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漂流する雌鳥(1)

 胸から流れ出る血。突きだしている刃。体は地に倒れ、血が草を赤く染め上げていく。


 私は死ぬんだーーーー

 意識が吸い込まれていくようだ。呼吸が深い闇へと落ちていく。視界は白い色に染め上げられる。上下左右も、暑いも寒いも色も音も、何もない。これが、死……。





「はあっ!」

 そこで目が覚めた。服が汗でくっいていて気持ちが悪い。ここはどこだろう。暗い。夜?そう言えば、賢者という刺客と戦って、胸を貫かれて、それで……。

 それ以降のことは覚えていない。しかし、自分が今、生きているということは理解できた。確認のために胸に手を当てようとする。


「……?」

 何故か鎖の擦れる音が聞こえた。エリーは自分の手を見る。手には金属製の手錠が片腕ずつに付いており、それらは短い鎖で固く繋がれている。

 訳がわからなかった。とりあえず手錠を思いきり引っ張って鎖が切れないかと試してみるも、手首に手錠が食い込んでいくだけで鎖が切れる気配はない。


 状況はあまり、いや、とても芳しくないらしい。エリーは暗い空間の中で溜め息をついた。どうして私に平和は訪れないのだろう。半ば諦めた調子で再度溜め息をつく。


 壁があることがわかり、壁にもたれ掛かる。すると何か音がすることに気付く。水の音だろうか。とするとここはどこだろう。

「あ、気がついた?」

「ふえっ!?」


 突然声をかけられた。しかし声のした方向を見ても暗くて何も見えない。

「あっ、驚かせてしまったならごめんね。慣れるまでは何も見えないでしょう?」

「はい……」

 若い女性の声。その声の調子から敵意は無いように思える。

「私はクロエ。あなたは?」

「私はエリー、です」

「エリー、ね。歳は?」

「十四……なんでしょうか?」

「いや私に聞かれても……」

 十四とは以前、ミランが推測した年齢である。


「十四かあー」

 クロエと自己紹介した女性は悲痛な声を込めて言った。その後の少しの沈黙に、エリーは不安を煽られた。

「……実はね、ここは人(さら)いの船なんだ。エリーは途中で海から拾い上げられてきたの」

 海から拾い上げられた?

 エリーはどうして自分が海に居たのか見当もつかなかった。海を漂っていたとしても、人拐いの船に拾われるなんて運が悪いにも程がある。いや、拾われただけ運が良かったのだろうか。


「あの、これから私たちはどうなるんでしょうか?」

「多分、海を渡った国の裏の市場で競売にかけられるね。この国じゃ賢王様の目が厳しくてそういう商売はやりづらいから。もういくつもの人拐いグループが賢者、ルーファウス様に潰されてるもの 」

「ルーファウス……」

 先日の戦闘が思い返されたが、すぐに打ち消す。

「そ、それで競売にかけられて、どうなるんですか?」

「奴隷として働かされるかな」

「奴隷って、何をするんですか?」

「うん、まあ、何て言うかな……大丈夫、変態に捕まらなかったらなんとかなる。いい?何があっても希望を捨てちゃダメだよ?わかった?」

「は、はい……」

 そんな風に言われると、ますます気分が暗くなる。どんな絶望がこの先待ち受けているのか。もういっそ死んでしまおうかとも思ってしまう。

 だが記憶を取り戻すまでは死ぬわけにはいかない。その確固たる意思が、これまでエリーを辛いときに突き動かしてきたものだった。そして今回も。



 どうやらこの空間にはエリーとクロエの他にも十数人、女性がいるようだった。年齢はバラバラで、出身地もバラバラ。全員いきなり拉致され、この船に乗せられているらしい。中には家庭を持つ人までいた。


 そして全員に付けられているこの手錠には、炉のエネルギーを抑制する効果があるらしい。つまるところ法術が使えないのだ。

「こう言うのは限界以上のエネルギーを流したら壊すことができるんだけど……」

「そうなんですか?」

「うん。でもかなり熟練した法術士でもないとそんなことはまず無理。賢者様たちが助けにでも来てくれなかったら……」

 バキィ!

