花葬曲
四月七日、夕刻。
――調査手帳より。帰還後、報告書に転記するための覚え書き。
気がついた時、私は見知らぬ村の広場の入り口に立っていた。山裾に抱かれるようにして築かれた小さな集落だった。家々の壁は白い土で塗られ、屋根は藁とも葦ともつかぬ銀灰色の繊維で葺かれている。
夜空は夏の終わりのように澄んで、星の配置が私の知るものとは違っていた。異世界転移などという語を五十に手が届こうとする学者の私が真顔で用いる日がくるとは思わなかったが、少なくともこの場所が日本国内のどこでもないことだけは確かである。
村人たちは私を見ても驚きはしたが、警戒はしなかった。むしろ遠来の客をもてなす笑みを向け、何事か声をかけながら私の背を押し、広場の中央へと導いた。
言葉はまるで通じない。彼らの音の連なりは歌うようになめらかで、子音よりも息の震えが多い。それでも害意のないこと、いや、それどころか歓迎されていることは、身振りと目つきで充分に理解できた。
広場には大きな焚き火が組まれている。乾いた薪の爆ぜる音に混じって、フルートに似た笛の高い旋律と、小ぶりの太鼓の軽快な連打が夜気を跳ねまわった。火を囲む輪では若い男女が初々しい距離感を保ちながら踊っていた。
指先が触れそうになるたびにどちらかが照れ、視線を伏せ、けれどすぐにまた笑って一歩を踏み出す。
そのはにかみ方は、見合い歌の応酬や盆踊りの輪に紛れて交わされる恋の予兆を思わせた。
焚き火の煙がまっすぐに空へ昇っていく。風があるはずなのに、煙だけが何かに導かれるように細く長く夜の高みに吸い込まれた。
火、音楽、若者たちの舞踊。共同体の笑顔。一見すれば、これは春祭りか収穫祭の類に見える。
しかし火のそばに置かれた白木の台が少し気にかかった。飾り台にしては丈が長く、蓋めいた板があったようにも思う。異郷の意匠に対する見慣れなさゆえの錯覚だろうか。あれはまるで――
村の老人らしき人物が私に杯を差し出してきた。一口飲めば、甘いのに喉を通ると僅かに痺れが走る酒だった。
礼をして空になった杯を返し、火を見つめる。この歳にもなれば祝祭の場において自分が「踊る側」ではなく「記録する側」にいることを、もはや恥じらいもしない。記録こそが私の仕事だ。名も知らぬこの異世界の村の夜を、私はひたすら観察した。
同日、夜半。
踊りの輪はある時を境にほどけた。始めは宴が終わったのかと思ったが、輪はそのまま一本の行列へと形を変えて村の道へ流れ出した。
先頭には笛吹き、次いで太鼓打ち、その後ろに花冠を被った娘たちと肩を寄せ合う若い男たち。さらに幼い子供、女たち、老人たちと続く。私は自然と列の後ろへ加えられた。
音楽は先程までの舞曲よりも幾分か歩調を促す調子に変わっていた。行進曲と呼んでよいだろう。笛が前方へ道を開き、太鼓が大地に拍を打ちつけるたび、村そのものが夜の最中に目を覚ますようだった。
驚くべきことが起きたのはその行列の途上である。一行が通り過ぎるそばから道端の枯れ木に花が咲き始めた。
夜目の錯覚、酒の作用、あるいはこの世界特有の植物生理か。一本や二本ではない。灰白色の枝が笛の音に応えるように震えたかと思うとつぼみを孕み、次の瞬間には淡い光を帯びた花々が一斉に開いていた。
桃とも桜ともつかぬ、小ぶりで丸い七枚の花弁だった。まるで行列そのものが、開花を引き連れているのだ。
私は不意に「花咲か爺」の話を思い出した。灰をまけば枯れ木に花が咲く――あの、日本人なら誰でもどこかで耳にしたことのある昔話である。
善良な老爺の撒く灰は失われたものを回復し、枯死したものに一時の華やぎを取り戻す。あれは単なる奇瑞譚ではなく、死と再生、弔いと祝福とが混じり合う古い観念の名残ではなかったか。
私はそうした連想をしながら同時に圧倒されてもいた。理屈を捏ねたがる頭に対して、それはただ美しすぎる光景だった。
