明日世界が滅びるらしい
空から超巨大隕石が降ってくるらしい。
雲一つない青空に白い点。幸か不幸か、ただいま丁度私の真上に位置するそれは、もはや肉眼で観測できるほどにまで迫っていた。
ひび割れたアスファルト、強く吹きつける風、久しぶりに履いた靴が地面と素足の間で反発する。そのどれもが新鮮で、そして懐かしく感じる。
長らく浴びていなかった日の光に目を瞬かせながら、私はここ一年の世界の流れを思い返す。
一番最初に隕石の予兆を感じられたのは、約一年前。元NASA職員が、『とても大きな隕石が地球の方向に向かって進んでいる』と言い出したのが初めだろう。
勿論のこと、『宇宙人が攻めてくる』だの『生命が存在する星を発見した』などのSF染みた"いつものアレ"だろうと相手にされず、小さなネットの記事になったぐらいであった。
そして九ヶ月前あたりから、ぽつりぽつりと政治家や著名人が、引退や休養、その他諸々の理由で、活動を休止し始めた。この現象が世界中で同時に発生したので、世間は蜂の巣をつついたかのような有り様になっていた。
これと同時期にアメリカが、沖縄含む世界の各地に様々な軍事兵器を持ちこみだした。
当時北朝鮮との関係が悪化していたのと、著名人が少しずつ姿を消していくのも根拠となり、ほとんどの人々は『今に第三次世界対戦が起こるだろう』と騒いでいた。しかし、予想に反して北朝鮮はなりを潜めて、アメリカ軍へ、兵器の撤退を求めるデモの声だけが響いていた。
そして半年前。ついに一般人が隕石を観測した。ネットを通してその情報は広まり、中堅の政治家や著名人たちの大半は、血相を変え、職務を放って逃げ出した。この時にしてようやく、お偉いさんの急な引退の理由に気づいたのである。
ただ一つだけ良かった点がある。それは本当に国のことを思っている人だけが浮き彫りになったことだ。意志の弱い人は逃げた。本気で国のことを想っていない人は逃げた。そして残ったのは、能力はともかく、信頼してついていける指導者たちだった。
そして三ヶ月前。長きの沈黙を貫いていたテレビが隕石について報道した。世界中で一斉に報道されだしたその情報は、もはや世界の見解と言っても良いものであり、その内容は人類に深い絶望をもたらした。
公開された情報は四つ。
一つ、このまま軌道が変わらなければ、隕石は地球に衝突します。
二つ、このままいくと隕石はあと三ヶ月で地球に衝突する計算になります。
三つ、隕石の大きさはおよそ地球と同じ程度です。
四つ、進行速度が変わらなければ、隕石は北半球に衝突します。
そして最後に、『我ら人類は希望を捨ててはいけません。お互いに手を取り合い、共に隕石に立ち向かいましょう』というメッセージが添えられた。
その後の世界は混乱と言う言葉では表せないほどの大混乱だった。金持ちは落下点から少しでも離れようと南半球へ移ろうとし、魂の転生を提唱する新興宗教は嘗てない勢いで信徒を増やし、犯罪者の数も増えに増えた。
テレビ越しで見た彼らを、私はなぜかとても輝かしく感じた。それは世界を救おうと強い意思を持つ政治家や著名人たちを見たときに覚えた感覚と同じで、対極の存在になぜ同じ輝きを感じたのか、その疑問は私の心の片隅にいつまでも残っていた。
そして現在に至る。当てもなく歩いている内に、昔よく遊んでいた大きな公園にたどり着いていた。いつもは賑わいを見せているのだが、今日はとても静かで、葉の揺れ動く音だけが場を支配していた。私は藤棚の下でベンチに腰掛けて、しばし自然の奏でる音に耳を傾ける。
「おにーさん。あなたは避難しないんですか」
頭の上から聞こえてくる弾むような高めの声に、私は顔を上げる。
そこには少女が立っていた。楽しそうな声に似合わず少女は無表情だ。まるで機械が内蔵されている人形のようで、どこか既視感を覚える。
よく見てみると少女が着ている制服に見覚えがあった。私が昔通っていた高校のものだ。卒業して数年がたっていたが、デザインは変わっていないらしい。
沈黙していた私を気にもせず、少女は一人で喋りだす。
「私はですね、最後くらい人と同じ終わり方はまっぴらなんですよ。知ってますか、地球サイズの隕石が落ちてきたら地球のどこにいても助からないらしいですよ」
知っている。ネットをひらけばそんな情報は嫌でも入ってくる。
私は軽くうなづく。
私が反応を示したことが嬉しいのか、その場でくるくると回りながら少女は続ける。
「国連の作戦も失敗ですよ失敗。核まで使ったのに隕石壊せなかったんです。内部がカッチカチだったとか聞きますけど、んなことどーでもいいんです」
私の前で体操選手のようにピタリと止まったかと思うと、ひざに手をつき、腰から先をほぼ直角に曲げた。
まるで固定されてしまったかのように無表情な顔が、鼻と鼻が触れんばかりに近づく。わずかにかかる吐息に、彼女が機械仕掛けの人形ではなく人間なのだと主張しているかに思えた。彼女の無機質な目の中に映る私もまた無表情、人のことは言えないか。
「世界は明日滅びます。いや、むしろ世界はとっくに滅びています」
『世界はとっくに滅びている』とはもうここから人類が盛り返すことはないという意味だろうか。それとも犯罪者や怪しい宗教が蔓延し、秩序が崩壊したことを言っているのだろうか。
恐いほどに整ったその能面のような無表情を眺めているうちに気づいた。似ていると、そして彼女は私の中にある強固な城門を打ち砕く鍵を知っている。彼女は私の先を進んでいる。
「世界とは"しがらみ"なのですよ」
少女は小さな口でやさしく囁いた。まるで子供に諭すように。
そして小さく笑みをつくった。
電撃が走った気がした。
頭の中を飽和しそうになるほどに情報が駆け巡る。何年も停滞していた思考破片がまるでパズルのように噛み合っていく。
「それではさようなら。私は人の居ない場所に行きましょう。あなたも最後の"自由"を楽しんでくださいね」
そして少女は去っていった。城門を打ち砕せずにいるのを嘲笑うかのように、いとも簡単に能面を撃ち破ってみせたのだ。
"おれ"は靴を脱いだ。生暖かい地面が足の裏を刺激する。気持ちがいい。
おれは腹の底から咆哮をあげた。数年ぶりに声帯が震えた。壊れそうなほどにビリビリと。
なんのことはない。しがらみは自分自身が産み出していたのだ。
自分をがんじがらめにしていたものの正体は自分だったのだ。
輝きを放っていた人々は誰に強制されるでもなく、ただ自分のやりたいことをやっていただけだった。
空から超巨大隕石が降ってくる。
世界が滅びる前日になって、おれはついにこの世に本当の意味で生まれたのだ。