やっと転生
海にたゆいでいる。
ゆらり、ゆらり。
俺は薄く目を開けたが、眩しくてすぐに目を閉じた。
しかし、誰かが顔を覗き込んでいるのを感じ、再び目を開けた。
……それは巨人だった。俺は思わず叫び声をあげた。
「んにゃああーー!!ああーー!!」
……どこかで赤ん坊の泣き声がする。どうやらこの近くのようだ。
「ああー!わああー!!にゃああー!」
目の前の巨人は慌てたように俺に手を伸ばしてきた。俺は恐怖に引きつった。
「ぎゃあああー!にゃああー!」
赤ん坊の泣き声はまるで俺の感情と連動しているかのように激しくなった。
巨人は俺を抱き上げた。そしてゆらゆらと俺の体を揺らすーー赤ん坊でもあやすみたいに。
……泣いていたのは俺だった。
そうだ、俺は転生したんだーー異世界に。
やっとそう気付いて、俺は胸を高鳴らせた。ファンタジックな世界が、目の前にある。なんと俺にも、冒険欲なんてものがあったらしい。何があるかもわからない未知の世界で、ワクワクなんてしているのだから。
「あきゃー、やうっ!」
知らず知らずのうち、俺は笑い出していた。声はまるっきり赤ん坊のもので、自分のでなければ天使のように可愛らしいと思っていたところだろう。
だが、やはり体に引きずられている。以前の俺は、感情はむしろ出にくい方で、無表情が一番多かったーーそんな赤ん坊は不気味なことこの上ないので、かえって良かったというべきだろう。
「xshんdshx、xんsydbyでゅwxjうぃms〜」
巨人ーー若い女性のようなので、もしかしたら母親かもしれないーーは、笑顔を浮かべながら、優しく俺を揺らした。何か話しかけてきたが、全くもってわからない。
当たり前だが、以前の世界とは話す言葉が違うようだ。
前世の価値観に照らし合わせると、この女性はなかなかの美人だ。赤銅色の髪を三つ編みにして腰まで垂らしていて、顔の造形はアジア人の顔とヨーロッパ人の顔が混ざった感じだーー肌は、アジア人の色で、それなりに顔が幼いが、彫りもそれなりに深い。神の祈りが効いたのかもしれない。
目を見開いていると、段々眠気がしてきた。体力もやはり赤ん坊並みのようだ。
「crhぶんい〜……」
優しい声を聞きながら、俺は再び眠りに落ちていった。
数日もすると、それなりに体を動かすこともできるようになってきた。
辺りを見回すと、六畳程度の部屋で、俺は木造の大きなベッドに寝かされている。母親が料理するときには俺を居間に連れて行くので、この家の全貌は大体掴めた。この家には居間と寝室の二部屋しかない。厨房と居間は繋がっており、外に繋がるドアがある。奥には俺が普段寝かせられている寝室がある。
この家は農民階級に近いようだ。
あの女性は母親に間違いないだろう。母乳を飲まされた時は羞恥心が爆発しそうだったが、いつの間にか無心で飲んでいた……。乳母を雇える経済環境には見えなかったので、母親と断定した。
だが、随分と若い。この異世界は地球よりも文化の進みが遅い、と聞いていたので覚悟はしていたが、母親はまだ十六や十七歳に見える。前世の俺と同い年ぐらいだ。
それが子供を産んで子育てをしているのか……。すごいな、と素直に思う。特に、若いうちの出産は危険が伴う。母親が死ぬ場合もあるんだ……。
それに報いなければ、と密かに気焔をあげた。
それはそうと、母親はずっと家にいて、繕い物をしたり、料理したりしているのに引き換え、父親の方はここ数日一度しか見たことがない。
ある日目が覚めたら、血まみれの男が側に立って俺をにやにやしながら見ていたのだ。驚いて叫び声をあげたら母親が飛んできて、何やら怒りながら男を引っ張っていった。
後から考えたらそれは父親で、にやにやはにこにこだろうし、しかも髪が血のように赤かったから血まみれに感じただけで、実際はそんなに血が付いていたわけではないだろうがーーいったい、なんの職業なんだろうか。
こんな感じで、大体生まれの環境は把握したと言えるはずだ。
しかし、やはり言葉はさっぱりわからない……。
数ヶ月が通過した。
言葉の方は、だいぶ理解できるようになってきた。母親が居間のものを指して一つ一つ言葉を唱えてくれるのだ。それに加え、赤ん坊の柔軟な頭脳がスポンジのように知識を受け入れた。
「あ〜、マ〜……」
「あら、あら、うxすjsしちゃった〜?」
母親ーーというと、他人のようなので、心の中では母さんと呼ぶことにしたーーは、そういうと俺のおしめを取り替え始めた。……最初の頃は抵抗があったが、今はそれほどでもない。すでにこの人を母親だと思っているのと、取り替えないと本当に気持ち悪いからだ。
今の不鮮明の言葉は、文脈から察するにお漏らしとか、そういうものなんだろう。
覚えておこうーーそうやって言葉は段々と上達している。
だが、俺には悩みが一つあった……。
俺はもう数ヶ月の赤ん坊だ。簡単にころっと死んだりはしなくなった。それによって心配ないと判断したらしい両親は再開したーーそう、夜の営みを……。
俺がまだ生まれて間もない時は、自制していて、まだ一週間に一回程度だったが、最近は毎日のように営みやがる……。
この家には二部屋しかない。だがいくらなんでも赤ん坊を一人で居間に寝かせる訳にはいかない。
よって俺は至近距離で両親の営みを見ることになっているのだ……。
何が悲しくて母さんの喘ぎ声を子守唄に寝なくてはならないのか……。
夜だけ無限に続いている気がする。落ち着いて寝れもしないので、どうせなら有意義な時間を使おうと、俺はステータスオープンをした。
まだろくにしゃべれもしないが、ステータスオープン、と心の中でいうだけでいいらしい。
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Name フェイガーデン・デルタ
Age 0
Level 1
MP 150/150
HP 10/10
Skill 風魔法 Level 1 雷魔法 Level 1
Special Skill ??
