進攻する獣山(1)
村を出てから、しばしば獣に襲われた。最初は小さな獣から、村を離れるにつれて次第に単独の大きな獣が出現するようになっていっていた。
これが村人が言っていた、人を襲う魔獣というものか。エリーは森の中の、やや開けた道を進みながら考えた。
道に車輪の後がいくつもあることから、商人の馬車かなにかが通る道と判断し、この道の先には町があるのでは、と、ひたすら歩いている。昨日は夜に村を出たので、昨日は渋々野宿をすることになった。涙は洪水のように次から、次へと溢れ、枯れるまで止まらず、目はひどく充血し腫れるほどであり、何度も立ち止まったり座り込んだりを繰り返した。
しかし幸か不幸か、と言ったら間違いなく不幸なのであるが、昨日の無意識の法術の使用以来、エリーはいくつかの法術が感覚的に使えるようになっていることに気付いた。よって襲ってくる小型の魔獣を法術で仕留め、火の法術を使って枯れ枝に火を起こし、魔獣の肉を焼いて食料とした。なんとも言えない味がしたが、腹はふくれたので上々と言えよう。
そして夜が明け、まずは近くにあった川でローブや服に付いた血を洗い流す。こびりついた血はなかなかとれず、骨がおれた。そして法術を受けて破れた服は、ローブで隠すことにした。
そして再び歩き出す。しばらく道なりに進んでいると、横の林道から葉や枝の擦れ合うような音がする。
(またか……)
エリーは直感的に、音のする方へと身構える。徐々に音が大きくなり、やがて一匹の魔獣が姿を現した。四足歩行で鋭い牙を持ち、ずんぐりとした体でのそのそと移動するそれは、エリーを餌として捉えている。
「降雷」
魔獣の鼻の先の地面に、電気の塊をぶつけ大きくえぐる。
「ぐる……」
出来た穴を数秒間見つめたあと、体を翻して森の中へと戻っていく魔獣。
「ふぅ……」
幾度も魔獣に襲われるうちに、エリーは撃退のコツを掴むに至った。最初は切羽詰まりながら直接法術を数発、魔獣に当てて深手を負わせていたが、魔獣よりも強いことを証明することで、傷付けずに追い払えるということが分かったのである。しかし昨日、なぜか使うことができた強力な法術だけは、いくら使おうとしても使うことはできなかった。
(そういえば、ミランさんの家族は魔獣に……)
ふと、そんなことを考える。
人間に危害を加える魔獣は、一般的には駆除するべき対象となっている。そう村で教わっていたが、エリーは、どうにもその命を無闇に奪う気にはなれなかった。
←ハルスト城下町
第三王立法術院→
このような木造の看板が道脇に立っていた。よくも魔獣に踏み倒されなかったものである。意外と近くに町があったことに、エリーは安堵する。しかし昨日の村のことが思い返され、安心感はすぐに打ち消され憂鬱な気分になる。
(静かに過ごして……ちょっと休んだら……なるべく早く、町を出よう……)
追われている身としては、また人を巻き込んではいけないと、強く思う。村で起こった惨劇は、まだ少女のエリーの心に深い傷を刻み込んだ。
並みの少女ならば、絶望にうちひしがれ途方に暮れているだけであっただろう。それでも立ち上がり、エリーが町へと歩みを進めるには理由があった。
無論、それは無くしてしまった記憶のことである。
なぜ自分は第三王立法術院を壊滅させたのか。なぜ自分は強力な法術、魔法が使えるのか。訳もわからず追われるなんて、嫌だ。
ならば、原因を究明しなければならない。
記憶がないことだけでも不安で気分が滅入るのに、それによって命を狙われているのならば、なおさら気持ちが悪い。記憶の手がかりをなんとかして見つけたい。
ここで使命感にも似た強い気持ちを持てたことは、エリーの本質には強い心があることを示していた。
まさに不幸中の幸いであった。
さらに数十分歩いたのち、重厚な壁がそびえている場所に出た。その壁の途中、道の終わりに馬車が数台並んで入れるような幅の門が、エリーの行く手を阻んだ。
「……」
