終幕 『それでも守れたもの』
太陽が西に沈もうとしていた。
夕焼けが湖を赤く染めていくのを僕はミランダ城のバルコニーで見つめながら、昨日までの喧騒が嘘のような静寂の中に1人佇んでいた。
昨日終了したイベント【襲来! 破壊獣アニヒレート】の翌日、僕とミランダは朝からつい先ほどまでこの城の修復作業に追われていたんだ。
せっかくの新築なのに、このミランダ城はアニヒレートや東将姫アナリンとの激しい戦いを経て大きく損傷してしまっていた。
だけどミランダはまったく意気消沈することもく、平然と城の修復に勤しみ、僕もそれを手伝って今日は1日中忙しく働いていたんだ。
闇の洞窟の真上に位置するこの湖の中島に建てられているこの城が僕らの新たな住処になる。
ずっと洞窟の中に暮らしていたから、これからは毎日こうして湖と夕焼けを眺めることが出来るというのは不思議な気分だった。
「明日も朝から忙しくなりそうだな」
誰に言うともなく1人そう呟くと、僕は城の中に戻っていく。
昨日はイベント終了後に神様がシェラングーンで打ち上げの宴会を開いてくれたんだ。
といっても大変な戦いの後だったから、僕らの仲間内だけでささやかに済ませたんだけど。
僕はその時のことを思い出しながら城内の廊下を歩いていく。
宴の席で神様は、その時点で分かっていることを僕らに話してくれた。
ちなみに神様でも分からなかったのは、僕らに助力をくれた女悪魔リジーの一件だ。
他のゲームである地獄の谷からやって来たNPCのリジーがどうしてミランダ城の内部に入るシリアル・キーを知っていたのかは、神様だけじゃなく運営本部の誰もが知らないことだったという。
まだ自分たちの知らない何かが今回の一件に絡んでいるのだろうと言っていた神様だけど、今後おそらく色々と明らかになっていくんじゃないかな。
神様は今回のイベントについても総括した。
アニヒレートにトドメを刺した人、そしてアニヒレートに最も多くダメージを与えた人ベスト3、その人たちにアニヒレート・スレイヤーの称号と数々の褒賞が与えられることになっていたんだけど、結局トドメを刺したのもダメージを最も多く与えたのもミランダだった。
でもNPCはアニヒレート・スレイヤーにはなれないから、プレイヤーの中で最も多くダメージを与えた人のベスト3がアニヒレート・スレイヤーとして表彰され、数々の褒賞や建国権(バルバーラ大陸の周囲に新設される予定の3つの島国のもの)を与えられたんだ。
そのことについてはミランダはまったくどうでもいいみたいだった。
「いらないわよ。そんなダッサイ称号」
と、一笑に付したほどだ。
何にせよアニヒレートのケタ外れな強大さは今思い返してみても嫌気が差してくる。
もう二度とあんな怪物とは戦いたくないよ。
神様の話によれば、今回のイベントは刺激が強過ぎたと、運営本部でも反省の材料になっているらしい。
もう少しプレイヤーにとって難易度を低くすべきだったか、と。
それでも多くのプレイヤーが参加してくれたことで、このゲームが活気付いたのはいいことだった。
それはこのイベントのプラス面だろう。
だけどもちろんマイナス面もある。
48時間のイベント中にゲームオーバーを迎えたNPCは全体の3割強に及ぶという。
彼らの復活審査は今現在も行われているところで、2週間後のアップデート時にその結果が判明するらしい。
そこで復活できずに退場となるNPCも少なくないだろうと神様は言っていた。
そのことを思うと僕は暗い気持ちになる。
何とか1人でも多くのNPCが復活できるように働きかけて欲しいと僕は神様にお願いしておいた。
僕にはそれ以上どうすることも出来ない。
祈る以外には。
そして運営本部にはその審査の作業と並んでやらなければならない仕事があった。
今回、東将姫アナリンを初めとする数人の密入国を許してしまい、その上、運営本部が拘束していた囚人NPCを連れ出されてしまった。
リードと暗黒双子姉妹だ。
これはゲームのセキュリティー上、大きな問題だった。
その原因究明と今後の対策に神様も追われているようだ。
裏で暗躍していたのが西将姫ディアドラだったということだけど、彼女の正体は今のところ分かっていない。
すべてはこれからだった。
とはいえ、こちらにも手に入れた好材料がある。
アナリンの部下である獣人魔術師カイル、不死暗殺者ザッカリー、妖精爆撃主メガリンの3人と、双璧の天馬・雷轟と天烈。
新たにそのプログラムを拘束した彼らから入手できる情報は少なくないはずだ。
