは一瞬で飛び上がり、2人の頭上から刀を振り下ろしてきたんだ。
迎撃が間に合わずヴィクトリアが慌てて2本の羽蛇斧を交差させてこれを受け止める。
だけど……。
「甘い!」
そう叫ぶアナリンの刃を受け止めきれずにヴィクトリアは後方へ大きく飛ばされ、瓦礫の石壁に背中を打ち付けて倒れ込んだ。
「かはっ……」
お、同じだ。
さっきと同じで、受け止めたはずの刃から衝撃が生じてヴィクトリアを襲ったんだ。
だけどその威力はさっきとは段違いだった。
あのヴィクトリアがあんなに軽々と飛ばされてしまうなんて。
「こ、このっ! 氷結拳!」
ヴィクトリアを吹き飛ばしてすぐ傍に降り立ったアナリンに向けて、アリアナが得意の氷結拳を繰り出す。
触れるものを容赦なく凍結させる、凍てつく拳だ。
刀で受け止めたりすれば、刀身が一瞬で凍結してへし折れるはず。
たけど今のアナリン相手にそうはいかなかった。
「遅い!」
アリアナが鋭く突き出した右の拳をかいくぐったアナリンは、一瞬でアリアナの胸に刀の切っ先を突き刺した。
「ああっ!」
思わず声を上げる僕だけど、アリアナは左の氷結拳を胸の前で咄嗟に構えて刀の直撃を防いでいた。
でもあれじゃヴィクトリアの二の舞だ。
「うぐっ!」
アリアナの左の拳を包んでいた氷が粉々に砕け、先ほどのヴィクトリア同様にアリアナは後方に飛ばされた。
ヴィクトリアよりも身軽な彼女はかなり大きく吹き飛ばされたものの、空中で態勢を立て直して着地する。
だけどアリアナはその場に片膝をつき、左手で胸を押さえて苦しげに喘いだ。
「うぐっ……あうぅぅ」
彼女の防具である青霜の道着の胸当てにヒビが入ってしまっている。
かなり強く胸を打たれたんだ。
そして刀を直接受けとめた左手には彼女の武器兼防具でもある極氷手甲が装着されている。
かなり強度の高い手甲だから壊れてはいないけれど、その下の左手からは血が流れ出していて彼女の肘まで濡らしていた。
「アリアナ!」
まずいぞ。
左手のダメージがかなりひどい。
あれじゃ両手を存分に使って格闘するスタイルのアリアナはさっきまでのようには戦えない。
「死ねっ!」
そう言ってアリアナに追撃をかけようとするアナリンだけど、ふいにその頭上に大きな黒い影が舞った。
アナリンは反射的に地面を転がってこれを避ける。
すると1メートル四方ほどもある巨大な石材が地響きを轟かせて地面に落下してきた。
土煙が舞う中、起き上がったアナリンが訝しげに後方を振り返る。
すると瓦礫の上に巨大な石材を両手で持ち上げるヴィクトリアの姿があった。
あ、あの石材はヴィクトリアが投げたんだ。
まるでさっきのアニヒレートのような人間離れした攻撃だ。
「惜しかったな。もう一丁!」
ヴィクトリアは額から血を流しながらも好戦的な笑みを浮かべてそう言うと、その剛腕で凶悪なほど重量のある石材を思い切り投げつけた。
彼女にしか出来ない規格外の戦い方だ。
これならいくらアナリンでも……。
「某に敗北は許されない。この黒狼牙に誓約せし不敗の証が偽りではないと示そう」
そう言うとアナリンは刀を素早く鞘に収めて再度居合いの構えを見せる。
ま、まさか……。
「黒狼牙は形ある物すべてを斬り捨てる」
彼女はそう言うと地面を蹴って猛烈な勢いで飛び上がった。
ヴィクトリアが投げた巨大な石材がすぐその前に迫る。
だけど、彼女は構わずに刀を横一閃させた。
途端に、石材は上下真っ二つに割れる。
そして割れた石材の間を抜けて、アナリンはグングン加速しながらヴィクトリアに突っ込んでいく。
「上等じゃねえか。叩き切ってやる!」
そう言うとヴィクトリアは嵐刃戦斧を握り締め、それを自分の目の前で8の字状に振り回し始める。
あれは……ヴィクトリアの上位スキルだ。
ものすごく重量のある両手斧・嵐刃戦斧を腕力と念力を駆使して8の字の形に振り回す大技で、超高速の刃の嵐に巻き込まれた敵はバラバラに切り刻まれて息絶える。
「嵐刃大旋風!」
だけどアナリンはまったくこれに臆することなく全速力でまっすぐ突っ込んでいく。
ヴィクトリアが振り回す嵐刃戦斧はすでに最高速度で刃の嵐を作り出していた。
アナリンの体がバラバラになる!
その場面を想像して思わず僕が歯を食いしばったその時……。
「鬼道烈斬!」
アナリンが腰に構えた鞘から鋭く刀を抜き放ち、左下から右上へと振り上げる。
次の瞬間、高速の刃の嵐を繰り出していたはずの嵐刃戦斧が、弾かれて頭上高くへと舞い上がった。
アナリンは一瞬で返す刀を振り下ろして、ヴィクトリアの脇をすり抜け、後方へと駆け抜ける。
そして……両腕を跳ね上げられた格好のヴィクトリアの左肩から右の腰までの甲冑に亀裂が走り、そこから激しく血が噴き出したんだ。
「ごほっ……」
「ヴィ……ヴィクトリアァァァァァッ!」
自らの体から噴き出した鮮血に顔を赤く染めながら、屈強な女戦士のヴィクトリアがその場に倒れた。
ほんの一瞬のはずの一連の出来事が、僕にはひどくゆっくりと、まるでスローモーションのように見えたんだ。
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次回 第一章 第9話 『救援の環』は
明日12月9日(水)午前0時過ぎに掲載予定です。
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