第7話 『森を行く』
「や、やば……」
アニヒレートの吐き出した青い光弾が僕の目の前に迫る。
もうダメだ!
そう思ったその時、頭上からいくつもの氷の塊が落下してきて僕の眼前に積み上がった。
そこに光弾がぶち当たってものすごい衝撃が生じ、積み上がった氷の塊が崩れ落ちてくる。
「うわあああっ!」
だけどその時、思わず叫び声を上げる僕の体を誰かが掴んで、その場から素早く脱出したんだ。
崩れ落ちてくる氷塊を避けるその動きの速さは、まるで吹き抜ける青い風のようだった。
それが誰だか分からない僕じゃない。
僕は万感の思いを込めてその少女の名前を呼んだ。
「アリアナ!」
「アル君!」
焼けた森の中で熱さに苦しんでいたものと思われたアリアナは、元気な姿を僕の前に見せてくれたんだ。
森の中でトビダニを排除しながらアニヒレートとも戦っていたせいか、彼女の魔力はかなり減ってしまっているけれど、ライフはまだ十分に残っている。
「大丈夫? アル君」
「助かったよ。アリアナ。君も無事でよかった。この状況だからアリアナが苦しんでないか心配してたんだ」
「ありがとうアル君。でも大丈夫。こんな時のために用意してきたんだ」
そう言うアリアナの額には冷却シートが貼られていて、さらに見慣れたいつもの道着の上に青くて薄めの外套を羽織っている。
「冷えピッタンとアイス・コートだよ。苦手な熱から私を守ってくれるの」
そう言うと彼女は得意げに笑った。
アリアナはちゃんと自分の弱点を補う装備を用意してきたんだ。
そんな彼女の姿に僕は勇気付けられた。
ミランダはまだ見つからず、Eライフルも落としてしまった。
そしてアニヒレートを封じ込める作戦は上手くいかなかったけれど、まだ僕達にやれることはあるはずだ。
アリアナは素早く移動して焦土地帯からまだ木々の残る森の中へと僕を連れて避難する。
そんな彼女に僕は状況を説明した。
「アリアナ。魔道弓手1人と神官2人がゲームオーバーになっちゃったんだ」
「うん。私たちが森の中で変な虫と戦ってる時、アニヒレートの光弾が襲ってきて、みんな吹き飛ばされちゃったの。私はギリギリで避けることが出来たけど……」
5人いる懺悔主党メンバーのうち3人は残念ながら僕が最後を見送った。
残っているもう1人の魔道弓手と精霊魔術師はどうなったんだ?
「残ってる懺悔主党の2人もアニヒレートの攻撃で負傷してしまったから、エマさんの誘導で森の外へ避難してもらったの。ダンゲルンから向かって来てるプレイヤー部隊と合流すれば、助かるだろうから」
「良かった。エマさんも無事だったんだね」
僕の言葉に頷きながら、アリアナは速度を緩めることなく森の中を走り続ける。
後方ではアニヒレートが猛り狂いながら永久凍土の山を崩す大きな音が響き渡っていた。
だけどアリアナのこのスピードで森の中を逃げれば、追いつかれることはないだろう。
ひとまず安堵を覚える僕だけど、それも一瞬のことだった。
「……ハッ! そうだアリアナ。上空にアナリンが来てるんだ」
「ええっ? アナリンが? ど、どうしてここに……」
驚くアリアナの顔が緊張の色を帯びる。
アナリンは南にいるはずで、僕も彼女がいきなりこの北部地方に現れるとは思ってもみなかったからアリアナの気持ちは分かる。
「どうしてアナリンがここにいるのか、理由は分からない。でもミランダが彼女にやられて森の中に落ちて……僕、ミランダを探しに行かないと」
「ミ、ミランダまで……」
ミランダの強さをよく知るアリアナは神妙な面持ちで俯いた。
アリアナはアナリンの強さも身を持って知っている。
そんな彼女だからこそミランダとアナリンの戦いを想像してその顔を強張らせているんだろう。
だけどアリアナはグッと拳を握り締めると、顔を上げて言った。
