Sランク冒険者ツー
「で、えーっと、コルトンさんは、我が家にどんなご用件で……?」
アルは恐る恐るといった感じに目の前に座っている男に問いかけた。
さすがに寝室に招く訳にはいかないので、食卓の椅子を使ってもらっているが、正直違和感しかない。そして、俺たち四人家族はその対面に椅子を詰めて座っている現状だ。
言わずとも分かるだろうが、今まさに顔を合わせているのは、そう、数分前突として訪ねてきたSランク冒険者……ーー全く意味がわからない。
「突然の訪問、大変失礼しました。ええ、そうですね、単刀直入に言いましょう」
コルトンは微笑しながら言った。
「お気づきかもしれませんが、あなた方の末の息子は稀代の才能をお持ちです。私はここら一帯を通りかかり、すぐに気が付きました。この村に、ものすごい魔力の持ち主がいると。用件というのは他でもありません、彼を、私に預けてほしいのです」
「なっ……!」
母さんは驚愕で目を見開いた。
「ば、馬鹿なこと言わないでください!」
アルもかすかに眉を顰めている。コルトンは微笑を崩さずに続けた。
「ええ、お母様の気持ちもわかります。しかし、これほどの才能を腐らせるのは世界にとっての損害です。悪いことは言いません、彼を私に預けて下さい。彼なら必ず大成しますよ」
「だからって……実の子を他人に預けるなんて、できるはずがありません」
「ですから……では、こう言い換えましょう。彼はーー勇者の器となり得るかもしれません」
コルトンはにこやかに微笑みながらも、それが神託であるかのように厳かに言い放った。さすがの母さんも息を呑んだ。アルはポカンと口を開いた。
横目でフェアを盗み見たら、まんざらでもなさそうだった。
「ゆ、勇者……!?」
「ええ、百年前、五代目の勇者に倒された魔王が、まもなく復活しようとしています。時代は勇者を求めているのです。こんな時に生まれた異常なほどに魔力を持つ赤ん坊。無関係とは到底思えません。たとえ勇者でなくとも、彼は必ず時代を動かす人物になるでしょう。あなた方では、彼に十分な教育を与えるのは不可能です」
「そ、それはそうですけど……」
母さんは、いきなり勇者などという壮大な話が出てきて、困惑しているようだった。
俺もこの急展開には戸惑いが隠せなかった。勇者の器だと言うのには驚かない。だが、預けてほしい云々は予想外ーーというより、困る。確かに、Sランク冒険者に育てて貰えば強くなるのは間違いないから、合理的に考えてそうしたほうがいいに決まっている。でも、それで母さんやアルの心はどれほど傷つくんだろう……。俺だって、魔王退治のためとはいえ、かわいい弟と離れ離れになるのは辛い。
「えっと、コルトンさん、預けるとかじゃなくて……稽古をつけてくれるじゃ、ダメですか……?」
「君は……確かフェイくんでしたね。私も忙しくて、ずっとこの村にいる訳にはいかないのですよ。弟と離れて寂しいでしょうが、これも世界のためなのですよ。おそらくあと二十年足らずで魔王が復活し、世界を滅ぼそうとするでしょう。それを救うのは、君の弟かもしれないのですよ?」
コルトンは優しく微笑しながらも、真剣な声色で語りかけてきた。
ああ、正論だな……。俺は弁護を諦めた。
だが、母さんは諦めていなかった。アルも覚悟を決めた瞳をしている。
「大変申し訳ありませんが……お断りします」
「……なぜでしょうか」
「勇者の器かもしれないんでしょう。それだったら、違うかもしれない」
「そんな理由で……」
コルトンは微笑を崩しこそしなかったが、わずかに眉を動かした。
「それに!」
母さんは一層声を張り上げた。
「勇者には憧れます。でも、それは憧れにしか過ぎないんです。私たちの息子が、そんな……命を削る必要はないはずです」
「ありますよ……。力を持つものは、恵まれている分弱いものを守る義務があります」
コルトンの微笑に、ヒビが入り始めた。
これは……まずいんじゃないか……?
