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第四話「甲殻怪獣神京市に現る」

 神京浜に展開する海上自衛隊の護衛艦は間髪入れず艦砲射撃を続けていた。

 しかし迫る巨大甲殻怪獣を止められはしない。

 ハープーン対艦ミサイルが炸裂する。だがものともせず、橙色の殻に覆われた怪獣は護衛艦に接近していた。

 高波が護衛艦を揺らす。その中からぬるりと現れた巨大な腕が振り下ろされんや、艦体は真っ二つに裂けた。まるで貝殻を割るシャコのパンチが如く。衝撃が波を伝うほどすさまじい威力だ。

 その勢いで甲殻怪獣は神京浜に強襲せんとする。その瀬戸際で地上の戦車隊が一斉に砲撃を開始した。

 しかし10式戦車の120mm滑腔砲ですら怪獣の外殻を撃ち抜けない。迎撃もむなしく、怪獣の上陸を許してしまった。ハンマーのように打ち振るうパンチの衝撃で戦車は破壊され、散り散りになっていく。

 戦線を容易く突破した甲殻怪獣は神京市縦断を開始した。

 怪獣は歩くだけでも重度の災害だ。留まることを知らず、家屋は踏みにじられる。怪獣の通った後に残されるのは瓦礫だけだ。

 避難警報がスピーカーから鳴り響く。人々の悲鳴を掻き消さんほどに。

 市民は警察に誘導され各所に用意された地下シェルターへと逃げ込んでいく。これが他の街とは違う新防災開発都市神京市の特徴であった。

 神京東中学の真下にもシェルターはある。授業中だった生徒達は日ごろの訓練通り校舎を下っていく。

 ある者は恐れを抱き、ある者は非日常の訪れにワクワクし、ある者は……

 人の流れと反対に走る女子生徒の姿があった。その碧髪は否応がなく目立つ。


「真堂さん! どこへ行くんですか!」


 教師が喚く。しかし脇目もふらず真堂メルザは学校の外に向かっていた。

 彼女の頭の中にあるのは、怪獣のことでも学校のことでもない。ただハルコのことだけを考えていた。




 街を這いずり回る怪獣を止めんと、今、特殊防衛隊のVTOL攻撃機が出撃する。

 銀と赤のツートンカラーが目を引く。避難途中の人々はそれを見上げ、希望を抱いた。特防隊が来てくれた、後は任せればいいと。だがそれを疑問視する者もいないではなかった。