しかし、門は鍵がかかっており、押しても引いても開かない。この門は元来、町を魔獣の侵入から防ぐために作られたものであり、そう簡単には開いてくれるはずもなかった。法術で門を吹き飛ばしてしまおうかとも考えたが、それでは目立ちすぎるし、警戒されてしまうだろう。
しばらく門の前で考えを巡らせていると、不意に門が、重低音を響かせゆっくりと内側から開いた。どうすればいいのか分からないエリーは、ひとまず道の脇に移動して、成り行きを見守った。
門の中から出てきたのは、馬車。鎧に身を包んだ男が馬を操り、馬車の後ろには、鎧を着た男とローブを着た男が一人ずつ座っていた。後ろで待機しているのは、おそらく、魔獣対策であろう。
ただ呆けながら馬車を見送っているエリーは、何者かに唐突に呼び掛けられ、一瞬にして臨戦態勢に入った。
「おっと、そんなに怖がらないでよ。あはは。君も、定期講習会に来たんだろう?さあ、入った入った」
「え……?」
エリーに話しかけてきたのは、長い剣を背負った、門番とみられる男だった。全く自分を警戒していない男にエリーは困惑したが、何やら町の中に入れてくれそうな雰囲気だったので、言われるがまま素直に中へと案内された。
町は村とは比べ物にならないほど賑やかで、華やかな雰囲気で満ちていた。市場は客を寄せる文句が飛び交い、馬車が往来し、町の中心と見られる場所には大きな城がそびえていた。晴れやかな雰囲気に、圧倒されてしまう。
そして町中、至るところに貼られている文書や看板を見て、門番がなぜ自分をすんなりと町へ迎え入れてくれたのかが判明した。
どうやら今日は、この町や近辺の村や町の法術未習得者、初心者の人々を対象とした、法術の講習会が開かれるのだと言う。この講習会は定期的に開催されており、その参加者のほとんどがエリーのような少女か、それ以下の子供たちらしかった。
それもそのはず、法術とは魔獣の撃退や自然災害対策などのものから、日常生活の細かな作業などまで、人々の暮らしの隅々と密接に関わっているため、最低限の法術の会得は幼少期から必須なのである。
(それにしても、運がいいなあ)
こんな時期でなかったら、町にいれてもらえなかったかもしれない。エリーはそう考えながら賑やかな町通りを歩いていると、横から声をかけられた。
「あの、あなたも講習会に行くの?」
声の主は、エリーと同じか、もしくは少し下くらいの年の女の子であった。肩より長く伸ばした髪をリボンで留め、フリルの付いた可愛らしい服に身を包んでいる。素朴なローブと地味な布の服を着ているエリーよりかは、いくらかあか抜けた印象を与える。
「あ……うん。そう、かな」
本当は行く気など無かったが、法術に関しては、使えるけれども全く知識がない。なので、今後のことも思って行ってみるのもいいかもしれない、と、ちょうど迷っていた。そんなところにとっさのことで、つい同調してしまった。
「うわあ、そうなんだ!女の子が一人で歩いているからそうじゃないかなー、って思ったの!それなら、一緒に行かない?」
「うん、よろしく」
「よかった。ママはお買い物しにどこかに行っちゃってさ。まあ、一人でも問題ないけどね。あ、アタシはネイ。あなたは?」
「あ、わ、わたしは、エリー」
慣れない、ハツラツとした同年代の女の子との会話にたじたじとなるエリー。村には同年代の子もいたが、エリーが内気だったり、家事手伝いや初めての農業に忙しかったりしたこともあり、ほとんど話す機会はなかった。
なので、ネイのように友達感覚で話しかけてくる子と話すことは新鮮で、どこかくすぐったい気分になる。しばらく雑談をしながら、この町の景色を楽しんだ。
「ねえエリー、悪い法術士の噂って知ってる?」
体がビクッ、と震えた。
「えっ、うー……ん?」
「知らないの?ここらじゃその噂で持ちきりだよ!なんでも、魔法を使って第三王立法術院を襲って、さらに近くの村もメチャクチャにしたんだってえ!お陰で今日の講習会に来るはずのアタシの友達も、来れなくなっちゃったの」