「だからって子供に命をかけて戦えだなんて、おかしいでしょう。望んで力なんて持ったわけじゃないでしょう。残酷です……!」
「ですから、世界のためなのですよ……」
コルトンから先ほどまで全く感知できなかった魔力が立ち上り始めた。やはり魔力は欺くことができるのかーーということは、これはかなりまずいんじゃ……。
フェアは訝しげに辺りを見回した。
「もう、いいです。とにかく、うちの子は絶対に渡しませんから」
母さんは苛立たしげに顔を背けた。コルトンからどんどん、どんどん魔力が漏れている。
フェアは訳が分からないと言った顔で部屋の隅々を睨んだ。
「……っは……」
俺は体がまるで金縛りにあったように、ピクリとも動かせないでいた。冷や汗が顎をつう、と滑り落ちていった。
これがSランク冒険者の本当の実力の鱗片にしか過ぎないのか……?
ここにきてやっと母さんやアルは漏れ出た魔力を感知し始めたらしく、体を震えさせ始めた。
「な、なんか、寒い……?」
アルは歯をガチガチと言わせながら、怯えたように周りを見回した。
ダメだ、このままじゃあみんなが危ない気がする。唯一原因がコルトンだと知っている俺が、なんとかしないと……。
「ね、ねえ、コルトンさん」
「……なんですか……?」
「あ、あの、母さんが言ってるのは、ほら、フェアはまだ一歳にもなってないんです。だから一人でどこかに行かせるのは心配なんですよ」
「あなた方は魔王なんてどうでもいいと?」
コルトンは微笑を消した顔で俺を見た。
「そ、そうなんですけどね、さすがにまだ赤ん坊なのに世界とか言われても……理解できないですよ」
「……なるほど」
コルトンはふと、憑き物が落ちたように、微笑を取り戻した。いや、この場合、微笑が張り憑いたとも……言わないな。
部屋の温度も元に戻り始めた。
「では、今回はこれまでにしておきましょう。もう少しフェアくんが大きくなったら、また来ますよ」
「……は」
コルトンは、今までのやり取りがなんだったのかというぐらい、あっさりと席を立った。そしてそのまま戸口で優雅な笑顔で手を振り、外に出て行った。
「な、なんだったんだ……」
「そうね……」
アルも母さんも呆然とした様子だ。フェアは残念がっているような、喜んでいるような複雑な表情だった。
俺も呆然としていた。ただ、それはコルトンがあっさりと帰って行ったことについてじゃない。帰り際に、聞こえたのだ。風魔法で常に聴力を強化していないと聞こえないような小声で、コルトンが
「深夜、森で待っていますよ」
そう、囁いたのを。
コルトンが去っていったあと、母さんは崩れるように座り込んだ。疲れ果てたように、深くため息を吐く母さん。アルはその額に布を当てて、押さえつけたまま母さんの頭を左右に揺すった。
「うわわ、なにすんの!?」
「いや、なんだろうな……なんか腹が立った」
「酷くない!?私頑張ったよね!」
むうう、と頬を膨らませる母さん。十七かそこらの母さんがやるとシンプルに似合っている。アルは人差し指で膨らんだ頬を突くと、目を伏せて、ああ、頑張ったと小声で言った。
「ふふふ、やっとアルくんも私の偉大さが分かったようだね」
「調子のんな」
「のります〜、調子のっちゃいます〜。のっちゃったついでに思い出したけど昼ごはん作ってません」
「……俺も手伝うよ……」
アルと母さんは一緒に昼ごはんの支度を始めるというので、俺とフェアは寝室に戻ることにした。今度はちゃんと羊皮紙もインクも持って。
「さて、布団にこぼしたらまずいし、床で書こうか」
「いぇっさ……わかったー」
フェアはビシッと敬礼した。
寝室はほとんどの面積をベッドで占められている。四人で寝れるベッドだから当然ともいう。
とりあえず羊皮紙を【魔法学】の前に置き、俺とフェアは羊皮紙の前を陣取った。
かくして零歳児と一歳児が詰めあって見苦しく羊皮紙を奪い合っている光景が完成された。
