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元社畜令嬢、辺境で無自覚に冷徹公爵を魔導具依存に落とす  作者: 綾瀬蒼
1章

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8/18

第8話 実家からの使者が来ましたが、公爵様が物理的かつ社会的にすり潰しました

 翌朝、窓の外は一面の白だった。

 雪は静かに降っているのに、胸の奥だけが落ち着かない。


(来るんだよね。絶対に)


 私は湯を沸かし、茶葉を量り、いつもより丁寧に紅茶を淹れた。

 こういう時、手を動かすと心が少しだけ整う。前世で学んだセルフメンテナンスだ。


 扉の鈴が鳴る前に、寝室の方から衣擦れの音がした。

 ジークフリート様が起き上がったらしい。


「……おはようございます」


「おはよう」


 寝起きの声なのに、やけに澄んでいる。

 数日前の青白さはどこにもない。顔色もいいし、背筋もまっすぐだ。


(魔導具、効きすぎでは?)


 私の快適空間が、最強公爵様を“最強”に戻してしまった。

 それが今日、最悪の形で証明されるのだと思うと、少しだけ胃が痛い。


 ジークフリート様は紅茶の香りに目を細め、私の手元を見た。


「緊張しているな」


「してません」


「している」


「してません。いつも通りです」


 嘘をついた自覚はある。

 でも認めた瞬間、過去に引きずり戻されそうだった。


 ジークフリート様は私の手からカップを取り、代わりに自分の大きな手で私の指先を包んだ。


「冷たい」


「雪国ですから」


「違う。君の心がだ」


 言い方が重い。

 私は目を逸らして、机の上のメモ帳を閉じた。


「……公爵様、今日は、やりすぎないでくださいね。私の平穏のために」


「平穏のために、やる」


「その理屈、怖いです」


 彼はほんの少しだけ笑った。

 昨日の“笑顔でブチギレ”の時と違って、ちゃんと温度のある笑み。


「大丈夫だ。君は、何もしなくていい」


 その瞬間、遠くで鐘が鳴った。

 門の合図。来客。


 ミレイユが慌てて駆け込んでくる。


「公爵様、奥様……オズボーン伯爵家の使者が門前に到着しました。人数は三名、護衛が二名。身分証の提示を拒み、“伯爵家の命令”だと」


「通すな、と言ったはずだ」


 ジークフリート様の声が、すっと冷える。


「門で揉めております。相手が強引で……」


 ジークフリート様は立ち上がった。

 その動きが、あまりにも迷いがない。


「行く」


「私も?」


 思わず聞いてしまった。

 すると彼は、私の方を見て首を振る。


「ここにいろ」


「でも……」


「ここにいろ」


 二度言われると、逆らえない。

 私は渋々頷き、代わりに提案した。


「じゃあ、報告だけください。状況のログがないと落ち着きません」


「……ログ?」


「経過報告です」


 ジークフリート様は一瞬考え、頷いた。


「分かった。すぐ戻る」


 彼が部屋を出ると、空気が一段重くなった気がした。

 私は紅茶を一口飲む。熱いはずなのに、味がしない。


 ――門前。


 雪の中で、見覚えのある声が響いていた。


「通せと言っているだろう! こちらはオズボーン伯爵だぞ!」


 父の声。

 そして、甲高い声が重なる。


「そうよ! リゼットを返しなさい! あの女がいないと困るのよ!」


(困るのはそっちの都合です)


 心の中で言い返しても、胸はざわつく。

 身体が覚えている。あの声は“命令”の音だ。


 次の瞬間、場の空気が変わったのが、窓越しにでも分かった。

 足音の統一。護衛の隊列。

 ジークフリート様が現れたのだ。


「ようこそ。雪の中、ご苦労だったな」


 穏やかな声。

 なのに、門の前にいた全員が一歩引いた。笑っているのに、そこに近づきたくない種類の圧がある。


「貴様がルンドベリ公爵か! 我が娘を返してもらう!」


「娘?」


 ジークフリート様が首を傾げた。


「リゼットは、俺の妻だ」


 父が鼻で笑う。


「政略結婚だろうが! 愛もない白い結婚だと聞いたぞ! なら我が家の労働力として戻せ!」


(労働力って言った)