そして僕らは苦戦したとはいえ、アナリンを退けてe-bookを守り抜くことが出来た。
王様の体に隠されていた半分のシリアル・キーは奪われてしまったけれど、王女様を守れたことで、もう半分のシリアル・キーは奪われなかったからだ。
神様は新たなシリアル・キーを施して今後のeーbookの防御体勢に万全を期すらしい。
次に攻められたとしても今回よりきっとうまく守れるだろう。
「次に攻めて来る……か」
僕はそう呟くと、西将姫ディアドラの顔を思い返した。
怖い人だったな。
アナリンとは別の意味で。
アナリンが冴え渡る刃のような怖さを持っているとすれば、ディアドラは災いをもたらすパンドラの箱のような怖さを持っているように感じた。
昨日、神様から聞かされたんだけど、ディアドラが現れてシステム・ダウンが起きた時、全プレイヤーが強制ログアウトされてしまい、プレイヤーである神様もゲームから弾き出されてしまったんだって。
さらにディアドラはこのイベントが始まった段階ですでにこのゲーム内に侵入していたらしく、長時間に渡って誰にも気付かれることなく、リードたちを脱獄させたということがログ解析で判明している。
そんなことが出来るなら、ディアドラは簡単にこのゲームの秩序を壊してしまうことが出来るだろう。
今度はアナリンに代わってあの人が攻めて来たりしないだろうか。
もしそうなれば、今回以上に厳しい戦いは避けられない。
「しばらくはやめてほしいな」
僕はため息まじりについ弱音をこぼした。
今、このバルバーラ大陸はひどく傷ついている。
アニヒレートの侵攻によって王都、北部都市ダンゲルン、東部都市ホンハイが壊滅的な被害を受けた。
人手も足りないため、復興には時間がかかるだろう。
南部都市シェラングーンや西部都市ジェルスレイムが無事だったことが不幸中の幸いだった。
この状況でゲームにさらなる混乱を招くようなことはあって欲しくない。
そんな心配をしていると、いつの間にか僕は自分の兵舎に戻って来ていた。
半壊しているミランダ城の中でも、僕の部屋はどうにか無事だった。
そういえばミランダは寝室も玉座も壊れちゃったけど、どうするんだろ。
昨夜はシェラングーンに神様が用意してくれたホテルに宿泊できたんだけど。
そんなことを思いながら僕が兵舎の扉を開けると……。
「遅かったわね。アル。夕飯の献立は何かしら?」
そう言って僕の机にお行儀悪く両足を乗せながら、僕の椅子にふんぞり返っているのは城主のミランダだった。
その顔を見て僕は自分の心に湧き上がる喜びの感情を自覚した。
この世界はたくさんのものを失ってしまったけれど、皆が戦ったことでそれでも守れたものがある。
僕にとってのミランダの無事な姿がそうだった。
「ミランダ。どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ。いつまでたってもあんたが呼びに来ないから、わざわざ来てやったのに、まだ夕飯の準備もしてないわけ?」
なぜ僕が夕飯を振る舞う話になっているのか。
というツッコミはミランダの機嫌を損ねて墓穴を掘るだけなので、グッと飲み込む。
いつも通り横暴で傲慢な彼女だけど、ミランダがこうして無事で今も僕の前にいてくれるのは、何より嬉しいことだった。
彼女が命を落としそうになって、もう二度と会えなくなるかもしれないと思った時は本当に辛かったからね。
僕、いつからこんな風にミランダのことを大事に思うようになったんだろう。
僕のそんな内心なんて知らずにいるミランダは、僕の机の上に置かれた皿に盛られた大量の焼き菓子を頬張っている。
それは王都からマヤちゃんと一緒に来たお母さんが持ってきてくれたものだった。
助けてもらった御礼だからと菓子職人であるお母さんがわざわざ作ってくれたんだ。
今朝それを持ってきてくれた時には僕は2人を中庭に案内して、そこに植えられているカヤさんの桜の苗木を見せてあげた。
2人とも喜んでくれたなぁ。
中庭は暗黒巫女アディソンの溶岩噴射で焼かれてしまったんだけど、幸いにして桜の苗木のある一角は無事だった。
「おいしいわね。この焼き菓子。さすが菓子職人の手作りなだけはあるわ」
そして今、ミランダが足を乗せている机の横には彼女の武器である黒鎖杖が立てかけてある。
アナリンとの戦いで、ジェネットの武器・懲悪杖と同様にへし折られてしまったはずの黒鎖杖だけど、マヤちゃんが時魔法・時戻しで壊れる前の状態に戻してくれたんだ。
ちなみにアナリンとの戦いの最中にムクドリ姿のブレイディーが持ってきてくれた転性の仮面も、マヤちゃんが直してくれたものだった。
