ダークヒーローたちの挽歌
「断っておくが、これは俺の趣味じゃない」
滑るように闇を切り裂くマシンの中で、俺は心底うんざりしたように言った。
「こんな、女が履くピンヒールみたいなデザインの車は好かん。俗悪だ」
「あら、素敵じゃない。それに、すごく静か。シートが身体に吸付くみたい」
助手席の白木凉子は、流れる景色にうっとりと目を細めている。彼女はいつだってそうだ。世界の終わりが迫っていても、きっとティータイムを楽しむ女だ。
「これはロータス・エヴォーラに似せたデコイだ。見てくれだけの紛い物さ。中身はまったくの別物。オートマのスポーツカーなんて噴飯ものだが、静粛性と居住性だけは無駄に高い。おまけにハイブリッド。日本製だ」
「日本製? トヨタとか?」
「個人の工房製だ。うちの執事、セバスチャンのな。奴は古い英国車を魔改造するのが趣味でね」
その時、ダッシュボードのディスプレイがノイズもなく切り替わり、品の良い白いカイゼル髭をたくわえた老人の顔が映し出された。
「坊ちゃま、新しい脚の乗り心地はいかがですかな?」
「セバスチャンか。盗聴しているかのようなタイミングだな。この車、ハンドルが邪魔だ。次は視線入力で操作できるやつを頼む」
「そのハンドルは飾りです。保安基準を通すための。どうぞ、お外しください」
言われた通りに引くと、ステアリングホイールは呆気なく外れた。車は何事もなかったかのように、完璧なラインをトレースし続けている。
「…お前、たまに冴えてるな」
俺は無用のハンドルを窓から放り捨て、口笛を吹いた。プラスチックの塊が闇に消える。
「それよりも坊ちゃま」セバスチャンの声のトーンが、コンマ1ミリほど低くなった。「後方より、お客様がお見えです」
「キャッ! 待ってました!」
凉子は敵の出現に、コンサートに行く前の少女のようにはしゃいでいる。
リアモニターに切り替わった映像には、異形の影が映っていた。
工事用重機というには、あまりにも生物的すぎる。多関節の六本脚、その下には路面を削り取るほどの巨大なホイール。ぬらりと動く二本のアーム。機能美のかけらもない、ただ破壊のためだけにデザインされた鋼鉄の怪物。それが、ありえない速度でアスファルトを蹴り、こちらとの距離を詰めてくる。
「セバスチャン、何か手を打て。光学迷彩の類はないのか?」
「坊ちゃま、そのような野暮な機能は搭載しておりません。ですが、わたくしなりの『目くらまし』ならば」
セバスチャンが優雅に指を鳴らすと、車の後方から無数の光の粒子が放出された。それは満開の桜吹雪のホログラムとなり、真夜中のハイウェイに絢爛な幻影を描き出す。
「わぁ、綺麗…!」凉子が歓声を上げるが、鋼鉄の怪物はそんな風流などお構いなしに桜吹雪を突き破り、さらに速度を上げた。
「…お前は本当に使えんな。攻撃的なものはないのか!」
「攻撃は最大の防御、と申しますが、わたくしはそうは思いません。ですが、少々『お行儀の悪い』お客様を諫める機能はございます。『不協和音のワルツ』をどうぞ」
次の瞬間、耳には聞こえない高周波の衝撃が後方に向けて放たれた。怪物の動きが、一瞬明らかにふらつく。パイロットが混乱しているのだろう。だが、怪物は自らの頭部と思しき操縦席をアームで殴りつけると、狂ったように咆哮を上げ、さらに凶暴に追いかけてきた。
「おや、お客様はクラシックがお好みではなかったようですな」
「逆効果じゃないか! おい、なんであんなナリの悪いのが追いついてくるんだ?」
「申し訳ございません、坊ちゃま。どうやらプラズマコンデンサの冷却が追いついていないご様子でして。ブーストの反動ですな」
「何とかしろ。これ、ロボットか何かに変形しないのか?」
「致しません。この流麗なボディに、手足を収納する無粋なスペースはございません」
「このお爺さん、変なところに美学があるのね」凉子がくすくすと笑う。
「セバスチャン! いつもの『こんなこともあろうかと』だ! 秘密兵器を出せ!」
「それが、どうにも最近ネタが尽きまして……」
「使えんやつだな!」
俺は融通の利かない執事を諦め、自分のジャケットのポケットを探った。何か、硬くて細い感触。希望の光か?
取り出したのは、小学生の頃になぜか筆箱に入っていた、使い古しの三菱製六角鉛筆だった。HB。これで世界を救えと?
絶望が車内に満ちた、その時。
「――坊ちゃま」
セバスチャンの声が、不思議なほど穏やかに響いた。
「整いました」
執事はどこからかパイロットのボールペンを取り出すと、徐にカンペに何かを書きだした。
それをモニター一杯に写しだすと、世界の全ての時間が止まってしまった。
追いかけてくる怪物も、流れゆく景色も、すべてがフリーズしている。
モニターには、こうあった。
『この続きはまた来週』
(完)