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第一話「碧の大怪獣襲来」

「市民は直ちに避難してください」


 防災スピーカーから警報が波のように繰り返される。それを除けば神京市は静まり返っていた。北を山に南を海に囲まれ、最新鋭の防災設備が整えられた「日本一安全」を謳う新開発都市も今や形無しである。

 やがて静寂は地響きによって破られる。地震? いや、何かの足音だ。巨大な何かがコンクリートを踏み潰す音。そして。

 山中に敷設された砲台から海側に向かって撃ち出す音が木霊した。砲火は一点に集中する。ビルの合間から姿を覗かせ、家屋を見下す巨大な何かに向かって。

 それを春日井ハルコは見た。


「怪獣……15年前と同じ……」


 時に2026年。怪獣と呼称される巨大生物は15年ぶりにその姿を現した。日本で確認されている六体目の怪獣だ。その皮膚が綺麗な(みどり)色をしているのは遠目でもわかった。

 春日井ハルコは避難するでもなく職場から出てきて神京市を彷徨い、釘づけにされてしまった。29歳、独身女性。その人生は灰色で全く捨て鉢な気分だった。

 街に現れた怪獣をその目で見て、彼女はよろける。


「いや……」


 呻く。15年前、一体の怪獣がために東京が壊滅したことを思い出す。遠足の帰りのバスから見えた爆炎に包まれる東京には母と弟がいた。そのトラウマが蘇ろうとしている。

 折角封印していた記憶なのに。思い出させないで。

 その時ハルコの頭上に影が落ちた。唸りを上げて鉄の塊が飛び去って行く。その銀と赤のツートンカラーにはハルコにも見覚えがあった。


「特防隊……父さんの!?」


 巨大生物対策基本法に基づき出動した特殊防衛隊のVTOL攻撃機だ。それが全部で4機、碧の怪獣に向かって展開する。ハルコは顔を上げる。それらのどれかに父親が乗っているのか、乗っていないかなどわかるはずもない。

 特防隊のVTOL機は30mm機関砲を撃ち始めた。全弾命中。しかしながら怪獣はピンピンとしていた。皮膚の厚い50メートルの巨体には豆鉄砲と言ったところだろう。

 碧色の怪獣は構うことなく進撃する。周囲の建物を破壊しながら。ハルコはだんだん怪獣の姿が大きくなっていくのを目にした。近づいている。彼女には真っ直ぐこちらに向かってくる気さえした。

 近距離での機関砲が効果なしと見や、特防隊はやや距離を取って誘導ミサイルによる攻撃へと切り替えた。これまた命中し爆炎に包まれる怪獣。


「やったか?」


 VTOL機のパイロットが呟いた。だが儚い希望であった。硝煙が晴れた時、再び巨大な影が建物の合間から這い出た。碧の怪獣は健在なり。

 そいつはもう春日井ハルコの目の前にいた。ハルコは目と目があった気がした。巨大なトカゲのような形状だが二足歩行し、頭に二本の角を生やした顔はどこか想像上の竜を思わせた。

 身動き一つできないハルコ。もう逃げだすことは諦めていた。死の恐怖さえ感じない、世捨て人に片足を突っ込んだ彼女には。

 変に落ち着いているなとハルコ自身思った。しかしその後巨大な感情のうねりがやってきた。


「もういい……もういいのよ人生……私を殺してよ! 母さんとタツヤみたいに、私を踏み潰してよ! 怪獣!」


 ハルコは叫んだ。自分の何十倍もの大きさの鬼神の如き存在に。両手を大きく広げる。

 それを見つけた特防隊のパイロットは目を見開き、驚いた。


「逃げ遅れた人がいる! 本部、火気使用の是非を問う。本部、火気使用の是非を問う!」


 するとすぐに通信機から返事が返ってきた。


「躊躇が15年前の被害を甚大にした。火器の使用を許可する」

「しかし春日井隊長、まだ人が」

「攻撃開始だ」


 その特防隊員は唇を噛みながら、再びミサイルを発射した。爆風が春日井ハルコの身体を吹き飛ばさんと猛烈に吹く。だがちょうどハルコにとっては怪獣の巨体が盾になっていた。


「ギャアオオオオ!」


 爆炎に飲み込まれ、呻き声のようなものを上げる碧の怪獣。その姿は煙に見えなくなり、そして――

 完全に見失った。特防隊もハルコも、先ほどまでそこにいた怪獣の姿を。

 爆散して死んでしまったのか?