村人たちは花を見て歓声をあげるでもなく、むしろ当然のことのように歌い歩いた。若い恋人たちは相変わらずはにかみながら肩を並べ、時に手を取り、花の下を歩いている。
死んだ木に咲く花の列。その下をゆく、これから生をつないでいく若者たち。生と死の境を、彼らは私ほど厳密には分けていないのかもしれない。
行列は村を一巡りすると再び広場へ戻ってきた。焚き火はまだ燃えていたが、赤い熾火が底で深く息づいていた。
人々は最後に一度だけ夜空へ向かって両手を掲げ、一際長い音を笛に乗せた。煙がまた細い柱となって昇り、消失した先には見知らぬ星座が瞬いていた。
四月八日、朝。私がいた場所とは季節が違うようにも思うが、便宜上、四月八日とする。
鳥の囀りで目が覚めた。昨夜は誰の家とも知れぬ一室を借りて休んだらしい。戸を開けると村は拍子抜けするほど静かだった。
あれほどの祝祭の翌朝だというのに、酒臭さも疲労のどんよりした気配もない。皆が普段通りの朝を始める前の、張りつめた凪の時間だけがそこにあった。
私は明るい陽の中で広場へ向かい、昨夜の焚き火の跡を見てようやく理解した。
灰の中に燃えきらなかった木片がいくつか残っている。その形は、どう見ても棺の一部だった。長方形の板、金具めいた装飾、持ち手のような突起。昨夜、火のそばにあった白木の台は、やはり棺だったのである。
なるほど――。昨日のあれは祭りでもあり、葬儀でもあったのだ。そう考えるとすべての配置が腑に落ちた。
焚き火は祝祭の炎に留まらず、魂を送り出すための火であった。若い恋人たちの踊りは生者の側の命の宴。村をめぐる行列は、死者を共同体の全域へと別れさせる巡幸であり、枯れ木に咲く花はその通過を告げる徴だったのだろう。
死を、終わりとしてではなく、別の相への移行として扱う儀礼。それは沈痛さよりも華やぎを前面に出している。
私は墓地を探した。
広場の裏手、小高い丘の斜面に小さな石標がいくつも並んでいた。新しく土が盛られた箇所がひとつある。つまり、この世界でも肉体は地の下に埋葬されるらしい。では昨夜燃やされた棺は何だったのか。
おそらく身体そのものではない。身体を納めていた器、あるいは現世に属する「殻」の部分を火にくべるのだ。そうして魂は煙に乗って空へ昇る。
肉体は土へ。魂は天へ。地と空に分かたれた死者は、そこで完全にこちら側のものではなくなる。
昨夜の煙のまっすぐさを思い出す。あれは道筋だった。精霊として、祖霊として、あるいはもっと別の、この世界に固有の存在として空に帰る軌跡だった。
彼らは泣き崩れる代わりに踊る。若者たちは照れながら手を取り合う。そうして枯れ木には花が咲く。死者が世界の見えない層へ生まれ直したことを、村中で寿いでいたのである。
私はしばらく昨夜の灰の前に立ち尽くした。
異世界に迷い込んだ困惑も、帰る手立ての見えない不安も、この時ばかりは薄れていた。学者としての関心が恐怖を凌駕した、というだけではない。そこには羨望に近い感情があった。
死をかくも明るく送り出せる共同体。もちろん、私の世界の葬送儀礼にも祝祭性はある。念仏踊り、盆、祖霊祭祀、死者を笑いのうちに送る風習は世界各地に存在する。
だが昨夜私が見たものは、そうした知識のどれにも似ていながら、どれにも収まりきらなかった。死者は埋められ、しかし空へ昇る。去ると同時に生まれる。弔われながら祝われる。相反するものが矛盾なく同居していた。
昨夜この世を去った誰かは、いまや別の世界の新参者なのだろう。その出生を、村人たちは火と花と音楽で送ったのだ。
もし私が元の世界へ帰還できるなら、一夜の観察を報告書に記したい。しかし今は学術的整理の前に、まずは書き留めておきたいと思いペンをとっている。
この世界の葬送は終わりを受け入れる儀礼ではなかった。生者が死者を手放すためのものですらない。
それは見えなくなった者の新しい誕生を、共同体全体で見送るための、春の祭りのようにあたたかな音楽だった。