「あ、取れました」

「私たちは奴隷として売られ……え?は?冗談よくないよ?」

 壊れた手錠からスルスルと両手を抜いてみせる。暗闇に慣れた目ではっきりと確認できる。

「……ワーオ」



 手錠をいとも簡単に壊してしまったエリーはそのあと、その場にいた女性、クロエを含む四人全員の手錠を同じように壊した。他の四人も法術の心得は多少なりともあり、その中の一人が光の法術を使って辺りを照らし出した。

 ここで初めて全員が互いの顔を確認したわけだが、一人が周囲の視線を一身に集めていることにエリーは気づく。


「エルフだ……」

「初めて見た……」

 聞き慣れない言葉が飛び交う。注目の的となっていたのは、エリーよりも年下と見られる少女だった。髪は明るいグリーンをしていて目は紺碧。肌は病的なまでに純白。そして一番エリーの目を引いたのが、その長く尖った耳であった。

「クロエさん、エルフって何ですか?」

「エルフっいうのは、法術とは異なった高い超能力文明を持つ種族で、人間とは離れた地に住んでいる亜人だよ。よく捕まえたねーエルフなんて。人身売買だと、かなり高値で売れるらしいよ」

「私売られちゃうの……?う……ひっく、ひっく」

「あーごめん、大丈夫!手錠も外れたし逃げられるって」

「本当に……?」

「うん、多分……」

「ふ、ふぇぇぇぇん」


 エルフの少女は泣き出してしまった。当然だ。エリーよりも幼い子供が見知らぬ人間に拐われ、暗い場所に幽閉され、売られてしまうなんて現実を突き付けられたのだ。精神は磨耗しきっているはずであった。


「大丈夫、きっと私が助けてあげるから」

 そう言ってエリーは少女の頭を撫でる。塞ぎこむようように震え、絞り出すように言葉を紡ぐ少女に、かつての村を追い出された自分の姿が重なって見えた。

「絶対大丈夫、ね?」

「うう……」

 ぎゅっ、とやさしく抱き締める。

 少女はいくらか安心したのか、嗚咽は少なくなり、スンスンと鼻をすすっている。

 エリーはあくまで冷静だった。不名誉なことにこのエルフの少女よりかは、否、この場の誰よりかも格段に修羅場の経験があり、またそれをくぐり抜けてきたことが少なからず自信となっていた。

 エルフの少女にとって、この状況は剣ヶ峰であることは間違いない。しかしエリーは、自身でも恐ろしい程に、心は平らかに凪いでいる。

「あなた、名前は?」

「……ルカ」

「私はエリー。よろくね、ルカ」

「お姉ちゃんは怖くないの?」

 

 泣き腫らした目をキョトンさせ、エリーを不思議そうに上目遣いで見た。ルカよりかは年上であるとはいえ、周りの大人たちが不安にかられている状況でエリーが一番落ち着いているということは、確かに異様である。

「うん。私は平気。ルカも元気出して?私がついてるから」

「……うん」

 抱き締めているエリーのローブを握り返してくるルカ。この子にとって頼れるのは今この場に私たちだけ。しっかりしなければ、と気持ちを強める。



「じゃあ私はここを出て、船を制圧しにいってきます。私がしくじったら、あなたたちは関係ないと言うこと。何かあったらここはエリー、あなたに任せるわね」

「はい」

 作戦会議の結果、何故か戦闘経験のあるというクロエが船内の敵を倒しに行くという手はずになった。他の皆は危ないと止めたが、このままでは皆売られてしまう、私に任せろと、自信満々に言って聞かなかった。もしクロエが失敗した場合、全員クロエが単独で計画したことで関係ないと言うことになっている。というか、実際そうなのであるが。