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フェイガーデン・デルタというのは今世の名前だ。やたら洒落ていて落ち着かないが、気に入ってもいる。
ステータスオープンが出来ると気がついたのは生後2週間後だった。
スキルが二つもあるので、かなり才能があると言えるはずだ。魔法という超非科学的なことが本当にできるのか、確かめてみたかったが、魔法というのはいかにも体力を消耗するというイメージがある。
実際、この数週間で母さんから聞き出した話だと、魔法は魔力ーーつまりMPを消費して使うが、それが尽きたら次は体力ーーHPを消費するらしい。
そしてHPが尽きると、人は死ぬ。死んでしまったら取り返しがつかない。念のため今まで魔法を使わずにしてきた。だが、そろそろいいだろう。体力と比べて、魔力は明らかに多い。母さんもよく知らないそうだが、父親の魔力は少ない方で、150という数値だそうだ。つまり俺は少ないほうとはいえ、成人並みの魔力を持っているということだ。
そろそろ魔法の使い方を知るぐらいなら構わないだろう。というより、魔法の使い方なんて全くわからない状態で始めるわけだから、発動自体いつできるようになるか……。
固有スキルはまだ使えないようだが、それは後のお楽しみというわけだ。
今は魔法という神秘的な存在に専念しようーーというより、母さんの喘ぎ声が一層強くなってきたので、集中したいと思う。
まず、魔力というのはなんだろうか、と考える。不思議な力という点で、超能力や妖力などに類似点を感じるが……感じたからといって俺は超能力も妖力も持っていないわけだから、なんの意味もない。
この三つの共通点というと、生まれつき使える不思議な力といったところか。
……俺はそんなもの持ったことないが……。
いや、待て。突き詰めればこれも一種の才能だなーー魔力を多く持っているものは才能があるということか。
才能を使うとイメージするんだ……。
俺は目を閉じた。魔法を使うというのは、画家が画力にイメージ力をつぎ込むように、スキルの発動に魔法を与えることだ。つまり才能の発揮だ。
才能を使うことに才能は必要ない…………。
ふわり、と風が顔を撫でた。
「わああっ!」
「やだ、どうしたの、フェイ?」
母さんは慌てて俺を覗き込んだ。
しまった。風魔法が発動したかもしれないことに喜びを感じ、つい歓声を上げてしまった。
父親も慌てたように寄ってきているーー最中だったので股の一物がぶらりと揺れた。
「ない、ない」
なんでもないということを伝えようと、俺は小さな手を振って答えた。
「そう?大丈夫?」
「あいっ」
母さんはなおも心配そうで、その夜はそのまま俺を抱いて寝た。俺が第一子のようなので、過保護になっているのだろう。
その後も数日夜の営みはなく、父親には悪いことをしたと思った。
俺自身もこんなに母さんに大切にしてもらって嬉しい気持ちはあったが、せっかく発動したかもしれない魔法を使えなくて、やきもちしていた。
数日後、やっと母さんは安心したらしく、夜の営みは再開されたーーと言いたいところだが、なんと母さんは、第二子を身ごもっていた。ここ数日、やけに具合が悪そうだったので心配していたのだが、それは全て妊娠の初期症状だったらしい。俺は転生して一年半で、兄弟が出来るのだ。
前世では、一人っ子だったから、兄弟が出来るのはとても嬉しい。
だが、同時に恐ろしくもある。俺の前世の母親は、俺を産んで、死んでしまった。十七歳だったらしい。父さんは、若い頃の自分を、いつまでも許せないでいた……。
もし、母さんが死んでしまったらと思うと、恐ろしくて堪らない……。
あれから、半年が経った。
母さんのお腹はすっかり大きくなり、いつ産まれてもおかしくない状態になった。
俺も立てるようになり、日常会話程度なら問題ないようになった。だが、身重な母さんの助けになろうとしても、所詮は一歳児。