 否。


「消えた……」


 ハルコには確信があった。あれは人間の手には負えない。15年前から世界は怪獣の思うがままということに。




 翌日、警報が解除されて避難民達は徐々に帰宅を始めていた。

 一方で昨日の内に自宅へ戻った春日井ハルコは布団にくるまっていた。もう昼前だというにもかかわらず。

 配送物仕分けのバイトが非番の日は、こうして極力外に出ないのがハルコだった。

 決して何もかもが億劫な怠け者というわけではない。人目が怖いのだ。

 極端な対人恐怖症が彼女を殻に閉じこもらせる。

 それは生まれつきではない。むしろ小学生までは明るく快活な性格をしていた。しかし捻じ曲がってしまった。2011年、通称怪獣の年の以後。

 最初の怪獣ジアスによって東京は壊滅し、焦土と化した。ハルコ含め生き残りは全国に避難生活を強いられることとなった。それが辛く険しいものだった。負担を強いられる元々の地方民は避難民を快く思わない。「東京者」は差別の対象となった。

 その流れを加速させたのは第二第三の怪獣が関東近辺、横浜、果ては名古屋にまで上陸したのだ。避難民の後を追うかのように……そこで東京者は怪獣を呼ぶ、東京者こそ災厄などと言われるようになってしまった。

 当然、東京者の仇名は春日井ハルコの青春も暗いものにした。無理解、いじめ。人間不信に陥ったハルコは高校を中退し、数年引きこもった。そのドロップアウトによってまともな就職は望めるはずもなかった。

 今のバイトは辛うじて人より物と接する時間の長い裏方の仕事だから何とか続けられている。しかしそれで生活できるわけがない。このマンションの一室は父の名義で借り、家賃は父が払っていた。

 だから父の決めたことには逆らえない。

 ハルコは憂鬱になった。この根城に人が来ることになってしまったからだ。滅多に帰らない父のことではない。親戚の子供である。なんでも両親を失い天涯孤独になったのでハルコの父が預かることになった。しかし特防隊勤務の彼に面倒を見れるはずもない。そこでハルコに白羽の矢が立った。無理だと電話で言ったが父にこう返されてしまった。


「お前も大の大人だろう。面倒を見てやれ」

「私は大人にはなれなかったんだよ……子供の世話なんて、できるわけがないよ」


 その場で言い返せなかった言葉を、布団の中で一人ごちる。

 その時ハルコの腹が鳴った。仕方ないと彼女は起き出して、菓子パンの袋を開けて中身を頬張る。それだけの味気ない朝食、いや昼食だ。軽く済ませて、ふと目に入った猫のキャラクターのぬいぐるみを手に取る。


「私にお姉さんなんてやれるかなぁ、ねぇこん太」

「お友達として接してみればどうかなぁ、その子はこん太のお友達になれるかな? ハルコ」

「どうかな……私のお友達はずっとこん太だけだよ」


 さもしい一人芝居にいい加減嫌気が差しながらも、ハルコは「こん太」をぎゅっと抱きしめた。それからようやく着替え始める。

 着替え終わってハルコはテレビを付けた。昨日のことがニュースでやっていた。


「政府はこの怪獣をエンメラと呼称、今後も警戒態勢を敷き市民の安全を……」

「エンメラ」


 昨日邂逅した怪獣の名をハルコは呼ぶ。すると鮮明に思い出せた。あの綺麗な碧色の巨体を。どんどん記憶を呼び起こす。15年前のあの日のことを。

 これ以上は考えないようハルコはテレビの入力を切り替えた。大好きなアニメ「魔法少女プリティア」のDVDでも見ようかと思ったのだ。非日常の今こそそういうもので気を紛らわせようと。

 ちょうどDVD BOXに手を付けた時だった。ピンポンとチャイムが鳴ったのは。

 どうしよう。予定より早すぎる。心臓の鼓動が早くなるのをハルコは音で感じていた。一瞬居留守も考えたが、首を横にブンブン振った。ともかく出なければ。

 ハルコはインターホンを確認もせず、玄関の扉を開ける。すると目の前に一人の少女が現れた。

 ハルコより背の低い、第二次性徴期の女の子で顔立ちは非常に端正で整っており、かなりの美少女と言えた。ほのかに甘い匂いがする。だが特筆すべき点は他にあった。

 彼女の長い髪は普通の日本人とは違う、エメラルドグリーンの色をしていた。


「綺麗な髪……」


 思わず思ったことをそのまま口にするハルコ。すると碧髪の少女は思いがけないという顔をした。それを見たハルコは見る見る青ざめた。やってしまった、という顔。


「私、変なこと言っちゃった? ごめんなさい」

「いや、そんな風に言われたの、初めてで。とっても嬉しいです、ハルコさん。あの……顔を上げてください」


 言われて無意識に頭を下げていたことにハルコは気付く。いっそ這いつくばりたい気分になった。やはり人と上手く接することができない。どうしよう。

 だが柔和な雰囲気の少女を前にして次第に心が安らいできた。本当に天使のようだとハルコは感じた。


「えっと……あの、その……ごめんなさい……」

「大丈夫ですよ、ゆっくりで」


 碧髪の少女は優しく言う。ハルコは深呼吸して、ようやく最初に言おうとしていた言葉を口にした。


「真堂メルザちゃん、よね」

「はい。お世話になります。春日井ハルコさん」


 名前を呼ばれた少女はとびっきりの笑顔を見せ、そして、ハルコに抱きついた。

新連載です。よろしくお願いします。

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