第3話 死淵
『バトルスタート!!!!』
実況部の合図が模擬戦闘場全体に響く。それと同時に会長は大剣を上段から振り下ろした。
その軌跡をなぞるように氷が生成され、刃となって真っすぐ俺の方へと飛んできた。
『出たぁ!! 会長の得意技、氷斬撃!』
などと実況が入り、観客たちはあたかも戦いが終わったかのようにこちらを見ている。
まぁ……そうだよな。
刀を持っただけの無能力者の俺が、能力者に……それもAランクの生徒会長に勝てる訳なんてない。
空気を切り裂いて目の前に迫ってきた刃を臆することなく見据えて、俺は間一髪の所で体を逸らして回避した。
俺の脇を通った氷の刃は、数メートル先で砕け、霧のように散っていく。
「今のを避けるなんてやるじゃない。まぁCランク程度の強さって所かしら」
そう告げて来る会長は、余裕綽々と言った様子だ。
氷の刃――氷斬撃といったか。俺を過ぎてすぐに消えたところを見ると、軽く当てる程度の力しか出していなかったのだろう。
さすがに無能力者の俺がどんなに強気でいたところで、手加減されることは解っていた。
もし、本気を出して無能力者の俺を殺しでもしたら大事になってしまう。
死なない程度に手加減するのは当然だ。
しかし、それだと困る。手加減した相手に勝っても意味はない。
「会長、手加減はやめて本気で来て下さい。ここからは俺も本気を出しますので」
「そんな事を言われてもね。もし、無能力者であるあなたを殺しでもしてしまったら……」
「会長、今は戦いです。相手が無能力者だろうが何だろうが関係ありません。一人の相手です。それに誓ったでしょう? 俺は絶対に死なないって」
「…………」
会長はしばらく黙って考え込んだ。
俺は会長の前でまだ何も実力を見せていない。この自信に対して警戒をしているのか、或いは単に俺を死なせてしまう可能性を考慮しているのか。
「分かったわ。本気を出させて貰うわよ。その代わり……死んでも文句は言わせないわ!」
刹那──急激に模擬戦闘場内の気温が下がり、すぐさま真冬と勘違いしてしまいそうな寒さになった。
会長の周りでは小さな光がキラキラと輝いている。空気中の水蒸気が凝固して、それがドームの光を反射しているのだろうか。
『出たぁ!! これぞAランクである我が校の生徒会長の力だぁ!! 強さと美しさを兼ね備えた、まさに氷の女王ー!!』
ハイテンションで実況が叫ぶ。観客たちもそれに呼応するように盛り上がっていた。
青い髪の毛と整った容姿、自身に満ちた表情と余裕。
これがAランクの本気。
羨望、嫉妬、恐怖……様々な感情が俺の中から込み上がる。
でも……だからこそ……。
「ありがとうございます、会長。そんなあなたにこそ勝つ価値がある」
俺は会長に感謝の言葉を告げて、ポケットから白い錠剤を取り出した。
会長はそれを見て不思議そうに尋ねて来る。
「何それ、薬? ドーピングでもする気なの?」
「まぁ……そんな所です。一応、国から使用許可が下りている物ですが」
「それなら構わないけど。ドーピング程度で勝てる程、Aランクは甘くないわよ?」
そう、会長の言う通りだ。
能力者と無能力者では超えられない壁が存在する。
その壁はドーピング程度で超えられる物ではない。
「突然ですが会長、人間の3大欲求って知ってますか?」
「えっと……食欲、睡眠欲……後は性欲?」
「そうです。人間はこれが満たされない限り、常にこの3大欲求が本能で付きまとっていて、注意を割かなければならない」
「何が言いたい訳? 時間切れで引き分けにしようとでも?」
『おやおや~? えーと、何でしたっけぇ、無能力者の人……。まぁ、誰でもいいですけど、諦めたならもう帰ってくれませんかねぇ。どうせ勝てないんですからぁ……』
膠着する俺たちを煽って実況が言った。会長も少し気の立った様子だ。
そういえば、入学式はもう3分後なのか。ゆっくり説明しようと思ったけど、そんな時間はないみたいだな。
「まさか。3分あれば終わりますよ」
「言ってくれるじゃない」
俺は薬を口に放り込み、噛み砕く。
そして会長も、先程とは比べ物にならない大きさと速さの氷斬撃を、それも連続で放ってきた。
よし、大丈夫だ。これくらいなら障害にならない。
一つ目の氷斬撃を軽く避けて、間髪を入れずに飛んできた残り四つの氷斬撃も同じようにゆっくりと避ける。
「うそ、今ので無傷なんて」
「少しは信じてくれましたか。俺が絶対に死なないっていうのを」
「……無能力者だと思ってあなたを、いえ、颯太さんを心底舐めていたみたいだわ。今度こそ本気で行かせて貰うわよ!」
会長はそう言いながら、大剣の目の前で真っすぐ上に伸ばして構えた。
