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胎動する運命

 とある小さな村の中を、一人の少女が歩いていた。ボロボロのローブ一枚で身を包み、その姿はまるでこじきのようである。


「……」

 少女には、記憶がなかった。先日、第三王立法術院から抜け出た以前の記憶が、すっぽりと抜け落ちていたのである。なぜ自分はあそこにいたのか。それ以前に、自分は一体何者なのか。

 名前や郷里、自分を証明し、自分たらしめるものは何も持たない。それゆえの不安感と、極度の疲労感をその小さな身に抱え、少女はフラフラと、足を引きずって歩くしかなかった。そうして辿り着いたのが、この小さな村というわけだ。

「ちょっとお前さん!」

「ひうっ……!」

 村の中をあてもなく歩いていると、不意に声をかけられた。警戒心と不安で満たされている少女は、弾けるように発せられたその声に酷く驚く。

「どうしたんだい、その格好は?魔獣に襲われたのかい?」

 見ると、声の主は人の良さそうな恰幅の良い女性であった。声の調子に反して無害なその雰囲気に、緊張しきっていた少女は少し、警戒を解いた。さっきの質問に対し、首をゆっくり、ふるふると横に振る。

「そうかい、なら、家は?」

 再度、力なく首を振る。

「まあ……もしかして、何かの事情で行く宛がないのかい?」

 今度は、少しの間のあと首を縦に振った。

「……わかった、なら、お前さん。家に来ないかい?」

「え……」


 突然の申し出に少女は怯んだ。それもそうだ、何もかもが分からない状況の中で、初めて会った人間の申し出を疑いもせず受けることは常識を持った人間ならば、まずしない。そこに何か裏を感じることもまた必然。少女は無意識に、再び警戒心を強めた。


ぐぅ~~


 と、不意に少女の腹がなった。


「あはっ、あははは。そうかい、腹が減ってるのかい。うちは森で取れた新鮮な食材を使った料理がたんまりあるよ?どうだい?」

 屈託のない笑顔。その笑顔は少女に、いくらかの安心感を与える。少女をどうにかしようという考えなど微塵もない、と主張しているようだった。

 少女は行くあてもないことを思い出す。そこでこの初めて会った女性を信用するか、このまま一人で歩き続けるか。二つを天秤にかける。




 女性に連れられ、村の中を歩く。結局少女はこの女性に着いていくことにした。騙されたとしても、まあいいや。少女の半ば疲れきった頭はリスクよりもメリットを取ることを選択した。

 女性に連れられて歩いているうちに分かったことは、住民たちは自給自足で生活をしているということ。小さな村だが、村人たちは田畑を耕したり、家畜を飼育したりとせわしなく働いており、活気に満ちている。

「ようミラン、その可愛い女の子はどこからさらってきたんだ?」

「バカ言ってんじゃないよ!そんなこと言ってる暇あったら、嫁でも探しな!」

「ぐっ、いてえ所を……」

 どうやらこの女性はミランと言うらしい。ミランがすれ違う村人と二言三言、言葉を交わしながら歩いていくうちに、彼女の家へと着いた。

「さあ、着いたよ。まずは水浴びでもして、体の汚れを落としな」

「あ……はい」

 と言って少女は、風呂場へと案内される。風呂場、と言っても脱衣場とちいさな湯船しかなく、水は張られていない。この状況でどのように体の汚れを落とせと言うのか。

「……あの……」

「おっと、ごめんよ!水法、湧水脈(ブール)

 ミランは少女がなかなか動き出さないことに、やっと風呂に水が張られていないということに気づく。笑いながら何か言ったかと思うと、さっきまでカラだった湯船にみるみるうちに水が満ちていく。その異常な光景に、少女は目を見開いて動揺した。

「!」

「驚いたかい?これは法術って言って、むかーしの偉い大賢者様が生み出したありがたーいものなのさ。これは地下水を操るもので、こうして水を汲み上げてるんだ。さ、風呂に入りな、あたしは昼飯の用意をしておくよ」