「ねえ……フェア、ちょっと太った?」
「あかちゃんがふとるのあたりまえね」
「これじゃあ写しようがないね……。こうしよう、まずフェアが魔方陣を写してる。僕はその間に修飾文字を書いている。十分ぐらいやったら交代」
「えー……それつまんなそう……」
「……Sランク冒険者はみんな修飾文字使えるよ」
「しゅうしょくもじだいすきー!」
フェアが修飾文字を好きになってくれて嬉しいばかりだ。俺はフェアの対面で四つん這いとなって修飾文字を書き始めた。最初は院長の文字を写す作業だ。
魔方陣とは違って全く悔いいるところのない作業だが、フェアは目を離すと何かしそうで怖い。
しばらくして、手が疲れてきた頃。俺はフェアに声をかけた。
「フェア、そろそろ交代だよー」
「うええ……あと、あとごふんでいいからぁ……」
フェアは露骨に嫌な顔をして、朝の定型句を唱えだした。
「わかったよ」
急かすようなことでもないので流したが、その五分後。
「あと十分、十分でいいんで……!」
「いや、ダメだよ……ていうか普通に話せるんだったらそれでいてよ……」
「……!はっ、しまった!」
フェアは見るからにやってしまったという顔をした。
「もういい?」
「はい!どうぞ!」
フェアは快く答え、場所を譲ってくれたので、フェアが使っていた羊皮紙を見ると、何が何だか分からない物体が描かれていた。
「……?」
フェアは魔方陣を写しているのだとばかり思っていたが……。
俺は開いてあった【魔法学】のページを見たが、この前同様火魔法の初級魔方陣のフレイムだ。
よく見ると、模様が若干似ているような気がしなくもない。そうか、赤ん坊がフリーハンドで円を描くとこうなるのか……。
俺も描けるかどうか。まさかこの壁にぶち当たるとは思いもしなかったが……俺はうー、と唸りつつペンを拳で握るフェアに目をやった。
「ねえ、フェア。僕風魔法とか見て見たいんだけど……いいかな」
「うー?いいんじゃない……」
フェアは上の空で答えた。修飾文字にかなり手こずっているようだ。
これなら疑われずに済みそうだ。
風魔法のページを開く。描かれているのはほぼ火魔法と変わらない呪文の書かれた円。
ち、違いがわからん……。
その後、とりあえず写してみようとペンを取ったものの、案の定そもそも円が描けなかったので、中の呪文を写すことにした。が、それも法則が分からず、何度か交代しているうちに母さんが呼びに来たので、とっさにベッドの下に【魔法学】をスライディングさせた。
昼ごはん中フェアの視線が痛かったな……。
ちなみに昼ごはんはアルが手伝ったおかげか、若干味付けが草の匂いがする以外まともだった。
昼食を終えたらまたしても暇人と化した母さんとアルは、寝室に向かおうとする俺とフェアをガッシリと抱いて、雑談を始めた。
「それにしても、フェアくんが勇者かぁ……。きっとすごい美男に成長するんだろうねー」
「フェミエル、勇者、美形、違う」
「勇者様は美男子に決まってるでしょ!」
母さんは力強く主張した。
「いやいや、そういうのはいけない。美形だからって勇者になれる訳じゃないだろ?」
「でも勇者になるのはみんな美形だよー」
「そういうのは大体美化してあってだな……例えばフェミエル大好きな五代目勇者とか、実際は醜男だったりして……」
「そ、ん、な、わ、け、な、い、で、しょ、!」
「でもなぁ、実際、五代目勇者の肖像画とか残ってないらしいし。というか、名前すら明かされてないじゃないか」
「それはそうだけど〜、あ、フェイくんはどう思う?」
母さんは期待の瞳で見つめてきたが、とりあえず言いたい。
「……苦しいから、離して……」
フェアはすでに半分ギブアップしていた。母さんが謝りながらフェアを介抱するのを横目に、俺は今の話を反芻していた。