会長の周囲を漂っていた小さな光が大剣に集まってくると、それはまるで大剣の刀身からさらに剣が生まれてきたような歪な形になる。
小さな光が消えるころ、会長の持っていた大剣には九つの氷の刀身が増えていた。
形は七支刀に似ているが、刃ではなく腹から刀身が出ており、その刃も同じ向きをしている。
言ってしまっては何だが、綺麗な生徒会長にはまるで似合わない異形の武器だな。
「見るといいわ! 大剣から九本の氷の刀身を生やす事で、一度の振りで十の斬撃を生み出す私の必殺技、十氷斬撃を!!」
その言葉の直後、大剣は振り下ろされる。大小入り混じった氷斬撃が俺を目掛けて放たれた。
――大丈夫、さっきと何も変わらない。
一番初めの氷斬撃を避けると同時に、その陰から飛び出すように俺は会長の方へと駆け出した。
氷斬撃はその殆どが正確に俺を狙っているが、俺は臆さない。
二発目の氷斬撃に刀を合わせると、体を回して受け流し、三発目と四発目の氷斬撃の間を抜けて、続けて飛んできた三つの氷斬撃を屈んでやり過ごす。
残りの氷斬撃の軌道は逸れていたが、会長はさらにもう一度、大剣を横に振るって十氷斬撃を繰り出した。
屈んだ姿勢では、刀で防ぐのは少し難しいな。
急いで体を起こしながらも、俺は氷斬撃の軌道を見切ろうとギリギリまで引き付ける。
「……見えた」
最も大きい氷斬撃が俺を真っ二つにしようとするまさにその瞬間、俺は意を決してそのすぐ上へと飛び込んだ。
体を地面に水平になるように姿勢を保ち、着地の瞬間にはあえて横に倒してリングに密着させ、すべての氷斬撃の下を潜り抜ける。
「な、何で……何でこんな事が……もしかして、さっきの薬に何か秘密が?」
「いや、あれは師匠から貰った普通の猛毒薬ですよ。体内に入ったら、解毒剤を飲まないと5分で死ぬ強烈で即効性のね」
二十の斬撃を全て無傷で回避した俺の姿を、会長は悪い夢でも見ているかのようにそう言った。
俺は立ち上がってから、髪の毛が僅かに切れていることに気が付く。
どこかで掠めていたのか。さすがに侮れないといっておこう。
「何でそんな物を……」
「さっき言っていた事の続きです。人間は日常生活では常に本能で三大欲求が付きまとっています。しかし、人間は本当の死に際になると欲求に割いている力を全て『生きる』という事にまわす。だから俺は、その『生きる』を全て戦闘に向ける事で、人間としての100%の力で戦う事ができる」
「な、何よ、それは!」
会長との距離は着実に迫っている。またしても会長は大剣を構え、十氷斬撃を繰り出した。
しかし、その全てが俺には届かない。
「これこそが無能力者の俺が唯一、5分間だけ能力者に対抗できる手段、【死淵】だ!」
俺は腰を下げ、全力で刀を薙いだ。
今度は真正面から、全ての氷斬撃を一撃で破壊する。
能力者じゃない俺には、会長のように斬撃を氷にして飛ばすことはできない。
だが【死淵】による圧倒的な力を持ってすれば、それを上回る破壊力だって出せる。
砕かれた氷斬撃の破片は、まるでダイアモンドのように輝いていた。
「まぁ、難しい事を色々言ってるけど、つまり火事場の馬鹿力って事ですよ」
氷斬撃を砕かれて唖然としている会長に、俺は皮肉を込めて笑って見せる。
最後に一歩、大きく飛び込んで、俺は会長が持っていた大剣を刀で弾き飛ばした。
「あっ……!」
「会長、確か剣がないと能力を制御できないんですよね」
手を伸ばせば触れられる距離。会長は手首を抑え、真っすぐと俺の目を見つめている。
状況を呑み込めていないのだろうか。
「この勝負。俺の勝ちってことでいいですよね。その方がお互いのためでしょ」
「……!」
しばらく固まっていた会長だが、俺が顔を近づけてそういうと驚いたように目付きをキツくした。
思った通りだな。もうこれ以上戦闘を続けることはないだろう。俺は刀を鞘に戻す。
「どうして解ったの?」
「それは生徒会長が本気を出してなかった――あー、いや。出せてなかったってことですか?」
「ええ」
「簡単ですよ。特隊の生徒会長が、こんなに弱いはずがない」
戦う前に俺は会長には本気を出してほしいといった。しかし会長は、本気を出してはいなかった。
本気の会長を倒さないと意味はない。俺はそう思っていたし、会長が本気でも勝つ気でいた。
「おかしいなって思ったんですよ。会長の攻撃は確かに、俺がただの無能力者なら死ぬくらい強烈でした。だから最初は、本気を出してくれたと思ったんです」
「颯太さんには悪いけど、あれで十分殺せると思ったわ。手を抜いて特隊に入ったところで、いつか危険な任務についたときに命を落としてしまうようじゃ意味がないから」
なんでもなく言ったようで、特隊が如何に危険かを知っているだろう会長の言葉は、残酷な優しさが見え隠れしている。