 一番不安に思っているのは他ならぬ特防隊隊員であった。


「火砲がまるで効かん奴だ……どうするんだ」

「ぼやくな矢野。相手は生物だ。ミサイルをお見舞いしてやれ」


 先輩の近藤隊員が通信で矢野隊員を叱咤する。その間にも計四機のVTOL機が橙色の怪獣を取り囲んでいた。


「攻撃開始」


 本部の春日井隊長の指令が届く。それを合図に全機誘導弾を発射した。殻と殻の合間、関節部を狙って。

 甲殻怪獣は爆炎に包まれる。しかし煙から逃れるように高速で動く。


「まずは足を止める」


 兜隊員の操縦するVTOL機は怪獣の脚部を狙いミサイルを撃ち込む。他の機体もそれに倣った。すると効果があったのか、怪獣の動きが鈍った。

 脆いと見るや、多脚を重点的に攻撃する特防隊。甲殻怪獣はその場に留まり、空中に向かってパンチを繰り出す。VTOL機には直接届かないが、衝撃波が包囲陣を乱す。


「くっなんてやつ……鷹山、近づきすぎだ」

「問題ありません」


 鷹山機は離脱しつつ攻撃を続ける。足の止まっている今がチャンスだった。


「近藤は地上に降りて麻酔弾を奴の目に撃ち込め」

「了解!」


 春日井隊長の指示を受け、近藤隊員は近くのビルに素早く着陸する。そしてロケットランチャーを持って降り立ち、甲殻怪獣の正面に構える。


「怪獣さんよ……おねんねしな」


 近藤隊員は巨大生物用麻酔弾を放った。見事怪獣の目に命中する。

 とすると甲殻怪獣は体を丸め始めた。


「おいおい、もう効いたのか?」


 近藤隊員は呟く。しかし麻酔弾の効果が表れるには早すぎた。

 怪獣はそれっきりじっとしている。全弾撃ち尽くした矢野隊員はほっと一息つく。


「これで帰投できるな……」

「いや、何か」


 最初に気付いたのは年長の兜隊員だった。甲殻怪獣の殻の隙間から、仄かに発光している。それは誰が見ても明らかに、すぐ強まっていった。


「後退せよ!」


 春日井隊長は嫌な予感がして隊員に命じた。次の瞬間、スパークが空を切り裂いた。

 怪獣の放電だ。その威力たるやすさまじく、周囲の建物を一瞬で粉砕してしまった。この雷撃をまともに受けた近藤隊員は考える間もなく蒸発した。

 兜・鷹山・矢野の三機のVTOL機はなんとか一撃を逃れた。しかし戦慄する。この怪獣はとても手に負える相手ではない。


「こいつはトーラン……怪獣トーランだ……」


 兜隊員は畏れながら、命名した。




「ハルコさん、ハルコさん!」


 帰宅したメルザはコタツに足を入れて仰向けになっているハルコを見下ろしてその名を呼んだ。肩を微かに上下に揺らして。


「メルザ、ちゃん? どうして」

「どうして避難しないんですか?」


 メルザの語気には珍しく僅かな怒りが含まれていた。ハルコは上体を起こすがコタツにもたれかかって動かない。


「ハルコさん! 怪獣が来ているんですよ!」

「私はその、いいのよ……どうなったって構わないから」


 メルザは絶句する。想像だにしない、ハルコの破滅願望を。


「メルザちゃんこそ学校で避難しないでどうしてうちに」

「そんなの、ハルコさんが心配だからに決まってるじゃないですか」


 ハルコはメルザから目を逸らす。


「ごめんなさい……でも、私のことは本当にいいから。メルザちゃんは避難して」

「ハルコさんが避難しないなら私も避難しません」


 きっぱりとメルザは断言する。思わずハルコはメルザの顔を見る。少女は少し涙ぐんでいた。


「もう何もかも遅いですし。じゃあハルコさん、怪獣を見に行きませんか?」


 思わぬ提案だったがハルコは少し考えてから頷いた。




 マンションの屋上は緑化されていて、普段は住民の憩いの場だった。しかし非常事態の今、ここにいるのはハルコとメルザの二人のみ。

 この場所からは神京市の景色が良く見えた。猛威を振るう甲殻怪獣トーランの姿も、また。

 そいつは決して遠くない距離にいる。危険なのは言うまでもない。

 メルザのエメラルドグリーンの髪は自然の緑にも調和することなく浮いていた。だがハルコはそれを気持ち悪いとは言わない。美しいと感じる。世界の終わりが差し迫って一層綺麗に見えた。


「ハルコさんはこの世界をどうしたいと思う? 破壊を望むの? それとも秩序を守りたい?」


 ふわっとした質問だとハルコは思ったが相手は年頃の女の子だしそういうこともあるだろうと返答を考える。しかし明確な答えは出ない。


「私にはわからない、世界は私に関係なく続いていくものなのよ」

「ハルコさんは諦めているの?」

「そう、かもしれない。ただ」


 ハルコは先を歩くメルザを追って言葉を続ける。少女のバックには、怪獣の姿。


「メルザちゃん達子供には私のような目に遭わせたくない。15年前を繰り返したくない。そのために出来ることがあるならしたいよ」

「それがハルコさんの望み?」

「そうね……無力だったけど」

「そんなことはないです」


 屋上のフェンスを背もたれにして、メルザは微笑んだ。だが次には哀しそうな顔をした。


「私がどんなに人と違っても、ハルコさんは嫌わないでくれる?」

「メルザちゃんのこと、嫌いになるわけがない!」


 即答だった。メルザは喜びを顔に露にしたが、すぐ深刻なトーンで顔を背けた。


「本当はね、パパとママの死因は事故じゃない。無理心中だったの。私を巻き込んで」

「メルザちゃん……?」

「商売が上手くいかなかったらしくて。でもあの二人は私も殺そうとしたんだ。嫌われてたんだって思った。そして……当然だったんだと気付かされた」

「そ、そんなこと!」

「続きを聞いてください! 私……私……人間じゃなかったんです。じゃないと生きてるはず、ないから……」


 メルザはとうとう今まで隠していたことをハルコに告げた。言うつもりはさらさらなかった。でも彼女は心に決めた。今から為すことがために。


「ハルコさんの願い、私なら叶えられます。だからどうか自分の身を大切にしてください! どうか幸せに……絶対守るから」


 メルザはジャンプして一瞬でフェンスの上に飛び跳ねた。そしてゆっくりと、足を踏み外す。


「メルザちゃん!?」


 ハルコは手を伸ばす。だが掴めない。しかし落ちもしない。少女の身体は宙に浮き、そして――

 恐るべき変貌を始めた。

 メルザの身体は長く伸びた碧髪に覆われる。その隙間から異常な速度で体細胞分裂を繰り返し肥大化した手足が生えてくる。みるみる大きくなっていき、小柄な少女の身体は巨大な怪物の顔に飲み込まれる。

 変身は一分も足らずに完了した。

 マンションの傍に50メートルの巨大な生物が現れた。その皮膚は美しい碧色に彩られ、頭に角が二本生えている。


「怪獣……エンメラ……」


 ハルコは改めて、彼女の名を呼んだ。

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