五代目勇者らしき人物は名前も顔も分からないという。口ぶりからするとそれまでの勇者はそれが判明していたらしいが、むしろそれが何よりの驚きだな。勇者というと現実感が薄く、つい伝説か何かのように思ってしまう。
「母さん、じゃあ、それまでの勇者って何て名前だったの?」
「え?えーっと確か……一代目がエーミル・アンダーソンで、二代目は……なんたら・コサイカル……」
「フェミエルお前……」
アルは信じられないものを見たような顔になった。
「あんだけ学校で口すっぱくして言われたのに……」
「学校……?」
首を傾げる。この村のどこにもそんなものはなかったからだ。
「ああ、フェイは学校とか知らないもんな。いいか、学校っていうのは、たくさんの同い年の友達といろんなことを勉強するところなんだ。俺も母さんも十二歳から行ったんだぞ」
「そっかー、でも、この村に学校ってあるの?」
「ああ、学校っていっても、俺も母さんもこの村出身だからな。週に一回診療所で大人たちが交代で授業してくれたのさ」
「へー!」
感心したように首を上下に振る。
「まあ、フェイとフェアはちゃんと都会の学校行かせてやるよ」
「おおー!」
今度こそ感激して拍手をする。狩人の収入は多くないというのに、この発言。まさに父親の鏡だ。
「そうだねー、特にフェアくんは才能あるらしいし……あっ、フェイくんももちろん、頭がよくてすごいよ!」
「う、うん」
母さんの気遣いに、曖昧に頷く。中身は十六だからな……。
「で、何の話だっけ、私とアルくんの馴れ初め?」
「違う……!」
「え、僕それでもーー」
「二代目勇者はー!サイクロン・コサイカルでしたーー!!わー!」
アルは大げさに声をあげ、一人で拍手をした。
「なれそめがいいー」
いつの間にか復活していたフェアが主張した。
「ダメだダメだ!というかフェアもフェイも馴れ初めの意味知らないだろ!」
「うん……まあ……」
「うん……まあ……」
知っているとも言えない。俺とフェアはお互いから目をそらしながら肯定した。
「勇者の名前が聞きたいんじゃないのか?三代目勇者はルオリスタ・ムスカ。四代目が……コタイニア・イ……イ……?」
「うわぁ、ここに人のことばかにしたくせに自分だって言えない人がいまーす」
「……うるさい……」
嬉々として煽る母さん。アルは顔を赤くして母さんの頭を掴んだ。
「いたたたた!やめてよー……」
「俺を馬鹿にできるってことは当然、お前は覚えてんだろうなぁ?」
巻き舌で凄むアルを、母さんは鼻で笑った。
「当たり前でしょー。四代目は、コタリニア・イオンだよ!」
「あー、イオンかー。そうだった……けど、名字がコタイニアってのは間違ってないはずだぞ?」
「えっ、あれぇ……」
母さんは十分ぐらいアルにからかわれていた。
母さんが顔を真っ赤にしているすきに、フェアと二人で庭に移動する。寝室に向かおうとも思ったが、実は案外あの作業が体に来ると判明したため、満場一致で外に向かうことになった。
「何しようか?」
「んー……」
フェアは煮えくらない態度だ。何か言いたいことでもあるのだろうか。
「えーっと、にーさん。僕、一人で遊びたいなぁ……」
「にーさん!?」
俺は思わぬ衝撃を受けた。クソかわいいじゃなくて一人で遊びたいというのは魔法の練習がしたいだけだろうが、にーさんって。言語能力そんな飛ばしていいのか?
「にーさんの真似、かな……」
どうかな、と照れるフェア。
かわいい……最近なんだかこいつ、思ったより俗っぽいぞと思っていたのがどうでもよくなるぐらいだ。
うちの弟はかわいいと久しぶりに思い出せた。
「すっごくいいよ!その調子だよ!」
「えへへ〜。じゃあ、僕あっちで遊んでるねー」
ヒラヒラと手を振り、庭の裏側に向かうフェア。
その後ろ姿を見どどけて、ちょうどいいな、と考える。
試してみたいことがあるんだ。
思ったより長くなった上にキリがよくありません。