「アル君。アニヒレートのことは私に任せて。ミランダを探しに行って」
「でも……」
「大丈夫。倒すことは出来なくても、少しの間、足止めをすることくらいなら私にも出来る。必ずやってみせるから」
アリアナは彼女にしては珍しく強気な声で決然とそう言った。
僕の背中を押す様にそう言ってくれるアリアナに感謝して、僕は彼女の拳に自分の小さな拳を軽く当てた。
「分かった。アリアナ。頼んだよ。絶対に無茶はしないで、危なくなったらちゃんと自分の命を一番に優先してね」
「無茶はアル君の専売特許でしょ。私のほうが心配だよ。アル君いつもムチャクチャするから」
「……そうでした。気を付けます」
それから僕とアリアナは今来た道を戻り、アニヒレートの元へ向かう。
アリアナはアニヒレートを足止めするために。
僕はその背後に広がる森でミランダを探すために。
僕らが森の中を抜けて再び焦土となった広場に足を踏み入れると、すぐ息苦しいほどの熱気が襲ってきた。
そこには苛立ちながら前脚を振り回し、積み上げられた永久凍土を弾き飛ばすアニヒレートの姿がある。
さらにアニヒレートは再び青い光弾を吐きまくり、森のより広範囲が燃え上がっていった。
それを見てアリアナが怒りの声を上げる。
「北の森をこれ以上傷つけないで!」
そう言うとアリアナはアニヒレートの横っ面に向けて氷槍刃を放射する。
礫となって飛ぶ鋭い氷の刃を頬に受けたアニヒレートがアリアナの姿に気付き、唸り声を上げながら後ろ脚を振り上げた。
「グガァァァァァ!」
アリアナを踏み潰そうと振り下ろされた後ろ脚をヒラリとかわすと、彼女はアニヒレートの股の間を駆け抜けながら僕の胴を握る。
「アル君! ちょっと乱暴だけど、向こう側に投げるよ」
「う、うん! いつでもいいよ!」
「いっけえええええ!」
アリアナが力いっぱい投げた僕の体は、焦土の広場を抜けて一気に反対側の森まで到達する。
僕は木に激突しないように妖精の羽を広げて急ブレーキをかけた。
そして木の陰に回り込んで広場を見つめると、アニヒレートの背後に回り込んだアリアナが両手を左右に広げて腰を落としていた。
その背中に浮かぶコマンド・ウインドウに【解禁】の文字が表示された。
アリアナの魔力が尽きて、彼女の必殺技が使用可能になる時の表示だ。
アリアナの体全体が青白く光り輝き、シューシューと音を立てて冷気が吹き出す。
アナリンには打ち破られてしまったけれど、あれはアリアナの最高の大技だ。
それが今、アニヒレートの背中に向けて放たれようとしている。
「乱気流雪嵐!」
彼女の両手から吹き出す猛烈な氷吹雪の奔流が、アニヒレートの背中に直撃した。
「フグオオオオオッ!」
苦しげな悲鳴を上げるアニヒレートの体が見る見るうちに白く凍り付いていく。
こ、これは効きそうだぞ。
アニヒレートのライフそのものは300程度の減少量だったけれど、それよりもその巨大な体が凍り付いて動かなくなっていく。
ほんの十数秒の間にアニヒレートは真っ白な氷像のような姿に変わってしまった。
す、すごい!
アリアナは技を放ち終えると肩で息をしながらも、しっかりと大地に踏ん張ってアニヒレートの姿を見上げた。
彼女は有言実行で見事にアニヒレートの足止めをしてみせたんだ。
いくら強大な存在とはいえ、アニヒレートは紛れもなく血の通った動物だ。
氷漬けの状態になれば動けないはず。
「今のうちにミランダを見つけなきゃ」
僕は自分の役目を果たすべく、すぐさま森の奥へと向かった。
ミランダが落下したであろう場所は幸いにしてまだアニヒレートの光弾による火の手が回っていなかった。
用心しなから森の中を進む僕はそれからほどなくして足を止めた。
「ん? あれは……」
僕の前方の木々の合間を縫うように、多くの光が通り過ぎていく。
あれは……何だろう?