 目を丸くしている少女を尻目に、ミランはそそくさと風呂場をでていった。ミランが出ていったことを確認し、少女は一枚しかない衣服、ローブを必要以上に丁寧に、ゆっくりと脱ぐ。今まで気がつかなかったが、よくよく自分の体を見てみると確かに土がつき、肩までかかる髪は潤いを失いパサパサに乾いてしまっていた。しかし早速水風呂に入ろうとする少女の目に、不可解なものが飛び込んだ。


「なに……これ……」

 少女の左胸のちいさな膨らみの上に、とある文字が浮かんでいた。


『A』


 いやでも目に入る大きさのその文字に、数秒目を奪われ、静止。しかし考えを巡らせても何を表すものなのか、全くもって分からない。何かのイニシャル、番号、あるいはケガ、病気……。恐る恐る触ってみる。肌の感触。いくら考えてもやはり答えは出ない。少し戸惑ったものの、少女は体の汚れを落とすことにした。



 風呂から上がると、綺麗な下着、ローブが用意してありサイズも測ったようにぴったりであった。なぜ、少女の体にぴったりの衣類がこの家にあるのか、少し薄気味悪い気分になる。しかし元々来ていた擦りきれたローブは、ミランが回収したのか無くなっていることに気付く。仕方なくそれを来て風呂場を出ると、食卓には豪華な料理が並んでいた。


ぐう~~


「うあ……」

「ふふっ」

 再び腹がなる。ミランは笑顔で席につくよう促した。少女はさっき感じた薄気味悪さもあり迷ったが、空腹にはついに勝つことができず、ミランの真向かいの席に慎重に腰を下ろした。



「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。何て言うんだい?」

 食事を初めてから数分。ミランが一方的に喋り倒すだけの会話の中で、初めて少女に返事を求めた。


(名前……)

 少女は困惑した。名前はおろか、以前の記憶すらもない。また言い様のない不安が胸につのり、意図せず少女の食事の手が止まる。と、先程の『A』という文字が頭に浮かんだ。今のところ、自分のルーツを辿る唯一の手がかり。自分を証明しうる、唯一の印。

「エ……エ、エリー……」

「ほう、エリーってのかい。可愛らしい名前だねえ」

 それだけ聞いて、雑談に戻るミラン。少女は、もしかして『A』とは自分の名前ではないかと思い口に出しかけた。が、自信が持てず頭の中で否定し、とっさに言葉を続けた結果、『エリー』という名前が口をついた。





「ここに居る以上、ただ飯は許さないよ!働かざる者食うべからず、ってね!」

「えー……」

それからというもの、エリーはミランの家事や農業などを手伝いながら数日を過ごした。最初は警戒心を抱いていたエリーもミランの優しさを肌で感じ、段々と距離を縮めていった。慣れない農業をするということで近所の村人も色々と世話を焼いてくれ、会えば挨拶を交わす程度の仲になった。

「エリー、よく頑張ったね。二人で作った野菜だよ」

「近所の人たちも手伝ってくれたよ?」

「おっとそうだったね、どうでもいい奴等だから忘れていたよ」

「ひでえ……」

「おや、居たのかい」

「わ、私はそんなこと、思ってないですから……」

「くうー、どこかの年増と違って優しいねえエリーちゃんは!うちの嫁に来てくれ!」

「うちの娘は誰にもやらないよ!帰れ、このっ!」

「いてえ!」

 ちょうど畑は収穫の時期を迎え、様々な野菜が畑に実る光景は実に壮観であった。それを苦労して収穫し、食べたときの味は格別。

ミランは慣れない力仕事をするエリーをやさしく、時には厳しく、まるで母のように扱った。

 最初は不愉快であったそれも、エリーは、数日だが苦楽を共にするうちに自然と受け入れられるようになった。近所の村人とも徐々に仲良くなり、ミランはエリーを我が子同然に可愛がり、エリーもまた、やさしく、頼りがいのあるミランを慕った。