自慢の武器が元通りになったこともあって、ミランダは上機嫌で次々と焼き菓子を口に放り込む。
そんな彼女に僕は苦笑した。
「ジェネットたちの分も残しておいてあげないと」
今、他の皆はここにいない。
ジェネットは王都の復興のために懺悔主党のメンバーと一緒に王城で仕事中だった。
アリアナも生まれ故郷である北部都市ダンゲルンの復興のために出掛けていて不在にしている。
ヴィクトリアとノアは破壊獣アニヒレートの黄金熱線を浴びてケガの具合がひどかったため、運営本部で集中メンテナンス中だ。
だから今この城には僕とミランダの2人きりだった。
「いや、あいつらは入城禁止だから。出禁よ出禁。あいつらが入れないように罠を仕掛けなきゃ」
あのね城主様。
シレッと意地悪なこと言ってますが、そんなことしたらまたケンカになりますよ。
そして僕が巻き込まれますから絶対にやめてください。
「ミランダ。皆はもう君の仲間であり友達だよ。もっと大事にしなきゃ」
僕がそう言うとミランダは焼き菓子を食べる手を止め、ムッとして唇を尖らせる。
「仲間とか友達とか恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ。私とあいつらはそんなんじゃないし」
「はいはい。皆も同じように言うだろうけど、僕にとっては皆、大事な仲間であり友達だから。ミランダ。君のことだって僕は……」
そう言いかけて僕はハッと言葉を止めた。
な、何だか僕、とても恥ずかしいことを言おうとしてないか?
ミランダのことが大事なのは本当だけど、それを本人に面と向かって言うって、メチャクチャ恥ずかしいな。
思わず言葉に詰まる僕を見て、ミランダは何かを言いたげにしている。
わずかに逡巡した彼女は意を決したように言った。
「……アル。あんたに見せたい映像があるわ」
映像?
僕が何かを言う前にミランダはメイン・システムを起動させて、ある映像を空中に映し出した。
そこには先日の戦いでミランダが腹切丸によって胸を貫かれてしまった場面が克明に映し出されていた。
その画面の中ではゲームオーバーとなって消えていこうとするミランダの姿を見て、僕が泣き叫んでいた。
『イヤだ……イヤだ! いかないでよミランダ! せっかく城が出来たのに! これからここでたくさん活躍するはずだったのに! こんなところで死んでいいはずないんだ! この先……もう二度と君に会えなくなるなんて……そんなの絶対にイヤだ!』
こ、これは恥ずかしい!
確かにこの時必死だったけど、こうやって映像で客観的に見ると、僕メチャクチャ号泣してるじゃん!
僕が何とも言えない気まずい表情でミランダを見ると、ミランダも同じような顔で赤面しながら声を荒げた。
「あ、あんた大げさなのよ! 何みっともない顔で泣いてんのよ!」
「だ、だって心配だったから……こ、この映像どうしたの?」
「ブレイディーから送られてきたのよ。まったく……相変わらず泣き虫なんだから」
ミランダは居心地悪そうに腕を組みながら、僕が泣いている映像をなぜか繰り返し見つめている。
うぅ……そんなに見ないでよ。
くっ……ブレイディーめ。
なぜこんな映像を。
苦悶する僕の隣でミランダはひとしきりブツブツ文句を言うと、ハアッと一度だけ大きくため息をついて、それから横目で僕を見ながら言った。
「アル。あんた。私がいなくなったら……イヤなわけ?」
それはからかうような口調でも問い詰めるような口調でもなく、僕の本心を確かめようとするような、ミランダにしては珍しく臆病な口調だった。
だからこそ僕の口からは素直に自分の気持ちが言葉となって漏れ出たんだ。
「……うん。イヤだ。ミランダがいなくなったら僕、イヤだよ」
「そ、そう……それってあんた……わ、私のこと……」
ミランダが顔を真っ赤にして何かを言いかけたその時だった。
ミランダの映し出している映像がパッと切り変わったんだ。
「な、何よこれ……」
その映像に驚いてミランダは目を見開いた。
そこに映し出されていたのは、僕も記憶に残っている場面の映像だった。
『もうっ。私が隣にいるのにミランダのことを考えていたのですか? そんなアル様にはお仕置きです』
画面の中ではジェネットが僕の隣にピッタリと寄り添い、僕の手に自分の手を重ねている。
こ、これはモンガラン運河の作戦本部での出来事だ。
ブレイディーに作戦中にイチャイチャするなとか文句言われたけれど、そう言われても仕方のないイチャイチャっぷりだ!
