第2話 『気球に乗って』
「気持ちいいいわねぇ~」
空を行く気球のゴンドラから遠くを眺めながら、エマさんは心地良さそうにそう言った。
彼女の長く美しい亜麻色の髪の毛が風を受けてなびいている。
気球というのは地上から見ている分にはノンビリと漂っているように見えるけれど、実際に自分が乗って見て分かるのは思ったより速度が出ているってことだ。
それでも吹きつける風が強過ぎたり、空気が冷た過ぎることもないのは、このゴンドラに魔法がかけられていて快適に過ごせるように調節してくれているからなんだって。
優れものだ。
「我が主が用意してくれた気球はなかなかでしょ」
エマさんの言う通り、この気球は神様が用意しておいてくれたものだ。
さすがに根回しが抜群だ。
だけどミランダはいつもの通り仏頂面、そしてアリアナは強張った顔をしている。
「エマ。気楽なピクニックじゃないのよ。熊を狩りに行くんだから」
「ダンゲルンの人たちはもう避難してるのかなぁ。もしダンゲルンまでメチャクチャにされちゃったら……うぅ。アル君どうしよう」
そんな2人の様子にエマさんは僕を見て肩をすくめた。
基本、エマさんはいつもお気楽だ。
でもそれは何も考えていないってわけじゃない。
「まったく2人とも。そんなに怖い顔してたらアニヒレートだって身構えるわよ。優しい顔で油断させて近付いて、ブスッと仕留めればいいのに。ねえ? アルフリーダちゃん」
や、優しい顔がアニヒレートに通じるとは思えないけれど、エマさんのいつもと変わらぬ気楽な調子が、この場の空気を柔らかくしてくれていることは確かだ。
「エマさんがいてくれれば、ケガしても安心だね」
シスターとして優れた回復魔法の使い手であるエマさん。
今回のミッションでは大いに活躍の場があるだろう。
そう思った僕だけど、ミランダはフンッと鼻を鳴らす。
「アニヒレートに一撃でも浴びたらほぼ致命傷なんだから、魔法でライフを回復~なんて悠長なことやってらんないわよ」
またそうやって場の雰囲気を悪くするようなことを言う。
困った魔女だ。
「そんなこと言ってると、いざエマさんに回復してもらう時にやさしくしてもらえないよミランダ」
「フフッ。アルフリーダちゃんも言うようになったわねぇ」
コロコロと笑うエマさんにミランダはチッと舌打ちをして僕の脇腹をムギュッと掴んだ。
「イタタタッ! 痛いよミランダ」
「そんなことよりアニヒレートが何であんたのEライフルから射たれた蛇を嫌がったのか、理由は分かったわけ?」
「それは今、神様に分析してもらってるところだけど……」
そう口ごもる僕の視界に神様からのメッセージが示される。
【まだ分析材料が足りん。次にアニヒレートと戦う時にもう一度試してみろ。本当に蛇が有効かどうかをな】
そう言う神様のメッセージを僕が皆に伝えると、ミランダはようやく僕の脇腹を放してくれた。
「ま、効かなきゃ効かないでいいわよ。次こそはこの手で仕留めてやるんだから。分かってるわよね? アリアナ」
ミランダの言葉と視線を受けてアリアナはぎこちなく頷く。
2人の様子が何となく気になり、僕はミランダに尋ねた。
「何か倒す方法のメドはついてるの?」
「死神の接吻に決まってんでしょ。アリアナにも手伝ってもらうから」
お馴染みミランダの伝家の宝刀だ。
そう言うミランダの言葉にアリアナは神妙な面持ちで頷いた。
何か2人には策があるんだろうか。
「アル。さっさとアニヒレートの居場所を捕捉するように神に言っておきなさい」
そう言うとミランダはソファーにふんぞり返る。
な、なぜこの人は神様が用意してくれた豪華な客席で、神様の忠実な部下たちに囲まれ、その敬愛する主たる神様を偉そうに呼び捨てにするのか。
鬼メンタルか!
あのねミランダ、神様は懺悔主党の人たちにとって文字通り神様なんだよ。
君には関係ないだろうけど、呼び捨ては時と場合を選ぼう……と声を大にして言いたい!