「こいつはなあ、昔、魔獣に襲われて夫と娘を亡くしてなあ。娘はエリー、ちょうどお前と同じ様な年頃でよ……お前が来てくれてから、ミランが昔みてえによく笑うようになった、いやーよかったよかった」

「ちょっと、辛気臭い話は止めな!酒が入るとすぐこれだよ、この男は!そりゃ嫁の来てもないってもんさ!」

「う、うるせえっ!」

「だはは、ちげーねえ!」

 ある日の夜の、村の食事会ではこんな会話が交わされていた。酒を飲む大人たちの賑やかな会話を聞きながら、エリーは、どうして家に来ないかといきなり誘われたのか、ミランの家に自分の体にあった衣服があんなにあったのか、合点がいった。そして、自分の存在がミランを元気づけてあげられていることが嬉しかった。


 記憶もなく、頼れる人もいない不安の中で、助けてくれたミラン、村の人々。家族同然に接してくれる人に囲まれ、安穏とした生活を送ることに幸せを感じていた。エリーは記憶が戻らなくとも、願わくばこの日々がいつまでも続いてほしい……と、いつしか思うようになっていた。


そこに、大きな音が響いた。一気に静まり返る人々。家の外が騒がしくなる。

「一体なん……ああっ!!」

 こぞって家の外に出ていくと、そこには信じられない光景が広がっていた。家々では炎が燃え盛り、畑は爆発が起きたようにえぐれ、家畜は血を流して伏している。絶え間なく続く爆音、人々の叫び声。その光景はまさに地獄絵図。


「お前たち少女はどこだ。最近現れたはずだ。この村にいることはわかっている、今すぐ連れてこい」

 いつの間にかミランの家の周りに、数人のローブを着た男たちがいた。男の声は事務的で冷徹な、威圧感に満ちている。

「さあて、知らないねえ……」

「武力による制圧許可も出ている。賢王様直々の命だ。隠すとためにならんぞ」

「賢王様の……!?」

「いたぞ、あいつだ!間違いない!」

「え……わ、たし……?」

 指を指されたのは、エリー。ビクッと小さな体を震わせる。そしてミランの家には、男の叫び声につられてさらに大勢のローブを着、フードで顔を隠した男たちが集まってきた。

「なるほど、確かに報告通りの少女だ。服装はやや変わっているが……お前を第三王立法術院襲撃の罪によって、拘束する。反抗すれば武力をもってしかるべき処置をとる」

「ちょっと待ってくれ!この子はそんなことする子じゃ……がっ!」

 エリーを庇おうとした村人は、男たちの放った法術によって、ニ、三メートル吹き飛んだ。エリーは絶句し、恐怖から頬を涙が伝い、呼吸と心臓の速度が加速する。

「そいつは魔法を使役し第三王立法術院を強襲し、甚大な被害をもたらした。危険分子は排除せねばならん」

「魔法……?この子は魔法はおろか、法術すら使えないんだよ!人違いじゃないのかい!?」

「なにぃ?」


 エリーは風呂場でミランの法術を見たとき、まるで初めて見たかのような反応をみせた。ミランは、あの反応が演技とはとても思えなかった。なりより我が子同然に思ってきた少女の無実を信じていた。エリーはそんなことをする子ではない、と。