父親もなるべく家にいるようにしているが、仕事をしないと食べていけないーーいつも猟銃を持って出かけて、鹿や雉を持って帰って来るので、おそらく狩人なんだろう。
だから、結局母さんに一番負担がかかることになる。
こんな時、もっと魔法が使えたら、そう強く思う。
風魔法をもっとうまく使いこなせれば、歩くのにもふらつく母さんを見なくて済むのに。
初めて魔法が使えた日から半年が経った。あれから毎日こっそりと魔法の練習をしていたが、何しろ魔力が少ない。赤ん坊の値にしては破格だが、世間から見れば少ないものだ。だからか、少ない魔力をいかにして有効活用するのか、と主婦の家庭簿のような有様だ。
風魔法でわら人形のコサックダンスはできても大木を揺らしさえできない……。
練習しているうちに気がついたが、風魔法といっても、風を操るだけではない。そもそも、風という定義が曖昧だ。風というのはいわば空気の流動であるために、その範囲は酸素や二酸化炭素も含まれている。
だから、やろうと思えば、人を窒息させることさえできるのではないかと思っている。魔法使い全てがこんな凶悪な魔法を使うという事実に、俺は戦慄を感じずにはいられなかった。
コサックダンスは風が空気である事を利用して、空気を限界まで凝縮した、いわば空気の手で動かしている。
最初は慣れなかったが、才能を凝縮して一つの芸術を描くという点で、木彫りをイメージした事で成功したーー我ながら才能にこだわる……。
世の魔法使いはもっとすごい魔法を使うというのだから恐れ入る。
でも、こんな事ができたところで何になるというんだ。空気の手は空気を凝縮しているがため、もし失敗をして空気を霧散させたら、詰め込まれた空気が勢いよく近くのものに襲いかかる。
一度だけ失敗した事がある。成功して気が大きくなっていたのだ。直前で身の危険を感じて死に物狂いで逃げたため、かするだけにとどまったが、そのかすったところはパックリと裂けて、今でも痕が残っている。
こんな魔法を母さんに使うわけにはいかない。だから、俺にできる事は母さんが転びそうになる時、風を勢いよく吹きかける事だけだった。
雷魔法もそれなりに練習しているが、空気と違って日常で触れ合う事のないものだ。使いこなせているとはとても言い難い。
と悩んでいたら、
「あら、おでこにシワよせて、どうしたの?母さんに言ってごらん?」
「わっ、なんでもないよ、母さん」
母さんが心配そうに顔を覗き込んできた。
ただでさえ疲れているのに、さらに心配をかけてしまった。
俺は慌てて否定しながら、食卓の猪の足を引き寄せた。父親の今日の獲物だ。
ガーリックソースにつけて食べると、猪の獣くさい匂いを中和し、程よい味になるのだ。
そして肉の筋が噛み切れなくて苦戦していた時だった。
がしゃ、と音がした。母さんがテーブルに突っ伏していた。玉ねぎスープが溢れ、ポタポタと床に滴り落ちていた。
「か、母さん!!」
「フェミエル!」
父親は迷わず母さんを横向きに抱き上げて、大股で外に向かった。
「フェイ、大丈夫だ。これから村の医務所に向かう。大丈夫だからな、留守番していてくれ」
そう早口で言い終わると、父親はドアから出て行った。
「待ってっ……」
俺は慌てて小走りで父親について行った。
行ったところで何かできるわけではないけど、それでも家でやきもちするだけよりましなはずだ。
一分ほど早足で歩いたところ、灰色の建物が見えてきた。
「すみません!急患です!子供が生まれそうなんです!」
父親は中に入るか入らないかのところで大声で叫んだ。
それが功を奏して、あっという間に母さんは村の人たちに運ばれて行った。
父親はホッとしたようにため息をついて、古びた椅子に座り込んだ。それはぎい、と軋んだ。
俺は耳を済ませた。母さんが運ばれて行った場所の声を、拾おうとしていたのだ。万が一風魔法や雷魔法が必要な事態に備えて。いや、単に俺自身が不安なだけかもしれない……。
声は空気が振動によって伝えるものだから、風魔法によってその振動を感じる事は可能のはずだ。
「…………ね」
「そう……な……すね」
なんだ……?何を言っている?