 私の指先が、机の端をぎゅっと掴む。

 聞こえた。確かに言った。

 そういう言葉を、外で、堂々と。


 ジークフリート様の笑みが、整った。


「なるほど。君たちは、“妻”を労働力と呼ぶのか」


「なにを偉そうに――」


「では、確認しよう。君たちの“労働”が何で回っていたのか」


 ジークフリート様が手を上げると、執事がすぐ横に出た。

 手には分厚い書類束。封印の入った公文書のようなものまである。


 父の顔色が、わずかに変わる。


「それは何だ」


「帝都監査局への照会結果と、こちらで押さえた取引記録だ」


 ジークフリート様は淡々と続けた。


「過去三年。帳簿の辻褄が合わない。領地税の一部が“別の口座”へ流れている。架空の修繕費。存在しない人員への賃金。横流しの物資――」


「でたらめだ!」


「でたらめではない。証拠はここにある」


 父が言い返そうとした瞬間、横から義妹が叫んだ。


「そんなもの、あの女が勝手にやったのよ! リゼットが! あの無能が!」


 そこで、ジークフリート様の目が初めて“私”ではないものへ完全に焦点を合わせた。


「無能?」


 たった一言なのに、空気が凍った。


「俺の妻を無能と呼ぶな」


 その声は静かだった。

 だからこそ、怖い。


 義妹が一歩引く。父が強がって前に出る。


「我が家の問題に口を出すな! リゼットは我が家の血だ! 戻す権利がある!」


 ジークフリート様は、ゆっくりと首を振った。


「ない」


 そして、笑顔のまま言った。


「君たちにあるのは、責任だけだ」


 次の瞬間、近衛隊長が一歩前に出た。


「オズボーン伯爵、及び同行者。帝都監査局の要請により、当家が身柄を一時拘束する。抵抗すれば、公務執行妨害として即時処罰する」


「拘束だと!? 貴様ら、貴族に――」


「貴族ならなおさらだ。法の外ではない」


 護衛の騎士たちが父たちの背後を固める。

 “物理的”に逃げ道が塞がれた。


 義妹が喚く。


「やめなさいよ! 触らないで! 私は伯爵令嬢よ!」


「あなたは伯爵家の令嬢でしょう。しかし、ここはルンドベリ公爵領です」


 隊長の声に感情はない。

 淡々としているのが一番怖い。


 父が最後の抵抗のように叫んだ。


「お前はこれで帝国中を敵に回すぞ! 婚家と実家の問題だ! 公爵家の評判が――」


「評判?」


 ジークフリート様は、やさしく問い返すように言った。


「君たちは、俺の妻に“戻れ”と命じた。脅した。母親のことまで持ち出した。……その文面は、すでに複数の証人が見た。写しも取った」


 父の顔から血の気が引く。


「写し、だと……」


「帝都にも送った。監査局にも、貴族院にもな」


 ジークフリート様は一歩近づき、父の目を覗き込むように言った。


「君たちが恐れているのは“公爵家の評判”ではない。自分たちの居場所が消えることだろう?」


 父が口を動かす。言葉にならない。

 義妹が泣き出す。


「いや……いやよ……! だって、リゼットがやってくれてたんだもの! あの女がいないと……!」


(言った)


 また、“いないと困る”。

 あの家の本音はいつも同じだ。


 ジークフリート様はその言葉を拾い上げるように、静かに言った。


「困るなら、己でやれ」


 そして、笑顔のまま“社会的”に潰しにかかった。


「オズボーン伯爵家の取引先には、全て連絡を入れた。今後、当家の領内で伯爵家の商取引は認めない。信用が必要なら、監査が終わるまで待て」


 父が青ざめる。

 領地経済が止まる。それが何を意味するか、彼でも分かる。


「さらに、伯爵家の“管理不行き届き”については、帝都の監査結果が出次第、爵位に関する審議へ回る。……君たちの望む“体裁”は、もう戻らない」


 父の膝が、がくりと折れた。

 義妹は嗚咽を漏らし、護衛の騎士は顔を覆う。


 ジークフリート様はそこまで言って、ようやく言葉を区切った。


「選べ」


 彼は穏やかに言う。


「今ここで、リゼットへの謝罪と、今後一切関わらない旨の誓約を書け。資金の返還と監査への全面協力もだ。書けば、拘束は最小限にする」


「書かなければ?」


 父が震える声で問う。


「このまま連行だ。……そして、二度と俺の妻に近づけない」


 父は歯を食いしばり、震える手で誓約書に署名した。

 義妹も泣きながら押印する。

 それは“敗北”の音だった。


 すべてが終わった頃、ジークフリート様は私の部屋へ戻ってきた。

 扉が閉まると同時に、部屋の空気がふっと軽くなる。


「……終わった」


「早かったですね」


「無駄を嫌う」


 私は頷き、努力して平静を装った。


「私の平穏は、守られましたか」


「守った」


 短い答え。

 でも、その手が私の頬に触れた瞬間、堪えていたものが少し揺れた。


「……怖かったか」


「少し」


 正直に言うと、胸が痛んだ。

 ジークフリート様の指が、私の頬をそっと撫でる。


「もう大丈夫だ。君の過去は、俺がここで止める」


 私は、いつもの逃避で返した。


「よかったです。迷惑客フィルタが正常に動作しましたね」


「……フィルタ?」


「はい。物理フィルタと社会フィルタの二段構え。完璧です」


 ジークフリート様が小さく息を吐く。

 笑ったのだと思う。今度はちゃんと、人間の笑み。


「君は、強いな」


「私はただ、快適に暮らしたいだけです」


「それが、強さだ」


 彼は私を抱き上げた。

 抗議しようとしたのに、腕の中が温かくて、言葉が溶けた。


「……公爵様、寝るだけの規約」


「今日は例外だ」


「勝手に例外を増やさないでください」


「君の心を温めるのは、業務だ」


 私の言い回しを、そのまま使うのがずるい。


 そのままベッドへ運ばれ、毛布をかけられる。

 ジークフリート様は隣に横になり、私の手を握った。


「今夜は、眠れ」


「……はい」


 外は雪。

 でも部屋は暖かい。空気は柔らかい。

 そして何より、もうあの家の声が届かない。


 目を閉じる直前、ジークフリート様の声が落ちた。


「君を奪うものは、全部消す」


 それは優しい言葉の形をしていて、でも確かな執着だった。

 私はその意味を、まだ“仕様”としてしか理解できないまま――深い眠りに沈んだ。


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「過去三年。帳簿の辻褄が合わない。領地税の一部が“別の口座”へ流れている。架空の修繕費。存在しない人員への賃金。横流しの物資――」 一人で領地回してて他の人間が関与してなかったのならこれ全部主人公が…
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