そしてすぐに画面は次の場面に切り替わる。
『ダメだよ。アル君。女子からいきなりキスされそうになったら、すばやくよけないと』
それはやはりモンガラン運河の作戦本部でアリアナが僕の腕をギュッと掴んでいる場面だった。
この時、僕は腕が凍傷になりそうなほど冷たかったからそれどころじゃなかったんだけど、こうして傍から見ると何だかイチャコラしてるようにしか見えない。
唖然とする僕の目の前でまたしても画面が切り替わる。
『コラーッ! このメスゴリラ! そなたの暑苦しい肉でアルフリーダを窒息させる気か!』
『うるせえ! 別れのハグをしてるだけだ!』
こ、これはシェラングーンの宿舎での一幕だ。
画面の中では妖精姿の僕を自分の胸にギュッと抱きしめるヴィクトリアと、そんな僕をヴィクトリアから奪おうとするノアの姿があった。
何なんださっきから!
これって全部ブレイディーがその場にいた時のことじゃないか。
あのメガネっ娘サイエンティスト、また視覚記録で盗撮を!
ブレイディィィィー!
なぜこんな仕打ちを!
「あ、あのね……ミランダ。これは……」
僕が恐る恐る隣を見るとミランダは無表情で画面を見つめていた。
そしてその口から乾いた声を漏らす。
「へぇ。アル。あんたって意外とモテるのね」
「い、いや。全然まったくこれっぽっちもそんなことは……」
「色んな女に優しい言葉をかけて、ハーレムでも作るつもりなの?」
「滅相もございません!」
焦る僕にミランダはこちらを向く。
その顔に浮かぶのは見たことがないくらい優しい笑顔だ。
怖い!
逆に怖すぎる!
「そんなにハーレムを味わいたいなら私が味あわせてあげるわよ」
そう言うとミランダは彼女の魔法である小魔女謝肉祭を唱えた。
途端にミランダの体から5人の小魔女たちが現れる。
その5人がそれぞれ僕の両手両足と頭を掴んだんだ。
「ミ、ミランダ? 何を……」
「さあ。楽しいハーレムの始まりよ。アル」
ミランダのその声を合図に小魔女たちが僕の両手両足と頭を思い切り引っ張り始めたんだ。
僕は激痛に悲鳴を上げた。
「イダダダダダッ!」
体が引き裂かれる!
両手両足と頭が胴から引っこ抜かれる!
そんな僕をミランダはニコニコしながら見ているけれど目がまったく笑っていない。
「どう? お望み通りのハーレムよ。楽しい? アル」
ひいいいいっ!
ち、違う……これはハーレムじゃない。
こ、これは昔の時代に両手両足をそれぞれ縄で牛に引かせて体を引き裂いたという、罪人の残酷な処刑方法ですよ!
決してハーレムなどではない!
「いぎゃああああああっ! もうカンベンしてえええええ!」
すっかり日が暮れ落ちた夕闇のミランダ城に響き渡った僕の悲鳴は、湖のほとりまで聞こえたとか聞こえなかったとか。
こうしてミランダにみっちりお仕置きを受けた僕は、明日からも元気にこのミランダ城で生き続けるんだ。
このゲーム世界が存在する限り、僕の日々は終わらない。
だって僕はNPCだから。
【完】
今回のお話でめでたく完結となります。
皆様のおかげでこの『だって僕はNPCだから 4th GAME』も
無事に最終回を迎えることが出来ました。
お読みくださった皆様には、心より深く感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
*この『だって僕はNPCだから 4th GAME』のスピンオフを掲載中です。
サクッと読める3話構成の短編ですので、お楽しみ下さい。
『だって僕はNPCだから+プラス 4th お引っ越しプレゼンテーション』
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