(私のことだ……)
エリーの背中を冷たい汗が伝う。もしその悪い法術士が、隣で歩いている女の子だと分かったら、ネイはどうするだろうか。
「……ネイは、その、悪い法術士ってどんな人か、知ってるの?」
「うーん、わかんないけど、多分うちのパパみたいに怖くておっきい人じゃないかな?みんなもそう言ってるし!」
それを聞いてエリーは胸を撫で下ろした。どうやら、まだあまり詳しい情報は伝わっていないらしい。確かに、犯人が少女だと知っていたら、あの門番もエリーをすんなりとは迎え入れてくれなかったに違いない。それを差し引いても不用心だった気もするが。
「あ、エリー!あそこの広場だよ!」
ネイが指を指した先には、噴水を中心に円状に芝生が生い茂っている広場があった。広場には既にエリーやネイくらいの年代の少年少女たちが集まっており、所々に大人の男女が立っていた。
エリーたちが広場に到着すると、二人の大人、恐らく講師とおぼしき男たちがなにやら会話をしはじめた。
「いつもより少ないけど、第三王立法術院なんかのこともあるし、こんなもんか」
「ああ、周辺の町じゃ危なっかしいから来れないと思っている人も結構いるだろうし」
「そうだな。……よーしじゃあみんな、今から講習会を始めまーす!」
「ギリギリセーフだったね、えへへ」
「うん、そうみたいだね」
「それじゃあ、法術は初めての子はこっち、一度でも使ったことのある人はあっちに集まって!」
「行こ!」
「え?ちょっ……!」
エリーは法術が使えるため、使える方のグループに行こうとしたが、ネイに手を引かれて問答無用で初心者グループの方に連行されてしまった。
(まあ、使えはするけど法術のことは何にも分からないし……こっちでもいっか)
嬉々として手を引っ張っていくネイを止めるのも忍びなく、慌てて転ばないようにネイに着いていくことにした。
「みんなこんにちは、今日は来てくれてありがとう!まずは最初に法術の成り立ちと『炉』の説明をして、それから実際に法術を使っていくね!」
初心者グループには、さっきみんなの前で声を張り上げていた男が来ていた。
「炉?ロって、何だろう!?」
「それを今から説明してくれるんじゃないかな……」
ネイは目をキラキラと輝かせ、身を乗り出して話を聞いている。エリーも法術が使えるとはいえ、そういった専門的な言葉を聞くのは初めてなので興味深く耳を傾ける。
「まず、法術とは、大昔に法術の始祖、大賢者様たちがとっても強い魔獣の王様を退治するために生み出した超能力です。本当は訓練を積んで使えるようになるものなんだけど、今はみんなすぐに使えるようになります!それが、今も生きる大賢者様、賢王様の生み出した『炉』なのです」
(賢王……って、どこかで……)
以前村でエリーを襲った男たちは、確か賢王の命令で、などと言っていた気がした。話を聞くとかなりの人物のようだ。そんな人物に追われて、果たして自分はいつまで生きていられるのか。エリーはそんなことを考えてしまい、一人落ち込んだ。
「法術には、その元となる特別なエネルギーが要ります。大賢者様たちは訓練してそれを生み出せるようになりました。しかし、賢王様が確立した炉は、何にもしなくても法術の元となるエネルギーを体内で自動的に作ってくれる、という素晴らしいものなのです」
「へー、つまりは餌を作ってくれるんだね!」
「え、餌!?……かなあ?」
ネイの独特の言い回しに、エリーは吹き出しそうになった。
「その炉を体内に作るためにする事は一つ、この『炉紅石』を飲み込むだけです」
男はポケットから、赤く透き通る、飴玉大の小石を取り出して掲げた。他の講師たちもそれに続いて炉紅石が沢山入った袋を取りだし、子供たちに手渡し始めた。
「綺麗ー」
「おいしそー」
「これ食べていいの?」
「食べてもいいけど、噛んじゃだめだよ?ちゃんと飲み込んでね!」