「……ふん、信じられんな。閃攻弓撃(マー・ロー)!」

「うぁっ……!」

 集団の先頭で喋っていた男は、いきなり雷の法術でエリーを撃った。撃ち出された雷の矢は、いとも容易くエリーの腹をえぐり、大量の血がエリーの腹から吹き出す。

「うぇあ……は……ミラ……さ……」

「エリー!!」

 エリーは腹を抱え込むように、膝からうつ伏せに、前のめりに倒れ呻き声を垂れ流す。バケツをひっくり返したように血が流れだし、痙攣する。

「っ!うちの子にっ何すんだい!!」

「ちょっ、落ち着けミラン!」

 目に涙を溜め、悲痛な声とともにミランはエリーを撃った男に殴りかかる。

「……ミラン!」

 しかし、男の側にいた男がいつの間にか剣を抜き、ミランを切り捨てた。突然の、あまりに凄惨な光景を目にし、村人たちの顔は皆蒼白。酔いなどとうのうちに醒め、数秒の静寂がその場を支配した。

「何の抵抗もないとはな。まさか本当に人違――――」


 瞬間、何かが男の横を通り抜けた。男は反射的に、その何かを確認するため振り返る。

「なっ……」

 絶句。集まっていた男たちは、何かが通ったと思われた部分だけ体がえぐれ血が吹き出している。何か、とは何か。決まっている。法術だ。


 男は瞬時にエリーの方を見た。エリーは驚くべきことに立ち上がっており、腹の出血はおさまっている。ヒヤリとしたものが体の芯を通り抜ける。心がざわつく。男はエリーが法術を使ったと確信する。

「治癒法術……いや、再生か!?化け物……」

 男は法術を使おうとするも、時既に遅し。次なるエリーの法術の呪文詠唱が完了した。

湧水脈竜(ブーリュア)

 突如、地面から水が吹き出し男たちを薙ぎ払う。竜のように不規則にうねる超水圧の柱に叩かれ、集団は統率を失う。

「ぐっ……何をしている!奴を殺せえ!」

 その声に呼応するように、四、五本の矢がエリーの体に深々と突き刺さる。

「ミラン……さん……あ、あ……あああぁあぁぁあああ!」

「なっ、こいつ……!」

 それでもエリーは止まらない。再び為される呪文の詠唱。

「こ、これは……やめろ!」

「ーー極圏爆烈(バルデラート)……!」

 男たちの上空で閃光が走ると、爆発と共に、視覚と聴覚が光と音で埋め尽くされた。






 エリーの放った魔法によって、男たちは髪一本も残さず塵と化した。しかしその代償に、その周辺の畑や家屋も粉微塵となり、のどかな田園風景の面影は皆無。

「わ……たし……」

 この惨事を引き起こした張本人、エリーは、困惑していた。なぜ自分があのような法術を使えたのか。直前に腹に激痛が走り、ミランが斬られたのは覚えている。そこからどす黒い、殺意や憤怒、それらが体を駆け巡り、あとは体が勝手に動いていた。

「……あっ!」

 思い出したように、ミランが倒れている方を見る。倒れているミランを村人が囲み、必死に止血を試みていた。どうやら一命をとりとめているようだ。

「ミラ……」

 エリーが駆け寄ろうとすると、一斉に村人たちに緊張が走り、エリーを見る。その目はエリーを家族として見ていた優しい目ではなく、まるで恐ろしい化け物を見るような目。不幸を運ぶ、死神でも見る目。

「あの……」

「ひっ……」

 エリーが声をかけると、村人は一様に怯えた目で声を漏らす。


 エリーは悟った。もうここには居られない。いや、居てはならない。

 自分は危険な集団に狙われている。自分は危険な力を使ってしまう。自分がいると、迷惑がかかる。


 エリーは、踵を返して歩きだした。

「エ……リー……」

 ミランの声に、立ち止まる。エリーは振り返り、無理矢理口角を上げ目をたゆませ、笑顔を作る。目からはせきをきったかの様に涙が溢れ出す。

「ごめんなさい。今まで、ありがとう」

 頬を伝う涙を拭いながら、しきりに上ってくる嗚咽を押さえつけながら。脳裏に焼き付いた日々を振り払いながら。エリーは村の門を、ゆっくりとくぐり抜けた。

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