怖いから言えないけど。
エマさんは苦笑しているけど、彼女以外の懺悔主党のメンバーは明らかに困惑や非難の入り交じった目をミランダに向けている。
ほら見たことか。
彼らは皆、神様が人選したNPCで、全員が対アニヒレート戦を想定して飛行能力と遠距離攻撃を得意とする魔道士や魔法剣士たちだった。
彼らは自分たちの崇拝する神様を呼び捨てにされて、ミランダに対して良い印象は抱いていないはずだ。
ケンカしなきゃいいけど……。
僕はミランダがこれ以上の失言(本人はそう思っていない)を重ねる前に話題を変えることにした。
「ミランダ、神様に任せておけば心配ないよ。それより……もし死神の接吻がアニヒレートに効かなかったら?」
そんなことは考えたくないけれど、あのアニヒレートが一撃で即死するイメージがどうしても湧かない。
ミランダの死神の接吻は比類なき即死魔法で、今までも数々の強敵を葬り去って来た。
僕だってその威力は十分に知っている。
ミランダがどれだけ自らの切り札に誇りを持っているのかも。
でも今回の相手は規格外の難敵だ。
今までのやり方がそのまま通用するとは思えない。
そんな相手を前にミランダが自分の魔法を盲信してしまえば……。
「アル。それを私が考えていないとでも? 随分と見くびられたもんね」
「えっ?」
驚く僕を前にしてミランダはニヤリと笑みを浮かべる。
そして隣に座るアリアナの肩をバシッと叩いた。
「私たちは成長するのよ。今日は昨日より強いし、明日は今日より強くなる。二度目はあの熊に白目むかせてやるわよ、そうよね? アリアナ」
そう言われたアリアナの顔にもようやくほのなか笑みが浮かんだ。
何だろう?
2人に何か秘策でもあるのかな。
「アル君のおかげで私とミランダもそれなりに付き合いが長くなってきたからね」
「あの、何か新しい技でも……」
僕がそう言いかけたその時、視界の中に神様からのメッセージが再び表示された。
【アルフリーダ。銀の試運転は問題なさそうだな。Eライフルを試し打ちしてみろ】
【え? ここでですか?】
【そうだ。いざアニヒレートと再戦する時になって、うまく撃てませんでした、では後の祭りだからな】
【分かりました】
僕は神様の指示に従い、Eライフルを取り出した。
これはさっき王城で蛇剣である銀の蛇剣を銃形態に変化させたものなんだけど、今は最初からEライフルの形になっている。
【ちなみにそのアバターの姿の時は銃形態のEライフルとしてしか使えん。剣にはならんからそのつもりでいろ】
【そうなんですか。まあでもこの小さい妖精姿なら剣で戦うよりも銃で遠距離射撃するほうが効果的ですよね】
僕がEライフルを取り出したのを見てミランダとアリアナが不思議そうな顔を見せる。
「アル?」
「アル君?」
僕はEライフルで遠くの空に狙いをつけながら2人に答えた。
「神様がこの姿での射撃訓練をしておけって」
そう言って射撃を始めようとした僕の脇腹をミランダが再びキュッと掴む。
「ひゃっ!」
「待ちなさいアル。射撃なら的があったほうがいいでしょ」
そう言うとミランダは立ち上がり、僕を放すとゴンドラから魔力で浮かび上がる。
「私に一度でも当てたら家来から側近に昇格させてあげる」
「そ、側近? いや別に……」
「何よ! 嬉しくないわけ?」
「わ、わ~い。がんばろっと」
それからゴンドラを飛び出して宙を自在に舞うミランダに向けて僕は射撃訓練を行った。
時間にしておよそ5分間、射撃回数26回。
結果は……もちろん一度も当たるわけはなく、ゴンドラに戻って来たミランダは開口一番、こう言った。
「ヘタクソ。側近昇格テストは不合格ね」
「うぅ……面目ない」
「でもま、いいんじゃない? アニヒレートは私みたいに動かないし、外しようもないほど的はデカイから」
あんなに素早く動くミランダに当てるのなんて無理でしょ!
彼女を相手にしたアニヒレートはさぞかしイライラしただろうなぁ。
でもまあ、この体でEライフルがしっかり使えることは分かったし、とりあえず訓練しておいて良かった。
僕は神様にこのアバター妖精の状態でも射撃を行えることを伝えるべくメッセージを送ろうとした。
すると先んじて神様からの連絡が入ってきた。
【アルフリーダ。一度こちらに戻れ】
【え? 何かあったんですか?】
【銀の動作確認が終わったら、次は金のほうだ】
【わ、分かりました。すぐログ・アウトします】
僕は神様との連絡を終えるとログ・アウトの操作をしながらミランダとアリアナに声をかけた。
「ごめん2人とも。一度王都に戻らないといけないみたいなんだ。今度はチームβの方の試運転をしなきゃならないみたい。後でまた来るから」
「えっ? アル君いっちゃうの?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいアル」
2人の声に後ろ髪引かれる思いだけど、すぐに僕の意識は銀の妖精から抜け出して再び王都の司令室に引き戻された。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 第二章 第3話 『ティー・ブレイク』は
明日12月18日(金)午前0時掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