炉紅石を受け取った子供たちの反応は様々で、ネイに至っては、臆することなくすぐに飲み込んでしまった。
「あ、私はいいです。法術、使えるんです」
「そうなんだ、わかったよ」
法術が既に使える子供がこっちに来るのは別段珍しくないのか、講師の男はそっけない態度で行ってしまった。エリーとしては炉紅石を手に取ってみたかっただけに、ネイが即座に飲み込んでしまったことが残念でならない。
「ふわあ……なんだか、変な感じ」
炉紅石を飲み込んだネイ。はた目には特に変わったことはない。しかし、彼女自身は変化を感じているようだ。
「ねえネイ、どんな感じなの?」
「なんかね、体の中が燃え盛っているような……でも、心地よくて力が湧いてくる!」
「それではみなさん、炉紅石は飲みましたね?すぐに体に定着する筈です。では次は、簡単な、一番低い難易度の法術を使ってみましょう」
男の声に、子供たちは一斉にワッ、と沸いた。今まで他人が使うのを見ているだけであった法術が、いよいよ自分たちにも使えるようになるとあって、少年少女は目を輝かせ、そわそわしながら男を見つめる。
「法術を使うには、呪文と呼ばれる言葉を言わなければなりません。これは呪文を唱えることによって、使う法術の明確なイメージを構築し、また精神を、法術を使うのに適した一種のトランス状態に持っていくためです。難易度の高い法術ほど長い呪文が必要とされますが、さっき言ったことはが呪文無しで出来るようになれば呪文を詠唱することなく、法術を使えるようになります。また、エネルギー消費量が大きい強力な法術ほど、炉に負担がかかります。最初は簡単な法術を使うだけで疲れてしまうかもしれませんが、炉は訓練次第でいくらでも強化することができるので、安心してくださいね」
(へえ、そんな原理で法術を使っていたんだ)
エリーのように、訳もわからず法術を使えるというものは極めて稀な例である。本来ならば炉を鍛えて初めて出来る、強力な法術、さらに魔法。それらを使えてしまう自身に、エリーはますます自分がわからなくなると同時に、恐怖を感じた。
「炉を鍛える方法は、やっぱり法術を沢山練習することですね。ですのでみなさん、ごはんをちゃんと食べて沢山寝て、一人前の法術士を目指してください。あ、それと最後に」
男は、わざとらしく声色を変え、子供たちに注目させてから言った。
「法術の中には魔法という、とても危険な法術も存在します。扱いが非常に難しく危険なので、高位の法術士にしか使用が許されていません。と言うか、消費エネルギーの量や扱いの難しさから、高位の法術士にしか使えません。近ごろ、その魔法を使って破壊活動をするとても危険な者が付近に潜伏している様なので、みなさん、塀の外には極力行かないように。明日には警備のための特務法術士団が来てくれるようなので、それまでの辛抱です」
「……!」
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない」
特務法術士団……。
恐らくは、エリーの脅威から町々を守り、エリーを殺害するために遣わせられるものであることは、なんとなくエリーにも分かっていた。それが明日来ることがわかったことは幸運だった。
(明日、か。今夜は休んで、朝早くに出発しよう。記憶の手掛かり、なんにもなかったな)
もう少し滞在したい気持ちもなきにもあらず。しかし特務法術士団と鉢合わせした場合、村の惨劇が繰り返される可能性も拭えない。
(せっかくネイと仲良くなれたのに……)
それでも自分が魔法を使って破壊を引き起こしてしまったことがバレて、畏怖の目を向けられることは耐えられなかった。特務法術士団がエリーを追って来るのであれば、乏しい情報量のこの町にも、エリーが例の魔法少女であるという情報はもたらされるだろう。
それゆえエリーは心を殺し、町を出る決意を、一人静かにしなければならなくなったのであった。