よく見るとそれは僕と同じくらいの背丈の妖精たちだった。
多分あれは作戦本部が用意した中継カメラ役の監視妖精たちだ。
アニヒレートの移動に合わせて彼女たちも移動しているんだな。
その妖精たちが遠くへ離れていくのを見送ったその時、僕のすぐ目の前にある木の陰から1体の妖精がいきなり現れたんだ。
「うわっ!」
「きゃっ!」
それは小麦色の肌をした白い髪の妖精だった。
彼女は僕にぶつかりそうになると慌てて身を翻した。
そして僕を睨み付ける。
「ちょっと! 危ないじゃない!」
「ご、ごめんなさい」
な、何だ?
この子は。
もしかしたら仲間たちとはぐれた監視妖精かな?
「はぁ。早くしないと置いていかれちゃう」
そう言うとその妖精の女の子はオロオロと周りを見回した。
やっぱりそうか。
仲間たちと離れてしまったんだね。
「大丈夫? 君の仲間たちなら、ついさっき西に向かったよ。切先山のほう」
僕の言葉に彼女はホッと安堵の表情を浮かべた。
それから彼女は訝しむように僕をマジマジと見つめる。
「あなたも監視妖精なのかしら?」
「え? あ、ああ。いや、ぼ……じゃなくて私は違うよ。ご主人様を探してて」
あ、危ない危ない。
つい僕って言いそうになっちゃったけど、今の僕は女の子の姿だった。
あ、あやしまれてないかな。
心配する僕だけど妖精の女の子はすぐに興味を失ったのように話題を変えた。
「それよりあなた。切先山の正確な方角を教えてちょうだい」
「切先山は……」
それを教えてあげると彼女はスッと僕に近づき、いきなりほっぺにチュッと口づけをしてきた。
「ひえっ! な、なに?」
「お礼よお礼。じゃあね」
そう言うと妖精の女の子はサッサと森の中を遠ざかっていった。
僕は呆然とそれを見送りながら上気した頬をさする。
び、びっくりしたぁ。
監視妖精ってもっと機械的なのかと思ったけれど、あんな子もいるんだ。
そこで僕はハッと我に返った。
そうだ。
こんなことしている場合じゃない。
ミランダを探さないと。
僕はすぐに先へと進み始めたんだけど、そこで再び足を止めることになる。
なぜなら動物のものと思しき息遣いが微かに聞こえたきたからだ。
反射的に木の陰に身を隠した僕は、そこから前方を眇め見る。
すると数十メートル先の森の中には、黒い体を持つ一頭の天馬が立っていたんだ。
僕は心臓が跳ね上がるのを感じて思わず呼吸を止めた。
あ、あれは……天烈だ。
アナリンの天馬じゃないか。
ということはアナリンがすぐ近くにいるってことだ。
彼女はアニヒレートの光弾の嵐に巻き込まれまいと上空に避難していたはずだけど、ミランダにトドメを刺しに森の中へ降りて来たんだ。
僕は息を潜めてその場を離れ、なるべく目立たないように地面の近くを飛びながら移動する。
幸い、天烈はこちらに気付いていないみたいだ。
何としてもアナリンよりも先にミランダを見つけないと。
今の僕はEライフルも失くしてしまって、戦う術が無い。
アナリンに見つかったら一巻の終わりだ。
緊張に身を堅くして、周囲を最大限警戒しながら僕は森の中を進んでいく。
それから少し行くと、水音が聞こえてきた。
森の中に川が流れているんだ。
ほどなくして僕の目の前に現れたのは、川幅が5メートルほどの川で、流れの速さが特徴的な渓流だった。
火災のせいで全体的に温度が上がっている熱い森の中で、ここだけは川の流れのおかげで比較的涼しい。
だけどその涼しさのためか、森を燃やす黒煙に巻かれてほとんど死滅したはずのトビダニたちが十数匹は集まって来ていた。
川面の上を飛び回るトビダニたちを見て僕は思わずウンザリしてしまう。
「まだ残っていたのか」
そう思った僕はトビダニが何かに群がっているのを見て眉を潜めた。
川岸から川面の上までせり出した太い木の枝の周りにトビダニが集まっている。
その木の枝の先には……。
「なっ……」
その木の枝の先には1人の少女の姿があったんだ。
黒い衣をまとったその少女は、木の枝に体を預けるようにしてうつ伏せのまま動かずにいる。
遠目からでも僕にはすぐに分かった。
黒い衣をまとったその少女が、僕が探していたミランダだと。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第三章 第8話 『燃える翼』は
明日1月7日(木)午前0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