もっとよく聞こえるために、さらに空気の振動を肌で感じるとイメージする。
「さあ、息を吸ってー、吐いてー」
「は……い……」
母さんの声は明らかに苦しそうだった。
「頑張って!もうすこしですよー、さあ、力を入れて!」
「はああーー!はああーー!」
大丈夫だろうか……。
俺はそわそわと体を揺らした。見れば父親も同じ様子だ。
「そう、もう少し。頑張って!」
「はああーー!はあー……!」
だが、この様子なら大丈夫そうだ、そう思った直後に、
「ダメです!気絶しないで!起きて!起きて!!」
母さんの声がしなくなった。
ダメだ、気絶したら出産が長引いたら母さんも赤ん坊も危ない……!
また、母親をなくすのか……?
「い、いやだ……」
父親が訝しげに見てきた。だが、そんな事に構ってられない。
母さんが目をさますにはどうしたらいいんだ。
人が目をさますには、痛みが最適だ。だが、それはすでに母さんには聞かないだろう。痛みで気絶しているのだ。
一体どうすればいいんだ……。
焦るばかりで何一つ案が思いつかない。こうしている間にも、母さんは危険にさらされているのに!
「ど、どうした……?フェイ」
父親が遠慮がちに問いかけてきた。
今はお前に構っている時間はないんだ!
思わずイラついて、父親を睨みつけた。
「なんでもない!」
「そんな訳ないだろう、どうした、母さんが心配か」
父親は怒鳴りつけられたにも関わらず、辛抱強く聞いてきた。
俺はハッとした。母さんが心配なのは俺だけじゃないんだ。むしろ、父親が母さんと過ごした時間は俺よりもずっと長いだろうに。
俺は恥ずかしくなった。何が自分に恥じたくない、だ。
俺は俺にできる事をするべきだ。きっとできる事はあるはずなのに、焦っていつもの思考をする事が出来なかった。例えば、父親に聞く、とかな。前世を足しても俺よりよっぽど経験を積んできているだろう。
「うん……。ねえ、気絶している人を、起こすにはどうすればいいのかな」
「気絶している人?そりゃ、一発殴るとか……」
「それ以外で!」
「んー……魔法でなんとか……」
……役に立たないじゃないか!
ここから母さんを起こすためには魔法しかないに決まっている。
だが、風魔法は失敗したら危険だし、雷魔法もコントロールできる自信がない……だが、そんな事を気にしている場合ではないか……。
風魔法は失敗したら母さんは死ぬ。なら、雷魔法を使うしかない……!
「フェミエルさん!フェミエルさん!!」
もう、一刻の猶予だって残されていない。やるしかない。
風魔法を使い、母さんがどこにいるかを把握する。母さんの形をした、空気の隙間を感じたのだ。
そして、雷をイメージする。魔法は、無から生する。なら、俺から離れていたって発生するはず……!
ーーこの距離は、魔力で埋める!!
俺は、渾身の力で静電気を母さんの周りの空気中に発生させた。
済まない、母さん。心の中で詫び、母さんに静電気を当てる。
静電気は母さんの全身にまわった。母さんは起きない。
仕方がない……。俺は一層強い電気を発生させた。赤ん坊の形を感じると、そこの周りの空気を厚くした。霧散しても強風になる程度だ。
そして、赤ん坊を避けーー雷を母さんに浴びせた。電流が母さんの全身を回った。
これでも起きなかったら、もう空気の手を使うしかない。
そう覚悟したが、
「……う、ん………」
「フェミエルさん!!よかった!!さあ、早く!!赤ちゃんを出して!!」
「え……あ、はい……!」
どうやら、成功したみたいだ。
よかった……。
俺は、ドッと疲れた気分になり、その場に座り込んだ。いつの間にか汗がびっしょりと服を濡らしていた。
数日して、やっと母さんが帰って来れることになった。母さんも赤ん坊もどっちも無事だ。どこにも支障はない。雷による後遺症を心配していたので、安心したーーベッドのなかで。
あの後、気が抜けてしまって風邪をひいてしまったのだ。一歳児だからな、仕方がない。
母さんを迎えに向かった父親の背中を見送り、俺は眠りについた。
そして次に目を覚ました時、俺は驚愕に見舞われることになる。
母さんが嬉しそうにあなたの弟よ、と見せてくれた赤ん坊。
明確に意思を映し出す黒い瞳、体から溢れんばかりの魔力。
「あー、きゃー」
間違いない。
俺の弟はーーーー転生者だ。
作者本人も不本意ですが、これから二週間ほど更新は中止とさせていただきます。
しかし、二週間経ったらまた書きますので、その時はまた読んでくださると嬉しいです。
一部ファミエルをフェミエルに修正。