「だけど、攻撃が単調でした。出す技出す技、全部が真っすぐ。あれじゃあ、少しでも身体能力の高い相手には対抗できない」
「…………」
「戦う前に会長、リングを凍らせましたよね? あんなことが出来るなら、それこそ俺の体を凍結させることもできるはず。なのにしなかった」
その時会長は、武器が無ければ力を制御できないと言っていた。
だが俺を殺す気で戦うのなら、そもそもそんな制御をする必要があるのだろうか。
だったら、考えられるのは一つ。
「会長がもし本気を出したら、俺だけじゃなくてこの模擬闘技場全体を巻き込むほどの影響になるんだろうなってね」
「……完敗よ。相手を無能力者だからと油断して、こんなに距離を詰められた時点で私の負け。颯太さんを止めるために能力を使っても、周りの生徒を巻き込んでしまう」
諦めがついたのか、会長はやっと俺の問いかけにゆっくりと頷いた。
辺りは静まり返っている。
きっと自分たちの見下していた無能力者なんかに、学校を代表する生徒会長が倒されたから、戸惑っているのだろう。
「この勝負、俺の勝利って事だよな?」
実況に向かって言ったが、返事はなかった。
無能力者の俺が勝ったのが信じられないのは分かるけど、早く勝負終了にして欲しいな。解毒剤も早く飲みたいし。
「あのー。この勝負は俺の勝利でいいんですよね?」
「………………」
もう一度声を掛けたが、全然反応してくれなかった。そういえば途中から実況もしてなかったな。
「私の負けです、あなたの入学は許可します」
『え……えぇ、えぇと…………?』
生徒会長が改めて負けを認めてくれたことで、ようやく周囲は沈黙から解き放たれた。
説明するまでもなく騒然としている。そりゃそうだろうな、とりあえず俺は解毒剤を飲んだ。
無能力者の俺が能力者を倒したことを、学校中の人間が目撃したんだ。少しは偏見もなくなるだろうか。
「……っと」
「颯太さん? どうしたの?」
一瞬、めまいがしてよろける。。
恐らく、【死淵】で体に負担を掛けたからだろう。朝の逃亡犯に、会長との戦い。短時間に二回も発動するべきじゃなかった。
「ちょっと、顔色悪いけど大丈夫?」
「あ、会長ちょっと待って――」
心配そうに会長が俺の額に手を伸ばしたのと同時に、再び強烈なめまいで俺は前に倒れた。
会長の肩に手を置いて支えようとしたが、勢い余って覆いかぶさるように倒れてしまう。
「きゃあっ! あ…………」
これは今日、最大の失敗だった。
言い訳をすると【死淵】の反動が起きた、の一言なのだが、それで納得はしてもらえないだろう。
【死淵】は自身の三大欲求を一時的に封印する事で使える技。
だが【死淵】は解除した後、反動により何かしらの欲求を満たさなければならない。
普段は食欲や睡眠欲を満たして終わりだ。今日は朝、殺人犯との戦いの後で弁当を貪り尽したのも、工場の中で寝てしまったのも、これが原因だった。
だが今は食べる物がない。さっきのめまいは体に掛かった負担と、睡眠欲を満たすためのものだったんだろう。
急激な睡魔に襲われた俺は、倒れこんで眠れればよかったのだが――。
生徒会長が目の前にいた。
倒れるさなかに触れた生徒会長の肩が、もう一つの欲求を思い出させた。
つまり、性欲。
「ん…………」
生徒会長の上に倒れこんだ俺は、その勢いに任せて無意識のうちに唇を重ねていた。
やってしまった。
完全にやってしまった。
公衆の面前で女子を押し倒して、こんなことをしてしまっては。
人としての品性を問われるし、入学の取り消しも有り得るかもしれない。
何とか一瞬理性を取り戻して顔を離す。そして自分の左手が会長の胸の上にあったことに気が付いた。
「すいません、会長。これには深い訳が!」
「…………っ!!」
訳を話すよりも早く、会長の拳があごの下から飛んでくる。
殴られる直前、一瞬だけ会長の顔が真っ赤になっていたことを見逃しはしなかった。
でも、見逃していた方が気は楽だっただろうな……。
その後の記憶は途切れていて、気づいたら俺は保健室のベッドで寝ていた。
時刻は午後の7時頃――普通なら気絶するような会長のパンチがきっかけになって、そのまま睡眠欲で眠ってしまったってことだな。
ベッドの隣の机には、生徒手帳と入学時の書類などが無造作に置かれている。
あんな醜態を晒してしまったが、入学を認められたってことか。
全て綺麗に一件落着とは言い切れないが……ひとまずは、特隊高校に入れたことを喜ぶか。
ここまで読んでくれてて本当にありがとうございます!
飽きたからもうやめます。
おんj民以外で誰がこんなクソおもんない作品読むんだよ……。
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