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元社畜令嬢、辺境で無自覚に冷徹公爵を魔導具依存に落とす  作者: 綾瀬蒼
1章

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第9話 「君を愛することはないと言ったな。あれは嘘だ」

 朝、目が覚めた時――私は自分の位置に驚いた。


 ベッドの中央。

 毛布はきっちり整えられていて、枕はちょうどいい高さ。

 そして私の手は、誰かの手に包まれたままだった。


 隣を見ると、ジークフリート様が眠っている。

 寝顔は静かで、呼吸は深い。数日前までの「命綱を掴むみたいな眠り」ではない。ちゃんと、安心して眠る人の呼吸だ。


(……回復したんだ)


 胸の奥が少しだけ軽くなった。

 昨夜の門前の騒動。父の声。義妹の泣き喚き。

 その全部が遠くなっている。


 私はそっと手を引こうとして――引けなかった。


 握られている。

 しっかりと。逃げないように。


(いや、寝てるのにどうして……)


 私は諦めて、そのまま天井を見上げた。

 ここは、私が欲しかった場所だ。静かで、温かくて、誰にも責められない場所。


 だけど、ひとつだけ。


(公爵様が、いる)


 最初は「干渉されない生活」が欲しかった。

 白い結婚の宣言は、私にとって“最高の契約条件”だった。

 なのに今、私は毎晩、彼の気配があることに慣れてしまっている。


 その事実が、少し怖い。


 そうこうしているうちに、ジークフリート様が目を開けた。

 眠たげな瞳が私を捉え、すぐに焦点が合う。


「……起きていたのか」


「起きました。手、離してもらえますか」


「嫌だ」


「即答」


 私の言葉に、彼は少しだけ口角を上げた。

 この人が笑うと、空気の緊張がゆるむ。ずるい。


「今日は、話がある」


「また“規約更新”ですか」


「違う」


 彼は起き上がり、珍しく布団の端を整えた。

 まるで、これから何かを“正式に”始めるみたいに。


 そして、私の前に膝をついた。


(え)


 心臓が一拍遅れる。

 こんな姿勢、領主が取るものではない。


「リゼット」


 名を呼ばれる。

 いつもより、柔らかい声。


「昨日で、君の過去の鎖は切れた。もう、誰も君を呼び戻せない」


「……はい」


「だから――今度は、俺が君に求める」


 言葉が、まっすぐで、逃げ道がない。


 ジークフリート様は、一呼吸置いて言った。


「君を愛することはないと言ったな。あれは嘘だ」


 私は瞬きを忘れた。


 頭の中で、初対面の執務室がフラッシュバックする。

 氷の声。冷たい瞳。

 そして、私の「やったー!」。


(撤回されると困るんですが)


 喉まで出た言葉を、私は飲み込んだ。

 なぜなら、彼の顔が真剣すぎたからだ。


「……俺は、君の作った魔導具に救われた」


 彼は言う。


「眠れなかった夜に、君の部屋の灯りを見て、初めて――帰れる場所があると思った」


 胸がきゅっとなる。

 私が作ったのは、ただの快適空間のはずなのに。


「魔導具が欲しかった。あのベッドが欲しかった。あの空気が欲しかった。……最初はそうだった」


 彼の指が、私の手を取る。


「だが気づいた。俺が欲しいのは――君だ」


 直球すぎて、脳が追いつかない。


「俺は、不眠が治った今でも、君がいないと落ち着かない。君の声がないと眠れない。君が笑うと、胸が軽くなる」


 一つ一つが、重い。

 “依存”という言葉に逃げ込めないほど、彼は自分の感情を言語化していた。


「……公爵様」


 私が絞り出した声は、妙に小さかった。

 ジークフリート様は、視線を逸らさない。


「君に拒まれる可能性も分かっている。最初の契約は、君に干渉しないことだった。俺がそれを破っているのも分かっている」


 彼は、少しだけ眉を下げた。

 こんな表情、初めて見る。怖さより、必死さが勝っている。


「だから、選ばせる。君が望むなら、俺は距離を取る。君の快適を、最優先にする」


(距離を取る、できるんだ)


 その選択肢があることに、私は逆に動揺した。

 彼が“引く”という行動を取れるなんて、知らなかった。


 私は、頭の中で自分に問いかける。


 私は何が欲しい?

 自由。睡眠。静けさ。干渉されない生活。

 全部、ここで手に入れた。


 それを壊す選択を、私は取るのか。


 私は、ジークフリート様の手を見た。

 剣を握る手。冷たいと思っていた手。

 今は、私を丁寧に包んでいる。


 そして思い出す。

 昨夜、門前で父の声を聞いた瞬間の恐怖。

 その恐怖を、彼が“終わらせた”こと。


(私、もう一人で戦わなくていいんだ)


 それは、前世でも今世でも、持てなかった感覚だった。


 私は、口を開いた。


「……永久就職先、っていうのは」


 ジークフリート様が瞬きをする。


「はい?」


「ここ、待遇がいいですよね。残業なし。パワハラなし。衣食住つき。睡眠は確保。お風呂は無限。空調は自動。裁量も大きい」


 私は真顔で数え上げた。

 逃げ道としてではなく、私なりの“誠実”として。


「だから、もし私がここにいるなら――条件があります」


 ジークフリート様の目が、少しだけ輝く。


「言え」


「まず、私の“ぐーたら時間”は侵害しないでください。制作の時間は尊重。あと、無断の規約更新は禁止。例外は事前申請制。通い妻みたいなのは、さすがに恥ずかしいので、正式な導線を作ってください。あと、抱き上げる時は一言ください」


 言いながら、自分でも思う。

 私は何を言っているのだろう。


 でも、ジークフリート様は――笑った。

 今までで一番、やわらかく。


「……分かった」


「即答ですね」


「交渉が長いのは嫌いだ」


 それを自分で言うのはずるい。

 私が小さく息を吐いた瞬間、彼が私の手の甲にそっと口づけた。


 今度は、止めなかった。


「リゼット。俺と――正式に夫婦になってくれ」


 心臓がうるさい。

 私は、少しだけ視線を逸らしてから、戻した。


「……はい。最高のホワイト待遇なら」


 私の答えに、ジークフリート様の目が一瞬潤んだ気がした。

 彼は私を抱き寄せる。強すぎない。逃げられる程度に、でも離れたくない程度に。


「一生、俺の腕の中で甘やかされてくれ」


「甘やかしすぎは、ダメになりますよ」


「君が快適なら、それでいい」


 またそれだ。

 私は笑ってしまった。たぶん、初めて自然に。


「じゃあ、公爵様」


「何だ」


「今日は、寝るだけの規約は――更新します」


「更新するのか」


「はい。夫婦としての正規運用に移行です」


 ジークフリート様が、声を立てずに笑った。

 そして、私の額に軽く額を寄せる。


「……ありがとう」


「こちらこそ。良い職場……いえ、良い家庭です」


 窓の外は、まだ雪。

 でも、それはもう“閉じ込める白さ”ではない。

 世界を静かに整えてくれる白だ。


 私は毛布の中で目を閉じた。

 眠りに落ちる直前、ふと思う。


(私、今世こそ――ちゃんと幸せになっていいんだ)


 隣で、ジークフリート様の手が私の指を絡める。

 その温かさが、答えみたいだった。


 こうして、前世社畜の無自覚チート令嬢は、自分だけの快適なぐーたらライフを手に入れた。

 ついでに、氷の公爵様の心身を溶かして、依存させて、極甘に溺愛される未来へ――正式に踏み出したのだった。


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