 手錠を壊す程の力で法術を使えるエリーは、もし何かあったときに法術でここを守る、という役割分担になっている。

 果たして成功するのかという表情をしている者が大半だ。しかしクロエの表情は自信に満ちていて、かつ真剣そのもの。


 いきなり、部屋のドアをクロエが回し蹴りで蹴破った。扉は音をたてて倒れ、クロエは素早く廊下へと走り去った。

 それからは遠くから男の怒声や叫び声、爆発音や破裂音が響いてきた。一体外はどうなっているのかはわからない。不安がるルカの頭を撫でてやる。


「コラァ!何だあの女は!」

 突然部屋の入り口に、厳つい男が怒鳴りこんできた。

「いえ、私たちにもさっぱりなんです……急にそこの扉を蹴り破って……」

 一人の女性が手はず通りに答えた。

「何だとお……だがそんなことは関係ねえ!お前らを人質にしてあの女を止める!」

 そう言ってずかずかと部屋の中に入ってき、品定めをするように一人一人の顔を見回した。

「人質にするなら、やっぱり小さいやつの方が効果ありそうだな」

「うあっ……」

 男はルカを見た。ルカはその視線に怯え、エリーの腕にしがみついた。構わず男は、ルカを人質にしようと近づいてくる。


「あれ、お前ら手錠……」

絶気電撃(パラボルト)!」

「あばばばばば!」

 よっぽど切羽詰まっていたのか、男は法術を封じる手錠が外れていることを全く警戒せず、簡単に返り討ちに遭ってくれた。

「お姉ちゃんすごーい……」

「そんなことないよ」


 それからはもう敵が部屋に来ることはなかったが、相変わらず部屋の外では、遠くで物音がしていた。そして。


「ただいまー」

「クロエさん!」

 クロエが帰ってきた。特に怪我もしていないようだ。こうして帰ってきたということは、船内の敵は一掃できたと言う事だろう。かかった時間はわずか十数分ほど。

「早いですね!」

「いや、敵が少なかったからね。みんな、もう出てきてもいいよ」

 すなわち人拐いの手から解放されたのだ。部屋の中の女たちは笑顔を浮かべて歓喜し、手と手をとって抱き締めあった。


 クロエはやや疲弊した感じで、腕を組んで微笑んでいる。しかし見たところ傷は負っていない。エリーはなぜ、こんなに強いクロエが人拐いに遭ったのか不思議に思う。

「もしかして、手錠があっても敵を倒せたんじゃないですか?」

 エリーは少しだけ見た、クロエの流れるような身のこなしから思っていたことを聞いた。

「いや、私は法術で身体を強化するから、敵を倒せたの。そうじゃなかったら勝ち目は薄かったよ。だからエリーが手錠を壊してくれなきゃ力を発揮できなかった」

「へえ、そうだったんですか……」



 部屋に閉じ込められていた女たちは、嬉々として船の甲板に出ていった。長い間暗い室内に閉じ込められていた鬱憤を晴らすように、歩き回ったり喋ったりして潮風を満喫している。

 時刻は夕方。沈む夕日は水平線によって二分され、海面は鮮やかに橙色に染まっている。

「ハーウェン港に向かってくださいね。もし違う方向に向かっているとわかったら、さっきの人たちみたいに……」

「ヒィ!分かっている!分かったからやめてくれ!」

 その中で一人クロエは、この船の航海士とみられる男に脅しをかけていた。これからハーウェン港というところに向かうつもりらしい。



「うわあ、海って久しぶりに見たよー」

「そうなの?」

「うん、エルフは高い山脈の上に住んでいるから、なかなか海は見れないんだよ」

 エリーは、甲板でルカと二人で潮風に当たりながら歓談していた。

「あ、お魚が跳ねたよ!あれなんて魚だろう?私たちは山に住んでるけど、ちゃんとお魚も食べてるんだよ。エルフはこーくー技術が発達してるから、おっきい飛行機で山の下の国に行って、色んな物をもって帰ってくるの。すごいでしょ!」

「う、うん、すごいね」


 さっきまで怯えて震えていたルカだったが、ここに出てからは水を得た魚のように勢いよく話し出した。それはエリーが相づちを打つのに徹させるほどであった。

「お父さんたちは、人間は悪いやつらだって言ってたけど、お姉ちゃんたちはいい人だね!私は好きだよ」

「え、そうなの?うーん複雑な気分だなあ」

 この世界の種族間の確執は、よくわからない。しかし少なからずそう言うものは存在しているようだ。

 しばらく話しているうちに、辺りは日が落ちて夜が訪れた。夕刻、甲板に満ちていた声もいつの間にか静まっている。

「そろそろクロエさんの所に戻ろっか」

「うん!」

 エリーとルカは腰をあげ、クロエたちがいる船の反対側へと歩き出した。



 そこでは、女たちが床に倒れていた。

「!これは……」

「なんで……?」

 理由がわからず固まる二人。しかしすぐに、舵をとっていた男だけは変わらず舵を操作している。

「エリー……」

「クロエさん!?」

 男から少し離れた場所に倒れていたクロエが、苦しそうに顔をもたげた。エリーとルカはクロエの方へと駆け寄る。

「どうしたんですか!?」

呪歌姫(セイレーン)の……『歌』よ……!子供には効か……ないんだけど……」

「セイレーン?歌?」

「お姉ちゃん、私聞いたことがある!海には大人にしか聞こえない歌声で船乗りを狂わせて難破させる怪物がいるって!」

「うそ……!」

「歌で私たちは動けなくなったの……とにかく、あの男を止めて……おそらく『歌』に操られてる……早くしないと……」


 額に汗を浮かべ、力を振り絞るようにして話すクロエ。

「このままじゃ……全滅させられる……早くあの男を……」

「わかりました!」

 エリーは言われた通りに男のもとへと走った。

「……!」

 男はまるで意識がないのかのように、目と口を半開きにしており、ただ手だけを動かしている。エリーはその異様な姿に戸惑ったが、すぐに男の腕を掴んで舵から引き剥がす。意外に呆気なく男は手を離し、糸が切れたように床に倒れこんだ。

「やりました、クロエさん!」

 エリーがクロエに向かって叫んだ時。


 海の中から激しい水飛沫をあげ、何かが海面に姿を現そうとしていた。


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